はじめに
環境問題に関わる最近の動向として、気候変動対策と資源循環に加えて、自然資本の保全の必要性が高まっており、環境に関する重要なイシューの一つとなりつつある。自然資本を取り巻く動向として、2023年9月に最終提言が公表されたTNFDフレームワークに基づいて情報開示を行うことを表明した企業数は増加傾向にあり、その数は世界で700社を超えている(2025年11月時点) 。
また、生物多様性などの自然を対象にした評価手法の開発が国内外で進められており、英国の生物多様性ネットゲイン(Biodiversity Net Gain:BNG)政策では土地開発者に対して開発前の状態と比較して生物多様性を10%以上増加させる計画の策定を義務付けるなど、行政主導によるクレジットの制度化の動きも見られ始めている1。
本レポートでは、自然資本の構成要素である水と森林を対象にした水源涵養の評価に焦点を当てる。水は、人間の生活を支える最も基礎的な資源であるとともに、あらゆる産業活動は安定した水供給を前提として成立していることから、水資源の安定確保は事業継続性そのものに直結する課題である。そして、安定した水資源は森林によって支えられており、具体的には森林の有する多面的機能の1つである「水源涵養機能」によって水資源の量的・質的な安定確保が可能となっている。
森林の水源涵養機能の評価について、林野庁では「林地における水資源涵養量(貯留機能)の簡易評価手法」を開発しており、Excelファイルを使用して涵養量を定量的に算定できるツールを2026年3月16日に公表したところである。ここではその評価手法における涵養量算定の考え方を概説しつつ、評価手法の活用による期待と留意点について提言する。
1 環境省「経済的インセンティブに係る国内外の動向」
1. 水資源涵養量(貯留機能)の簡易評価手法
森林は水資源を支える基盤であり、森林の土壌は降雨を浸透させ、時間をかけて地下水として貯留し、また河川流量を安定させる役割を担っている。こうした「水源涵養機能」は、米国の首都ワシントンにある世界資源研究所(WRI)が発行するメソッド2に基づいて定量的に評価することは可能ではあるものの、実際に定量化することは容易ではなく、企業や自治体の評価でも定性的な評価にとどまることは少なくない。
こうした課題に対して、林野庁は林地における水資源涵養量(貯留機能)を簡易的に定量評価する手法を開発し、算定ツールの整備を進めている。本手法は国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所(以下、森林総合研究所)が長年蓄積してきたデータと水文学的3知見に基づき、対象森林に関する最小限の情報から水資源涵養量を算定できる点に特徴がある。
具体的には、降水量や地質区分、立木密度などの林分情報、対象面積などのいくつかの条件を入力することで、年間の水資源涵養量を算出することができる。この評価手法は、世界資源研究所が提示するVWB(Volumetric Water Benefit)のカーブナンバー法に沿った算定方法となっている。カーブナンバーとは端的に言えば、降雨が速やかに河川などに直接流出する度合いである。
本評価手法では、「水資源涵養量 = 降水量 − 直接流出量 − 蒸発散量」の式によって水資源涵養量が算定される。ここで、直接流出量は降雨が地表面などを通ってすぐに河川に流れ込む水量、蒸発散量は樹木の葉からの蒸散量や樹木上層での蒸発量の合計水量である。
【図表 1】水資源涵養量の算出式

【出典】
林野庁「林地における水資源涵養量(貯留機能)の簡易評価手法-森林が水を貯える働きを見える化するために-」(2026年3月)
【図表2】直接流出量(左)と蒸発散量(右)のイメージ

【出典】
林野庁「林地における水資源涵養量(貯留機能)の簡易評価手法-森林が水を貯える働きを見える化するために-」(2026年3月)
算出式の各パラメータについて述べていく。
まず降水量については、気象庁などの公開データを用いて年間の数値を設定することが想定されている。
次に直接流出量については、対象森林の地質区分を選択することで森林総合研究所の蓄積データからカーブナンバーが設定され、直接流出量が求められる。
最後に蒸発散量については、入力する降水量などの気象データ、林分情報を基に樹木の蒸散や遮断蒸発を考慮したモデル値として求められる。林分情報は具体的には林地タイプ、立木密度、平均胸高直径、平均樹高を入力する。
ここで、算定に用いられる諸条件の多くは森林総合研究所の理水試験地415流域と文献でデータが公開されている4流域の計19流域の観測データを基に設定されており、その数値を用いて水資源涵養量が算定される。それらの観測データと対象とする森林の状況が同様とは限らないため、活用する上ではあくまでも簡易的な評価方法であることを認識しておくことが必要である。
また、本評価手法では概ね100ha以下の比較的狭域な森林を対象としており流域単位などのマクロの評価には適さないこと、間伐を行うことでの水資源涵養量の変化量は全体量に対して小さいことから間伐前後の評価を意図する評価手法ではないことも認識した上で活用することが肝要である。
2 World Resources Institute「Volumetric Water Benefit Accounting 2.0: Guidance for implementing, evaluating, and claiming volumetric water benefits of water stewardship projects」
3 水に関わるあらゆる現象、事象について研究する分野であり、水循環を対象とする地球科学の1つ
4 森林の状態と水収支の関係をモニタリングするために森林総合研究所が設置している調査地
2. 本評価手法の活用による期待
本評価手法により水資源涵養量を容易な算定と、把握が可能となることで、自治体や企業による森林の整備、保全の促進が期待できる。
まず地方自治体においては、地域内の森林による水資源涵養量を定量的に示せるようになることにより、住民や議会などに森林保全の必要性を定量的に説明でき、取り組みを進めるための合意形成を図りやすくなる。これは森林環境贈与税の活用による取り組みの結果を定量的に示すことができる点でも有用であるだろう。
また、地方自治体が主導して森林分野のJ-クレジットを取得する取り組みも複数見られており、J-クレジット取得の対象森林における水資源涵養量を算定してCO2吸収量に加えた環境価値として訴求することで買い手とのマッチングや価格向上にも寄与し得る。
【図表3】水資源涵養量算定による森林分野J-クレジットの価値向上

【出典】
林野庁「森林吸収系J-クレジットの非炭素プレミアム価値を訴求するための手引き 」(2025年3月)を基にNTTデータ経営研究所作成
次に企業においては、従来は涵養量を算定することのハードルが非常に高かったが、本評価手法により降水量、地質区分、地域などの最低限の情報により水資源涵養量として算定できることにより、自然関連リスクへの対応として水資源涵養量の定量目標を設定しやすくなる。
また、設定する水資源涵養量の目標を達成するために必要な森林面積も把握できるため、取り組みの道筋の具体化が可能となり、自社が関与する森林保全活動の効果を定量的に可視化できる 。森林整備への協力はCSRとして位置づけられることが多く見られるが、本評価手法による水資源涵養量の定量化を通じて事業継続リスクへの対策となることでCSVとして位置づけることも可能となる。また、自社の自然共生サイトなどにおいて水資源涵養量を評価することで保全の成果が可視化され、支援を呼び込む機会とすることもできるだろう。
【図表4】森林の多面的機能

【出典】
林野庁HP 「森林の有する多面的機能について」
また、金融機関の視点では、自然資本投資やサステナブルファイナンスの評価材料としての水資源涵養量の活用も期待される。例えば、森林保全に資する事業に対して環境価値を定量的に示すことで、投融資判断の補助情報やネイチャーインパクトファイナンスのKPIとして活用することなどが考えられる。
本評価手法のような定量化が可能となることで、将来的にはクレジットなどによる価値取引に繋がっていくことが期待される。本評価手法を用いているものではないが、実際に熊本県で涵養量の定量化を通じて価値取引を行う事例があり、公益財団法人くまもと地下水財団が涵養対策を行い、地下水を使用する立地企業が涵養量に対して寄附を行う仕組みがある5。
本評価手法は簡易的な手法であるためクレジットの方法論として直接用いられることは難しいと考えられるが、これを足掛かりとしてより精緻な定量化などの取り組みが進められることでクレジット化や価値取引に発展する可能性が考えられる。
5 公益財団法人くまもと地下水財団Webサイト:https://kumamotogwf.or.jp/participation/donation.html
3. 本評価手法を活用する上での留意点
本評価手法の活用による様々な期待がある一方で、本評価手法の算定結果を活用する際にはいくつかの重要な留意点が存在する。以下に挙げる二点は特に適切な理解と対応が必要であるだろう。
第一に、本評価手法により得られた水資源涵養量の結果の取り扱いに関するガイドラインは、現時点では存在していない。そのため、結果の取り扱いを誤ると、意図せずグリーンウォッシュと受け取られるリスクがある点には十分な注意が必要である。例えば、単発的な植樹活動を行っただけで、対象の森林区域における水資源涵養量の全量を自社の貢献として主張することは、過大な表現と受け取られる可能性が高い。
一方、自治体と協定を締結して一定期間・一定面積の森林保全に継続的に協力・関与している場合には、その取り組みが対象の森林地域の水資源涵養量に貢献していると言えるだろう。その際の重要な視点は、批判的思考を持ちながら、第三者に対して筋が通った説明が可能であるかという点だろう。複数の主体が共同で森林保全に取り組んでいる場合には、投じた費用や関与度合いを基準に、自身の貢献による水資源涵養量を案分する考え方も妥当性を持ちうる。
また、因果関係を強調せず「森林保全への取り組み」と「対象森林が有する水資源涵養量」を個別のファクト情報として併記するという整理も、グリーンウォッシュを避けるための方法の1つであるだろう。自身の貢献として水資源涵養量を発信する際には説明の妥当性と透明性を確保することが、グリーンウォッシュの批判を避ける上で不可欠である。
第二に、本評価手法は森林が有する多面的機能の中でも水源涵養機能、特に水資源貯留機能に焦点を当て、その効果を定量的に把握することを目的の1つとしている。一方で、森林には水源涵養に加え、生物多様性の保全、土砂災害の防止、二酸化炭素の吸収、文化的サービスの提供などの複数の機能がある。そのため、森林保全においては水源涵養機能の最大化のみに焦点を当てるのではなく、森林の多面的機能が広く発揮される健全な状態を目指すことが重要である。
例えば、水源涵養を重視して蒸発散が少ない樹種に置き換えていった場合には森林構造の単層林化に繋がり、生物多様性の低下を招く可能性もある。水資源涵養量の評価は、森林保全の目指す姿を検討する際の一つの指標として活用し、他の評価軸と組み合わせながら意思決定を行うことが持続可能な森林の多面的機能の発揮に繋がると考えられる。
おわりに
林地における水資源涵養量の簡易評価手法は、日本における森林と水資源の繋がりを理解し、健全な森林の維持と持続的な水利用を実現するための重要な一歩である。本評価手法が正しく理解され、適切に活用されることで、森林保全の重要性が社会に認識されるようになるだろう。その結果として、自治体や企業による森林保全の取り組みを促し自然環境保全の取り組みが強化され、地域の自然環境保全や事業継続性の向上といった価値創出につながることが期待される。
森林保全を行う上で重要となるのは、多様な主体が連携しながら共同で行うランドスケープアプローチ6による取り組みである。森林は公共性が高く、様々な多面的機能を提供する資産であることから、森林所有者や林業事業者、企業、自治体などの関係する主体間での役割分担と持続的な連携による取り組みが不可欠である。ランドスケープアプローチでは、関係者で森林の目指す姿を共有することが有効な手段の1つであり、本評価手法は関係者で取り組みを進めるための共通目標となり、また議論の土台となり得る。
企業や自治体などが水資源涵養量という共通言語を持ちながら、多様な主体と連携して水資源の保全、ひいては森林保全の取り組みを進めていくための有効な手段として、本評価手法が活用されていくことを期待したい。
また、筆者は「環境・森林保全に関する価格受容性調査」を実施し、2026年3月4日に公表した 。ぜひ本稿と併せてご覧いただき、企業・団体における実践の一助としていただければ幸いである。
<参考文献>
環境省「経済的インセンティブに係る国内外の動向」
林野庁「林地における水資源涵養量(貯留機能)の簡易評価手法-森林が水を貯える働きを見える化するために-」(2026年3月)
林野庁「森林吸収系J-クレジットの非炭素プレミアム価値を訴求するための手引き」
林野庁「森林の有する多面的機能に関する企業の自然関連財務情報開示に向けた手引き<森林に関するTNFD情報開示の手引き>」 (2025年4月)
6 一定の広がりを持つ地域や空間において、ステークホルダーとの連携を通じて自然資源を管理する方法
