1 背景
2016年のパリ協定の発効やSDGsの浸透、ESG投資の拡大などにより、世界の脱炭素化に向けた動きは加速している。日本も2020年10月に、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする「カーボンニュートラル(以下、CN)宣言」を発表し、2兆円の予算で脱炭素に向けた研究・開発を支援するグリーンイノベーション基金事業などを打ち出している。一方で、CNの実現には、再生可能エネルギーなどの導入だけでなく、短期的には削減できない部分をカーボンオフセットなどで対応していく必要がある。そのため、このたび国内外のカーボンオフセットの動向について調査し、今後のクレジット取引の方向性について検討を行った。
2 カーボンオフセットの現状
カーボンオフセットとは、日常生活・経済活動で排出されるCO2など温室効果ガスのうち、排出削減努力を行ってもなお排出されるものをオフセット(埋合せ、相殺)することであり、CO2など温室効果ガスの排出量から吸収量を差し引いた合計を実質的にゼロにするというCNの実現に向けた取り組みの一要素である。オフセット手段は、クレジット※1(排出権)の購入や、植林・森林保護などで温室効果ガス排出削減・吸収する活動などが挙げられる。
(1) 国内動向
国内のカーボンオフセットの取り組みは2000年代から行われている。2008年、環境省はカーボンオフセットの取り組みの情報収集/発信や、各種ガイドラインを策定したほか、先進的取り組みの支援などを行う「カーボンオフセットフォーラム(J-COF)」を設立した。2013年には環境省、経済産業省、農林水産省で国内クレジット制度とオフセット・クレジット(J-VER)制度を統合し、国内排出削減活動や森林経営による排出削減・吸収量を認証する「Jクレジット制度※2」を創設している。
2020年12月に経済産業省と関係省庁が連携して策定した「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」においては、主要政策ツールのひとつとして市場メカニズムを用いる経済的手法(カーボンプライシング※3など)が位置づけられており、その中にはオフセット手段としてクレジット取引なども含まれる。
2021年5月には、気候変動対策を先駆的に行う企業で構成される「カーボンニュートラル・トップリーグ(仮称)」の創設や同リーグ加盟企業間で削減量取引などを行う「カーボン・クレジット市場(仮称)」の設立などが発表され、カーボンオフセットやクレジットに関する新制度の検討が進んでいる。
(2) 海外動向
カーボンオフセットは、1997年の英国の植林NGO団体であったFuture Forests(現Carbon-Neutral Company)の取り組みから始まったと言われており、欧州や米国、豪州などでもその取り組みは盛んである。
欧州委員会は、2019年12月に発表した「欧州グリーン・ディール」の中で、2050年までのCN達成と合わせてCO2排出削減を価値付けし、「環境配慮と経済成長の両立(デカップリング)」を目指すとした※4。その中でカーボンプライシングに注目が集まり、EU内でもEU-ETS(排出量取引制度※5)や炭素国境調整プログラム※6といった施策が整備・検討されている。
また、2020年9月には民間主導のボランタリークレジット市場での取引拡大を目的としたタスクフォース「Taskforce on Scaling Voluntary Carbon Market※7(以下、TSVCM)」が設立された。TSVCMは、パリ協定で掲げた1.5℃目標を達成するために必要なCO2排出削減量は230億トンであり、その実現に向けては現在のボランタリークレジット市場の取引規模を15倍に拡大する必要があるとしている。
一方、近年ではカーボンオフセット自体の正当性に対する懸念やクレジット市場の品質に対する不安も出てきている。
TSVCMは、そうした懸念を払拭するために6つの取り組みを実施することを目指しており、また、クレジット創出分野では、確実にCO2排出量削減に寄与する自然をベースにしたプロジェクトや大気から直接CO2を回収するなど、技術革新に起因するプロジェクトを検証対象としている。(図1)
3 クレジット利用拡大に向けた新たな動き
(1) デジタル技術を活用したクレジット市場の信頼性の担保
今後、ボランタリークレジット市場も含めてクレジット市場全体が拡大することが想定される。一方で、見せかけの環境配慮である“Green washing”と非難されないように、方法論の正確性や二重カウントの防止などでクレジットの品質を担保していく必要がある。その際には、クレジット取引のプラットフォーム運営者と新規クレジットの創出者の双方において、IoTやブロックチェーンなどといったデジタル技術の活用が期待されている。
TSVCMは、本年1月に発表したレポート※9の中で、クレジット認証時間の短縮、方法論の正確性や二重カウントの防止による品質向上のためにブロックチェーンなどを活用したdigital project cycleを推奨しており、また、既に複数の組織がそうした動きを進めているとしている。世界の主要な認証基準の一つであるGold standardが発表したdigital project cycleのイメージを示す。(図2)
(2) デジタル技術を活用したプラットフォームの台頭
デジタル技術を活用したクレジット市場活性化の取り組みは、日本でも始まっている。
例えば、環境省は2020年7月に、IoTやブロックチェーンを活用したプラットフォーム「Jクレジットの取引市場・ezzmo(イツモ)」を最速で2022年度から運用開始を目指すと発表した。同プラットフォームでは、IoT機器を活用したモニタリングやブロックチェーンの特徴である改ざん耐性・信頼性、スマートコントラクト(決済や契約の自動履行)、さらには権限付与によるデータ共有を活用したJクレジットの認証手続きの簡素化や取引スピードの向上などを目指す。
(3) 新規クレジットの創出状況
また、近年では農業分野におけるデジタル技術を用いたクレジット創出の取り組みが注目されている。
世界の温室効果ガス排出量のうち、農業・林業・その他土地利用は全体の1/4(24%)を占め、電力と熱生産(25%)に次いで排出量が多い※10。そうした中、近年では不耕起栽培などによる農地の炭素貯留法が注目され、欧米を中心に農地の炭素貯留の議論が進展している。
米CIBO社は、2020年から農地のカーボンクレジットの計測・販売プラットフォーム「CIBO Impact」を展開している。これは、農家が当サービスのマップ上に農地を登録し、農地管理法やクレジット販売価格などを設定すると、農地のクレジットが自動で算出され、当サービス上でクレジットを販売できるものである。最大の特徴は、農地のクレジット化のためにこれまで求められた、詳細な農地情報入力などの手間を省きながら、農地のクレジットを正確に算出する仕組みであり、これを支えるのが多種多様かつ大量なデータの収集および処理・分析を可能にするデジタル技術である。同社の※11、農学博士、データサイエンティスト、エンジニアなどが、衛星画像などのリモートセンシングデータ、気象・天気予報・土壌図・区画記録などのオープンデータ、アルゴリズム・コンピュータービジョン※12、さらにはAIなどを駆使し、遠隔での農地クレジットの定量化・モニタリングを実現している。これには米国内の24の大学が研究パートナーとして協力し、アイオワ州立大、ミシガン州立大、フロリダ大は同システムへの賛同を著名するなど学術界の評価も高い。
他にも、農地クレジットを計測・販売する米Nori社や、衛星・ドローン・LiDER※13画像・機械学習を活用し樹木のサイズ・炭素貯留量を計測・クレジット販売する米Pachama社など、農林分野のクレジット創出は活発である。いずれも炭素量を正確・確実・遠隔に定量化/モニタリングすべく、多種多量なデジタルデータと高度なデジタル技術を活用している。今後こうしたデータや技術、はクレジットの品質が厳しく評価されてくる中で必須要件となってくるのではないだろうか。
4 まとめ
CNの実現に向け、カーボンオフセット、特にその手段の一つであるクレジット取引は、需要と供給の両面で活発化していくことが想定される。一方で、IoTやブロックチェーンなどのデジタル技術を活用して方法論の正確性や二重カウントの防止などでクレジットの品質を担保していくことが市場全体として求められており、DXの波が確実に押し寄せているといえるだろう。
クレジット取引市場の拡大が、デジタル技術の活用も含めて各事業者にとって自社の技術や事業を活用できる新たな事業機会の創出に繋がり、最終的に気候変動対策に寄与することに期待したい。