はじめに
環境問題に関わる最近の動向として、気候変動対策・資源循環に加えて、自然資本の保全の必要性が高まっており、環境に関する重要なイシューの一つとなりつつある。
本レポートは、自然資本およびその構成要素の一つである水について全5回の連載としている。第1回および第2回では自然資本に関する情報開示について、第3回および第4回では自然資本の重要な構成要素の一つである「水のリスク評価」と「マネジメント手法」、そして持続的利用のためのアプローチについて解説した。
最終回である第5回では、TCFD 1 と同様にTNFD 2 において求められるシナリオ分析 3 に基づく自然関連のリスク・機会の検討のあり方について、一般的に用いられるシナリオ分析手法も踏まえながら解説する。
1. シナリオ分析の「型」
まず、一般的に用いられるシナリオ分析の手法について解説する。これまでにさまざまなシナリオ分析手法が開発されており、大きく3つの型に分類することができる。1つ目の型は「傾向推定アプローチ」、2つ目の型は「帰納的アプローチ」、そして3つ目の型は「演繹的アプローチ」である。
■ 傾向推定アプローチ
1つ目の型である「傾向推定アプローチ」は、定量的なデータを用いる統計的な手法である。地方自治体が2050年カーボンニュートラルを目指す上で必要な温室効果ガス削減量を把握する際、何も対策を取らずに現状が継続された場合の将来推計(BAUシナリオ 4 )を行うことがある。例えば、産業部門では製品出荷額等、家庭部門では世帯数を温室効果ガス排出量の指標とし、それらの過去データに基づいて各部門の将来傾向を予測し、地方自治体全体の温室効果ガス排出量を推計する。
■ 帰納的アプローチ
2つ目の型である「帰納的アプローチ」は、まず将来に影響を与える可能性があるドライバー(要因)を特定し、それらのドライバーがどのように連鎖して将来の変化を生むのかを検討し、複数のシナリオを構築する。シナリオ分析を先駆けとしては、Shell社の取り組みが知られており、同社が公表しているシナリオ分析 5 はこのアプローチを用いている。
■ 演繹的アプローチ
3つ目の型である「演繹的アプローチ」は、将来的に自社の事業に影響を与える可能性があるドライバーを特定した後、特に不確実性が高くかつ影響度が大きい2つのドライバーを抽出し、それらの組み合わせによって4つのシナリオを作成する。TCFDやTNFDの情報開示フレームワークでは、この演繹的アプローチが示されており、TNFDでは、特に「物理リスク」と「移行リスク」という2つのドライバーの選択が提唱されている(図2参照)。
2. 自然資本に関するシナリオ分析のあり方
自然資本に関するシナリオ分析は、TNFDで示されているように3つ目の型である「演繹的アプローチ」を用いて行うことが適当と考えるが、その際に以下の2点に留意する必要がある。
■ 気候変動影響の考慮
1点目は、気候変動の影響の考慮である。気候変動は、生物多様性の喪失や生態系サービスの低下をもたらす。地球温暖化の影響でコーヒー豆の栽培適地が半減すると言われている「コーヒーの2050年問題」がその一例である 6。そのため、自然資本のシナリオ分析においても、気候変動の影響を考慮する必要がある。「水」を例に考えると、気候変動によって降雨パターンが変化し、水資源の不足あるいは洪水のリスクが増加する可能性などが考えられる。水リスク評価ツールであるAqueduct(WRI)、Water Risk Filter(WWF)では、気候変動要因と社会経済要因に基づく将来の水リスクをさまざまな指標で評価することができる 7。このような評価ツールを活用し、「水の枯渇リスク」などの高リスク評価を「物理リスク」のドライバーとすることで、気候変動の影響を考慮に入れた自然資本のシナリオ分析が可能となる。
■相互作用が弱いドライバーの選定
2点目は、相互作用の強い2つのドライバーの選定を避けることである。TNFDでは、物理リスクと移行リスクの2つのドライバーで構成される4つのシナリオの作成を求めているが、相互作用が強いドライバーを選択すると、シナリオの構築が困難になる。例えば、物理的リスクである「水資源の枯渇リスク」と、移行リスクである「取水規制強化」はローカルレベルで相互作用が強いため、水資源が豊富にある状況下での取水規制強化といったシナリオは現実的ではない(図3①参照)。一方、ローカルレベルの「水資源の枯渇リスク」を物理的リスクのドライバー、グローバルレベルで開発が進められる「水回収技術開発」を移行リスクのドライバーとした場合には、2つのドライバーの相互作用が弱いためシナリオの想定が可能となる(図3②参照)。このように、2つのドライバーを選択する際には、相互作用が強いドライバーの選択を避けることが重要である。
まとめ -情報開示を超えた戦略立案としてのシナリオ分析の役割-
シナリオ分析はTCFD、TNFD、CDP 8 のほか、ISSB(国際会計基準)やCSRD(EU企業サステナビリティ報告指令)などにおいて開示が求められている。多くの企業では、このような情報開示要求に対応するためにシナリオ分析を実施しているが、その目的は外部評価の獲得や規制対応に留まっているのが実情である。
しかし、シナリオ分析の本来の目的は気候変動などに限らず、不確実性が高く企業活動に大きな影響を及ぼす可能性のあるドライバーから複数の未来を洞察し、必要な戦略を立案することである。実際に、Shell社は約半世紀に渡りシナリオ分析を行っており、オイルショックの可能性を予測して経営計画に反映するなど、シナリオ分析を企業の戦略立案プロセスに組み込み、活用している 9。
気候変動や自然資本と無縁な企業は存在しないと言っても過言ではなく、あらゆる企業にとって影響が大きくかつ不確実性が高いドライバーは存在するだろう。
現在、さまざまな情報開示要求において、シナリオ分析が求められるようになっている今こそ、そのあり方を再考し、シナリオ分析の結果が企業経営に反映されること、ひいてはサステナビリティが企業経営に真の意味で統合されることを期待したい。
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