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経営研レポート

再び歩み始めたトロント・キーサイドの再開発について:データ利活用を前提としたスマートシティ計画に求められる開発スキームとは?

2021.03.11
情報戦略事業本部ビジネストランスフォーメーションユニット
コンサルタント 荏原 圭
マネージャー 松川 勇樹
(監修)同 アソシエイトパートナー 河本 敏夫
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はじめに

 近年、わが国では政府により「スーパーシティ構想」(内閣府)、「スマートシティ官民連携プラットフォーム」(国土交通省)、「データ利活用型スマートシティ推進事業」(総務省)など、スマートシティに関連する計画や事業が進められている。また、民間でもトヨタ自動車が2021年2月から「Woven City」(静岡県裾野市)の着工を開始するなど、構想から実装段階に進むケースが増えてきている。

 スマートシティの計画を策定する過程で、先進事例として海外のスマートシティを調査することが多い。その際、オランダ・アムステルダム、デンマーク・コペンハーゲン、スペイン・バルセロナそしてカナダ・トロントの事例がよく取り上げられる。こうした「先進的」な事例の良い点だけでなく、直面した課題やその課題をどう乗り越えたかについて光を当てることで、日本各地のスマートシティ計画に参考となる要素を抽出することができるのではないだろうか。

 そこで今回は、カナダ・トロントの事例である「Sidewalk Toronto」を対象とし「①どのような課題に直面したか」「②直面した課題にどう対処したのか」を整理した上で「③Sidewalk Torontoから何を学ぶことができるのか」について考察する。

本レポートのHIGHLIGHT

①どのような課題に直面したか

・パートナー企業と行政・地域の間で、プロジェクトで何を実現するのか、そしてどのように実現するのかという2点に関する許容度のズレ

②直面した課題にどう対処したのか

・パートナー企業が提案した条件を譲歩することで、許容度のズレを修正

③Sidewalk Torontoから何を学ぶことができるのか

・データ利活用を前提としたスマートシティ計画では、ビジョン策定を行う前に行政と地域がデータ利活用に関する価値の共通理解を醸成することが重要なのではないか

本レポートの目次

  1. Sidewalk Torontoについて:どのような計画だったのか
  2. 相次ぐ計画の延期、Sidewalk Labsの撤退:何が課題だったのか
  3. Sidewalk Labsの撤退後:何が変化したのか
  4. Sidewalk Labsの撤退から学べること:開発スキームについて
  5. 終わりに

本文

1.Sidewalk Torontoについて:どのような計画だったのか

 Sidewalk Torontoとは、カナダ・オンタリオ州の州都であるトロント市における再開発計画を指す。本計画では、トロント市におけるQuayside(キーサイド)と呼ばれる12エーカーほどの敷地の開発から着手し、将来的には800エーカーほどのPort Lands(ポートランド)に開発を展開していく予定であった※1

 2017年にこの再開発プロジェクトが始動し、2017年11月に再開発を担うパートナーとして、Googleを擁する米Alphabet傘下のSidewalk Labsが選定されたことから、Googleによるスマートシティプロジェクトとして知られている。

 Sidewalk Labsは、都市空間にイノベーションを融合させることで、市民のQOL(Quality of Life)を最大化すると同時に市の社会課題解決を目指している。具体的な取り組みとして、雇用創出・経済活性化、木材で作られた手ごろな価格の住宅提供、次世代型モビリティの提供などが挙げられる。そういった取り組みの中でも最も注目を浴びたのが、都市空間におけるデータを収集し、都市課題解決に利用する取り組みだろう。Sidewalk Labsは都市課題の解決のためには都市の状況を正確に把握することが重要と考え、人流データや環境データをリアルタイムで収集できる仕組みづくりに注力してきた。

2.相次ぐ計画の延期とSidewalk Labsの撤退:何が課題だったのか

 2020年5月にSidewalk Labsは「経済の不安定さが増したことにより、不動産市場の先行きが不透明になり、プロジェクトの収益性を維持することが困難である」という理由で、Sidewalk Torontoからの撤退を表明した※2。しかし、Sidewalk Labsの撤退以前から計画は何度も延期を強いられており、開発に着手できずにいた。では、いったい何が計画を進めるにあたっての課題となったのだろうか。本レポートでは「Sidewalk Labsが提案したい内容と、行政・地域が許容できる内容の間にギャップが生じていたこと」が課題であったと考察する。この具体的なギャップの内容はSidewalk Torontoのタイムラインを観察することで明らかになってくる。(図1参照)

図1:Sidewalk Torontoのタイムライン

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出所:Quayside Project Timelineを基にNTTデータ経営研究所作成

 Sidewalk Labsは2019年6月に、再開発のマスタープランとなるMaster Innovation and Development Plan(MIDP)(以下、「マスタープラン」と表記する)を発表した。だが、そこからわずか一週間後には、Waterfront Torontoによる声明でSidewalk Labsの提案内容に懸念点があることを表明した。具体的な懸念点は以下のとおりである。

図2:Waterfront Torontoから挙げられた懸念点

懸念点

具体的な内容

1.Sidewalk Labsが提案する開発範囲について

・Sidewalk Labsが提案する開発範囲は、当初RFPで示されていたキーサイドの12エーカーを大きく超える範囲が想定されている

・他地域に取り組みを展開する前に、キーサイド地区での取り組みが目標を達成できているかを評価する必要がある

2.計画のリードデベロッパーについてて

・Sidewalk Labsはキーサイドのリードデベロッパーになることを想定しているが、これは当初の開発計画(PDA)では明示されていない

・仮にマスタープランが実行に進む際にも、Waterfront Toronto主導での正規の調達プロセスを経てデベロッパーを選定する

3.Sidewalk Labsが行政に要求する内容について

・キーサイドの開発に先立ち公共交通機関の拡張や規制緩和を要求しているが、これらの要求はWaterfront Toronto単独で満たすことは出来ない

4.データ利活用の仕組みについて

・Sidewalk Labsは、データ収集、データ利用、デジタルガバナンスに関連した提案を行っているが、これらの提案が現行の法律を遵守しているか、またWaterfront Torontoのデジタルガバナンスの原則を遵守しているか精査する必要がある

出所:Open Letter from Waterfront Toronto Board Chair, Stephen Diamond regarding Quaysideを基にNTTデータ経営研究所作成

 Waterfront Torontoによる声明が発表された後には、パブリックコンサルテーションやDSAPによる審査を通じて、地域住民や専門家の意見が取りまとめられた。地域住民や専門家の懸念点と、それらの懸念点を踏まえた提案の修正点は図3のように整理できる。これらの修正点が発表され、Waterfront Torontoによるマスタープランの評価が始まったあとにもプロジェクトの継続可否の判断は2回延期された。そして、2回目に設定された判断期限を待たずにSidewalk Labsが撤退を表明し、Sidewalk Torontoは事実上の中断を余儀なくされた。

図3:マスタープランにおける懸念点と修正点

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出所:‟Overview of Realignment of MIDP Threshold Issues”を基にNTTデータ経営研究所作成

3.Sidewalk Labsの撤退後:何が変化したのか

 Sidewalk Labsが撤退を表明した後、Waterfront Torontoは再開発計画を「Quayside: Next-Generation Sustainable Community Project」と名付け、再び計画が歩みだした。2020年6月にはWaterfront Torontoの議長であるSteve Diamond氏が計画の変更点について、以下の様に述べている。(図4参照)

図4:再始動した開発計画の変更点について

1.構想の三本柱を新たに三本設定

・インクルーシブ:地元住民が住めないほど土地の価格が上昇している状況から、あらゆる年齢、民族、宗教の人が暮らせるまちへの転換を目指す

・レジリエント:環境、社会、経済的側面でのレジリエンス向上

・ダイナミック:活気あふれるまちづくり

2.ポストコロナの世界に適した構想づくりに変更

・「データ利活用重視」から脱却

・具体的には高齢者向けケアの充実:支援なしでの生活から、支援ありの生活、介護ありの生活が一つの場所で完結する住宅モデルを目指す

・手ごろな住宅価格の重視

出所:“Waterfront Toronto ditches Sidewalk Labs’ vision of high-tech, sensor-driven smart district at Quayside”を基にNTTデータ経営研究所作成

2020年10月には、上記の内容を含む再開発のゴールが改めて発表され、そこから1カ月ほどのオンラインサーベイやQ&Aセッションを通じて、住民の意見が集められた。(図5参照)

図5:各種イベントでの住民の関与度合い

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出所;Quayside Engagement Summary Reportより

 住民の意見は大きく分けて以下の8つに分類される

  1. コミュニティを計画の中心に据えること
  2. 「手ごろな価格の住宅」の定義を明確にし、最優先すること
  3. 以前の計画に含まれていた「サステナビリティ」と「イノベーション」の要素を踏襲すること
  4. 自然とのつながりを維持した街づくりを実現すること
  5. 計画策定において、先住民が関与できる機会を提供すること
  6. 「住みやすさ」と「ダイナミズム」のバランスを保つこと
  7. より影響力と意味のある参画機会を提供すること
  8. 歩行者にとって優しい公共交通機関網の整備

 上記の代表的な意見の中でも印象的なのが3,5,6,8である。3の意見では、「Sidewalk Labsの提案内容の中でもイノベーションとサステナビリティに関する取り組みは継続してほしい」と述べられているように、住民の中には今でもSidewalk Labsの提案を支持する意見が根強く残っていることが伺える。そして5,6,8の意見はまさにSidewalk Labsが具体的に提案していた内容であることからも、Sidewalk Labsの提案は一部で地域の反発を招きつつも、地域住民のニーズを汲み取れていたのではないだろうか。

 では、なぜ住民にとって魅力的な提案をできていたにも関わらず、最終的にSidewalk Labsの撤退という結末を迎えてしまったのだろうか。次項では、Sidewalk Labsの撤退から学べることについて考察を行う。

4.Sidewalk Labsの撤退から学べること:開発スキームについて

 図3で示したとおり、プロジェクトの進め方とデータ利活用の仕組みについて、地域・行政から懸念点が挙げられたことで、Sidewalk Labsはビジョンの再策定と計画の延期を迫られた。これらの懸念点がマスタープラン発表後に挙げられた原因についてSidewalk Torontoの開発スキームという観点から考察する。(図6参照)

図6:Sidewalk Torontoの開発スキーム

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出所:各種公開資料を基にNTTデータ経営研究所で作成

 原因の一つとして考えられるのが、初期段階で地域と行政間での合意が十分に形成されなかったことではないだろうか。図6のとおり、Sidewalk TorontoではWaterfront Torontoが初期の推進体制構築と地域の合意形成に積極的に関わっていた。だが、それらの合意形成はSidewalk Labs選定後に行われており、その後のビジョン策定についてもSidewalk Labsに一任される形となっていた。そもそも地域がSidewalk Labs選定以前からデータ利活用に対して否定的であった場合、いくらデータ利活用の価値を説明されても地域の意見がすぐに変わるとは考えにくいのではないだろうか。では、どうすればSidewalk Torontoで起きた問題を解決できるのだろうか。ここでは一つの解決策として、Sidewalk Torontoのようにデータ利活用を重視するスマートシティ計画が取り得る開発スキームを提案する。(図7参照)

図7:データ利活用を前提とするスマートシティ計画における開発スキーム案

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出所:NTTデータ経営研究所作成

 図7ではNTTデータ経営研究所で作成したモデルを図解している。このモデルでは、パートナー企業にビジョン策定を一任するのではなく、まず地域と行政が共同でビジョン策定やデータ利用の検討から始めることを提案する。そもそも地域がデータを一切活用したくないのか、どの程度であればデータ活用を許容するのか、という共通理解を初期の段階で築く必要があるのではないか。データ利活用はプライバシーにも関わるセンシティブな題材である。だからこそ、初期の段階で地域のデータ利活用に関する価値を理解してもらい、その価値に対してどれだけデータ利活用を許容できるか、という共通理解を行政とともに築くことが重要なのではないか。

 参考として、日本電信電話(株)が北海道札幌市と取り組んでいるスマートシティプロジェクトでも、図8の様にデータ活用検討・データ活用価値の共通理解というステップから取り組みを進めている。

図8:札幌市のスマートシティ化へのプロセス

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出所:スマートシティを実現するデジタルデータインフラ ~DATA-SMART CITY~SAPPORO等~より

 もちろん、図8で提案されているモデルが唯一の解というわけではなく、このモデルでも検討すべき論点は数多くある。地域と行政が共同でビジョン策定を行うためにはどのような体制で合意形成を行うべきなのか、合意形成はどのようなプロセスで行うべきなのか、「地域」とは住民全てを指すのか、「地域」の代表として意思決定を行う組織が必要なのか、など合意形成のステップだけでも検討すべき論点が数多く挙げられる。

5.終わりに:

 Waterfront Torontoは2020年11月のリリースでデータ利活用を中心とした構想からの脱却を掲げた一方で、新たな都市計画でデータ利活用に係る取り組みが実施される可能性については否定していない※3。2021年初頭には新たなRFPが公示され、夏ごろに新パートナーが選定される予定だ。再びGAFAを母体に持つプラットフォーマーがパートナーとして選定されるのか、もしくは大手デベロッパーが選定されるのかは現時点では予想できない。しかし、いずれにおいても地域の課題解決のためにどの程度までデータ利用を許容するのか、という問いはトロント市と地域住民が今後も向き合い続ける必要があるのではないか。

 わが国でもスマートシティの整備が各地で行われるなかで、データ利活用に関する議論は避けて通れない。データ利活用を前提とした計画策定を行うのではなく、そもそも地域がデータ利用の価値を理解し、どこまでデータ利用を許容できるのか、という問いは日本のスマートシティ計画においても重要な論点となる。今一度、住民・行政・企業が一体となってスマートシティ計画を推進するための戦略と推進体制を見直すべき時が来ているのではないだろうか。

出典

※1

https://waterfrontoronto.ca/nbe/portal/waterfront/Home/waterfronthome/projects/quayside

※2 2020年5月7日 “Why we’re no longer pursuing the Quayside project — and what’s next for Sidewalk Labs”

https://medium.com/sidewalk-talk/why-were-no-longer-pursuing-the-quayside-project-and-what-s-next-for-sidewalk-labs-9a61de3fee3a

※3 2020年11月26日 “Update on Waterfront Toronto's Quayside Project”

https://www.toronto.ca/legdocs/mmis/2020/ex/bgrd/backgroundfile-158871.pdf

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