はじめに
予防・健康づくり分野を中心に「行動変容」を促す施策やソリューションには、官公庁、自治体、職能団体、民間企業など多方面からの期待が大きく、これまでにもその時々の潮流に沿った行動変容に係る考察を、様々な角度から述べてきた。
一方で、行動変容の“Theory”や“Formula”のようなものを見いだせたとしても、それを企画・実装する「行動変容を促す側のステークホルダー」(本レポートでは「行動変容デザイナー」と定義する)に求められるスキルセットは非常に多岐にわたり、生活者の能動的な行動が引き起こる持続的な環境整備を構築するためには、人的リソース面でもまだ大きなキャズムがあるのではないだろうか。
特に、より効果的な行動変容の在り方を探求する「アカデミア」、効果的であるのみでなく効率性や収益性なども鑑みる必要がある「民間サービス企画者」、その裏で膨大なデータを解析する「データサイエンティスト」、公正な立場で大きな文脈で環境整備・普及啓発する「公的機関」など、それぞれの得意分野や求められる役割が異なるため、各ステークホルダー間でも思想や言語を定義していくような応用的思考力が求められると実感している。
本レポートでは、そのような各ステークホルダー間で合意形成を図りながらデータドリブンに行動変容を促すために求められる、“発想の転換の考え方”について複数回に分けて課題提起型で考察する。本レポートが、5年10年先を見据え、行動変容施策やソリューションを高度化させる人材育成のヒントとなり、未来の「行動変容デザイナー」の創出につながることを期待したい。
行動変容を促す側「行動変容デザイナー」の役割
近年の行動変容に係るトレンドとして、ナッジなどの行動経済学的なアプローチ、EBPM(Evidence Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)などが普及しつつあるが、一言に「行動変容を促す」といっても、計画立案段階から最終的に実装するまでにはいくつかのプロセスを経る必要があり、各工程で求められる専門的な知見やスキルセットは異なる。
画一的なプロセスはなく必ずしも全ての工程を経る必要はないが、データドリブンに行動変容施策・サービスを実装するための検討プロセスとして、大きく「①行動変容に係る問いの整理」「②検証計画の立案」「③データ収集、分析」「④分析結果の解釈、実装への示唆出し」などがあり、以下のような役割・スキルが求められる(図表1)。
しかし、これらの各工程は一方通行ではなく「検証⇒修正」のサイクルを何度も回すことが多く、画一的な方法論があるわけではないため、各工程で求められる専門的な知見やスキルセットを要することは言うまでもない。どの方法論がベターなのか、再度サイクルを回す必要があるのか、次の工程に進んでもよいのかなどを意思決定するための知見・スキルセットを持ち、関係者間で合意形成することも「行動変容デザイナー」に求められる非常に重要な役割といえる。
検討プロセスで散見されるフレーズ「なぁぜなぁぜ?」
「予防・健康づくり」「行動変容」「EBPM」などの文脈での施策やサービスの検討にあたり、前述に示す各プロセスの中では以下のようなフレーズが頻出する。
「なぁぜなぁぜ?」
以下に示す「無関心層」や「エビデンス」といったフレーズは非常にあいまいで多義的であるにもかかわらず、多くの検討過程でこのフレーズに対して明確な定義ができているケースは少なく、関係者間で共通言語化できず、検討のたびに作業担当者レベルが困惑することは少なくない。
「無関心層」の括り方
⇒「無関心なのではなく、目に見える行動に現れていないだけの人も多いはずなのに、無関心層と一括りにされるのは、“なぁぜなぁぜ?”」
「エビデンス」の有無
⇒「エビデンスの話になると、詳細な状況を鑑みることなく、RCT(Randomized Controlled Trial:ランダム化比較試験)を推奨されるのは、”なぁぜなぁぜ?”」
「データサイエンティスト」の役割
⇒「データサイエンティストの役割が、取得済みのデータ分析・統計解析に留まっており、上流・下流工程に関われる機会が少ないのは、“なぁぜなぁぜ?”」
「効果があること(有効性)」を示す範囲
⇒「学術的な研究成果をもとにサービス・施策を企画しているのに、都度PoCを実施して有効性を示す必要があるのは、“なぁぜなぁぜ?”」
※筆者の経験上、他にも多くの曖昧なフレーズが飛び交っている印象である
これらに画一的な正解がないのは、大勢が重々承知だと思われるが、学術的・ビジネス的な視点での固定概念や正論・推奨に捉われてしまい、目的(求められるゴール・成果)に応じた適切な言語化が見失われがちになることが多い。そこで、各工程で求められる専門的な知見やスキルセット以上に、求められるゴール・成果は何なのかを軸に置いたうえで、コンテクストに応じて関係者間で一つひとつの言語を定義・合意してリードしていく役割が、今後の行動変容施策を推進する行動変容デザイナーに求められる(期待される)。
重要なのは「ラテラルシンキング」:各工程で「じゃない方」をチョイスできる意思決定・遂行力
前述のような役割が求められる中で、各工程における専門的な知見やスキルセットは大前提に置きつつ、その上段として必要となるスキルは「ラテラルシンキング」だと考えている。
ラテラルシンキングとは、問題を解決するために固定観念や既存の論理にとらわれず、「物事を多角的に考察する」「新しい発想を生み出す」ための思考法である。「ロジカルシンキング」が、与えられた前提条件を深掘りしたり論理的に分類したりすることとして述べられることが多い一方で、頭をフラットにして視野を広げ、あらゆる可能性を検討することがラテラルシンキングと表される。ラテラルシンキングには大きく分けると3つの考え方が必要であるといわれている(図表2)1。
● 前提を疑う
● 抽象化する
● セレンディピティ 2
これら3つの考え方がちょうどよく合わさると、新しいアイデアが生まれるとされている。まずは前提を疑うところから始まり、本質を問いながら抽象化と具体化を繰り返すことで様々な組み合わせを探しつつ、セレンディピティに巡り合いながら、アイデアを具体化させていく、という思考プロセスとなる。
このラテラルシンキングの視点を持つことで、「無関心層=●●」「エビデンス=●●」「データサイエンティストの役割=●●」などの画一的な定義に縛られ、施策やサービスの検討を停滞させることが少なくなるだろう。
具体的には、オーソドックスな定義で合意形成がなされなかった際に、「次善策として、“じゃない方”のアプローチを実践する」「これまでの発想ではなく、新しい切り口で再定義して再検証する」といったように、行動変容施策を実装するための各プロセスで王道“じゃない方”も含めた複数の選択肢をチョイスするためにラテラルシンキングが役に立つ。各工程を俯瞰的にみて、適宜発想を転換することで柔軟に意思決定・遂行する思考力こそが、これからの行動変容デザイナーに求められるスキルであり役割なのではないだろうか。
前述のフレーズにおいて、発想転換する考え方の事例や詳細は、第2回レポートで各論として述べることとする。
最後に
第1回レポートでは、データドリブンに行動変容を促す「行動変容デザイナー」への総論的な課題提起と、各コンテクストの中で物事を異なる観点で考察し、新たな発想を得るラテラルシンキングの重要性について触れた。
行動変容に限らず、様々な新規施策・サービスを検討する上では、曖昧な言葉で議論されることが多い。専門性が高い人は実現性よりも正しさを優先した言葉を使うことが多く、専門性に乏しい人は主観的な言葉を使うことが多いが、いずれも各々の立場での思いであり、否定されるものではない。肝要なのは、それらを橋渡しするために本質を理解し発想を変えることで、双方の合意形成に至る最大公約数を提示できる知見やスキルセット、そのための思考プロセスを実践することである。
第2回レポートでは、各論として行動変容を検討するプロセスの中でラテラルシンキング的な発想で、学術的・ビジネス的な視点での正論に捉われず、コンテクストに応じて関係者間での言語を定義・合意形成することの重要性を考察することで、これまでの行動変容デザイナーに不足していた複数選択肢を提示する考え方のヒントとなることを目指す。