はじめに
研究開発(Research and Development、以下、「R&D」)は、企業の将来の競争力や成長を生み出すための重要な企業活動である。R&Dは、成果が得られるまでに長い期間を要し、事業化の成否にも不確実性が伴う。そのため、限られた経営資源をどの研究テーマに配分し、どのタイミングで投資を継続・中止するかを適切に判断することが重要である。
R&D投資は一般的に、ポートフォリオ・マネジメントなどにより、限られた経営資源をどのR&Dテーマに配分するかを決定し、Stage-Gate®法1などにより、事業化に向けた投資の継続・中止(Go/Kill)を判断する。しかし、AIの進化と普及、急速な外部環境の変化によって、その配分および継続の判断は従来以上に難しさを増している。
【図表1】R&D投資における重要な意思決定と代表的な手法

NTTデータ経営研究所が作成
例えば、民間企業における新薬候補の臨床試験の途中終了率を調査した論文では、2013年の11%から2023年の23%へ約2倍に上昇していることが報告されており、その主因として、競合する薬の動向や事業性評価の見直しなど戦略・事業上の理由が挙げられている2。これは、研究開始時点で有望と評価されたテーマであっても、事業を取り巻く外部環境の変化によって、その価値が急速に変化し得ることを示していると考えられる。
またR&D担当者等を対象にしたIRI(Innovation Research Interchange)によるR&D動向調査では、R&Dの成功や予算に影響する要因として、「短期的な成果を目指す研究開発と、将来の成長を見据えた研究開発のバランス」が最上位に挙げられたことが報告されている3。
そこで本稿では、最適なR&Dマネジメントの実現に向け、R&Dの投資対効果を可視化する手法として「リアル・オプション」に着目する。その適用可能性を改めて捉え直すとともに、R&D投資の意思決定に適用するための具体的な手法について考察する。
1 研究開発や新製品開発のプロセスを複数の段階(Stage)に区切り、各段階の終了時に評価・意思決定の関門(Gate)を設け、継続・中止・再検討等を判断するマネジメント手法
2 Bowling, H.,Cocucci, A.,Koo, D. C. E.,Harrison, R. K..「Analysis of phase II and phase III clinical trial terminations from 2013 to 2023」.『Nature Reviews Drug Discovery』,25(5),p.345–346,2026.
3 Stewart Mehlman and the Innovation Research Interchange.「2026 R&D Trends Forecast」.『Research-Technology Management』,69巻(1号),pp.12–23,2026.
1. R&D投資の「投資対効果」は可視化されているか
「リアル・オプション」とは、1977年にStewart C. Myers(MIT Sloan校名誉教授)によって示された考え方で、将来得られる情報や状況の変化に応じて、投資の実行・延期・中止などを柔軟に選択できることを「価値」として捉える投資評価手法である。
そのためリアル・オプションは、投資対象の不確実性が高く、投資のタイミングや規模を随時変更できる場合に有効であり4、これまでM&A、石油・ガス分野における探鉱・開発投資、電力分野における発電設備投資などで活用されてきた。
例えば石油・ガス分野における探鉱・開発投資は、原油価格などの市場面の不確実性に加え、地下に存在する資源の量や品質といった技術面の不確実性も高い。また、最初から本格的な開発投資を行うのではなく、まず試掘を行い、必要に応じて追加の掘削や3D地震探査などによって埋蔵量や品質に関する情報を取得した上で、本格的な開発に進むかの投資判断を行う。すなわち、不確実性が高く、かつ段階的な投資判断を行うことから、リアル・オプションが有効な評価手法として活用されてきた5。
一方、これまで限定的であったR&D分野におけるリアル・オプションの活用は、実現性・有効性の双方の観点から高まりつつあると考えられる。
リアル・オプション適用の実現性:データ基盤・分析環境の進展
実現性の観点としては、将来の事業価値やその変動性などを推定するためのデータが取得しやすくなっている点が挙げられる。これまで、R&D分野は一般に新規性が高く、個々の研究テーマについて十分な過去データを確保することは困難であった。しかし近年では、R&Dデータを蓄積・活用するための基盤整備に加え、AIを活用したデータ分析も進展している。
例えば英国科学・イノベーション・技術省(Department for Science, Innovation and Technology)の光学バイオロジー分野を対象とした調査では、調査対象としたR&D従事者のAI利用者の81%が「R&D業務におけるデータ分析にAIは役立つ」と回答し、調査対象としたR&D従事者全体の89%が「今後AIの利用を増やす」と回答したことが報告されている6。このことからも、R&Dにおけるデータの蓄積・活用に向けた環境整備は、今後さらに進展すると想定される。こうしたデータ基盤や分析環境の整備が進むことで、リアル・オプションの価値評価に必要なデータを収集・分析しやすくなり、R&D分野へのリアル・オプション適用の実現性は高まりつつあると考えられる。
リアル・オプション適用の有効性:段階的な投資判断との親和性
有効性の観点としては、各段階で新たに得られた情報を踏まえ、投資の継続・拡大・中止などの意思決定の柔軟性を価値として評価できる点が挙げられる。R&Dにおいては、Stage-Gate®法に代表される段階的な投資判断が広く定着しつつある。
例えば、日本企業を対象としたR&Dマネジメント調査では、調査対象企業の51.3%が、R&Dプロジェクトを複数のステージに分け、各ステージで中間評価を行い、その結果を踏まえてプロジェクトの中止・中断・継続やスケジュールの見直しなどを判断する「段階的プロジェクト管理」を実施していることが報告されている7。
このようにR&D分野では、段階的に投資を行い、各段階で新たに得られた情報を踏まえて、その後の投資判断を変更する意思決定構造がすでに定着しつつある。こうした段階的な意思決定を適切に行うためには、現時点で見込まれる事業価値だけでなく、将来得られる情報に応じて投資を継続・拡大・中止できる柔軟性についても、R&Dテーマの価値として適切に評価することが重要である。リアル・オプションは、このような段階的に意思決定できる柔軟性そのものを「価値」として捉え、R&Dテーマの評価に反映できる。したがって、リアル・オプションは、段階的な投資判断が定着しつつあるR&D分野との親和性が高いと考えられる。
4 Trigeorgis, L..『Real Options: Managerial Flexibility and Strategy in Resource Allocation』.The MIT Press,1996.
5 Dias, M. A. G..「Valuation of exploration and production assets: an overview of real options models」.『Journal of Petroleum Science and Engineering』,44(1–2),p.93–114,2004.
6 Department for Science, Innovation and Technology.「AI adoption by the Engineering Biology community: survey findings」.GOV.UK.https://www.gov.uk/government/publications/a-survey-into-the-use-of-ai-in-engineering-biology/ai-adoption-by-the-engineering-biology-community-survey-findings,(2026年10月27日閲覧)
7 羽田尚子,小野有人.「イノベーションに有効な組織マネジメント―プロジェクト管理方法・企業文化の観点から―」.『企業研究』,第39号,p.117–141,2021.
2. リアル・オプションに基づくR&Dマネジメントがもたらす価値
R&Dマネジメントは、R&Dテーマの価値評価と各R&Dテーマの集中・分散の明確化によって実現される。特にR&Dテーマの価値評価において、リアル・オプションを活用する意義は2つある。1つ目は不確実性を将来の事業機会・価値として評価できること、2つ目は情報の獲得に応じて価値を更新する動的な評価が実現できることである。
(1)不確実性を将来の事業機会・価値として評価する
従来の正味現在価値法(Net Present Value:以下、NPV法)では、現時点で予測できる将来キャッシュフローを基に投資価値を算定するため、不確実性の高いR&Dテーマは、価値が低く評価される場合がある。
一方、リアル・オプションでは、初期の研究投資を「将来必ず事業化するための投資」ではなく、「研究成果が良好であれば次の段階へ進むことのできる権利を確保するための投資」と捉える。したがって、研究が失敗した場合には追加投資を止めて損失を限定し、成功した場合には追加投資によって大きな事業機会を獲得できる可能性を価値として評価できる。
例えば、Schering-Plough社が開発していたNASONEX®(アレルギー性鼻炎薬)とASMANEX®(喘息薬)の投資価値は、従来のNPV法ではそれぞれ-15百万ドル、-60百万ドルと評価されていた。一方、リアル・オプションを用いて評価すると、ASMANEX®(喘息薬)への投資価値は+963百万ドルと算定された。比較的少額かつ短期間で開発できるNASONEX®(アレルギー性鼻炎薬)を先行して開発・上市し、そこで得られる臨床情報などを踏まえて、より大規模な開発投資を要するASMANEX®(喘息薬)への投資実行を判断するという柔軟性の価値を適切に反映できたためである。実際に同社は、NASONEX®(アレルギー性鼻炎薬)を先行上市し、ASMANEX®(喘息薬)への投資を延期した8。
このように、リアル・オプションでは、将来の投資機会をオプションとして残し、追加情報を得るまで投資判断を延期できる価値を評価できる。
(2)情報獲得に応じて価値を更新する動的な評価を実現する
R&Dでは、研究開始時点ですべての情報が明らかになっているわけではなく、調査や実験などを進めることで、技術的な実現可能性や必要な開発費、市場における価値などの情報が徐々に明らかになる。そのため、R&Dテーマの価値は開始時点で固定できるものではなく、研究の進展に応じて上昇することもあれば、低下することもある。リアル・オプションでは、こうした情報獲得を単なる研究進捗ではなく、将来の投資判断に必要な不確実性を解消するプロセスとして捉え、得られた情報に応じてテーマ価値を再評価することができる。
例えば、NASAのSBIRポートフォリオを対象とし、R&Dにおける投資継続・中止および資源配分の判断に、リアル・オプションを適用した研究がBelzらによって報告されている。Belzらによれば、初期時点で投資対象を固定するのではなく、前段階で得られた研究成果に関する情報に応じて、後段階の資金配分を柔軟に見直すことで、限られた予算の下でポートフォリオ全体の価値を高めることができる9。
このようにリアル・オプションは、不確実性の高いR&Dテーマの価値を適切に捉え、研究の進展に応じた柔軟な投資判断を可能にする手法として有効であると考えられる。
8 Favato, G.,Print, C. F..「Real Investment Options: A Case Illustration」.『SSRN Electronic Journal』,2008.
9 Belz, A.,Eckhause, J.,Terrile, R. J.,Zapatero, F..「A real options methodology for multi-stage project selection: an application to NASA’s SBIR program」.『Annals of Operations Research』,2025.
3. リアル・オプションによるR&Dの投資対効果の評価
リアル・オプションは、金融オプションの評価理論を、設備投資、新製品の開発、M&Aといった企業活動における投資意思決定に応用したものである。金融オプションと同様に考えると、リアル・オプション価値(ROV: Real Option Value)は、式(1)のように原資産価格 (S)、ボラティリティ (σ)、 行使価格 (K)、満期 (T)、 割引率 (r)の関数として表現できる。

また、金融オプションとR&Dの対応関係を明確にするため、R&Dを将来の事業化に向けた投資オプションと捉え、金融オプションの価値算出に必要な変数との対応を整理すると、図表2のようになる。
【図表2】金融オプションとR&Dの変数の対応関係

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式(1)は概念的なオプション価値の定義であり、実際にR&Dにリアル・オプションを適用するには、R&Dの特徴を踏まえて具体的な算出手法を決定する必要がある。R&Dには次のような特徴がある。
- 「研究→概念実証→開発→実証→事業化」のように、意思決定の機会が段階的に存在する
- 各段階で研究成果などの新たな情報が得られ、その結果に応じて継続・中止・延期・用途変更を選択できる
- 次段階への追加投資は、前段階の結果を確認し、継続を選択した場合にのみ発生する
- 市場環境によって事業価値が変動するだけでなく、技術的な成功・失敗のように、特定のイベントによって将来の選択肢そのものが変化する不確実性が存在する
これらの特徴から、R&Dのオプション価値を評価するには、単に将来の事業価値の変動を表現するだけではなく、「研究による情報獲得→状態の変化→経営判断→追加投資」という一連の意思決定構造を明示的に表現することが重要となる。
そこで本稿では、意思決定木(以下、「Decision Tree」)を用いてR&Dにおける技術的な成功・失敗、追加投資の実行・中止をそれぞれ分岐として表現し、最終的な事業化段階から現在へ向かって、各ステージのオプション価値を計算する。
実際のR&Dテーマへの適用手法を以下に整理する。R&Dのステージが全体でN個存在し、ステージi (i = 1,…,N)における各変数を次のように定義する。
S i:ステージiの時点における、将来事業価値
K i:ステージiを実施するための追加投資額
P i:ステージiの技術的成功確率
L i:ステージiの時点で、それまでの研究成果を売却・転用することで実現できる価値
C i:ステージiの時点における、リアル・オプション価値
T i:ステージiを実施する期間
ステージi では、追加投資K i を行って次のステージ(i+1)へ進む場合と、追加投資を行わず中止する場合を比較する。ステージi におけるオプション価値C i は、この2つのうち大きい方であり、式(2)で表される。また、最終ステージにおいては、式(3)のように、事業化するか、撤退するかの判断が行われる。


図表3は、各ステージにおけるオプション価値の算出イメージである。各ステージでは、投資を継続するか注視するかを判断する。継続を選択した場合の価値は、次ステージのオプション価値C i+1と失敗時の残存価値L i+1を技術的成功確率P iで加重し、リスクを割り引いて求める。
【図表3】各ステージにおけるオプション価値の算出イメージ

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この判断を最終段階から現在時点まで繰り返して得られるが、R&Dテーマのリアル・オプション価値である。これにより、R&Dを「不確実性を段階的に低減しながら、次の選択肢を生成するオプションの連鎖」として捉えることができる。
この考え方は、「研究→概念実証→開発→実証→事業化」といった大きなステージだけに限定されない。研究プロセスの内部にも、技術成立性、用途、市場性、製造可能性など複数の不確実性が存在する。個々の研究活動についても、これらの不確実性に関する情報を獲得し、継続投資、用途展開、共同開発、売却・ライセンス、撤退といった将来の選択肢を形成するための投資として位置づけることができる。これらのステージを投資意思決定に必要な粒度で設定し、新たな研究成果の獲得や市場・競争環境の変化に応じて継続的に更新することが重要となる。
以上のように、各R&Dテーマについて、R&Dが成功した場合に獲得できる将来事業価値、将来事業価値の不確実性、R&Dの成功確率、次のマイルストンまでに必要な追加投資額、投資意思決定までの期間、リスク調整後の割引率を設定し、将来の選択可能性を含むテーマの価値をROVとして評価する。
算定したROVを、図表1で示したR&Dテーマのバブルの大きさとして表現することで、自社のR&Dポートフォリオ全体における将来の事業機会の価値を可視化することが可能となる。
4. リアル・オプション型R&Dマネジメントの実装可能性・課題
3章では、R&Dを、不確実性の解消に応じて追加投資・拡大・撤退などを選択する「オプションの連鎖」として捉え、Decision Treeを用いてその価値を評価する考え方を示した。一方、これを実際のR&Dマネジメントへ適用するうえでは、(1)オプション価値の評価の妥当性、(2)R&Dの絶え間ない状況変化と複雑な意思決定のモデル化、(3)個別テーマの価値のポートフォリオ全体への拡張性、(4)組織への適合性・継続性、という大きく4つの課題が存在する。
(1)オプション価値の評価の妥当性
Decision Treeによる評価には、事業化した場合の潜在事業価値、各段階の成功確率、追加投資額などを設定する必要がある。しかし、初期段階のR&Dでは用途や市場が定まっていない場合も多く、将来の市場規模や収益性の推計は前提条件に大きく左右される。また、新規性の高い研究ほど類似案件が少なく、成功確率を客観的に推定することにも限界がある。
そのため、実務上は「正しい値」を1点で求めることよりも、テーマ間で評価の考え方を揃えることが重要となる。潜在事業価値については、市場規模、獲得可能性、収益性などの算定方法を共通化し、成功確率については、類似テーマの実績や専門家判断などを組み合わせて根拠を明示する。さらに、レンジや複数シナリオを用いて不確実性を残したまま評価し、研究の進展に応じて前提を更新する仕組みとすることで、推計の不確かさを前提にしつつも、テーマ間の比較に利用できる評価体系を構築できる。
(2)R&Dの絶え間ない状況変化と複雑な意思決定のモデル化
R&Dの実態は、単純な成功・失敗の分岐だけでは表現できない。研究結果に応じて追加研究を行う場合もあれば、用途を変更したり、開発を延期したりする場合もある。また、R&D投資によって情報を得るだけでなく、技術成熟や用途発見を通じて成功確率や潜在事業価値そのものが変化する。このため、実態を忠実に再現しようとすればDecision Treeは複雑化し、反対に単純化しすぎれば意思決定に必要な情報を失う。
ここで重要なのは、R&Dプロセス全体を精密に再現することではなく、資本配分に影響する不確実性と意思決定ポイントを捉えることである。Stage-Gate®法やPoC、開発審査などの既存の仕組みを基本的な意思決定ポイントとして活用し、追加投資額が大きく変わる局面や、技術・市場の主要な不確実性が解消される局面を優先してモデル化することが考えられる。また、初期評価では簡易なモデルを用い、投資規模や重要性の高いテーマのみ詳細化するなど、評価目的に応じてモデルの粒度を変えることも必要である。
(3)個別テーマの価値のポートフォリオ全体への拡張性
個別テーマについてROVを算出できても、その総和がそのままR&Dポートフォリオ全体の価値になるわけではない。複数テーマが同じ事業機会を狙う場合には価値の二重計上が生じる可能性があり、複数技術が組み合わさって初めて事業化できる場合には、個別評価だけでは補完関係から生じる価値を捉えにくい。さらに、複数の用途へ展開可能な基盤技術では、1つのテーマと1つの事業価値を対応させること自体が難しい。
したがって、ポートフォリオ評価では、すべてのR&Dテーマを独立した単位として扱うのではなく、「R&Dテーマ ― 技術 ― 将来事業機会」の関係を整理し、相互依存性に応じて評価単位を設計する必要がある。独立性の高いテーマは個別に評価する一方、代替・補完関係の強いテーマはテーマ群として捉える。その上で、個別ROVの単純合計ではなく、どの時間軸、不確実性、事業機会に価値が集中しているかを可視化し、資本配分の偏りや不足を議論することが、ポートフォリオ管理としての実用性につながる。
(4)組織への適合性・継続性
ROVは、潜在事業価値、成功確率、追加投資額などの複数の前提条件に依存するものの、導入にあたって、誰が評価値を算出し、誰がその評価値を用いて意思決定するのかという組織上の責任について、従来のR&Dマネジメントで定められた分担から大きく変更する必要はない。
算出プロセスでは、1つの部門がすべての前提を設定するのではなく、入力値ごとに責任主体を定めることが考えられる。技術的な成功可能性はR&D部門、潜在事業価値は事業部門、投資額や評価方法は事業・財務部門が検証し、ポートフォリオ管理を担う組織が評価基準の整合性を担保するといった役割分担である。重要なのは、算出されたROVだけでなく、誰がどの根拠に基づいて前提を設定したのかを追跡できる状態にすることである。
一方、ROVは意思決定そのものを代替するものではない。企業戦略との整合性や基盤技術としての重要性など、金銭価値だけでは捉えきれない要素も存在する。ROVは、各テーマの将来事業機会を共通尺度で示す意思決定支援情報と位置付け、最終的な継続・撤退や資本配分については、権限を持つ意思決定主体が他の評価軸も踏まえて判断する必要がある。すなわち、「評価値を作る責任」と「評価値を使って判断する責任」を定義しつつ、両者を経営プロセス上で接続することが重要となる。
以上の4つは、いずれもリアル・オプションを実務に導入する際に完全には避けられない課題である。したがって、理論的に完全な評価を目指すのではなく、実際の意思決定に必要な範囲まで評価体系を構築することが重要となる。そのためには、「推計ルールを共通化する」「重要な分岐を絞り込む」「相互依存するテーマを適切な単位に束ねる」「算出責任と意思決定責任を既存の経営プロセスに組み込む」という4点が重要である。
導入にあたっては、初めから精緻な評価体系を構築する必要はない。まずは一定数のテーマを対象に、将来事業機会との紐付け、Decision Treeによる段階的な投資判断の構造化、ROVの算出、ポートフォリオとしての可視化までを試行する。その結果を踏まえて、潜在事業価値や成功確率などの推計方法、評価単位、算出・意思決定の責任分担を標準化し、対象テーマを段階的に拡大する。最終的には、経営戦略、予算配分プロセスなどのR&D以外のビジネスプロセスとの調和を図りつつ本手法を全社的に展開し、研究の進展に応じてROVと資本配分を継続的に見直す仕組みとして定着させる。
おわりに
R&D投資は不確実性が高く、研究の進展や外部環境の変化に応じて、テーマの価値はダイナミックに変化する。そのため、テーマ開始時点ですべての情報を把握し、投資対効果を正確に見積もって意思決定を行うことは非常に困難である。
本稿で取り上げたリアル・オプションは、こうした将来の選択可能性を含めてR&Dテーマの価値を評価するための手法である。これにより、不確実性を単なるリスクとして捉えるのではなく、将来の事業機会につながる可能性を含めて評価し、R&D投資の意思決定に生かすことができる。
一方、実務への適用にあたっては、精緻な価値算定そのものを目的とするのではなく、評価の前提や考え方を共通化し、実際の意思決定に活用できる仕組みとすることが重要である。リアル・オプションを一度限りの価値算定ではなく、R&Dテーマの評価、ポートフォリオの可視化、資本配分の見直しを循環させるマネジメントの中に組み込むことが、R&D投資の意思決定の高度化につながると考えられる。
