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社会問題解決のために必要な、どのような「視点」を持つべきか

2024.01.04
(語り手)京都大学 経営管理大学院 特別教授 御立 尚資
(聞き手)代表取締役社長 NTTデータ経営研究所 山口 重樹
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「NTTデータ経営研究所 対談シリーズ」第6回目では、ボストン コンサルティング グループ元日本代表で、現在は京都大学経営管理大学院の特別教授を務める御立尚資さんにお話を伺いました。社会課題の解決のためには歴史や文化の視点も必要と、御立さんは説きます。

経営学、経済学の外側を見なければ、お客様の悩みに応えられない

山口

今日は御立尚資さんをお招きして、対談をしたいと思います。御立さんは京都大学文学部米文学科卒後、ハーバード大学で経営学修士を取得されています。その後、日本航空株式会社を経て、ボストン コンサルティング グループ(以下、BCG)に入社され、2005年から2015年は、BCGの日本代表、また2006年から2013年はBCGのグローバル経営会議メンバーを務められました。2013年から2016年には、経済同友会の副代表幹事を務められています。

私が今回、御立さんにお話を伺いたいと思った一番のきっかけは、御立さんが2014年に書かれた『ビジネスゲームセオリー 経営戦略をゲーム理論で考える』(柳川範之氏との共著:日本評論社)という本を大変関心を持って読ませていただいたことです。また、『戦略「脳」を鍛える』(東洋経済新報社:2003年)も読ませていただき、ぜひ一度対談させていただきたいと思いました。

『ビジネスゲームセオリー』では、経営戦略を効果あるものにするには、定石とインサイトが重要であるとされ、経済学の理論、特にゲーム理論を使って、その定石が成立する条件を深く分析されています。

また、『戦略「脳」を鍛える』では、より効果のある戦略、ユニークな戦略を作っていくために、どのようなインサイトを作ればいいのか、どう考えていくべきかを整理されています。

一方で、『「ミライの兆し」の見つけ方』(日経PB:2019年)という、最近書かれた本を読ませていただくと、御立さんのご関心が、経済、経営だけでなく、政治、歴史、芸術など、かなり広範に広がってきていることが分かります。

今日は、そのような御立さんの視点や、今後リーダーシップとはどうあるべきか、社会の課題をどう解決していくかといったお話をいただければと思います。御立さん、よろしくお願いいたします。

御立

こちらこそ、よろしくお願いいたします。

山口さんに読んでいただいた本にも書きましたが、戦略コンサルティングの現場では、経営戦略論を活用して、企業の戦略立案を進めます。ところが、経営戦略論は、もともと学問ではありませんでした。

経済学者のマイケル・ポーターが1980年に学会を立ち上げ、『Strategic Management Journal』という学術雑誌を発行しました。それまでは、「strategy(戦略)」は、軍事用語であっても、経営学領域の学問として扱われていなかったのです。

私がいたBCGは1960年代に設立されました。参入時点で、すでに大手のコンサルティングファームがいくつもあり、大手は管理会計の導入、あるいはコングロマリット(複合企業)の組織論といったそれぞれの得意分野で知られていました。これらは企業の「内部」に着目したものです。そこでBCGの創設メンバーたちは、市場で競争相手と顧客を取り合うという自社の「外部」にフォーカスし、競争戦略という新しい分野でのコンサルティングに特化したのです。この新分野は企業経営に重要だ、ということで、ビジネススクールで教えてもらえるように打診したのですが、全く相手にされなかったそうです。きちんとしたデータで検証可能な理論体系ができていない、したがって、社会科学ではないと判断されたのです。その後も、BCGの先輩たちが頑張って啓蒙活動をしたそうですが、認知されるまでに十数年かかりました。

ポーターは元々、ハーバード大学の「経済」学者でした。経済学の枠組みの中で、企業経営論に興味を持ち、産業構造論という経済学分野の範疇で企業がどのように超過利潤を得るのか、という研究を進めました。まずは、産業構造の違いから、どの産業が儲かって、どの産業が儲からないかという理論的枠組みを作り、データで検証して、競争戦略論の基礎を固めました。その後、産業レベルから一歩進めて企業間の競争優位性を分析して、まさに「ストラテジー」すなわち、競争戦略論を分野として作り上げたのです。

私自身もこの競争戦略論をベースとして、個々の企業の組織能力や資源の違いに基づいて、カスタマイズした企業戦略を作る仕事に従事してきたのですが、次第にその限界にも気付かされるようになりました。

先ほどご紹介いただいたように、大学卒業後はまず日本航空(JAL)に就職しました。最初は空港の現場で仕事をし、次はキャビンアテンダントとして、飛行機の中で、カクテルを作ったり肉を焼いたりもしました。その後1980年代後半に経営企画に携わるようになりました。

当時は、10年に一度、会社に影響のある大きなイベントがあるのでそれに備えておく必要があると言われていました。例えばイラン・イラク戦争、あるいはハイジャックの頻発。こういった事態が起こると、旅行されるお客様が1割から1割5分ぐらいも減ってしまいました。

航空業界は設備投資が大きく、その稼働次第で収益が大きく振れる固定費の高い産業です。そういう業界で、急に1割とか1割5分もお客さんが減ってしまうと大赤字になります。そこで、10年に1回、そのようなことがあっても大丈夫なようにバランスシートを作らなければならないと教えられました。

その後も、1997年のアジア通貨危機、2001年9月11日の米同時多発テロ、2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行などが起こりました。また、エボラ出血熱や今回のCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)などもありました。何よりリーマンショックがあり、国内では2011年の東日本大震災もありました。

それぞれのイベントのたびに、航空業界は15%、20%と需要が減り、大きな打撃を受けたわけですが、考えてみれば、これらの地政学リスクもパンデミックも経営学の範囲を超えています。JALが全日空やユナイテッド航空、LCC(格安航空会社)と競争して負けているわけではなく、みんな一律にだめになってしまう。これが10年に一度ではなく3−4年に一度起こるようになると、競争相手とどう戦うかという従来の戦略論ではとても足りない。

ということは、いわゆる経営学の外側にある領域を見なければ、クライアントの悩みに応えられないのではないか。しかもこれは航空業界だけに限った話ではない。こういった問題意識を持たざるを得ない時代環境になってきたわけです。

BCGには、Bruce Henderson Institute(BCGヘンダーソン研究所:BHI)という研究所があります。私はそこのフェローとして研究活動にも従事させてもらえるようになり、経営学の外側にあるリスクや、世の中の流れに企業がどう対応していくべきかいくかといったことを研究し、この延長で京都大学の経営大学院でも研究・教育をするようになってきた次第です。

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産業革命による産業化の終盤における新たな課題が生まれている

山口

なるほど。よく分かりました。御立さんは、BCGをすでに引退されたとのことですが、最近は、どのようなことをやっていらっしゃるのですか。

御立

もう一度、経済とは何か、企業や社会が価値をうむ、そもそもの原動力や阻害要因は何なのかと考え直しています。

「ウェルビーイング」や「SDGs」などがはやり言葉になっています。広く考えると、これまでの経済学・経営学において経済成長や企業経営が寄って立つものは、ほとんどが産業革命ででき上がったものなのです。

世界の人口は、産業革命以降、急激に増えました。英経済史家で経済協力開発機構(OECD)のチーフエコノミストも務めた、人口経済学の第一人者であるアンガス・マディソンの統計によれば、紀元1年には地球上の人口は2億2000万人~2億4000万人ほどで、紀元1000年にはようやく2億7000万人ほどでした。つまり1000年かけても2割程度しか増えなかったのです。ところが1950年代にはこれが約26億人になり、2000年には61億人、今は80億人になっています。

これだけの人間が食べていけるようになった理由がどこにあるかと考えていくと、産業革命で人間の力とスピードが拡張され、圧倒的に生産性高く富を生み出すことができるようになったからです。重いものを動かせるような内燃機関の力を活用できるようになったので、山を削って農地を増やすことができるようになった。車や鉄道が人力とは比べ物にならないスピードで、人やモノを移動してくれるようになり、市場やバリューチェーンが猛烈に拡大しました。

エネルギーも変わりました。電気が生まれ、力とスピードだけではなく、津々浦々でエネルギーを使うことができるようになりました。これらの要素が組み合わさり、生産性の高い工業化社会が生まれて、人口が増えてもそれを支えることができるようになりました。

また、経済成長が一定レベルまで進むと、乳幼児死亡率が下がるといったメカニズムが存在し、種としての人類は大きくその数を増やしたのです。

単純化すれば我々は19世紀後半から20世紀にかけて、産業革命の恩恵をたっぷり受けて繁栄してきた、ということになります。

特に、20世紀の後半、工業化社会のメリットが世界に広がりました。明治のころに工業化できた国は、アジアでは日本しかありませんでした。しかし第二次世界大戦後、G7がG20に増え、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)などをはじめ、中進国に工業化がどんどん広がりました。工業化社会が広がることで、人口が増え、豊かになり、医療・福祉も充実する国が増えたのです。

メリットが地理的に広がった一方で、デメリットも顕在化し始めました。

現在、化石燃料を燃やしすぎたことによる気候変動はその典型例です。

地政学リスクも増加しています。軍事的には米国とソ連があって、ソ連崩壊後は米国が工業力も経済力も金融力も一番の覇権国でした。それが世界のガバナンスになっていたのですが、次第に中国が近づき、欧州連合(EU)も米国の言う通りには動かない。さらに、インドが出てきました。世界のルールを作りたい人が最低でも4者になってしまったわけです。

そうすると、いろいろなところでほころびが生じるようになりました。イスラエルとイスラム組織ハマスとの衝突、ロシアによるウクライナ侵攻の問題などはいずれも、米国が世界の警察兼ルールメーカーでなくなってきたところから派生していると言えます。

もっと言えば、感染症のパンデミック(世界的流行)も工業化社会に起因しています。鶏肉用のブロイラーは何万羽もの鳥を小さなケージ(カゴ)に入れて育てます。そこに鳥インフルエンザを持った渡り鳥がやってくる。工業化以前なら放し飼いの鶏数羽が罹患するだけですが、今では何万羽ものブロイラーの間で感染とウィルス変異が繰り返され、中には人間に移る変異株が出てくる。

工業化は都市化をもたらし、結果的にコウモリやセンザンコウといったコロナウィルスの宿主の生息地のすぐそばに人間が住むようになった。これがコロナ禍の可能性を高めたわけです。つまり、工業化と都市の拡大がパンデミックを生んだのです。

米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏は今、感染症対策に尽力していますが、彼や米ジョンズ・ホプキンズ大学は、今回のパンデミックの何年も前から「next pandemic is a corona」といった書籍や講演で警告を発していました。コロナというパンデミックは、いつ、どの程度かは別として、世界中が工業化する流れの中で、いつか必ず発生すると想定可能だったのです。

今のようなパラダイムが変わる時代には、こういった大きなメカニズムの変化をきちんと見て考えることが一番大事です。山口さんをも含め、いろいろな企業の経営者の方々にも、ぜひそのあたりを押さえていただきたいですね。それにより、未来を形作る大きな流れ、原動力が読めるからです。大きな流れが読めると、未来をどうしたいかという意思も込めることができます。

私の今の興味の範囲は、そのような広がりを研究し、次世代の人たちと一緒に考えていくことです。

山口

御立さんは以前、今は工業化の終わりの時代とデジタル化の初期の時代の二つのパラダイムが重なっている時であり、産業化の成功とともに、地球レベルで問題が起きていると話されていましたね。

御立

工業化が新興国に広がり始める段階では、グローバルガバナンスも効いていました。また、成長初期の国々では、将来の成長によって生活が良くなると皆が信じることができるので、たとえ貧富の差があっても、政治的安定も確保しやすいのですね。

豊かになっていく実感があると、みんなあまり文句を言わないのです。『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画はご覧になりましたでしょうか。舞台は1964年の東京五輪の開催を控えた日本です。みんな貧しいのですが、明日のほうが豊かになると全員信じていました。次世代に教育さえすれば世の中が良くなると。

今、中国とかインドの地方都市へ行くとみんなそうですね。教育さえすれば、みんな良くなると。ただ、成長が鈍化し、格差がさらに広がると、社会風潮は急に変わり始めます。

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二つの時代が重なっている時期には混乱が起こりやすい

山口

なるほど。そういう意味で、工業化の終盤における新たな問題が生まれているわけですね。

もう一点、その次のパラダイムは、「デジタル」とおっしゃっていましたが。それはどういう意味でしょうか。

御立

前提として、二つの時代が重なっている時期には混乱が起こりやすいのです。多くの人は既存のパラダイムでやっていこうとし、新しいものを嫌がります。一方で、新しいものに乗りたい人は、ルールができてないので、時々無茶をする人が出てきます。今のAI(人工知能)の倫理の問題などがそうですね。これらをうまく調整できないとトラブルになります。

私はよく、平安時代の話を例にします。平安時代は貴族の時代で、鎌倉政権ができてから、武士の時代になったとよく言います。ところが日本史の先生などに聞くと、バトンタッチするようなものではなく、50年ぐらい重なっているというのです。

まず、平清盛の祖父である平正盛は北面の武士として御所を守っていただけで、やんごとない人には会えなかったのです。ところが、清盛の父・平忠盛は従三位以上という殿上人(殿上間に昇ること)を許されるまでになり、天皇にもお目もじできるようになりました。これは大変なことでした。

その後、清盛は貿易の中心を神戸にまで持っていき、好きなことができようになりました。人事権もかなり押さえました。彼は軍事力をバックに富を蓄積し、政治を壟断(ろうだん)しようとしました。貴族の時代の中で偉くなろうとしたのです。

それに対して源頼朝らは、あの中にいると取り込まれてしまうという危機感からか、違う政権をわざわざ東(鎌倉)に作ったのです。いわば、現代のデジタルネイティブのような人たちです。

デジタルについて、私はいろいろな研究を見てきましたし、自分でも研究しました。異論もあろうかと思いますが、ITで会社を変えた事例はたくさんありますが、実際に社会全体を本質的にデジタルで作り変えた例はまだ出ていません。これからなのです。国の生産性がITで上がった国はありません。IT先進国のエストニアでも、高速通信規格の5G以降すごくIT化が進んだ韓国でも、生産性までは上がっていないのです。

産業革命では1人当たりGDP(国内総生産)が400ドルほどだった中進国で1万ドルになるなど、25倍も伸びた例があります。このように社会システム全体を産業革命なみに変えたかと言えば、ITはまだそこまでではありません。

それは当たり前と言えば当たり前です。大量のデータが収集できるようになり、これらのデータをプロセスするコンピューティングパワーがあり、通信インフラがあると、これら3つがそろうことで、これまでのAIの、しかも数十年前からあった理論がようやく実装されるようになったのです。データ×AIは始まったばかりです。社会システム全体が変わるにはしばらく混乱の時代が続くと思われます。これが私の言う、混乱の時代というコンセプトです。

山口

よく分かります。私たちもデジタル化の支援をしていますが、デジタルで効果が出るためのマネジメントや組織・人材と、これまでのトラディショナルな成功パターンは確かに異なりますね。そのトラディショナルのところとデジタルのところをどのようにうまくつないでいくかが、社会や企業の中で大きな課題になっていると思います。

さらに、デジタルで社会が変わっていくには、制度や法律なども変える必要があります。働き方や価値観も変わらなければならないでしょう。デジタルを社会実装するためには、デジタル技術だけではなく、社会の制度や法律のチューニングも大事だと思います。デジタル化によってプライバシーやデータセキュリティなど新しい問題も出ていきます。そのあたりはまだ準備段階ではないかと感じます。

御立

産業革命の時にそれが分かりやすく出たのは自動車産業だと思います。1908年にヘンリー・フォードが「T型フォード」を作りました。彼は自動車の発明者ではなくアントレプレナーです。自動車の生産を規格化し、安い車を作ることに成功しました。「工場で働いている労働者はお金を貯めたら1年で自分が作っている車が買える、それまでの自動車の何分の1の値段にする」と言って、これをやり遂げてしまったわけです。

これで何が起こったかというと、馬車という交通機関とそれを支える産業がなくなりました。ニューヨークのマンハッタンやシカゴのループと呼ばれる市街地の交差点には15分ごとに乗合馬車が来るというほど、馬車が公共交通機関になっていました。当時、マンハッタンやシカゴには5万頭の馬がいたと言われます。馬は路上で糞尿をしますので、その清掃の仕事に就いている人が存在し、ルールもあって産業になっていた。これ以外にも馬車を支えていた産業が全て10年ほどでなくなってしまいました。

馬車はスピードが限られているので、信号はありませんでしたが、車はスピードが出るので、事故を防ぐためにセンターラインと信号が発明されました。つまり、産業が変わり、それに関わる人の雇用の内容が変わり、社会慣習が変わり、バックアップする法律が変わったのです。そのため「T型フォード」が誕生して10年ほどは大混乱だったらしいです。

今のAI×データ革命は変化がもっと激しいので、もっと大きな混乱が起こって当たり前だと私は思っています。

山口

今、新しいデジタルの社会原理ができつつあるけれど、まだ勃興期で整備されていないので、いろいろな問題が起こる可能性があるということですね。

御立

フォードよりも前に内燃機関の自動車を作った人は何人もいました。

さらに、当初は電気自動車のシェアも高かったそうです。なぜなら、内燃機関の爆発をコントロールするのが難しく、高コストだったからです。走行距離が短くても単純な電池のほうがいいというわけです。なので、フォードがEV(電気自動車)を生産していたら、今ごろはEVが当たり前になっていたかもしれません。そういう点でも、フォードは発明者ではなく、アントレプレナーなのです。

AIの理論を作った人たちの多くは、トロント大学ヒントン研究室の出身で、AI半導体と呼ばれるエヌビディア社の画像処理半導体を使ってAIを生み出しました。そこからグーグルに行ったり、メタに行ったりしています。

こういったAIを作った人たちの次の世代が、アントレプレナーとして社会実装の面白いモデルを競い始めています。フォードのような人がこれから出てきます。誰が勝つか分からない状況です。

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日本の社会を変えるリーダーとなる人材の輩出に期待

山口

大切なのは技術の新しさではなく、それを社会実装させるアントレプレナーの存在ですね。

そうすると、そこでのリーダー像も、今までとは違うものが求められるのでしょうね。

御立

そう思います。経営学に、モデルの発展を示すS字カーブという理論があります。新しい製品やサービスが普及するときには、勾配が変わって次に乗り移るタイミングがありますが、今はちょうど乗り移る時期なのです。この時に求められるのはトライ・アンド・エラーをする人材です。その人のアイデアが勝ち残るどうか分からないような人が1000人は出てこないと、一つの社会を変えるものが出てきません。

安定的に伸びている時期、特に産業革命の後半には、組織をきちんとマネージできる人が大量にいなければなりません。リーダーというよりも、優れたマネージャーがたくさん必要なのです。だから、教育もマネージャーを作る、仕組み化してやっていく、そしてそれを大規模なものにしていくのです。

産業革命は規格化と規模の時代でした。今は、新しいものを作る、横紙破りをする、やったことないことを、失敗を恐れずに試す時代です。小さい単位でもデジタルの力を使うことによって、分散型のものをつないでいろいろなコーディネートができます。

その点では、全く違ったタイプの、まさにリーダータイプが必要な時代だと思っています。私が大学で教えたり、ベンチャーの起業家のメンタリングをしたりしているのも、そういう人たちが増えてほしいという思いからです。私は生まれも育ちも日本ですが、日本にそういうリーダータイプが増えれば、日本は斜陽国ではなく、面白いことができると思っています。

山口

日本は工業化に成功したがゆえに、マネージャー的な人たちが多くなりすぎて、この成功体験からなかなか抜けきれないように思います。

企業においても、新しいことの必要性を理解していながら、やはり規模拡大のほうにリソースを入れてしまいがちです。そこの切り替えが大事だと思うのですが、どうすべきでしょうか。

御立

試す場をたくさん作って、成功例を作るしかないと思っています。

ビジネスパーソンに「好きな経営者は誰ですか」と尋ねると、ソニーの創業者の井深大さんと盛田昭夫さん、パナソニックの創業者の松下幸之助さん、ニデックの永守重信さんなどの名前が挙がります。この方々はアントレプレナーであることは間違いありませんが、実はそれを規模化する天才でもあったのです。ソニーもそうですが、ホンダの創業者である本田宗一郎さんと、本田さんの右腕として経営を支えた藤沢武夫さんなどのように、コンビで、仕組みを作る人とイノベーターが一緒になって成功した例も少なくありません。

私は今、シリコンバレーと日本をつなぐNPOをやっています。現地に行って思うのは、シリコンバレーでは、ソニーにおける盛田さん、ホンダにおける藤沢さんの役割をベンチャーキャピタルが担っているということです。

最初はエンジェルで張って、何回か失敗をしている中で、伸び始めた起業家がいるとお金と経験を積んだ大人の経営者をつけるのです。例えば、CFO(最高財務責任者)、次にCHRO(最高人事責任者)ですね。お金と人事のところで、大企業経営の経験もあるような人を送り込んで急拡大させます。

デジタルの世界でも変化が起きていると思っています。生成AIを生み出すのには大きな投資が必要ですが、今ではあっという間に多くの生成AIが登場しています。ですから、これからの価値創造は、それを社会に実装できるところになってきます。

米オープンAI社が作ったChatGPTのすごいところはユーザーインターフェースです。日本語や英語など人が使う自然言語で誰でも使えるようにしたのが大きなイノベーションです。今は、それを使って価値を出そうと、次の人たちが、しのぎを削っているわけです。このようなタイプの事例を見つけてきて、「ああしたらいいな」と思わせるところが大事だと思います。

山口

新しい発明や発見をビジネス価値に変えていくには、まず発明や発見をする人が大事だけれども、それと規模化する人とは別だというわけですね。ただ、米国であれば、ベンチャーキャピタルが、人も出し、マネジメントの仕方も教育し、拡大を支援してくれますが、日本ではどうですか。

御立

日本にはそんなエンジェルやベンチャーキャピタルがいないと言う人もいますが、私はそれでも面白い事例が生まれていると思っています。

学歴社会の外側にいっぱい起こり始めているというのが私の感覚です。東京の大企業や霞が関に行くような人は皆さん優秀なのですけれども、今は、サステナビリティなどの観点で、地方で面白いことをやっている若者もいます。これらの若者は、必ずしも日本の学歴社会の勝ち組ではないし、海外に行って戻ってきている人もいます。しかし、その中にはAIでコーディングがバリバリできる人もいるし、地域デザインができる女性の面白いアントレプレナーもいます。

ゆとり教育という言葉があります。あれは工業化社会的には失敗だったと考える人が多いのですが、米大リーグの大谷翔平選手も、将棋棋士の藤井聡太八冠も、ボクシングの世界スーパーバンタム級2団体王者の井上尚弥選手も、皆、ゆとり教育以降の世代です。

つまり、世界が驚かせるような人は、時間を使って、自分の好きなことに没頭した人の中からしか出ていない。逆に言えば、1億2000万人の中流社会を作った日本にはそんなすごい人が実はたくさんいるのです。食べていく余裕があったので、好きなことをさせてみたら、全員ではないけれどすごい才能の人が出てきています。

その人たちが中ぐらいのサイズを作るまでは、日本の大企業でもできると思っています。立ち上がりは大企業の力を使えばいい。最初から入れてしまうとだめですが、外に出てきた時に組めばいいでしょう。もっと大きくする時はグローバル化ですから、日本企業にこだわる必要はありません。海外勢は、いいものがあったらグローバルに広げようと組んでくれます。

日本のベンチャーの意識が5年前とまったく違ってきています。今は、グローバルにシェアを取りにいこうと考える人が増えています。2000年前後のインターネットバブルの時は、アプリ開発などで成功したらハワイにマンションを買ってスーパーカーに乗って引退しよう、今風に言うと「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」だ!と言っている人たちが多かったのですが、今はそのような人はぐっと減りましたね。社会性があって、アフリカまで含めて、社会を変えてやろうと言うような人が増えています。我々は社会をあげて、そういった人たちの後押しをしたほうがいいのではないかと思っています。

山口

日本にもそういうポテンシャルは結構あるのですね。工業的発想で均一化するような発想から抜け出すことが大事ですね。

地方創生と言いながらも、地方でビジネスを大きくするのは難しいという印象を持っていましたが、今のような話を聞くと、そういう人が増えれば物事も進むということですね。

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文化や歴史を理解しなければ、地方創生も浅くなる

御立

もう一つは、最初にも少し述べましたが、やはり文化が大事だと思います。私は政府の仕事などを通じて、地域を元気にするような活動もいくつかやってきました。ただし、地域文化の豊かさと深さを本当に理解しないと、全部、ミニ東京か、ミニ何とかになってしまうのです。

私はそこで『ブラタモリ』と『シャケ(鮭)』と言っています。NHKで放送されている『ブラタモリ』は、地質学的にその地域がどんな成り立ちかを紹介する番組です。

これは「美食地質学」と言う本を書かれた巽先生という方の説ですが、なぜ香川県でうどんが名物になったか。香川県は中国山脈と四国山脈に挟まれて日照がすごく多い。ところが、香川県側は、プレート活動のせいで大きい川がありませんでした。弘法大師・空海が池を作らないと農業できないぐらい川がなかったのです。水がないと田んぼはできないので、小麦しかできません。

一方、日が照る上に、瀬戸内海で干満が大きいので塩田ができました。つまり、うどんを作るために必要な小麦と塩がそろっていました。さらに、目の前の海では、いりこの原料となるカタクチイワシが大量に獲れました。それで濃い出汁(だし)を取りました。

このような地質学的な歴史があって香川はうどん県になったわけですが、地質や地勢がどう出来上がってきたか、こういった視座でモノを見ると、各地方の食文化の深さがわかってきます。

徳島県神山町が過疎地をサテライトオフィスの集積地に変えた取り組みで注目されていますが、「じゃあ、わが村でも光ファイバー網を敷いて企業を誘致しよう」とやっても遅いでしょう。他の地域の真似ではない独自性が必要です。

そこで大切なのが『シャケ』だと思っています。どんな地方でも、大学はなくても高校まではあります。ところが、その人たちが高校を卒業すると東京や大阪に出てしまって帰って来ない。出た人がシャケのように帰ってくるには、ここに面白い人と産業と文化があればいいのです。ですから『ブラタモリ』と『シャケ』の2つをセットでやれば、ユニークな地方創生ができると思います。

私は、江戸時代って意外といいなと思っています。あの時代は全国300藩すべてが産業政策で競争していて、地域の特産品で比較優位を作ろうとしていました。あれを今やれば面白いと思っています。

山口

なるほど。地域の文化を詳しく深く知ると、そのユニークさが分かるということですね。ユニークさがあれば競争に勝てる、人も集まるので、そこに注目しろということですね。

最後に、この記事を読んでいる方々に、メッセージをいただければと思います。

御立

この記事を読んでいらっしゃる方ですから、経営やイノベーション、デジタルなどにある程度、興味や知見もある方が多いと思います。

私は、「デジタル×文化」の掛け算だと思っています。

それから、若返りは大事だと思いますが、これからのダイバーシティーは世代のダイバーシティーだと思っています。私もいい年になりましたが、60代、70代の人と10代、20代の人が一緒に働いたり、まぜこぜにしたりするものを増やしていくことをぜひ周りでやっていただければ、きっと面白いことができると思います。ぜひ何かをお作りになるのを期待しています。

山口

どうもありがとうございました。

対談動画はこちらからご覧いただけます。

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Yamaguchi Shigeki
山口 重樹
株式会社NTTデータ経営研究所 代表取締役社長
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Mitachi Takashi
御立 尚資(みたち・たかし)
京都大学 経営管理大学院 特別教授

京都大学文学部米文学科卒。ハーバード大学より経営学修士(MBA with High Distinction, Baker Scholar) を取得。日本航空株式会社を経て、ボストン コンサルティング グループに入社。同社日本代表(2005年~2015年)、BCGグローバル経営会議メンバー(2006年~2013年)を務める。経済同友会副代表幹事(2013-2016)。

【著書】

『「ミライの兆し」の見つけ方』(2019年)日経BP、『戦略「脳」を鍛える~BCG流戦略発想の技術』(2003年)東洋経済新報社、『使う力』(2006年)、『経営思考の「補助線」』(2009年)、『変化の時代、変わる力』(2011年)日本経済新聞出版社など

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