はじめに
洗濯の際、洗剤を量る。立ったまま床を掃除する。いずれも、日常のごく当たり前の動作である。しかし、その当たり前の動作の中にも、企業が十分に認識してこなかった「使いづらさ」が存在する。
これに対し、花王株式会社はキャップで洗剤を計量してから洗濯機に投入する従来の容器の使いづらさに着目し、障がいのあるユーザーなどの声を聞きながら、ワンプッシュで5mlの洗剤が出て、計量と投入が片手でできる容器を開発した(写真1)。
開発の過程においては、視覚障害のあるユーザーが洗剤を使用する際、キャップに指を入れて液面の高さを測っていることや、「小さな目盛りが見づらい」「洗剤がこぼれやすい」「キャップで計量すること自体にストレスを感じる」といった困りごとを把握し、そうした不便を解決するため容器の検討と試作を重ねた1。
【写真1】片手で定量投入できる花王株式会社の洗剤容器

【画像出典】
経済産業省 九州経済産業局『Inclusive Design Report 経営戦略としてのインクルーシブデザイン ― よい会社、強いビジネスへ ―』(2025年2月)
この容器は、障がいのある人などの困りごとを起点にしながら、特定のユーザーに限らず、多くの生活者にとって使いやすい商品を開発した例である。
同様の手法を用いて開発されたのが、コクヨ株式会社のフローリングワイパーである。開発過程で実施した、手や足に障がいのある人へのヒアリングでは、従来の製品について「手の力を入れにくい」「力を入れようとすると、前かがみになって腰に負担がかかる」などの意見があった。こうした声を受け、握りやすく力が伝わりやすいグリップ形状、力が逃げにくい太めの柄、身体を起こしたまま床をふける長さなどを設計・開発した2。
【写真2】軽い力で、身体を起こしたまま掃除しやすいコクヨ株式会社のフローリングワイパー

【画像出典】
コクヨ株式会社Webサイト「文具のコクヨが本気で消しやすさにこだわった軽い力でスルッと落とせるフローリングワイパー<KOKUYO HibiFull>」
カウネット「コクヨ ヒビフル 文具のコクヨが本気で消しやすさにこだわった軽い力でスルッと落とせるフローリングワイパー」
※コクヨ株式会社の許諾を得て掲載
立ったまま床を掃除するという行為について、力の入れにくさ、腰への負担といった、見過ごされてきた不便を発見することは、特定の人だけではなく、職場や家庭で掃除をする多くの人にとっての使いやすさにもつながる。
上記の例のように、従来の製品・サービス開発において主な対象とされてこなかったユーザー(障がいのある人、高齢者、外国人など)の困りごとやニーズを起点に、当事者とともに製品・サービスの開発や業務プロセスを改善に取り組みことで、イノベーションを生む手法がインクルーシブデザインである3。
本稿では、インクルーシブデザインを「社会的少数者への配慮にとどまらない、イノベーションを生むためのアプローチ」として捉える。従来想定されていなかったユーザーの視点が、企業の見落としていた問題をどのように明らかにし、「プロダクト・イノベーション」や「ビジネスプロセス・イノベーション」につながるのかを解説する。これにより、インクルーシブデザインを、製品開発・改良や現場改革にどう活かせるのか考える手がかりを提示したい。
1 経済産業省 九州経済産業局『Inclusive Design Report 経営戦略としてのインクルーシブデザイン ― よい会社、強いビジネスへ ―』(2025年2月、閲覧日:2026年7月8日)
2 コクヨ株式会社「独自開発のグリップとヘッドでスルッと落とす!職場の床掃除をラクにするフローリングワイパー」(閲覧日:2026年7月8日)
3 経済産業省 九州経済産業局『企業価値を高めるインクルーシブデザイン 共創が紡ぐイノベーション Inclusive Design Report』(2026年2月、閲覧日:2026年7月8日)
1. インクルーシブデザインとは何か
インクルーシブデザインの目的は、障がいのある人や高齢者などへの配慮や福祉的対応にとどまらない。この点で、インクルーシブデザインはユニバーサルデザインと異なる特徴がある。
ユニバーサルデザインが、可能な限り多くの人が利用できる製品・環境を目指すデザイン哲学であるのに対し、インクルーシブデザインは、従来メインユーザーとされてこなかった人々とともに考えることで、標準的なユーザー像では捉えきれなかった問題を発見し、多くの人にとっての新たな価値、すなわちイノベーションを生み出すことを目的としている3。
【図表1】インクルーシブデザインの特徴

出典を基にNTTデータ経営研究所が作成
【出典】
経済産業省 九州経済産業局『企業価値を高めるインクルーシブデザイン 共創が紡ぐイノベーション Inclusive Design Report』(2026年2月)
2. 見落とされた問題は、なぜイノベーションにつながるのか ― ドラッカーの「ギャップ」と「新しい問題 × 既存の解決方法」
イノベーションという言葉から、新しい技術や画期的な発明を想起する人も多いかもしれない。AI、ロボティクス、バイオテクノロジーなど、技術革新を起点としたイノベーションは、確かに企業や社会に大きな変化をもたらす。
しかし、イノベーションは必ずしも「新技術」からだけ生まれるわけではない。既存の技術や仕組みを、これまで見落とされていた困りごとの解決に活かすことでも、新しい価値は生まれ得る。
経営学者のピーター・F・ドラッカーは、イノベーションが生まれるきっかけの一つとして「ギャップ」を挙げている。ここでいうギャップとは、例えば、市場は拡大しているのに利益率は低下している、業界で前提とされている見方と実際のユーザーや市場の動きが合っていない、企業が提供している価値と実際のユーザーが求めている価値がずれている、業務が一定の流れで進むはずであるにも関わらず、一部の手順で負担や滞りが生じている、といった状況を指す4。
本稿で注目するのは、インクルーシブデザインが、こうしたギャップを発見する方法として有効だという点である。例えば、製品・サービスであれば、企業が提供している価値と、実際のユーザーが求めている価値とのギャップがある。業務プロセスであれば、業務が想定どおりに進むことを前提にしていても、実際には働きづらさや負担を感じる従業員がいる。インクルーシブデザインでは、従来、主な対象とされてこなかった人々の具体的な経験に目を向けることで、こうしたギャップを捉えやすくなるのだ。
花王株式会社の洗剤容器の開発過程で発見されたのは、従来の容器では、キャップで計量してから洗剤を投入する使い方が前提とされていた一方で、その動作に負担を感じるユーザーがいたというギャップである。
コクヨ株式会社のフローリングワイパーについても、同様のギャップが見られる。従来の製品では、柄を握り、力をかけ、動かすという一連の身体動作に負担を感じるユーザーがいた。
ここで重要なのは、これらが社会に新しく発生した問題ではないという点である。以前から存在していたにもかかわらず、企業が十分に認識してこなかった問題である。
このような問題は、独立研究者・著作家の山口周氏の整理を借りれば、「新しい問題」として捉えることができる。山口氏は、イノベーションを「問題」と「解決方法」の新旧の組み合わせとして整理し、A「新しい問題 × 新しい解決方法」、B「新しい問題 × 既存の解決方法」、C「既存の問題 × 新しい解決方法」という3つの類型を示している(図表2)5。
【図表2】イノベーションの類型

図表2内の「A」は、新しく認識された問題に対して、新しい技術や方法で応えるイノベーションである。例えば、電話や検索エンジンなどの発明がこの領域に当たる。いずれも、それまで市場が存在していなかった領域に、技術的可能性が見出され、結果として「遠くの人と話す」「世界中の情報を整理し、アクセスできるようにする」という巨大な市場を生み出した。
次に「C」は、既存の問題に対して新しい解決方法を提供することで生み出されるイノベーションである。例えば、東海道新幹線(高速鉄道技術)、Tesla社の電動自動車、内視鏡などがこの領域に含まれる。このタイプのイノベーションでは、解決すべき問題は以前から明確になっている。具体的には、「自家用車で移動する」「東京-大阪間をできるだけ速やかに移動する」「身体の内部を確認する」といったアジェンダはずっと前から存在していた。したがって、この領域のイノベーションの課題は、新たな解決技術や方法を生み出すことにある。
一方、本稿で取り上げるインクルーシブデザインの事例は、「B」の「新しい問題 × 既存の解決方法」として整理できる。ここでいう「新しい問題」とは、社会に新しく発生した問題だけでなく、企業がこれまで十分に問題として認識してこなかった困りごとやニーズも指す。また、「既存の解決方法」とは、すでにある技術や仕組みなどを指す。
このタイプのイノベーションで難しいのは、これまで見えていなかった問題に気づくことである。山口氏によれば、組織は長年の成功体験や業界の常識によって、特定のものの見方に縛られやすい。例えば、「音楽は室内で聴くもの」「小売店は昼間に営業するもの」といった前提があると、「外出先でも音楽を聴く」「夜間に必要なものを購入する」といった新しい問題設定は生まれにくい。つまり、重要なのは、既存の技術や仕組みをどう活用するかだけではなく、そもそも何を解くべき問題として捉えるかである。
インクルーシブデザインでは、従来、メインターゲットや平均的なユーザーとして想定されてこなかった人々の視点が、この「新しい問題」を発見する手がかりとなる。障がいのある人などが抱える具体的な困りごとは、企業がこれまで十分に認識してこなかった使いづらさなどを浮かび上がらせる。そして、既存の技術や設計・開発の知見を、そうした困りごとの解決に活かすことで、新しい価値を生み出すことができる。インクルーシブデザインにおける価値創造の流れは、次のように整理できる(図表3)。
【図表3】インクルーシブデザインの価値創造ステップ

NTTデータ経営研究所が作成
重要なのは、ある人の困りごとを、その人だけの特殊な課題として捉えないことである。その困りごとを丁寧に掘り下げることで、多くの人にも関わる、これまで十分に認識されてこなかった「新しい問題」が見えてくる。
4 ピーター・F・ドラッカー『イノベーションと企業家精神』上田惇生訳、ダイヤモンド社、2007年。原著:Peter F. Drucker, Innovation and Entrepreneurship: Practice and Principles, Harper & Row, 1985
5 山口 周note「イノベーションの類型とKSF」(2026年3月17日、閲覧日:2026年7月8日)
3. インクルーシブデザインが生む2つのイノベーション ー 「プロダクト・イノベーション」と「ビジネスプロセス・イノベーション」
ここまで、インクルーシブデザインが従来想定されていなかったユーザーの困りごとを通じて、製品・サービスが前提としてきた使い方と実際のユーザー体験とのギャップを発見し、プロダクトの価値へ転換する方法として有効であることを見てきた。
そして、インクルーシブデザインが生み出す成果は、製品やサービスの改善に限らない。従来想定されてこなかった人々の困りごとを起点にすることで、業務プロセスや働き方の見直しにもつながり得る。
OECDと欧州委員会統計庁が策定した、イノベーションに関する国際標準指針である「オスロ・マニュアル2018」では、ビジネス・イノベーションを「プロダクト・イノベーション」と「ビジネスプロセス・イノベーション」の2類型に整理している。前者は新しい、または大幅に改善された製品・サービスであり、後者は企業の機能についての新しい、または大幅に改善されたビジネスプロセスである6。
この整理に基づけば、花王株式会社の洗剤容器やコクヨ株式会社のフローリングワイパーは、特定の人の困りごとを起点に製品価値を高めた「プロダクト・イノベーション」として捉えられる。
一方、「ビジネスプロセス・イノベーション」の例として位置づけられるのが、株式会社グローバル・クリーンの取り組みである。同社は、宮崎県日向市に本社を置く、清掃を中心としたビルメンテナンスやコンサルティングを行う企業である。地方経済が衰退する中、特に人手不足が深刻な清掃業において、障がいのある人や高齢者、子育て中の女性などを積極的に雇用し、多様な人材が働きやすい現場づくりを進めてきた。
具体的には、業務マニュアルは画像を用いて視覚的に分かりやすくし、スマホでいつでも確認できるようにした。また、身体に障がいがあっても力をかけずに使える清掃用具を導入し、障がいの有無にかかわらず疲れにくい作業環境を整えた。さらに、全従業員を巻き込んだ経営指針書の作成、職務に必要な能力要件に沿った目標の擦り合わせ、日誌を通じた学び・学び直しの共有、正社員登用に向けた研修プログラムなどにも取り組んでいる。
このように、一人ひとりが能力を発揮しやすいように、業務プロセスや仕組み、職場環境を改善し続けた結果、同社は人材の獲得・定着と生産性の向上を実現した。こうした取り組みを開始した2013年から2025年までの間に、売上高は約2.3倍、従業員数は約3.4倍に増加している7。
この事例は、インクルーシブデザインが、多様な人材の働きづらさを起点にビジネスプロセスを改善し、現場の力を引き出すことで、人材確保・定着、生産性向上、業績拡大へとつながる経営アプローチになり得ることを示している。
【写真3】画像を用い、スマートフォンでいつでも確認できる株式会社グローバル・クリーンの業務マニュアル

【画像出典】
経済産業省 九州経済産業局『企業価値を高めるインクルーシブデザイン 共創が紡ぐイノベーション Inclusive Design Report』2026年2月
【写真4】株式会社グローバル・クリーンでは身体に障がいのある人も、力をかけずに使える清掃用具を導入

【画像出典】
経済産業省 九州経済産業局『企業価値を高めるインクルーシブデザイン 共創が紡ぐイノベーション Inclusive Design Report』2026年2月
【図表4】「プロダクト・イノベーション」と「ビジネスプロセス・イノベーション」

NTTデータ経営研究所が作成
6 OECD/Eurostat, “Oslo Manual 2018: Guidelines for Collecting, Reporting and Using Data on Innovation”, 4th Edition, OECD Publishing, 2018.(閲覧日:2026年7月8日)
7 厚生労働省「株式会社グローバル・クリーン|一人ひとりに寄り添った人材開発で、多様な従業員が自分らしく活躍できる会社に」(2023年10月27日、閲覧日:2026年7月8日)
経済産業省 九州経済産業局『企業価値を高めるインクルーシブデザイン 共創が紡ぐイノベーション Inclusive Design Report』(2026年2月、閲覧日:2026年7月8日)
おわりに
本稿では、インクルーシブデザインを、企業が見落としていた問題を発見し、イノベーションを生み出すアプローチとして整理した。
今後の日本社会において、企業を中心にインクルーシブデザインに取り組む意義や効果はさらに大きくなると考えられる。高齢化が進む中で、視力や聴力、筋力の低下を抱えながら生活し、働く人は増えていく。認知症や軽度認知障がいの人も、今後大きな人口規模になると見込まれている8。また障がいのある人は、すでに国民の一定割合を占めている。そのため、障がいの有無を明確に分けるよりも、むしろ誰もが人生のどこかで何らかの制約を経験し得ると捉える方が現実に近い9。
プロダクト・イノベーションの観点では、花王株式会社やコクヨ株式会社の事例が示すように、障がいのある人の困りごとは、特定の人だけにある固有の問題ではない。洗剤を量りづらい、掃除の際に力を入れにくい、前かがみの姿勢が負担になるといった不便は、加齢、けが、妊娠、育児、疲労などによって、多くの人が一時的または継続的に経験し得ることでもある。
ビジネスプロセス・イノベーションの観点でも、インクルーシブデザインの視点は重要である。2040年には、大きな労働供給不足が生じるとの推計もある。物流、建設、介護、医療、清掃、小売、飲食など、生活を支える多くの現場で人材確保が大きな課題となる10。
こうした環境では、若く、健康で、長時間働ける人だけを前提にした業務設計は成り立たない。高齢者、障がいのある人、子育てや介護を担う人、短時間勤務の人、経験の浅い人など、多様な人材が能力を発揮できるように、業務手順、道具、マニュアル、教育、勤務形態、コミュニケーションのあり方を見直すことが求められる。
この際、インクルーシブデザインは社会的少数者への単なる配慮の方法ではなく、現場を持続可能にするための経営手法となる。働きづらさを感じている人とともに業務を見直すことで、どの作業でつまずくのか、どの説明が分かりにくいのか、どの道具が負担になっているのか、どの働き方が能力発揮を妨げているのかが、具体的に見えてくる。その発見は、特定の人だけでなく、すべての従業員にとって働きやすい業務プロセスの改善につながり得る。
高齢化、人手不足、障がいなどは、ともすれば企業にとって「対応すべき負担」として捉えられがちである。しかし、インクルーシブデザインは、それらを単なる制約としてではなく、新しい価値創造の起点として捉え直す考え方である。多様な人々への配慮が不可欠になる社会において、その配慮を単なるコストではなく、製品・サービスや業務プロセスを進化させる機会へ転換できることに、インクルーシブデザインの意義がある。本稿が、企業におけるイノベーションの創造や、誰もが使いやすい製品・サービス、能力を発揮しやすい業務プロセスのあり方を考える一助となれば幸いである。
8 内閣府『令和7年版高齢社会白書』(2025年)。65歳以上人口および高齢化率について参照。また、認知症および軽度認知障害の将来推計については、厚生労働省「認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計」を参照(閲覧日:2026年7月8日)。
9 内閣府『令和6年版障害者白書』(2024年)。「障がいのある人の人数および人口に占める割合について」を参照(閲覧日:2026年7月8日)。
10 リクルートワークス研究所『未来予測2040 労働供給制約社会がやってくる』(2023年3月28日)。「2040年の労働供給不足に関する推計について」を参照(閲覧日:2026年7月8日)。
