一人ひとりのwell-beingを実現するデジタル時代のヘルスコミュニケーション

第7回 がん患者の意思決定を支援するコミュニケーション

1. はじめに

がんは我が国の死因の第1位であり、約2人に1人が一生のうちに何らかのがんにかかると言われている、まさに国民病である。
2006年6月のがん対策基本法の成立以降「がん対策推進基本計画」が策定され、我が国では総合的かつ計画的にがん対策が推進されている。また、2016年の改正により、がん患者が尊厳を保持しつつ安心して暮らすことができる社会の構築を目指すことが理念に追加され、がんを治療することに加えてがんを抱えながら円滑な社会生活を営むことができる社会環境づくりが重視されている。
がん治療は身体に影響を与えるだけでなく、日常生活や仕事の継続、治療費を含めた生活費、自分や家族の精神状況など多岐にわたる影響を与えるが、小児、AYA(Adolescent and Young Adult:思春期・若年成人)世代、現役世代、高齢世代など、年代や家庭環境、社会経済状況によってもその影響の度合いが異なる。何を大事にどういう社会生活を送りたいか、どのような治療方法の選択肢があり、それがどのような影響を及ぼすかについて、医療者とコミュニケーションを取りながら一人ひとりのニーズに合わせて適切な治療方法を選択し、仕事や教育、経済、福祉、子育て、外見変化などについて必要な支援を受けられることが望ましい。
つまり、患者ががんと共生しながらその人らしく社会生活を維持するには、その人らしい意思決定を支援するヘルスコミュニケーションが欠かせない。

2. 患者と医療者のコミュニケーションギャップとその要因

ところが、医療者が丁寧かつ真心を込めて患者に説明していても、患者に伝わっていなかったり、理解していなかったことが判明したり、「聞いていない」などの予想外の反応をされることがある。
がん患者に限った調査結果ではないが、京都大学吉田純研究室などによる共同研究結果1によると、十分な対話ができていると感じている医療者は6割弱(56.7%)に対して、患者は4割弱(34.8%)に留まっている。また、説明と同意(インフォームド・コンセント)について6割以上(65.3%)の医師が十分に実施していると感じている反面、同じように感じている患者は4割(39.7%)であり、医師と患者のコミュニケーションについては評価の開き(以下、コミュニケーションギャップ)がある。

1 NTTコム オンライン・マーケティング・ソリューション 京都大学大学院 吉田研究室, 2018年9月,「医師と患者のコミュニケーションに関する調査」
https://research.nttcoms.com/database/data/002097/

図1 患者と医療者のコミュニケーションギャップ
図1 患者と医療者のコミュニケーションギャップ

※病院における診察時のコミュニケーションについての調査であり、がん治療に限定した調査ではない。

このような医師と患者のコミュニケーションギャップが起こる要因は、「情報」(実現手段)の不足、患者のヘルスリテラシー(能力)の問題とされることが多いが、患者に知識があり、情報が十分に与えられたとしても正しく理解して意思決定できるとは限らないことが近年明らかになっている。
図2は患者の意思決定に影響しうる要因を示している。経済学と心理学を組み合わせた行動経済学によると、人間の合理性は限定的であり、単純化された直観的な思考方法(ヒューリスティック)が働きやすいため合理的な意思決定から規則的に逸脱する傾向(バイアス)があるという(認知や感情)。選択肢が多いと選択できない「選択過剰負荷」や、つらい意思決定を先延ばししてしまう「現在バイアス」、メディアやインターネットなどの身近で目立つ情報だけで判断してしまう「利用可能性ヒューリスティック」などは、医療現場で起こりやすいバイアスとされる。さらに、専門家でかつ多忙な医師を前に話をすることへの心理的プレッシャーがある場合や、がんの告知や再発を知ったショックで頭が真っ白な心理状況の際も合理的な意思決定をできる状況ではないだろう。
また、コミュニケーションを取る空間や同席している人の有無、家庭の状況や経済状況、就業・就学状況などの患者を取り巻く物的・社会経済的環境など「周りの環境」も意思決定に大きく影響を与える。

図2 患者と医療者のコミュニケーションギャップの要因
図2 患者と医療者のコミュニケーションギャップの要因

3. 患者と医療者のより良いコミュニケーションに向けたデジタル活用

コミュニケーションギャップに対するアプローチには、医師の側と患者側の双方向のものが考えられる。患者に対しては、メディカルスタッフや相談支援センター、セカンドオピニオン、ピアサポーターなどによる支援のほか、昨今ではデジタルコンテンツで直観的理解を深めることや、身体的・精神的変化を記録しておき医師と共有するなどのデジタルツールも増えている。医師に対してはチーム医療やカンフェレンス、情報共有ツールを通じて患者の情報共有をすることや、患者理解を深める伝え方を学ぶ研修として「コミュニケーション技術研修会」などの研修、前述したヒューリスティックや介入方法としてナッジ活用などがある。

図3 患者と医療者のコミュニケーションギャップへの主なアプローチ
患者と医療者のコミュニケーションギャップへの主なアプローチ

当社は、がん専門病院として知られるがん研有明病院とNTTデータと共同で、医療者が患者特性を理解することを支援するツールを開発中である。内閣府戦略的イノベーション創造プログラム「AI(人工知能)ホスピタルによる高度診断・治療システム」の一環で、精神的負担を受けた時の行動傾向(コーピングスタイル)を分類するAIモデルであり、一般人モニター8,208人のデータに基づいて開発した2。患者が回答した問診項目に基づいてコーピングスタイル(きちんとタイプ、心配性タイプ、哀愁タイプ、前向きタイプ、無関心タイプ)を推測するほか、がん告知時などに優先的に意識することが推奨されるSHARE項目3、うつ発症リスク、自己申告の率直度(医師に自己の不安や身体の状態、気持ちを伝えられたか)などが電子カルテに表示される。これらの情報を、患者特性を把握することが必ずしも容易ではない初診から数回目までの診察期間に活用することで、その後の治療に向けたコミュニケーションに役立つことを期待した。

2 特許申請準備中
3 患者にがんの告知などの悪い知らせを伝えるコミュニケーション・スキルとして開発されたSHAREプロトコールにおいて、患者が望む、望まないコミュニケーション項目を指す。SHAREプロトコールが4つの要素で構成され、SHAREはその頭文字(S:Supportice environment, H:How to deliver the bad news, A: Additional information, R: Reassurance and Emotional support)を表している。

4. がん治療におけるより良い患者と医療者のコミュニケーションのために
~公益財団法人がん研究会有明病院 乳腺センター副医長 井上有香医師へのインタビュー~

患者のコーピングスタイルを分類するAIモデルの開発に携わったがん研有明病院の乳腺外科医、井上医師へインタビューを行い、臨床現場の視点からみたインフォームド・コンセントを行う場面におけるコミュニケーション課題やAIモデルを含めたデジタル活用に対する今後の期待を伺った。

コミュニケーションギャップに関する臨床現場の課題

がん治療において、患者とのコミュニケーションにおいてうまく伝わらないと感じることはありますか。

(井上医師)理想的には患者に十分な理解をしてもらったうえで診療にあたる必要がありますが、実際には医師が思っているほど説明したことが患者に伝わっていないなと感じる場面はよくあります。患者さんへは「この時点でここまで説明する」ということをある程度決めており、紙に図示して説明し、それを持ち帰っていただくなど、分かりやすくする工夫をしているつもりですが、患者さんから「聞いていなかった」と後から言われることがあります。

コミュニケーション上のすれ違いはお互いのことを知らない治療の初期に生じることが多いのでしょうか。

(井上医師)初期段階だけとは限りません。治療段階がある程度進んだ段階でも十分理解ができていなかったということはあります。患者さんの性格によって異なりますし、どの程度知っているかにもよるでしょう。また、心理状態によっても理解度は違います。どの程度結果を予想して聞いたのか、まっさらな状態で聞くかで受け止め方も変わります。

インフォームド・コンセントにおいてうまく伝わらないとどのような影響がありますか。

(井上医師)患者さんに再度説明が必要となることはもちろんですが、最も困るのは情報を提供して患者さんに意思決定してもらう必要がある場合に、理解が十分できていないと難しいと感じます。選択肢に幅がある中で十分理解して決定したのか、十分理解できずもうそれでいいですという決定なのか。特に、患者さんとの信頼関係が十分ではない状態では後々のトラブルにつながりかねません。

コミュニケーションが上手く行かないときはどうしているのですか。

(井上医師)多くの患者さんの診療を担当しているため、時間に追われていて疎かになりがちですが時間をかけて丁寧に話すしかないと思っています。ベテランの医師は、患者説明の際の「間(ま)の取り方」などが上手です。若手医師は情報をどんどん提供してしまうこともありますので、ベテラン医師のコミュニケーション技法を参考にしています。また、医師が説明した後に看護師に面談してもらうと、驚くような発言をされることもあります、落ち着いて情報を消化した後に受け止め方が変わることがあるのでしょう。看護師などチームスタッフみんなで連携しながら、どういう背景や理解度の患者なのかに合わせて話すようにしています。

コミュニケーションギャップに対するデジタル活用

AIホスピタルで開発した患者のコーピングスタイル(がんの告知などの悪いニュースの受け止め方)を推測するAIモデルについて、開発に携わった経験から臨床現場にとっての意義と今後の期待を教えてください。

(井上医師)検査の数値などを過度に気にする方や自身の病状を受け止めきれずけんか腰になってしまう方など、診療の経験値から患者さんの性質によって疾患や治療の受け止め方に一定のパターンがあると感じていましたが、このパターンがエビデンスに基づいて可視化されたことはありませんでした。導入後はコーピングスタイルを確認してから、患者さんにどのように伝えるかを考えるようになりました。

臨床現場に導入してみて2週間程度と聞きました。実際に使ってみていかがですか。

(井上医師)患者さんがどういう人なのか、手掛かりとなる情報が1つでも2つでもあることは良いと感じています。通常の問診の中にAIモデルの質問を追加しました。かなり年配の患者さん以外は、特に問題なく回答してくれていると聞いています。問診結果は医療者が電子カルテ上で見ることができ、コーピングスタイルや推奨されるSHARE項目、うつ発症リスク予測、自己申告の率直度が点数化されて示されています。コーピングスタイルをクリックすると、タイプごとにコミュニケーションをとる際の留意事項を確認できるようになっています。
医師だけでなく、看護師などの他職種の医療スタッフも興味を持って見てくれています。2か月ほど経過したら、コミュニケーション上のトラブルが起こった方や電話相談が多い方などにはコーピングスタイルに傾向があるか、治療における意思決定に影響があるか後ろ向きで解析をする予定です。医療者の限られた時間とマンパワーの中で、より医療者の介入を必要としている患者さんは誰なのか、拾い上げる情報が増えることは有効です。当院ですと、がん相談支援センターという部門を早めに紹介するなど、患者さんごとの特性に応じた対応ができるようになると思います。現在、初診の患者さんに導入していますが、再発患者さんのACP4に携わるスタッフからは、ぜひ適応を拡大してほしいという意見もでています。

今後のより良い意思決定やコミュニケーションに向けて、デジタルツールを使うことについてのお考えを聞かせてください。

(井上医師)データやデータを扱うテクノロジーはとても大事です。私が患者さんに対して感じることは主観です。治療だけでなくコミュニケーションにも客観的な視点が必要だと感じてきました。患者情報について医療者間の情報共有は電子カルテで行っていますが、患者さんの特徴は人によって表現方法が異なりますし伝えにくいです。それがコーピングスタイルやスコアで客観的に示されることで、共通認識を持ちやすくなりました。電話応対する担当にもあらかじめ伝えておくことでストレスが緩和されるのではないでしょうか。
コミュニケーションもサービスの一環だと考えています。データによって共通言語ができることで、(従事年数やコミュニケーションの得手不得手によらず)コミュニケーションがより均てん化されることに役立ちます。コミュニケーションには伝え手と受け手の相性がありますが、将来的には、医師のコーピングスタイルを分析して、患者と医師のマッチングができると良いですね。医師と患者さんの1対1では医師側にとってもストレスになりますので、医師、看護師、臨床心理士など医療者みんなで患者さんの特徴について情報共有してより良いコミュニケーションが取れるよう対応していきたいです。

4 Advance Care Planningの略で、人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族などや医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組みを指す。厚生労働省は「人生会議」という愛称で普及啓発をしている。

5. おわりに

がん治療は早期発見が可能になったことで、治療やがんと共生しながらの社会生活を送る期間が長くなっている。コミュニケーションギャップがあることを前提に、いかに医療者が治療の早い段階で患者の人となりを考慮しながら、その人らしい意思決定を支援できるかが重要となるだろう。「コミュニケーションもサービスの一環」という井上医師の言葉が心に残っている。AIモデルを開発した当初は精度がもっとも重視されると考えていたが、ヘルスコミュニケーションの担い手が医療者であり、そこを支援するという立ち位置を前提にすれば、「正しさ」というよりはむしろデータによる「客観性」と「共通言語化」にデジタル活用の意義がありそうだ。患者一人ひとりが自分らしく生活し、望む生き方ができるよう「わかる・届く・つながる・コミュニケーション」を医療者が提供できるよう支援していきたい。

最終回は、
「当社が掲げるビジョンの実現に向けた、研究・サービスのあり方・展望(仮)」(執筆者:佐々木 成聖)
をお届けします(2月掲載予定)

お問い合わせ先

ライフ・バリュー・クリエイションユニット/行動デザインチーム
マネージャー 小林 洋子
Email:

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