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コラム・オピニオン 2017年10月2日

消えたKPI実績値~~開業率、廃業率の謎

取締役会長
山本 謙三

KPI実績値が消えた

 政府の成長戦略のなかに、「開業率が廃業率を上回る状態にし、開業率・廃業率が米国・英国レベル(10%台)になることを目指す」というKPI(Key Performance Indicator )がある。その取り扱いが本年から変わった。

 本年版(「未来投資戦略2017」)はこれを本文中には明記せず、添付の中短期工程表に一文を載せているだけだ。この結果、昨年まで併記されてきたKPIの実績値も、本年版からは抜け落ちている(参考1参照)。

 開業率、廃業率は、企業の新陳代謝や経済の活性化の状況を示す指標として強調されてきた。なぜ取り扱いは変わったのか。

(参考1)政府の成長戦略:「中堅・中小企業・小規模事業者の革新」にかかるKPIの変遷

(参考1)政府の成長戦略:「中堅・中小企業・小規模事業者の革新」にかかるKPIの変遷

(出典)首相官邸ホームページの各年度成長戦略を基に、NTTデータ経営研究所が作成。


開業率が廃業率を上回る?

 筆者は以前、「開業率が廃業率を上回る状態にする」ことは難しいし、意義にも乏しいと書いた(2014年9月「なぜ「開業率が廃業率を上回る」(成長戦略)のは難しいのか」参照)。これはもっぱら算術的な理由による。

 もし成長戦略どおりに開業率が廃業率を上回るとすれば、日本全体の企業数は増えることになる。しかし、わが国の生産年齢人口は減少を続ける。したがって、一企業当たりの従業員数は減る――企業全体に占める中小企業の比率が高まる――計算となる。

 しかし、わが国はもともと中小企業比率の高い国だ。これ以上中小企業の比率を引き上げることに積極的な意味は見出し難いというのが、筆者の主張だった。

 あわせて、開業率・廃業率の原統計である「経済センサス」(総務省)は、2年ないし3年おきにしか実施されない。したがって、この指標はKPIとしては利用しにくいことも指摘した。

開業率・廃業率の実績値はどう記載されたか

 ところが、政府は2015年度、16年度の成長戦略に、毎年度の開業率、廃業率の実績値を掲載するようになった(前掲参考1参照)。それぞれ10%には届かないが、開業率が廃業率を上回り、あたかも目標の一部が達成されたかのようにみえる数値である。

 しかし、これはミスリーディングだ。成長戦略に掲げられたデータの原統計は、――「経済センサス」でなく、――「雇用保険事業年報」(厚生労働省)だからだ。

 よく知られているように、両統計の間には大きな差異がある。「経済センサス」では、90年代以降一貫して開業率は廃業率を下回るのに対し、「雇用保険事業年報」では、00年代前半を除き、ほぼ一貫して開業率は廃業率を上回る(参考2参照)。

 もともと成長戦略が視野に置いていたのは、「経済センサス」の方だっただろう。もし当初から「雇用保険事業年報」を参照していたとすれば、「開業率が廃業率を上回る状態」を目標にする必要はなかったはずだからだ。はじめから開業率は廃業率を上回っていたからだ。

(参考2)開業率・廃業率の推移(%)
―― 青のシャドウは開業率が廃業率を下回る年。

(参考2)開業率・廃業率の推移(%)

(参考2)開業率・廃業率の推移(%)

(注1)「経済センサス」等の原統計は、「事業所・企業統計調査」および「経済センサス-基礎調査または活動調査」。

(注2)「雇用保険事業年報」:有雇用事業所数による開廃業率。年度平均は、各年度の単純平均。適用事業所は、雇用保険に係る労働保険の保険関係が成立している事業所。

(出典)中小企業庁「中小企業白書2017」

広がる混乱

 にもかかわらず、政府はKPIの実績値に「雇用保険事業年報」を採用した。

 そのために、説明の混乱が広がる。その典型は、中小企業庁の「中小企業白書2017」(第1部第2章第1節「開廃業の現状」)だろう。

 白書は、「経済センサス」を基に、廃業数が開業数を大きく上回ることを説明した直後に、「雇用保険事業年報」を基に、開業率が廃業率を上回ることを説明するが、両者の不整合についての説明はない(注)。

(注)中小企業白書では、「経済センサス」は企業ベース、「雇用保険事業年報」は事業所ベースで分析を行っている。ただし、「経済センサス」には事業所ベースの統計もあり、その実績はやはり「雇用保険事業年報」とは大きく異なる(前掲参考2参照)。

何が難しいのか

 結局、企業の新陳代謝や経済の活性化を論じる際、「雇用保険事業年報」を用いるのは不適当ということだ。なぜか。

 「雇用保険事業年報」には、雇用保険に加入する事業所数だけでなく、被保険者数のデータもある。これによれば、事業所数と同様に、被保険者の数もほぼ一貫して増加している。

 すなわち、2006年度からの10年間、雇用保険の被保険者数は5.6百万人増加した(雇用者全体に占める比率は約7割)。一方、同期間(暦年)における就業者数は0.5百万人の増加にとどまる(厚生労働省「労働力調査」)。

 つまり、就業者数がほぼ横ばいにもかかわらず、雇用保険の被保険者は増え続けた計算となる。これを踏まえれば、この10年間に起こったことは、企業や事業所数の増加でなく、雇用保険の加入率が上がったとみなすのが自然だろう。

 ここからは推測になるが、行政による中小事業者への加入指導や雇用保険の制度改正(対象者の適用範囲拡充)が影響した可能性が高い。そうだとすれば、経済活力を示す指標に「雇用統計年報」を用いるのはミスリーディングだ。

 企業の新陳代謝を測るには、やはり「経済センサス」を利用する方が適当である。ただし、これも注意を要する。なぜならば、近年急増した相続税対策のための資産管理会社も統計に含んでしまうからだ。こうした資産管理会社は、経済的な実態を伴う起業とは言い難い。

誠実な説明を

 企業の新陳代謝は、日本経済にとって重要である。

 しかし、そのKPIとして、「雇用統計年報」を利用するのは不適切だ。したがって、今年度の成長戦略で開業率、廃業率の取り扱いをトーンダウンしたこと自体は、妥当といえよう。

 しかし、政府はこれまで開業率、廃業率の目標を繰り返し強調してきた。成長戦略に沿い財政支援も行ってきた。そうである以上、トーンダウンするにしても、その取り扱いは誠実な説明が必要だろう。

以 上

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