はじめに
現代日本で働く女性を取り巻く現状について、本連載ではこれまで、第1回で健康課題と職場環境との相互作用、第2回では認知バイアスにおける性差を取り上げてきた。最終回となる今回は、「美」をテーマに据えたい。
一見、経営課題とは無関係に思えるこのテーマを選んだきっかけは、本稿を執筆した二人が別件の仕事における待ち合わせの際に交わした会話だった。そこで化粧や身支度にかける時間の男女差について、何の疑問もなく受け入れている。ということに、改めてお互いが気づいたのである。
この「美」をめぐる性差は、実は働く女性たちに大きな影響を及ぼしているのではないか?
―― そうした仮説のもと、私たちは様々な分野の文献をひもときながらこの問題を検討していった。すると「美にまつわる規範・バイアス」は、女性の注意を本来の業務スキルから外見へと向けさせ、時間的・経済的資源を消耗させ精神的問題につながる負の側面の存在も浮き上がってきた。この背景には、組織風土やSNSによる比較の激化といった外部要因もある。男女双方が認知的共感を高め、違いを乗り越えて支援し合えるようになる職場を目指すためには「美」もまた、現代の働く女性を取り巻く経営課題のひとつとして捉える必要がありそうである。
なぜ女性従業員は化粧をするのか
化粧には、「自分の好みの道具を揃え」「女性の自己肯定感を高め」「テンションを上げ」「仕事のモチベーションにもなる」というメリットがある。
一方で、資生堂の研究によれば、女性が毎朝化粧にかける時間は平均約20~30分であり、これは年間で約182時間(約7.5日分)を化粧に費やしていることを意味する 1。
さらに時間だけでなく精神的なエネルギーにも影響し、特に対象となる女性が経済的に困窮している場合、キャリアへの自己投資よりも美容関連商品への投資に動機づけられるという傾向 2(いわゆるリップスティック効果)が分かっている。
ではなぜ女性は美への時間的・経済的投資に目が向くのだろうか。
働く女性にとって化粧をすることは職場の力学と結びついているようである。どれだけ化粧をするかは、その場面が異性との関わりなのか、仕事なのか、友人関係なのかによって大きく変わる。これは、単なる「趣味」「身だしなみ」というより、社会的・進化的に意味のある目的志向的行動であるからだと解釈されている 3。
つまり、メイクは単なる個人的な好みによる「習慣」や暗黙の会社ルールに従う「義務感」などではなく、女性自らが「自己戦略」として自分の立場や価値を向上するための施策という側面が大きいのかもしれない。
ではなぜそうした戦略を取る必要があるのか?その戦略にリスクはないのだろうか?仕事と関係のなさそうな外見的美が、如何にして働く女性の行動原理に組み込まれているかを考えてみたい。
1 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002433.000005794.html
2 Hill et al., "Boosting beauty in an economic decline: Mating, spending, and the lipstick effect," Journal of Personality and Social Psychology, 2012. doi:10.1037/a0028657
3 Biesiadecka et al., "To Enhance, or not to Enhance: The Situational Context Shapes Women's Intentions on Amount and Diligence of Makeup Application," Evolutionary Psychology, 2023. doi:10.1177/14747049231219283
仕事の本質とは無関係なはずなのに評価観点になっている
メイクをしない女性は「不適切」または「怠惰」と見なされる場合があり、見た目の管理が仕事の評価にも影響を与えるケースがある。実際、女性が化粧をすることで、他者が感じる「有能さ」「信頼性」「社会的魅力」は上がる傾向にあることは分かっている 4。実際に採用面接などでも有利になり 5、職場においては本来の業務スキルと関係が無さそうなメイク自体が「外見管理行動」として期待されていると言えそうだ。
さらに専門職の女性は、組織や社会の期待に応える(「プロ」として見られる)ために化粧をせざるを得ないと感じることが多く、それがプレッシャーとなり仕事のスケジュールや精神的な幸福に影響を与えるという研究結果も存在する 6。例えば、女性医師は助手・看護師などと間違われることが多く 7、男性医師に比べ患者から外見をより重要視されていること 8 が示されている。このようなジェンダーバイアスが存在している環境下では、「舐められないように」と、女性の職場での外見への意識を加速させる。
こうした美にまつわる職場の規範・バイアスは、女性の注意を専門的な仕事のスキルから外見へとシフトさせる可能性がある。こうした状況的・慢性的な “見た目への注意への偏り” は、本人の注意資源を消費する。それにより批判的推論や論理的推論といった認知機能を低下させる 9 ことも分かっており、仕事のパフォーマンスや本人が志向している長期的なスキル獲得が犠牲になるというトレードオフが生じるリスクが多分にありそうである。
4 Nash, R., Fieldman, G., Hussey, T., Lévêque, J. L., & Pineau, P. (2006). Cosmetics: They influence more than Caucasian female facial attractiveness. Journal of applied social psychology, 36(2), 493-504.
5 Bernard, L., Park, L. S., Martinez, L. R., & Kulason, K. (2023). Gender benders and job contenders: cosmetics in selection contexts for women and men. Equality, Diversity and Inclusion: An International Journal, 42(6), 737-753.
6 Dellinger, K., & Williams, C. L. (1997). Makeup at work: Negotiating appearance rules in the workplace. Gender & Society, 11(2), 151-177.
7 Xun, H., Chen, J., Sun, A. H., Jenny, H. E., Liang, F., & Steinberg, J. P. (2021). Public perceptions of physician attire and professionalism in the US. JAMA Network Open, 4(7), e2117779-e2117779.
8 Rehman, S. U., Nietert, P. J., Cope, D. W., & Kilpatrick, A. O. (2005). What to wear today? Effect of doctor’s attire on the trust and confidence of patients. The American journal of medicine, 118(11), 1279-1286.
9 Winn, L. T., & Cornelius, T. (2020). Self-Objectification and Cognitive Performance: A Systematic Review of the Literature. Frontiers in Psychology, 11, Article 20. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2020.00020
背景にある価値観
これらの状況を生み出す要因は、仕事の本質とは関係ない要素である “痩せ体型や容姿が評価基準になっている” と女性たちが感じていることにある。大学のミスコンなどに代表されるように、女性の外面的・性的側面に比重を置いた価値観があると、本来はもっと重要である内面的・性別に関係のない人間的特性が無視される恐れがある。
そのような対象として見られるようになると、女性自身は自分を性的対象にすぎないとobjectification(客体化)するようになりがちである。このobjectification理論は,アメリカの二人の女性社会心理学者Fredrickson & Robertsによって提唱された「性的に対象化された経験が女性の精神健康に及ぼす影響」に関する理論 10 である。性的対象化体験とは、女性が性的にモノとして扱われた際に生じ、性的な視線やメディアからのメッセージによって体験される。また、これらの性的対象化体験に晒されることによって、身体の外見に基づいて評価する目を内在化する=客体化がおきると、自身の外見の認知がゆがんでしまう(実際の身体よりも「太って見える」「醜く見える」などの歪んだ自己評価)。なお、最近になってようやく日本でも日本心理学会において兵庫のグループから発表がなされ、おおむねこれらの理論が日本人女性にも当てはまることが示された 11。
多くの日本企業でも、依然として仕事の本質とは関係の無さそうな外見的要素(化粧や一定の服装)を求める暗黙のルールは存在しているだろう。例えば2019年に起きた「#KuToo」運動では、職場でのヒールやパンプスの強制が問題視された 12 が、本人も周囲も今まで長年培われてきた美の基準に合わせるプレッシャーから逃れるのは容易ではなさそうである。
しかし、この価値観がさらに支配的になると、女性は外見のウェイトを最優先し、見た目を改善することに絶え間なく時間とお金をつぎ込む。同じ時間をキャリアアップや学習に充てることで、給与の向上が可能であるかもしれないにもかかわらず、何時間も化粧や美容や無理なダイエットに取り組んだり、本来は大学院に行けたお金で美容整形をしたりする。
そして第2回 13 の内容とも合わせると、外見が注目されやすい立場にある女性(特にミスコンに出るような)と、女性側の好意を過大に読み取ってしまう男性(特に社会的立場の高い)との間では、職場でのコミュニケーション上のすれ違いが生じ、双方にとって望ましくない状況につながるリスクが透けて見えてくる。
10 Fredrickson, B. L., & Roberts, T. A. (1997). Objectification theory: Toward understanding women's lived experiences and mental health risks. Psychology of women quarterly, 21(2), 173-206.
11 松岡優菜, 岡部友峻, & 伊藤大輔. (2023). 本邦における客体化理論-自己客体化が精神的健康に及ぼす影響. In 日本心理学会大会発表論文集 日本心理学会第 87 回大会 (pp. 3C-013). 公益社団法人 日本心理学会.
12 Zhang, J., Sun, C., & Hu, Y. (2022). Representing victims and victimizers: An analysis of #MeToo movement related reports. Women’s Studies International Forum, 90, 102553-.
13 NTTデータ経営研究所. (2025, December 1). 第2回:職場における男女の脳の違いと、認知バイアスが生む課題. 経営研レポート. https://www.nttdata-strategy.com/knowledge/reports/2025/251201/
美をめぐる苛烈な性内競争は、女性の心を蝕む
今まで見てきたような、見た目への過剰な注意・時間・金銭への投入によるトレードオフの発生だけでなく、美への執着は心と命をむしばむケースも多くみられる。自分の外見が醜く見え、美容にお金をつぎ込み、美容整形を繰り返したり、これ以上痩せられないのに自分の体形に満足がいかずに摂食障害になったりするといったものだ。女性が醜形恐怖症や・摂食障害になるリスクは男性の2~10倍である 14,15。「化粧も整形も本人の自由だ」と当事者たちは主張するだろうが、良し悪しは置いておき、そのような状況を端に発し、働けなくなることは女性が背負っているコストのようにも感じられないだろうか。
では、美容への努力、例えば美容整形は果たして女性の自信を改善させることができるのだろうか。
美容整形手術直後から術後10年までの、様々な患者を対象とした研究では、ほとんどの患者が手術の結果に満足し自尊心が向上している 16。ただし、それは直後のみであり、数ヵ月から1年以内にまた外見への不満が再燃し、別の手術を求める「整形の連鎖」も発生しうる。また、外見に対し現実的な自己認識を持つ人は、美容整形後に満足する可能性が高いが、自己認識に歪みがある人ではそうした効果は得られないこともわかっている 17。そして特に醜形恐怖を持っている患者は、手術を繰り返すと不満がさらに増加する傾向にある 18。このように、美容整形によって本人の心理社会的な改善が持続的に続くという強いエビデンスは存在しない。
むしろ美容整形手術は逆にうつ病、不安障害、摂食障害などの精神疾患の症状を増加させる 19 こともわかっている。こうした美容整形に関わる疫学研究から、整形は「解決策」ではなく、「心理的ケアの一環として慎重に検討されるべき手段」とされている。国民の期待を受け国家的な投資として医学教育を受けた人材の “直美” が増加して、健康課題を蔓延させる存在になるというのは皮肉でも笑えないように思えないだろうか。
そもそも整形を受けたいと思う背景には、身体不満や心理的脆弱性があることがあり、彼女たちに本来必要なのは美容整形のカウンセリングではなく、メンタルヘルスの支援のはずなのである。
さて、美のプレッシャーに関連したストレス、不安、抑うつ症状の増加など、メンタルヘルスへの影響は深刻であり、欠勤率が高くなったり、専門能力開発活動への参加率が低下したりすることは、本人だけではなく経営的問題ということができそうである。うつや不安など慢性的なメンタルヘルス上の課題を持つ人は仕事を休む可能性が高く、身体の健康の変化よりも3倍以上欠勤に影響を与えることが示されている 20。イギリスのある研究では、欠勤の中央値のコストを従業員1人あたりにすると522ポンド(日本円で約10万円)にも上った 21。美に関連したメンタルヘルスによる経営課題は私たちが思うよりも大きいのかもしれない。
14 1カ月あたりの「美容代」はいくら? 男女差が明らかに | マイナビニュース
15 Culbert, K. M., Sisk, C. L., & Klump, K. L. (2021). A narrative review of sex differences in eating disorders: is there a biological basis?. Clinical therapeutics, 43(1), 95-111.
16 Castle, D. J., Honigman, R. J., & Phillips, K. A. (2002). Does cosmetic surgery improve psychosocial wellbeing? Medical Journal of Australia, 176(12), 601–604. https://doi.org/10.5694/j.1326-5377.2002.tb04593.x
17 Slavin, B., & Beer, J. (2017). Facial Identity and Self-Perception: An Examination of Psychosocial Outcomes in Cosmetic Surgery Patients. Journal of Drugs in Dermatology, 16(6), 617–620.
18 Veale, D. (2000). Outcome of cosmetic surgery and ‘DIY’surgery in patients with body dysmorphic disorder. Psychiatric Bulletin, 24(6), 218-221.
19 von Soest, T., Kvalem, I. L., & Wichstrøm, L. (2012). Predictors of cosmetic surgery and its effects on psychological factors and mental health: a population-based follow-up study among Norwegian females. Psychological Medicine, 42(3), 617–626. https://doi.org/10.1017/S0033291711001267
20 Bryan, M. L., Bryce, A. M., & Roberts, J. (2021). The effect of mental and physical health problems on sickness absence. The European journal of health economics, 22(9), 1519-1533.
21 CIPD.: Health and well-being at work: Survey report (2018). https://www.cipd.co.uk/Images/health-and-well-being-at-work_ tcm18-40863.pdf
現代のテクノロジーが性内競争と美への執着を加速し、心を蝕む
女性がそこまでコストを背負ってまで美容に駆り立てられる、職場の価値観以外の要因としては、外見的魅力が高いと有利な配偶行動ができるという人類の歴史がある。客体化は男性・社会による押し付けという側面だけでなく、より配偶市場で有利になるための「女同士の戦い」というもう一つの側面もある。
この性内競争に関わる女性の心理・行動特性として、
・自己の魅力を積極的に宣伝していくself-promotionと
・周りの女性を下げるCompetitor derogation
という2つの戦術がある。前者はSNSの発信を見ればすぐわかるとして、後者の例としては、エストロゲンレベルが高い、すなわち繁殖しやすいタイミングにほかの女性の顔が不細工に見える 22 認知バイアスが生じたり、同様に排卵期に同性の悪い噂話をしたりしやすいことが分かっている 23(ちなみに悪い噂とは配偶競争で相手を不利に落とす内容が多い。例:「あの人は実はブスで整形」「浮気性」など)。
こうした性内競争環境を激烈にしているのがTikTokやインスタグラムなどのSNSと加工技術の進化だ。100年前には村一番の美人といわれたような人物が、今では毎日韓国アイドルクラスの女性(誰よりも足が細くて、顔が信じられなく小さくて、整形とAI加工による強いビジュアル)が、ストーリー画像やショート動画として大量に流れてくる。その1枚1枚に触れるたび、女性の脳内では「なんで私はこんなにかわいくないんだろう」と不安になる。不安になっても、女性は他人の自撮り写真への関心が高い場合が多く、閲覧を止めない。ただストーリーを閲覧しているつもりでも、その間に彼女達の脳では無意識に外見を他人と比較し、自身の顔への不満と不安が高くなる。結果として美容整形を検討しやすくなる 24。その結果、メンタルヘルスも悪化し 25、実際に若年女性の自殺が増えている主要な原因の一つと目されるようになっている 26。
したがって、はたから見ているとSNSばかり見てよく飽きないなと思うかもしれないが、SNS依存は単なる習慣ではなく、自己開示や他の女性との比較に基づいた心理的欲求(評価への不安や承認追求)に起因する 27。つまり、女性の脳は、「やばい。こんな集団の中では生き残れない。もっとかわいくなって評価されなきゃ」と警報音がけたたましく鳴り響いて、言わばかわいい女の子画像を1枚見るたびに寿命すり減らしている状況にある。にもかかわらずそうした感情が依存度を高めることにつながっていることが示唆されているのだ。こうしたエビデンスの蓄積もあり、オーストラリアでは若年層のメンタルヘルス悪化を防ぐため2025年12月に「オンライン安全改正法(ソーシャルメディア最低年齢法)」が施行 28 されている。今後、SNSによる性内競争の激化とメンタルヘルス・自殺数の悪化の因果関係に関して検証が進めば、追従する国は増えていくだろう。
22 Fisher, M. L. (2004). Female intrasexual competition decreases female facial attractiveness. Proceedings of the Royal Society of London. Series B: Biological Sciences, 271(suppl_5), S283-S285.
23 Massar, K., Buunk, A. P., & Rempt, S. (2012). Age differences in women’s tendency to gossip are mediated by their mate value. Personality and Individual Differences, 52(1), 106-109.
24 “I wanna look like the person in that picture”: Linking selfies on social media to cosmetic surgery consideration based on the tripartite influence model. Scandinavian Journal of Psychology, 64(2), 252–261.
25 Papageorgiou, A., Fisher, C., & Cross, D. (2022). “Why don’t I look like her?” How adolescent girls view social media and its connection to body image. BMC women's health, 22(1), 261.
26 Haidt, J. (2024). The anxious generation: How the great rewiring of childhood is causing an epidemic of mental illness. Penguin Press.
27 Nor, N. F. M., Iqbal, N., & Shaari, A. H. (2025). The role of false self-presentation and social comparison in excessive social media use. Behavioral Sciences, 15(5), 675. https://doi.org/10.3390/bs15050675
28 Japan External Trade Organization (JETRO). (2025, December 17). オーストラリアで16歳未満のソーシャルメディア(SNS)利用を制限、事業者に「合理的措置」義務付けへ. JETRO Business News. https://www.jetro.go.jp/biznews/2025/12/ffbd354da28ba38e.html
女王蜂・名誉男性による状況の悪化
こうした性内競争は、性間対立(男性からのセクハラ等)と同様、職場においてジェンダーギャップを拡大させたり、生産性を下げたりする重要な要素となっている。
職場内での性内競争における研究では、ほとんどの幹部職が男性に占められている職場環境において「女王蜂現象」が起こると言われている 29,30。これは、高い地位にある女性が、同性の部下と物理的・心理的に距離を置く現象のことである。「女王蜂(日本だと名誉男性という概念が近いか)」は、若い女性に対して批判的な態度をとり、女性を男性に比べ不利な立場に置く 31。このような現象が、ジェンダーギャップが著しい環境において当事者である女性がより一層それを加速させるという、負の連鎖を起こしているのである。ただこのような女王蜂が生まれるのは、個人レベルの対立的な特性等の問題ではなく、男性がマジョリティの組織文化が背景にある。ということが重要で、協力的な女性同士の支援ネットワークも組織風土として一方では存在するので、組織におけるジェンダー課題の理解には包括的な視点が重要である。
競争より協調文化が優れているかもしれないことを示唆する一つの研究事例を紹介する。徒競走において①ひとりで走る場合と②男女混合、③男子のみ、④女子のみで走る場合で比較した結果、ほとんどの場合他人と競争することによりパフォーマンスの向上がみられたが、④女子のみの競争に限りパフォーマンスが大きく下がった 32。このことは、女性同士の競争が女性のパフォーマンスを下げうることを意味している。
“競争” 環境は淘汰と市場成長を促すとされてきた。ただそうしたビジネス観も男性に当てはまるだけで、実は女性にとってはリスクが大きくメリットも少ないのかもしれない。
29 Kark, R., Yacobovitz, N., Segal‐Caspi, L., & Kalker‐Zimmerman, S. (2024). Catty, bitchy, queen bee or sister? A review of competition among women in organizations from a paradoxical‐coopetition perspective. Journal of Organizational Behavior, 45(2), 266-294.
30 Derks, B., Van Laar, C., & Ellemers, N. (2016). The queen bee phenomenon: Why women leaders distance themselves from junior women. The Leadership Quarterly, 27(3), 456–469. https://doi.org/10.1016/j.leaqua.2015.12.007
31 Derks, B., Ellemers, N., Van Laar, C., & De Groot, K. (2011). Do sexist organizational cultures create the Queen Bee?. British Journal of Social Psychology, 50(3), 519-535.
32 Gneezy, U., & Rustichini, A. (2004). Gender and Competition at a Young Age. The American Economic Review, 94(2), 377–381. https://doi.org/10.1257/0002828041301821
競争から協調へ ~どうすれば状況を良くできるか~
ここまで、主に男女の脳科学的側面における特徴と、職場文化との不一致を見てきた。その結果、女性の働きづらさにつながる要因として共通していそうなのが、過度な競争・対立環境の進展ではないかと考えている。
ここ数百年で人間社会において発展した資本主義には自由「競争」を通じて、よりよいテクノロジーや経済の発展を成し遂げ、すべての人の努力が報われることを期待できるメリットがある。しかし一方で、格差が広がっていくというダークサイドもまた存在するのだ。
競争は差を開き、格差の拡大はさらなる競争を生む。社会的な自分の立場は不安定になり、常に他人が自分の容姿や能力・存在価値に対してマイナス評価を下し、序列が入れ替わるプレッシャーにさらされる。
こうした社会評価の存在は、人間にとって最も強いストレス要因になりえる 33。受験やアイドルのオーディションが毎日行われる生活を想像してほしい。
競争による社会的なストレスは、文字通り痛みを生む。そんな痛みに晒されつづければ当然の帰結として脳はダメージを受け、うつや不安障害につながる。競争的な文化は勝者と敗者の比較と格差を生み出しやすいが、所得格差が開いた社会はうつ病の罹患率が上がる傾向がある 34。それも絶対的な所得ではなく相対的な序列がうつの悪化要因となる 35。
あなた自身の周りで観察できるピラミッド型のコミュニティ、中でも競争の激しい=「傾斜が急」で「標高が高く」「入れ替わりの激しい」もの、を想像してほしい。個人間の競争を煽るような企業でもいいし、メンズ地下アイドルのファンコミュニティでもいい。そのコミュニティでは何が起こっているだろうか。
苛烈な競争環境下では人々は当然のように思いやりをなくし、スキがあれば相手の弱みに付け込んで相手を引きずり降ろそうとし合う。そして相互の不信がますます増強し、協調は減る 36。
競争は、努力によって成長しあえる環境のように思えるが、相手を傷つけ、負ければ自分がうつになる。全体でみれば自傷・他害をするプレーヤーだらけの集団になるリスクもある。そんなコミュニティが成長するとは思えないし、それは企業文化としても最悪なものに感じられる。
実は苛烈な競争で生じた経済的格差によって、第2回で見てきた(主に男性の)自信過剰傾向が強化される 37 ことが分かっている。こうした過剰な自己愛を伴う誇大妄想は、努力と成果および社会的絆に立脚した本質的な自己肯定感とは異なり、女性への加害行為にもつながるリスク因子となりうる。
同様に経済的格差が大きい地域の女性は、より露出度の高いインスタ投稿が増えることも分かっている 38。その頻度はジェンダーギャップの大きさとは関係がないので、この現象は性間対立ではなく、外見的魅力を武器とする女性の “経済的” 競争行為であると解釈されている。実際に自分の周りにかわいい子が多いと思っている(=女性が苛烈な性内競争環境におかれているという代表的な指標)と、「自分も痩せてきれいにならなきゃ」と摂食障害になり 39、美容整形も増える 40。
このように、集団内の「格差」の広がりと過度な競争環境は、女性に対して病的な自信過少(醜形恐怖や摂食障害・うつ)をもたらし、一方、男性においては病的な自信過剰を強める。そこで加害者と被害者が生まれるのだ。
こうした地域・社会レベルでの現象は組織内でも十分おこりうることであり、その対策として、そうした有害とされるもの(特に潜在的・顕在的加害男性や、自分の足を引っ張ってくる同性)を組織から積極的に排除する、いわゆる “キャンセル・カルチャー” が思い浮かぶ。
ただ、そんなハラスメント・ホイッスルが鳴り響く組織風土だと「オジサンってキモいなこの会社は地獄だな」とか「なんでもハラスメントにされるし、女って扱いにくいな一緒に働きたくないな」と、対立が救いようのないループとなって促進されていく。みなさんの職場はそんな方向に進んでいないだろうか。
そんな職場にしないために、悪影響を与えうる職場環境の変革はできないだろうか。
既存の職場はマジョリティである男性従業員の特徴に合わせて作られているケースが多いが、それが女性の特徴にマッチしづらいことがあれば、それを徐々に変えていけばいいのではというアイディアである。
現状の環境や制度では、女性ならではの脳科学的・生物学的・社会的特性が女性の仕事の生産性に独特かつ重大な影響を与えるという事実を理解すること、相互の特性の自覚を行うことが挙げられる。そしてこれまで紹介したように、相互理解や協調は競争環境下では醸成され辛い。そのため、競争ではなく協調にインセンティブを与える人事制度や企業文化を経営施策として検討する必要があるのではないだろうか。一人の売り上げを表彰するのではなく、性別を含む多様なチームでの総合的な売り上げを目標にすることや、Unipos社が提供するピアボーナス 41 =同僚と助け合うことに報酬が発生するシステムのようなものなど、色々と手の打ちどころはありそうである。
33 Dickerson, S. S., & Kemeny, M. E. (2004). Acute stressors and cortisol responses: a theoretical integration and synthesis of laboratory research. Psychological bulletin, 130(3), 355.
34 Ribeiro, W. S., Bauer, A., Andrade, M. C. R., York-Smith, M., Pan, P. M., Pingani, L., ... & Evans-Lacko, S. (2017). Income inequality and mental illness-related morbidity and resilience: a systematic review and meta-analysis. The Lancet Psychiatry, 4(7), 554-562.
35 Osafo Hounkpatin, H., Wood, A. M., Brown, G. D., & Dunn, G. (2015). Why does income relate to depressive symptoms? Testing the income rank hypothesis longitudinally. Social Indicators Research, 124, 637-655.
36 Lin, J., Li, W., Guo, Z., & Kou, Y. (2024). When and why does economic inequality predict prosocial behaviour? Examining the role of interpersonal trust among different targets. European Journal of Social Psychology, 54(1), 136-153.
37 Loughnan, S., Kuppens, P., Allik, J., Balazs, K., De Lemus, S., Dumont, K., ... & Haslam, N. (2011). Economic inequality is linked to biased self-perception. Psychological science, 22(10), 1254-1258.
38 Blake, K. R., Bastian, B., Denson, T. F., Grosjean, P. & Brooks, R. C. Income inequality not gender inequality positively covaries with female sexualization on social media. Proc. Natl. Acad. Sci. 201717959 (2018).
39 Abed, R., Mehta, S., Figueredo, A. J., Aldridge, S., Balson, H., Meyer, C., & Palmer, R. (2012). Eating disorders and intrasexual competition: Testing an evolutionary hypothesis among young women. The Scientific World Journal, 2012.
40 Wang, Y., Qiao, X., Yang, J., Geng, J., & Fu, L. (2022). “I wanna look like the person in that picture”: Linking selfies on social media to cosmetic surgery consideration based on the tripartite influence model. Scandinavian Journal of Psychology, 64(2), 252–261. https://doi.org/10.1111/sjop.12882
マネジメントとして職場環境を変える ~相互理解
また、マイノリティの声は経営施策に反映されづらいという点からも女性の割合を増やすことは、簡単かつ有効な手なはずである。そもそも女性の割合の多さはセクハラ防止の重要な要因 42 であるし、取締役会における女性役員比率が上がると従業員の生産性も上がるといわれている 43。
では、男性にできることはないのだろうか。例え女性の感じる苦痛や状況を一人称で自覚(情動的共感)できなくても、相手の視点にたつことができれば(認知的共感と表現される)、相互理解と協調は促進されうる 44,45 。また、ステレオタイプから解放されることで性別の対立を超えることができる 46。認知的な共感に基づけば、当事者である働く女性が直面している困難さに対して支援をすることができるようになる。そうしたコミュニケーションと支援で、組織の業務遂行能力は上がりうる 47。これらは男性マネジメントメンバーでもできることで、たとえ同じ苦しみを味わえなくても、女性がどんな気持ちになっているのかを正確に予測する認知的共感能力をスキルとして備えれば、加害を予防するのに有効 48 であることが分かっている。これらはすべてマネジメント施策として実行可能なことである。
職場にいるメンバーの特性が異なっていても、お互い理解しあって特性を補完しあえれば、協調的かつ創造的な仕事ができるというのは夢物語だろうか。
たとえそれが難しくても、誰しも足を引っ張りあう地獄のような状況に身を置きたくはないだろう。その実現のためには感情的嫌悪や直感的衝動よりも科学的なアプローチが、日本の経営課題を解決する道筋になるのではないか。
美をめぐる規範が女性の心身とキャリア、しいては経営に及ぼす負荷は、個人の努力ではなく組織文化の問題としても捉え直すことができる可能性がある。外見の競争ではなく協働と相互理解を軸にした環境づくりこそが、私たち全員の働きやすさと創造性を高めるための第一歩である。
42 Larsson, N. P., Craven, L., & Madsen, I. E. (2023). The role of gender composition in workplace sexual harassment. European Journal of Public Health, 33(Supplement_2), ckad160-1327.
43 Meliá-Martí, E., Tormo-Carbó, G., & Fernández-Guadaño, J. (2024). Board gender diversity and employee productivity. The moderating role of female leaders. European Research on Management and Business Economics, 30(3), 100257.
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