はじめに
職場環境の再設計に必要な背景となる女性の特徴として月経に関連した気分・認知能力の波やメンタルヘルスなどの医学的特徴は想像しやすいものもあったかもしれない(第1回参照)。しかし今回扱う二つ目の特徴は「脳」である。その中でも自他をどう捉えるかという認知上の傾向を起因とする本人および労働環境上の問題と、その解決策を考える。こうした認知的な特徴の差に起因する齟齬は、男女の当事者の多くが無自覚である場合がとても多く、勘違いし合う2つの脳が職場で生み出すコンフリクトは少なくない。そこで、今回は男女の世界で異なる見方のゆがみ(認知バイアス)を紹介していこう。
そもそもなぜ男女で異なる脳の特性=バイアスがあるのか
バイアスとは、世界の情報を脳で情報処理することによって事実とは異なる形で認知する現象である。一見すると、客観的に現実を直視した方がよさそうであるが、なぜそうしたバイアスが存在するのだろうか。その一つの理由として考察されているのが、バイアスというものが進化の過程で生まれたものである。私たちの脳は、健康や寿命・自身や周囲の幸福を犠牲にしても適応度を増し、子孫つまり遺伝子を遺すことに有益だったからバイアスを生み出したという進化心理学的仮説である。
ではそのバイアスの性差について見ていこう。まず、進化における性的対立という概念がある。これは繁殖にかかわる事象を巡るオスメス間での利害の対立を指す。かつては種の保存のために雌雄間の関係は友好的なものと考えられていたが、現在では異性間に強い進化的利害の衝突があることが明らかになっている。
例えば、ショウジョウバエのオスは交尾時に「性ペプチド(sex peptide)」と呼ばれるタンパク質をメスに送り込む。この物質はオスの繁殖成功を高める効果がある一方で、メスの寿命や免疫力を低下させるという不利益を与えることが知られている 1。
この不利益への対抗として、メスは性ペプチドを中和する酵素を進化させたり、受精嚢の構造を調整するなどの「対抗進化」を起こす。するとオスはさらに強力な性ペプチドを進化させ、メスはそれを防御する──こうした “性的軍拡競争” が延々と続く。
このように、お互いにあまりやさしくない形で適応度をめぐる対立が蓄積されることで、雌雄で異なる行動的・認知的傾向、すなわちバイアスが形づくられていくと考えられている。
1 Wigby, S., & Chapman, T. (2005). Sex peptide causes mating costs in female Drosophila melanogaster. Current Biology, 15(4), 316–321. https://doi.org/10.1016/j.cub.2005.01.051
性的過大知覚バイアス
性的過大知覚バイアス(sexual overperception bias)は、性差の最も大きいバイアスの一つとして考えられている。端的に言えば恋愛感情の偽陽性=たわいもないことで相手が自分に気があると錯覚するバイアスである。ここでは男性が強いバイアスを持っている一方で、女性はその逆の傾向がある。
米国の大学において平均19歳くらいの学部学生男女100名程度ずつに以下の質問をした 2。
偽陽性:友達として接していたつもりだったのに異性として見ていると勘違いされたことはありますか?
偽陰性:本気で異性を誘ったつもりなのにただの友達としか思われなかったことはありますか?
すると女性は偽陽性(overperception)を偽陰性(underperception)よりも多く経験していることが分かった(男性では違いは見られなかった)。
男性にとっては、ちょっとした勘違い(相手の気持ちがわからない状況)でも、うまくいけばコストはとても低い(女性のように妊娠・出産・育児に莫大な時間的体力的負担がかからない)。だからこの性的過大知覚バイアスは人間のオスに残存していると考えられる。
一方、女性にとって偽陽性を多く経験することはあまり望ましくないだろう(勘違い野郎に囲まれる地獄)。
つまり男女両者を幸せにするものだけが脳に残っているわけではない。そして、そのバイアスこそが職場における男性が加害者、女性が被害者となるようなセクハラの源であることが多いのではないかと考えている。
この性的過大知覚バイアスおいて興味深い、が痛ましい事例を挙げよう。とあるスーパーで、レジ係のスタッフに「お客さんの目を見てほほ笑むべし」と指示したキャンペーンを展開したところ、男性客は「あ、この子は俺のこと好きなんだ」と信じ、しつこいナンパや、さらにはストーカーになった人も出てきたという事件が起きたことがある 3(ちなみに接客方針を戻したところ、セクハラの件数は激減したという)。
余程の変わり者でなければ、女性側は自分のキャリアのためにいろんな意味で力を持っている「仕事関連の付き合いがある男性」に関して失礼がないよう、笑顔を作り、丁寧にできるだけ好意的に接する。が、そこに相手に対する性的関心は一切存在しない(これは多くの女性に共感されると思う)。
この、女性にとっては当たり前な事実が、(驚かれる方も多いかもしれないが)加害者となる男性、特に社会的地位が高い人物には想像できない 4。
さらに男性が、この性的過大知覚バイアスを矯正しにくい背景として、女性の心理が自分のそれとは異なっているということを理解する能力が大きく欠如しているということが挙げられる。その理由の一端が、「自分はこう考えるから相手も同様に考えるだろう」という自分の脳を基準とした想像しかできないという生物学的制約である。
つまり男性からすると、相手に笑顔で好意的に接するというのは自分が異性として興味がある時なので、相手がニコニコしているということは向こうも自分と同じように自分に性的関心があるとしか思えないと考える。女性から信じられないだろうが男性側としては悪意ゼロ。この性的過大知覚バイアスの存在は、男女トラブルの報道などでよく聞く「当事者間の認識のズレ」というものの正体であり、職場におけるセクハラ問題の根源的な原因であると考えている。
他にも似たような男女差がある認知バイアスとしては、経済的便益と対価に関するものがある。これは you owe me effect(おごってやったのに効果)と名付けられている 5 もので、男性が女性とのデートで高価な食事をおごるなど金を使った際に、相手の女性も相応の性的見返りを返すべきと感じるバイアスである。女性側からすると、割り勘よりも多少返報の義務を感じるとはいえ、その期待は男性の半分程度である。
2 Haselton, M. G. (2003). The sexual overperception bias: Evidence of a systematic bias in men from a survey of naturally occurring events. Journal of Research in Personality, 37(1), 34-47.
3 Ream, S. L. (2000). When service with a smile invites more than satisfied customers: Third-party sexual harassment and the implications of charges against Safeway. Hastings Women's LJ, 11, 107.
4 Bargh, J. A., Raymond, P., Pryor, J. B., & Strack, F. (1995). Attractiveness of the underling: An automatic power→ sex association and its consequences for sexual harassment and aggression. Journal of personality and social psychology, 68(5), 768.
5 Basow, S. A., & Minieri, A. (2011). “You owe me”: Effects of date cost, who pays, participant gender, and rape myth beliefs on perceptions of rape. Journal of interpersonal violence, 26(3), 479-497.
自身の能力への知覚(自信過剰)
男女のもう一つ大きな違いが、自己に対する認識のバイアスだ。ここで詳細を述べるより港区カンナさんによる「自己肯定感」という作品にすべて表現されている 6 ので一度ご覧いただきたい。このように男性は自分の(外見的)魅力の自己評価がとても高い 7。ちなみにこのような性差が生まれたのは1980年代以降らしいので、男性の自己肯定感が高くなったというよりも、様々な事情で女性側の自尊心が下がったということも考えられる。
大規模なマッチングアプリデータを用いた最近のユニークな研究によると、男性は「自分より平均して25%程度ランクが上の女性を求めてメッセージを送りまくる」という頑健な現象が観察された。ここでいうランクとは、他人からのいいね数であり、いいねの数が多い人はそれだけ魅力が高いと推定され、自分よりいいねの数が25%も多い人にメッセージを送りまくるという戦略をとっているということを意味する 8。
残念ながら、いいねの数のギャップが開くほど女性からの返信率は劇的に下がり、女性からすると眼中にないような男性からの大量のメッセージに圧倒されてしまう 9。この背景に、自分は25%上の人と対等だという自信はあるだろう。チェコの同様の研究 10 でも男性が「自分より望ましさの高い相手を追う」傾向が確認されており、これは “上方志向(aspirational pursuit)” として、成功確率が低いにも関わらず打席に立つ戦略(その心理的背景としての自信過剰)として理解できる。なお、自信過剰とは少し離れるがマッチングアプリの詐欺を分析した研究によると,プロフ詐欺に関しても性差があり、男は身長を高く、女性は体重を低く記す(重めの人は6Kgくらい)というデータがある 11。
さて、外見の魅力以外にも知的能力の面でも男性は自信過剰、女性は自信過小の傾向がある。米国の医学部の調査によると、医学生68人(男性34人、女性34人)に外科手術の実習における自分の能力を11項目で評価させた。同じ項目を用いて指導教官は学生の評価を行ない、自己評価と指導教官の評価を比較した。すると、男性は自己を過大評価する傾向があり、女性は自己を有意に過小評価した。さらに男女で成績を比較すると、女性は自己評価が低いにも関わらず、男性よりも成績が高かった 12。
このように、女性の方が実態として能力が高いのに、この自信過小バイアスのせいで自己のパフォーマンスの限界を低く設定してしまい、結果として評価されにくくなってしまうというのは、経営的な問題でもある。厚生労働省のレポートによると、自己評価による生産性は女性の方が低く、女性特有の体調不良が原因だと考察されている 13。もちろんそうした医学的な課題も無くはないであろうが、それ以上にこのバイアスを念頭に置かないと、評価が歪んでしまう可能性がある。
6 港区カンナ. (2023). “自己肯定感”. https://twitter.com/mina_kan_chan/status/1685132527806332928
7 Gentile, B., Grabe, S., Dolan-Pascoe, B., Twenge, J. M., Wells, B. E., & Maitino, A. (2009). Gender differences in domain-specific self-esteem: A meta-analysis. Review of General Psychology, 13(1), 34-45.
8 Bruch, E. E., & Newman, M. E. (2018). Aspirational pursuit of mates in online dating markets. Science Advances, 4(8), eaap9815.
9 https://www.pewresearch.org/short-reads/2023/02/02/key-findings-about-online-dating-in-the-u-s/
10 Topinkova, R., & Diviak, T. (2025). It takes two to tango: A directed two-mode network approach to desirability on a mobile dating app. PLOS ONE, 20(7), e0327477. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0327477
11 Toma, C. L., Hancock, J. T., & Ellison, N. B. (2008). Separating fact from fiction: An examination of deceptive self-presentation in online dating profiles. Personality and social psychology bulletin, 34(8), 1023-1036.
12 Lind, D. S., Rekkas, S., Bui, V., Lam, T., Beierle, E., & Copeland Iii, E. M. (2002). Competency-based student self-assessment on a surgery rotation. Journal of Surgical Research, 105(1), 31-34.
13 厚生労働省, 「レセプト等のデータ分析に基づいた保健事業の立ち上げ支援事業 先進的な保健事業の実証事業 東京海上日動保険組合「健康経営」の枠組みに基づいた保険者・事業主のコラボヘルスによる健康課題の可視化, 平成25年-26年
ハラスメントや健康課題への苦痛に対する認識
我々は、自分が経験したことのない痛みに対する想像力をめぐらすことが苦手で、特に共感能力が相対的に低い男性にとって非常に難易度が高い。さらに共感を阻む壁が、セクハラを受けた時のダメージが女性の方が圧倒的に強いということである。職場でセクハラを受けた際、男性はそれほど苦痛ではないのに対し、女性は強く不快感を受ける。男性の共感能力では「自分の思考が女性にも適用される」としか考えられない。女性がどれほど不快に感じているかという点については過小評価する(セクハラをされて女性がどれだけ嫌な思いをしているかが理解できず、なんなら少し喜んでいるだろうと思っている)14 。こうした共感力の低さは、特に敵意的な性差別を行う男性の脳に見られ、そうした人々は女性を見た際に共感に関わる脳のネットワークが活性化しない 15。
このように、女性にとっては不快極まりないだろうが、AirDrop痴漢や露出狂的な加害行動を行う一部の男性の思考内容に関する脳科学的考察として、「本気で女性が喜んでいると思ってやっている」という認知バイアスが指摘できる。男性は一般的に、性的な画像に触れることが女性に比べて高頻度であるため、その自分の感覚を女性に対しても当てはめてしまうと、AirDrop痴漢のような行動に至るリスクが上がる。
もちろん、圧倒的多数の男性はそのような行為を行わず、むしろ嫌悪し、女性の気持ちを尊重する。
問題は、極めて一部の男性の中に、
「自分が好む刺激 = 女性も喜ぶはずだ」
という誤った思い込みが強固に存在し、現実の女性の感情を正確に推測する能力が著しく欠けているケースがあるという点である。
見知らぬ相手から突然送られてくる性的画像は、多くの女性にとっておぞましく不快である。にもかかわらず、そのごく一部の男性は、女性がそれをもらって喜ぶだろうと “本気で誤解してしまう” 認知バイアスのもとで行為に及んでいるのである 16。
14 Buss, D. M. (1989). Conflict between the sexes: strategic interference and the evocation of anger and upset. Journal of personality and social psychology, 56(5), 735.
15 Papillon, K. (2018). The Neuroscience and Epigenetics of Sexual Harassment: Brain Reactions, Gene Expressions, and the Hostile Work Environment Cause of Action. Tenn. J. Race Gender & Soc. Just., 7, 1.
16 Al-Shawaf, L., Lewis, D. M., & Buss, D. M. (2018). Sex differences in disgust: Why are women more easily disgusted than men?. Emotion review, 10(2), 149-160.
脳の違いおよびその相互不理解の結果として起こるセクハラ
日本労働組合総連合会により2019年に行われたハラスメントに関する実態調査によると、職場でハラスメントを受けたことがあると回答した38%のうち、女性の約38%、男性の約14%がその内容を「セクシュアル・ハラスメント」と回答した 17。厚生労働省により令和5年度に行われた職場のハラスメントに関する実態調査では、受けたセクハラの具体的な内容は「性的な冗談やからかい」が約50%、「不必要な身体への接触」が約26%、「食事やデートへの執拗な誘い」が約22%と報告されている 18。セクハラ相談発生率でみると、業界としては金融業、保険業が約69%と最も高く、続いて宿泊業、飲食サービス業が約57%、教育、学習支援業が45%と報告された 19。現在の職場でセクハラを受けたと回答した人に職場の特徴を聞いた結果、「人手が常に不足している」が約43%、「従業員の年代に偏りがある」、「上司と部下のコミュニケーションが少ない」が約30%、「女性管理職の比率が低い」が約29%という結果となっている。セクハラ被害者のうち、セクハラを受けた後の行動に対し「何もしなかった」と回答した割合は約52%である。また、何もしなかった理由に対し「何をしても解決にならないと思ったから」と回答した人はそのうち約53%おり、被害を受けても適切な解決方法がないのであきらめてしまうという現状があることが示されている。
なぜセクハラが女性の労働環境を考えるうえで重要かというと、セクハラは、女性従業員本人にとって精神的・身体的健康影響(うつ・PTSD・摂食障害のリスク増大、欠勤、職務満足度・生産性の低下 20、対人職場関係の悪化)、離職 21、女性が昇進やリーダー職に応募する意欲が低下し、意思決定層に女性が少なくなる 22 など、と経営的に莫大な悪影響をもたらすからである。
なお、セクハラの加害者の70%が男性であり、年上・上司が多い傾向 23 がある。つまり、職場における相手のポジションが重要な意味を持つということになる。実際にプライミングという手法を利用した心理実験で示されているのは、「権力」と「セクハラ行為」のつながりが脳の中で強く結びついている男性が、セクハラ加害におけるリスクが高いという実験も報告されている 24。他の予測因子として大きかったのは自由な恋愛観念(unrestricted sociosexuality)25 、もうひとつはサイコパスなどのダーク・トライアド傾向が高い男性がセクハラ加害者となる確率が大幅に高いことが分かっている 26。
ここで、自分のセクハラ加害のリスクについて怖くなった男性読者のために、尺度(ISAMAスケール)27 の一部を紹介しよう。
1 | 女性がセクハラにより仕事を失うことがない限り、セクハラに関する主張は深刻に受け止められるべきではない | ||
|---|---|---|---|
2 | 雇用主から金銭を脅し取るために、女性がセクハラ疑惑をでっち上げることもある | ||
3 | たいていの女性は、一緒に働いている男性から性的な注目を浴びると嬉しいものだ | ||
4 | 女性は通常男性にその行動が好ましくないことを伝えるだけで望まない性的注目を止めることができる | ||
回答 | 1.強く同意しない ~ 7.強く同意する | ||
4項目の平均値をスコアとすると、男女混合の平均値は3.32であり、これを超えた人は自分の脳が世界を歪めて見ていることに気づいた方が良さそうだ。
17 日本労働組合総連合会(連合). (2019). 仕事の世界におけるハラスメントに関する実態調査2019 (pp. 1–15). https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/chousa/data/20190528.pdf
18 厚生労働省. (2024, 5月17日). 令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査 結果概要 (雇用環境・均等局 雇用機会均等課). https://www.mhlw.go.jp/content/11909000/001259093.pdf
19 厚生労働省. (2024). 令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査 報告書(企業調査) (pp. 32–33). https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001541299.pdf
20 WILLNESS, C. R., STEEL, P., & LEE, K. (2007). A META-ANALYSIS OF THE ANTECEDENTS AND CONSEQUENCES OF WORKPLACE SEXUAL HARASSMENT. Personnel Psychology, 60(1), 127–162.
21 MCLAUGHLIN, H., UGGEN, C., & BLACKSTONE, A. (2017). THE ECONOMIC AND CAREER EFFECTS OF SEXUAL HARASSMENT ON WORKING WOMEN. Gender & Society, 31(3), 333–358.
22 OECD (2019). Gender Equality in the Workplace https://www.oecd.org/employment/gender-equality-in-the-workplace.htm
23 厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査」(令和5年度)
24 Bargh, J. A., Raymond, P., Pryor, J. B., & Strack, F. (1995). Attractiveness of the underling: An automatic power→ sex association and its consequences for sexual harassment and aggression. Journal of personality and social psychology, 68(5), 768.
25 Bendixen, M., & Kennair, L. E. O. (2017). Advances in the understanding of same-sex and opposite-sex sexual harassment. Evolution and Human Behavior, 38(5), 583-591.
26 Zeigler-Hill, V., Besser, A., Morag, J., & Campbell, W. K. (2016). The Dark Triad and sexual harassment proclivity. Personality and Individual Differences, 89, 47-54.
27 Lonsway, Kimberly A., Cortina, Lilia M., Magley, Vicki J. Sexual Harassment Mythology: Definition, Conceptualization, and Measurement. Sex roles. 2008, vol. 58, no. 9–10, p. 599–615.
誰が(自覚なき)加害者になるか
認知バイアスは多くの人が持つものだが、セクハラ加害を行う男性は実際には少数であるという事実も認識してほしい。加害者が自覚を持ちにくいというリスクはあるかもしれないが、上述のようなリスク因子を持つ(社会的地位が高く、権力志向なサイコパス的な男性上司像)ごく一部の男性によって多くの女性に対して行われているということは統計でも示されている。例えば、医療業界でセクハラを行うのは「男性医師」である場合が多い 28。
では、女性も管理職登用が促進され権力を持つようになったら年下の男性部下にセクハラをするのかというと、そこにも性差があるようだ。権威ある地位にある女性は男性よりも対人関係の維持を優先し、他人の士気や福祉に気を配り、部下を助けたり好意を示したりといった他人への配慮を示す傾向が強い。ただし、そうした感情労働(他の人のニーズや感情に反応し、注意を払うために感情を自己制御する)は組織に有益となり得る一方で、同時にその女性にとって大きなコストになる。この昇進に伴う感情的負荷が要因で女性管理職が増えないという分析もある 29。そして驚くことに、むしろ管理職女性の方が、セクハラにあう可能性が30~100%高くなるという報告もある 30。これらの証拠をまとめると、職場における “一部” の “男性” に特異的に、加害者になるリスクがあるように思える。
28 Giglio, V., Schneider, P., Bond, Z., Madden, K., McKay, P., Bozzo, A., ... & Ghert, M. (2022). Prevalence of gender-based and sexual harassment within orthopedic surgery in Canada. Canadian journal of surgery, 65(1), E45..
29 Vial, A. C., & Cowgill, C. M. (2022). Heavier lies her crown: Gendered patterns of leader emotional labor and their downstream effects. Frontiers in Psychology, 13, 849566.
30 Folke, O., Rickne, J., Tanaka, S., & Tateishi, Y. (2020). Sexual harassment of women leaders. Daedalus, 149(1), 180-197.
“対立の連鎖” を超え共感に基づく回復と成長を促す職場風土に
これまで、特に男性側の認知バイアスの紹介を通して、セクハラが起きやすくなる背景とその重大さを学んできた。こうした背景知識を男女双方で持つことで、自他の行動や言動に対しての見方を大きく共感的に変えてみることを提案する。
まず、加害リスクの高い一部の男性は、自分に自信がありすぎて相手の苦痛がわからないため、女性を傷つけてしまうという側面が大きいことが分かった。
ここで「男に生まれたんだから女の気持ちなんてわからない」「これが男の特徴なんだから女があわせればいい」とこれまで通り自信満々に加害者に徹することは簡単である。組織に迷惑をかけ自身が解雇される恐れを厭わないのならそれでもよい。しかしながら、共感力は生まれつき決まっているわけでなく伸ばせるスキルである。そのために必要なことはそもそも自分の共感スキルは伸ばせると信じていること 31 であるので、ぜひこの機会にそうした成長マインドへの切り替えを試みたい。
一方で、被害に遭いやすい女性側も、「セクハラ被害にあった可哀相な被害者(自己憐憫・被害者意識)」として自らを固定したり、あるいは「自分のせいで被害が起きた」「何をやっても無駄。誰も助けてくれない」という過剰な自己責任感や無力感を抱くことがある。どちらの状態も、現実より歪んだ形で自己や他者を認知してしまう点では共通しており、その歪みが強まるほど「男性は全員セクハラ加害者である」といった過剰一般化の信念が生まれやすくなる。実際には、セクハラを行うのは男性の中でもごく一部であり、被害者である女性も多様な反応と回復力を持っている。実際にトラウマの科学が明らかにしているのは、そうした信念への固執は逆に心の傷からの回復と、そこからの成長プロセス(PTG:心的外傷後成長)を妨げる 32,33 という事実である。このため、科学的には被害者意識を維持して加害者や自らを糾弾し続けるより、回復のマインドセットへの切り替えを推奨したい。
とはいえ改めて考えると、自分とは異なる特徴や価値観を持っているもの同士で傷つけ合いのループに陥ることは、いとも容易そうである。なぜなら、傷つける側は相手の痛みが分からず傷つけ、傷ついた側は「加害者は悪意を持って加害してきた」と絶対的被害者意識に基づいた懲罰的な報復を願ったり、「自分がすべて悪い」と自責の箱に閉じこもるからである。すると相手は「むしろ善意でやったようなことで、なぜ俺が糾弾されないといけないのか」とさらなるヒートアップにつながったり「何にも言ってこないからまたやってもいい」という無学習状態を維持する。
これは共感が一切無い状況で精神的な殴り合いが続くという、地獄のスパイラルの様相を呈している。ひょっとしたらあなたの周りでも、あるいはメディアを通してそういった状況に既に触れているかもしれない。
しかし、そのような世界で働いたり、生き続けたりしたいと思うだろうか?
この、互いを傷つけあう対立状況から抜け出したいなら、法学の世界にヒントがある。それが修復的司法というプログラムで、これは紛争が起きた時に懲罰的措置のみに頼るのではなく、開かれた対話、説明責任、互いの視点や感情を共有することで、根本原因となっていた誤解やバイアスを特定・解消し、信頼関係の再構築を目指すものである。
この被害者と加害者が対話を行う修復的司法(Restorative Justice、以下 RJ)プログラムは、被害者の怒り、恐怖、不安、復讐心などのネガティブな感情を軽減し、PTSD症状の緩和に効果的である。特に、被害者が加害者の背景や動機を理解し、共感を抱くことで、感情的な回復が促進される 34 と報告されている。
そして、この認知的共感を養うことが回復だけでなく、成長(個人が人生の重大な危機を乗り越える際に経験する有益な心理的変化=心的外傷後成長)を促進する上でも重要な役割を果たすことが分かっている 35。さらに、こうした相互理解のプロセスは加害者側の再発防止(セクハラより重大な性暴力や家庭内暴力)にも寄与し 36、被害者は加害者が自分の気持ちを分かろうとしてくれている(視点取得の認識)と感じられることで、更なる和解的な反応のループを起動できる 37。
なぜこのRJプログラムが機能するかというと、双方が単純なラベリング(被害者/加害者、自責/他責)から脱し、起こったことの背景にあった相互の認知の歪みを理解しあうことを目指すからである。そうすることで、表面的な加害―被害の単純構造を超えて、再発の防止に向けた根本的な相互協調的解決策を考えやすくなり、それぞれが自他の心の傷を修復しあう成長を実感することで、憎しみから慈しみの連鎖に人間関係自体が根本的に変化していく。
これは単なる個人間の変化にとどまらず、職場内の対話文化・信頼関係を高める効果も報告されている。そうした職場文化は心理社会的安全気候(Psychosocial Safety Climate、以下 PSC)と呼ばれ、これを備える職場では、早期介入や問題の予防自体につながる 38。結果としていじめやハラスメントの発生率は有意に低くなり、職場ストレスやPTSDの症状は軽減される 39。
逆に、ハラスメントなどを感じた際にとりあえずすぐホイッスルを吹くような「当事者同士の対話を一切排除し、第三者が介入・解決を全て担う」文化は、長期的に職場の関係性を損ない、心理的安全性・信頼・学習文化の低下を招くリスクがある。
深刻なハラスメントや恐怖反応を伴う被害については、本人の安全確保の観点から当然ながら第三者の関与が不可欠である。一方で、軽度の誤解やコミュニケーションのすれ違いであっても即座に “通報” して第三者に完全に処理を任せるような風土は、長期的には職場の信頼関係や学習文化を損なうリスクがある。
例えば、近年流行している「退職代行」のようなサービスも一見、利用者の心に優しいように見える。お金で心理的コンフリクトを回避できるからである。しかし、自分で相手と向き合うことから逃げることは、結果として本人の回復力・問題解決能力も伸ばすチャンスを失う 40。第三者や経営的介入で重要なのは、完全な代行ではなく、当事者の安全を確保しつつ互いの視点や感情の交換を促し、誤解やバイアスを丁寧に解消していく手助けなのではないだろうか。
これは簡単なことではないかもしれないが、自身や職場の文化を「当事者同士の対話を一切排除し、第三者に介入・解決を全て任せ、相手への共感が一切無い状況で殴り合いを続けていく」ものにしたいのか、「問題が起きた時に、あえて互いの視点や感情を共有することでそれぞれの脳に存在する誤解やバイアスを特定・解消し、信頼関係の再構築を目指す」のか、我々はどちらか選べる。確かに前者は直感的には正しく、心理的負担も低そうなのも魅力的である。どちらにしていきたいか。選択を考えてみてほしい。
31 Schumann, K., Zaki, J., & Dweck, C. S. (2014). Addressing the empathy deficit: beliefs about the malleability of empathy predict effortful responses when empathy is challenging. Journal of personality and social psychology, 107(3), 475.
32 Zeller, M., Yuval, K., Nitzan-Assayag, Y., & Bernstein, A. (2015). Self-compassion in recovery following potentially traumatic stress: Longitudinal study of at-risk youth. Journal of Abnormal Child Psychology, 43(4), 645–653.
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35 Liu, F., Chen, B., Liu, X., Zheng, Y., Zhou, X., & Zhen, R. (2024). Reciprocal relations between cognitive empathy and post-traumatic growth in school bullying victims. Behavioral Sciences, 14(6), 435.
36 Kettrey, H. H., & Reynolds, N. S. (2024). Is restorative justice appropriate for sexual assault and domestic violence? A systematic review and meta-analysis of the “empirical vacuum”. Journal of Experimental Criminology, 1-19.
37 Berndsen, M., Wenzel, M., Thomas, E. F., & Noske, B. (2018). I feel you feel what I feel: Perceived perspective‐taking promotes victims' conciliatory attitudes because of inferred emotions in the offender. European Journal of Social Psychology, 48(2), O103-O120.
38 Kidder, D. L. (2007). Restorative justice: Not “rights”, but the right way to heal relationships at work. International Journal of Conflict Management, 18(1), 4-22.
39 Bond, S. A., Tuckey, M. R., & Dollard, M. F. (2010). Psychosocial safety climate, workplace bullying, and symptoms of posttraumatic stress. Organization Development Journal, 28(1), 37.
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