一人ひとりのwell-beingを実現するデジタル時代のヘルスコミュニケーション

第2回 予防・健康づくりをそっと後押しするためのヘルスコミュニケーションのフォーサイト
~デジタルデータが多様化させる行動変容の「ミライ」~

1. はじめに

予防・健康づくりは、令和4年6月7日に閣議決定された「骨太方針2022」1における「社会保障分野における経済・財政一体改革の強化・推進」にも記載があり、各省庁でも様々な取り組みがこの数年強化されている。

予防・健康づくりで扱う分野は生活習慣病(以下、NCDs;Non-Communicable Diseases2)のみでなく、高齢者の介護予防、女性の健康などと、非常に多岐に渡る。対応する施策も受診勧奨、保健事業、介護予防事業、健康経営など、それぞれの場面で関与する専門職やアプローチ対象も幅広く、課題も複合的であることが大きな特徴である。特に、特定健診・特定保健指導の場面では、自治体の職員や保健師等があの手この手を使って受診勧奨や運動習慣の獲得、食習慣改善の促進を試みているが、アプローチすべき対象者数が多いにもかかわらず画一的にアプローチすることの有効性には限界がある、という現場での課題をよく耳にする。

本レポートでは、そのような課題解決に資する予防・健康づくり分野における行動変容アプローチの多様性に触れる。そして、本分野の有識者へのインタビューを通じて、保健師などが関わる予防・健康づくり分野における、現場での施策実効性を高めるヘルスコミュニケーションの「ミライ」を展望する。

2. 予防・健康づくり分野におけるヘルスミュニケーションの多様性

(1)予防・健康づくり分野における「行動変容」アプローチ

新型コロナウイルス感染予防策として、国民の「行動変容」がメディアでも広く取り上げられたことは記憶に新しく、実際に「行動変容」というワードは急速に普及しつつある(図 1)。そして、予防・健康づくり分野におけるヘルスコミュニケーションの目的・ショートゴールは、健康行動に係る「行動変容」とされることが多い。

図 1 「行動変容」というワードの急速な普及の推移

出所)「日経テレコン」(新聞、海外情報、英文情報、雑誌)での検索キーワード「行動変容」のヒット数から、NTTデータ研が作成

ここでいう「行動変容」に対するアプローチは「分野」と「手法」に大別され、さらに「手法」は「伝える内容」と「伝え方」を分けることができる。予防・健康づくり分野ではこれらの要素を加味した上で適切なコミュニケーションを取ることが「行動変容」を後押しすることに有効であると考える(図 2)。

図 2 予防・健康づくり分野における「行動変容」アプローチの考え方

出所)NTTデータ経営研究所が作成

また、行動変容に係るアプローチ手法については、対人でのコミュニケーションから、メディア媒体などによるヘルスプロモーションまで多様であり、それぞれ特徴を有することから、ハイリスクアプローチやポピュレーションアプローチなど、目的に応じて使い分けることが効果的だと考えられる(図 3)。

図 3 「行動変容」アプローチ手法とその特徴

出所)NTTデータ経営研究所が作成

「伝え方」の工夫により行動変容を促す手法で近年注目されているのが「ナッジ」であり、こちらも近年急速に普及しつつある(図 4)。なお、「伝える内容」「伝え方」の実践例については、健康経営を含むNCDs予防分野や高齢者の介護予防分野における過去のレポート等を参照されたい。

図 4 「ナッジ(Nudge)」の急速な普及の推移

出所)「日経テレコン」(新聞、海外情報、英文情報、雑誌)での検索キーワード「ナッジ」のヒット数および研究論文検索サイト「PubMed」での検索キーワード「Nudge」のヒット数から、NTTデータ研が作成

(2)デジタルデータ活用による行動変容アプローチの高度化

最近では、ウェアラブルデバイスによる行動変容効果のメタアナリシス3が複数報告され、身体活動の増加効果は示されつつあるが、血液データなどの生理学的変化や肥満者への効果は限定的であるとされている4,5。スマートフォンアプリやウェアラブルデバイスなどの普及に伴い、PHR(Personal Health Record)を通じたデジタルバイオマーカー6が比較的容易に収集可能となり、デジタルバイオマーカー活用により「伝える内容」が個別化された行動変容アプローチは今後ますます増えていくと予想される。

しかし前述の先行研究の通り、それだけでは天井効果があると推察される。より実効性を示していくためには、デジタルバイオマーカーのみでなく個人の性格や心理特性等の深層データを活用し、アプローチ手法自体も個人に応じてコミュニケーション手法を使い分けることで、「伝え方」の個別化による行動変容アプローチの高度化が実現できるのではないかと考える(図 5)。

図 5 予防・健康づくり分野におけるヘルスコミュニケーションの”ミライ”

出所)NTTデータ経営研究所が作成

3. 予防・健康づくり分野のヘルスコミュニケーションを語る(聖路加国際大学 水野 篤氏へのインタビュー)

本分野の有識者である聖路加国際大学の水野篤先生へのインタビューを通じて、臨床現場と研究を紡ぐアカデミアから見た背景や現状、今後への期待等を伺った。

テーマ1:予防・健康づくり分野におけるコミュニケーションについて

―本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます。まずは、予防・健康づくり分野におけるコミュニケーションの現状をお伺いします。

(水野先生)予防・健康づくり分野は、アカデミアでは主に公衆衛生学領域で研究されてきました。この領域でのコミュニケーションは、単なる情報の交換ではなく、アプローチ・介入方法の一部であると理解することが重要です。そして、様々な研究がされてきましたがまだまだ分かっていないことも多いのです。具体的にはポピュレーションアプローチとハイリスクアプローチがあり、これらは相補的・相乗的に働くもので、どちらをどのように優先するかという議論には終わりがありません。

―ハイリスクアプローチとしてのイメージしやすい1対1や、ポピュレーションアプローチとして想定される1対Nのコミュニケーションについて、良し悪しや効果はどのような観点が影響してきそうでしょうか。

(水野先生)1対1と1対Nのどちらがいいのかという議論も、様々な観点で捉える必要があります。ハイリスクアプローチ、二次予防の診療報酬の視点で考えるとわかりやすいのではないでしょうか。1対1のコミュニケーションには、生活習慣病指導や栄養指導等の歴史があり、その効果は明らかと考えられていると思います。原則的には個別性を重視する1対1が良いとしても、コストやリソースを考えると集団栄養指導といった1対Nのコミュニケーションと役割分担することが重要で、一概にどちらのほうが良いという結論は出ないかもしれません。

―様々な分野で期待が大きい1対Nのポピュレーションアプローチとしてのコミュニケーションは、今後どのように普及していくと思われますか。

(水野先生)政策的な観点で見ると、これまで押し進められていることを大きく変えるための舵を切りにくい経路依存症(Path Dependence)が影響しているので、緩やかな変化になると思います。一次予防領域の方にもう少し話を振ると、2008年から10年以上続いている特定保健指導の流れは急には変えることはできず、今の循環器病予防・健康づくり領域のウェイトが若年層にシフトし、デジタル化が進む中で少しずつやり方を変えているという現状だと思います。また、高齢者には別のアプローチが必要な時代となってきていると思います。

一方でビジネス的な観点で見たときには、1対NのポピュレーションアプローチのHarm(デメリット)をきちんと理解してほしいと感じています。コストやリソースの都合上、一律的な介入を普及することには異論はありませんが、個々人の疾患既往や生活スタイルによっては、介入自体がデメリットとなることがありえる、ということも同時に理解しておく必要があります。例えば、整形外科疾患を持つ方への運動や、アレルギーや食事制限がある方への食事を画一的に介入することのリスクを加味しなければいけないことは、忘れないでほしいと思います。

テーマ2:予防・健康づくり分野における「行動経済学」や「ナッジ」の活用について

―次に、先生のご専門である、医療分野での「行動経済学」や「ナッジ」の活用可能性について、お伺いします。

(水野先生)まさに本題ですね。一緒に進めている案件の中で西口さんもお気づきだと思いますが、「理論」としての行動経済学と「介入研究や実社会」で用いる行動経済学は異なる側面があると考えています。

医療現場で行動経済学を活用している事例は、いわゆるプロスペクト理論*やフレーミング効果*等を極めて限定的な文脈で利用しており、実際の介入研究・ビジネスのロジックとして実装しているというのが現状だと思います。

*プロスペクト理論 「価値観数と確率荷重関数からモデリングされた行動経済学の理論の一つ。有名な文脈では同じ金額でも失う方が得る場合より大きな影響があるということ」
*フレーミング効果 「論理的・客観的には同じ値であっても、文脈、状況によって意思決定が異なるといったような、問題の枠組みが意思決定に与える影響」

―おっしゃる通りだと思います。そのような現状の中で、気を付けなければいけない点はどのようなところでしょうか。

(水野先生)特にビジネスでの実装では注意が必要だと思います。「ナッジ」は理論が抽象化・簡略化された最たる言葉であり、具体的な介入方法としては人によって全く違う説明をされるのが現状ではないでしょうか。逆に、理論に寄りすぎても専門性が強すぎて誰も理解できないというジレンマもあり、理論として抽象化される部分と解釈として具体化される部分のバランスが重要になると思っています。

―コロナ禍でナッジがバズワード化し、ナッジと言えるものもあれば、言い難いものも散見されるという現状ですね。

(水野先生)理論からかけ離れているからといって、決して悪いものではありません。特定保健指導の話に戻りますが、「メタボリックシンドローム」という単語を普及することには反論もあったはずですが、ほとんどの国民が認知するほどの単語として普及したことは、情報戦としては成功だったと言えます。

ナッジも同じように、上手い方向に転ぶのであれば、それは成功と言えるでしょう。一方、悪用される・悪い方向に転ぶのであれば、それはスラッジ(Sludge)*と言われることとなり、その境界線は紙一重であり、重要なことは倫理的に問題ないかを常に問い続けることかと思います。

*スラッジ(Sludge) 「行動経済学的知見を用いて人々により良い行動をさせないように促すことは、ナッジのコンセプトに反する。ということを表すためにリチャード・セイラ―教授らが用いた言葉」

聖路加国際大学 水野 篤先生(2022年8月31日にインタビューを実施)

―ありがとうございます。では、この分野でのナッジの有効性や限界について、先生のお考えをお聞かせいただけますか。

(水野先生)ナッジの中でも、多くの人が想定されている「デフォルト設定」*は劇的に効果が大きいので、「デフォルト設定」と「それ以外」は別で考えなければいけないレベルかもしれません。

「それ以外」のいわゆる利得・損失フレームを活用したメッセージは効果量が大きくないことが限界である一方、それを十分理解した上で利用するのであれば、それは有効だと言えます。効果量が小さかったとしてもマスアプローチとして影響範囲を大きくすれば、損失回避やピア効果、社会的規範等の効果はそれなりに示されているものがたくさんあります。

*デフォルト設定 「ある一つの決定事項に付随するオプションや、選択肢そのものの可否を答える場合などにあらわれる、人間の「初期設定」に従ってしまう心理的傾向」

―まさに私も痛感している部分です。デフォルト設定の有効性や限界については、いかがでしょうか。

(水野先生)「デフォルト設定」は効果量が大きい反面、意思決定者や外部環境への依存性が大きい部分が限界だと言えます。まさにステークホルダーディスカッションであり、意思決定者(国、自治体、個人)が同意し、取り組むと決めるかどうかで全てが決まります。

ヘルスケアビジネスの話に寄せると、意思決定者(個人等)やマーケットにとって倫理的に問題ないかに依存していますが、その壁を乗り越えられるのであれば、デフォルト設定は有効だと思われます。

―デフォルト設定は、その導入に至るまでにどのように落とし込むかが重要であり、まさに「環境整備」ですね。

(水野先生)その通り。デフォルト設定はまさに環境整備であり、物理的環境のみではなく、意思決定者のおかれた状況といった少しバーチャルな環境整備を含みます。ここまで考えて、ナッジは「選択アーキテクチャ」の一つであるという定義*が活きてくると思います。意思決定者(国、自治体、個人の行動)をどう押さえるかが難しいところでもあり、面白いところでもあります。

*リチャード・セイラー教授によるナッジの定義 「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャのあらゆる要素」

テーマ3:デジタル社会における、行動変容やコミュニケーションの高度化への展望について

―最後に、デジタルデータの活用がコミュニケーションアプローチを将来的にどのように変えると予想されますか。

(水野先生)様々な考え方はあり、この分野に限らないかもしれませんが、キーワードとしては「自動化」「均質化」「時間軸の変化(スピード、タイミング)」の3つが、デジタルデータ活用による利点でしょう。

ペンシルバニア大学では、電子カルテデータなどをAIが毎週自動的にモデルをアップデートすることで、高頻度でリスクスコアを精緻化し、患者さんにより良い医療を提供しています。将来的には毎時間・毎分レベルで更新される未来がありますが、これはだいぶ先になると思います。

次に、コミュニケーションアプローチ方法の均質化と、その均質化されたアプローチにより本当の効果を検証できる点も利点です。1対1のコミュニケーションは、医療者側の性格やスキル依存性が高く、感覚的で定量化できないことが長年の課題なので、均質化がどこまで実現できるのか、そしてどのような結果になるのかにはとても関心があります。

最後に時間軸の観点で、適切なタイミングでの即時的なアプローチはデジタル社会でこそ成し得ると思います。特に、行動変容の観点で、適切なタイミングでコミットメントを促すコミュニケーションはアナログな世界では限界があるので、様々なビジネスサービスへの期待はまさにそこにあると思います。

―我々は、コミュニケーションアプローチにも複数の観点があり、様々な軸で使い分けるべきだと考えています。一番初めに戻るかもしれませんが、デジタルとリアルの違いは、今後アプローチ方法の有効性にも変化をもたらしますか。

(水野先生)効果的なコミュニケーションアプローチには、「チャンネル(=タッチポイント)」も重要な要素です。したがって、デジタルと臨床現場のようなリアルのタッチポイントとのバランスを上手く織り交ぜることが、必要とされることは間違いありません。

―あるべき姿がデジタルとリアルの両立という中で、ビジネスや社会実証の観点ではリソースの兼ね合いで必ずしも二刀流という訳にはいかず、どう折り合いをつけるかの意思決定が重要だと感じました。本日は、どうもありがとうございました。

4. 最後に

本レポートでは、有識者の意見を交えつつ、予防・健康づくり分野における行動変容アプローチの多様性に触れながら、予防・健康づくり分野における現場での施策実効性を高めるヘルスコミュニケーションの「ミライ」を展望した。ナッジなどの行動変容手法がバズワード化している一方、その有効性はまだまだ発展途上であり、小手先のテクニックだけではなく様々なステークホルダーを巻き込んだ大局的な環境整備が、予防・健康づくりの行動変容を促す重要な要素だと言える。

また、政策や民間サービスの中でのヘルスコミュニケーションの社会実装に向けて、デジタル社会は追い風であり、デジタルデータを行動デザイン的視点で有効活用することが、個々人のみでなく外部環境にも行動変容を促す「ミライ」の実現につながることを期待したい。

次回は、
「こころの不調に対するスティグマをなくしていくために ~正しい知識と印象をとどけるコミュニケーションとは~(仮)」(執筆者:坂井田 萌)
をお届けします(9月下旬掲載予定)

お問い合わせ先

ライフ・バリュー・クリエイションユニット/行動デザインチーム
シニアコンサルタント 西口 周
Email:

1 内閣府「経済財政運営と改革の基本方針2022 新しい資本主義へ~課題解決を成長のエンジンに変え、持続可能な経済を実現~」(令和4年6月7日)https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2022/2022_basicpolicies_ja.pdf
2 NCDs(Non-Communicable Diseases;非感染性疾患)とは、不健康な食事や運動不足、喫煙、過度の飲酒、大気汚染などにより引き起こされる、がん・糖尿病・循環器疾患・呼吸器疾患・メンタルヘルスをはじめとする慢性疾患をまとめて総称したもの(WHOの定義) ※生活習慣病は日本固有の言葉となりつつある
3 メタアナリシスとは、複数の研究の結果を統合し、より高い見地から分析すること、またはそのための手法や統計解析のこと
4 Ferguson T. et al., Effectiveness of wearable activity trackers to increase physical activity and improve health: a systematic review of systematic reviews and meta-analyses. Lancet Digit Health. 2022:00204(8): e615-e626
5 Tang MSS., et al. Effectiveness of Wearable Trackers on Physical Activity in Healthy Adults: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials. JMIR Mhealth Uhealth. 2020. 22; 8(7): e15576
6 デジタルバイオマーカー(dBM:Digital Biomarker)とは、臨床的な評価を目的に各種のデジタルデバイスを用いて客観的・定量的に収集・測定された生体データ(日本製薬工業協会より)

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