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Insight
経営研レポート

一人ひとりのwell-beingを実現するデジタル時代のヘルスコミュニケーション

第3回 こころの不調に対するスティグマをなくしていくために
~正しい知識と印象をとどけるコミュニケーションとは~
ヘルスコミュニケーション
2022.10.17
ライフ・バリュー・クリエイションユニット
行動デザインチームメンバー/シニアコンサルタント
公認心理師・臨床心理士
坂井田 萌
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1.はじめに

日本では、5人に1人が一生のうちでこころの不調を経験すると言われている1。新型コロナウイルスのまん延以降は、感染に対する不安や行動制限に伴うストレスなど、こころの不調のリスクが一層高まっていることが考えられ、実際に働く人のうち、精神的健康度が低い人においては6割がストレスや悩みが増加している2

しかしながら、精神疾患の罹患経験がある人のうち、約7割は未受診であり1、いまだにこころの不調を抱える人の多くが受診・相談をしていないと言われている。こころの不調が生じ、ケアを受けることが必要な状況にもかかわらず、ケアを受けることができない状況を「サービス・ギャップ」と呼ぶ。「サービス・ギャップ」が生じる背景には、治療費用負担の困難さや移動の難しさ、専門家の不足などが挙げられるが、その中でも、心理的なハードルとして特に問題視されているのがスティグマの問題である。

本レポートでは、こころの不調に対するスティグマについて定義などを説明するとともに、スティグマを減らすための世界的な動きとデジタルを活用したヘルスコミュニケーションの事例をご紹介することで、これからのデジタル時代における、「スティグマをなくすヘルスコミュニケーション」の在り方について述べる。

2.こころの不調に対するスティグマとは

「スティグマ(stigma)」とは、日本語の「差別」や「偏見」といった言葉に近く、個人の持つ特徴に対して、周囲から否定的に意味づけをされ、個人の行動を変化させたり制限させたりすることを指す。こころの不調に対するスティグマの場合、こころの不調を呈することで周囲から不当な扱いを受けたり、本人が自ら行動を制限したりすることが挙げられる。

「スティグマ」には、「パブリック・スティグマ」と「セルフ・スティグマ」の主に2種類があると言われている3。「パブリック・スティグマ」は、周囲の人々が特定の人(例えば、こころの不調を持つ人)に対して偏見や差別意識を持つことであり、知識・態度・行動で構成されていると言われている。一方で「セルフ・スティグマ」は、広義では、特定の人(例えば、こころの不調を持つ人)が周囲からの偏見や差別意識を感じることを指し、狭義では、周囲からの偏見や差別意識を感じることで自分自身を価値の低い者だと感じることを指す。

図表1 「パブリック・スティグマ」と「セルフ・スティグマ」3,4

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このように「スティグマ」は、こころの不調を持つ人が不当な扱いを受けるだけではなく、本人が風評を受け入れて、友達付き合いや仕事を避けたり、自らの行動を制限してしまったりすることで、これにより正しいケアにつながらず、場合によっては症状をより悪化させる恐れもある。

3.こころの不調に対するスティグマを減らすための世界的な動き

こころの不調に対するスティグマを減らすための取り組みは日本を含め、世界中で行われている。例えば、WHO(世界保健機関)は、こころの不調を持つ人に対するスティグマや差別は適切なケアへ繋がることへの阻害要因となっており、適切な知識を持つことが重要だと訴えている5。さらに先行研究では、「パブリック・スティグマ」の軽減にあたっては、教育的なアプローチ(本や映画などの視聴覚教材を用いてこころの不調に関する‟事実”を伝えること)と、こころの不調を持つ当事者との交流が有効だと分かっている6。また、直接交流しなくても、動画などを通して当事者について知ることも有効だと考えられている。実際に、各国の学校教育においてこころの不調に関する情報提供を行ったり、大規模なメディアキャンペーンを行ったりしている。このようにスティグマを減らすためには、広い意味でコミュニケーションを工夫し、こころの不調を持つ人や周囲の人、医療職らが正しい情報を持って行動できるようにするという点で、ヘルスコミュニケーションが一つの有効な対応策になるのではないかと考えられる。

4.デジタルを活用したスティグマを減らすヘルスコミュニケーション事例

スティグマを減らす取り組みについては世界各国で行われているが、特にデジタルツールを有効活用しているヘルスコミュニケーションの事例について、その特徴とともに紹介する。

図表2 デジタルツールを有効活用しているヘルスコミュニケーションの紹介事例マッピング

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① Mental Health Literacy(mentalhealthliteracy.org, カナダ)

Mental Health Literacyは、こころの不調に関する専門家が立ち上げた、主に10代向けにこころの不調に関する情報を提供するプロジェクトである。こころの不調に対する理解を促進するため、記事コンテンツの他、イラストを活用したスライド資料や動画コンテンツを提供している。さらに友人や親、教育者など、周囲の人が効果的にサポートを実施できるように情報提供も行っており、YouTubeの他、TwitterやFacebookといったソーシャルメディアでの発信も積極的に行っている。

こうしたコンテンツを学校教育で活用できるよう、教員と生徒の理解促進と行動変容を目的として、Mental Health & High School Curriculum Guideを作成しており、現在、カナダの多くの学校で導入されている。本教材の特徴としては、教員が自己学習できるような資料や具体的な授業プランが含まれている他、Mental Health Literacyのウェブサイトで公開されている動画やスライド資料も活用できるようになっている。実際に本教材を用いて研修を行った学校では、こころの不調に対する知識が向上しただけではなく、自身や家族、友人における援助希求行動も促進することが分かっている7

図表3 メンタルヘルス(こころの不調)に関する説明が提供されているスライド資料と動画コンテンツ8

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② Stigma Free(National Alliance on Mental Illness: NAMI, アメリカ)

Stigma Freeは、こころの不調を持つ個人やその家族らの生活を向上させることを目的とした全米最大規模の非営利団体であるNAMIが提供しているウェブサイトである。スティグマを減らす取り組みについては、多くの団体において一方向的な情報提供が中心になりやすい一方で、Stigma Freeでは、クイズに答えながら、自身の持つスティグマへの気づきやこころの不調に対する正しい理解を促していることが特徴的である。

図表4 “StigmaFree Quiz”(ウェブに簡単なクイズが掲載されている)9

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③ Rare Beauty(Rare Beauty, アメリカ)

Rare Beautyは、アメリカの女優・歌手であるセレーナ・ゴメスが2021年に設立したビューティーブランドであり、主にコスメの販売を行っている。本ブランドは、設立者自身が過去にこころの不調を経験したことがあったことから、個人のこころの健康を支える(ブランドを通して個人の自己受容を促し、孤独を感じる人がいなくなる)ことをビジョンに据えて活動をしている。そのため、単にコスメの販売を行っているだけではなく、ソーシャルメディアなどを通じたこころの不調に関する情報提供や、こころの不調を持っている人をサポートするためのファンドの設立、メイクアップからこころの健康やウェルビーングまで、幅広く会話をすることができるバーチャルコミュニティの立ち上げなどを行い、こころの不調に対するスティグマを減らすための活動を積極的に行っている。

図表5 昨年開催されたzoomでのバーチャルコミュニティの様子(左)とこころの不調に関する情報提供サイト(右)10

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④ bring change to mind(Bring Change to Mind, アメリカ)

Bring Change to Mindは、女優兼活動家のグレン・クローズが2010年に立ち上げた非営利団体である。こころの不調に関する対話(情報提供)を通じて、こころの不調に対する理解や共感を促進することを目的としており、具体的な取り組みとして、オンライン上での情報提供や著名人などのゲストを招いたトークイベントの開催などを行っている。

この取り組みの特徴的な点として、著名人らが情報発信を行うだけではなく、10代の若者たちが自身の体験について語るブログや、当事者や当事者の家族らによるエッセイや動画が公開されていることが挙げられる。こころの不調を持つことやこころの不調を持っている人について具体的に知ってもらうことで、スティグマを減らそうとしている。実際に、bring change to mindの大学プログラムであるUBC2M(You Bring Change To Mind)は、効果検証の結果、大学生におけるこころの不調に対するスティグマ(偏見・差別的素因)を減らすことが示されている11

図表6 bring change to mindで提供されているTalk Toolの一例12

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5.おわりに

本稿では、こころの不調の改善にあたってスティグマが大きな阻害要因になっており、スティグマを減らしてくことが必要であることをお伝えし、アメリカやカナダでのデジタル等を活用したスティグマを減らすヘルスコミュニケーションの事例を紹介した。

こころの不調については、すべての精神疾患について殆どの人が思春期・青年期に発症していると言われており、若い世代を中心にスティグマをなくし適切なケアへ繋げられるような取り組みが求められている。こころの不調に対するスティグマをなくしてくためには、文字のみで伝えるのではなく、動画やイラストを用い、分かりやすく事実を伝えていくことが重要だと考えられている。そのような中で、デジタルネイティブとも呼ばれる若い世代にとって馴染みのある、YouTubeやInstagram、TikTokといったデジタルメディアは、動画を通じた当事者自身による体験の発信や双方向的なやり取りができることから、大変有効だと推察される。さらにデジタルメディアには‟シェア”という形での波及力も期待される。

今後、デジタルツールを上手く活用することで、「パブリック・スティグマ」と「セルフ・スティグマ」の両方が緩和され、ケアを受けることについて希求しやすくなることで、ケアを必要としている人に充分なケアが届くことを期待したい。

「ヘルスコミュニケーション」紹介ページはこちら

1 川上憲人ら「精神疾患の有病率等に関する大規模疫学調査研究:世界精神保健日本調査セカンド」(2016年)http://wmhj2.jp/WMHJ2-2016R.pdf

2 NTTデータ経営研究所「働く人のメンタルヘルスとサービス・ギャップの実態調査」(2021年)https://www.nttdata-strategy.com/newsrelease/210915.html

3 小池進介ら「日本人のメンタルヘルスに関する認識2021」(2021年)http://klab.c.u-tokyo.ac.jp/wp-content/uploads/2021/08/d9c0d9dba0f58f21d8c44005704444a3.pdf

4 山口創生ら「精神障害に関するスティグマの定義と構成概念:スティグマに関する研究の今後の課題」(2013年)社会問題研究. 62;53-66. 2013

5 World Health Organization “World Mental Health Day 2022” https://www.who.int/campaigns/world-mental-health-day/2022

6 Corrigan, P. W., Morris, S. B., Michaels, P. J., et al.:Challenging the public stigma of mental illness:a meta‒analysis of outcome studies. Psychiatr Serv, 63(10);963‒973, 2012

7 teenmentalhealth.org ”REPORT ON THE EVALUATION OF THE “GO-TO EDUCATOR” TRAINING IN THE PROVINCE OF NOVA SCOTIA: A RETROSPECTIVE ANALYSIS OF ITS VALUE AND UTILITY AS REPORTED BY PARTICIPANTS ONE TO TWO YEARS AFTER EXPOSURE” http://mentalhealthliteracy.org/wp-content/uploads/2018/03/GTET-Implementation-Follow-Up-Report.pdf

8 ”What is Mental Health?”, mentalhealthliteracy.org, Retrieved October 5, 2022 from https://mentalhealthliteracy.org/what-is-mental-health/

9 ”StigmaFree Quiz Results”, National Alliance on Mental Health, Retrieved October 5, 2022 from https://www.nami.org/Get-Involved/Pledge-to-Be-StigmaFree/StigmaFree-Me/StigmaFree-Quiz-Results

10 Rare Beauty “Rare Beauty Social Impact Report 2021” https://cdn.shopify.com/s/files/1/0314/1143/7703/files/RareImpact-2021YearReport.pdf?v=1660935932

11 Bernice, A. P., et al. : Empowering the Next Generation to End Stigma by Starting the Conversation: Bring Change to Mind and the College Toolbox Project. American Academy of Child & Adolescent Psychiatry, 59 (4) ; 519-530, 2020

12 ”talk tool”, Bring change to mind, Retrieved October 5, 2022 from https://bringchange2mind.org/talk/talk-tool/
お問い合わせ先

ライフ・バリュー・クリエイションユニット/行動デザインチーム

シニアコンサルタント 坂井田 萌

Email:sakaidam@nttdata-strategy.com

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