病院経営者や医療従事者を取り巻く環境
~なぜ今、病院での経営変革が必要なのか~
日本は医療需要が中長期的に拡大する可能性が高い人口構造にある。厚生労働省の将来推計では、2040年に65歳以上人口が総人口の約35%に達すると見込まれている1。また、国立社会保障・人口問題研究所 による「日本の将来推計人口(令和5年推計)」でも、2065年の高齢化率は約38%に達するとされる2。
高齢者は受療率が高く、慢性疾患や複数疾患を抱える割合も大きいことから、高齢化の進展は医療利用の増加に直結する。実際、厚生労働省の国民医療費統計によれば、国民医療費は2022年度の46兆6,967億円から1年後の2023年度には48兆915億円へ増加しており、医療需要は拡大基調にある3。
しかしながら供給側である病院関係者からすると、「経営環境は悪くない」などとは口が裂けても言えない状況である。医療需要の拡大は患者数の増加を通じて収益機会の増大につながりうるが、それが直ちに経営改善を意味するわけではないからである。病院は外部環境として人材と収益の両面で制約を受けており、加えて内部の業務構造にも非効率が蓄積している。その結果、「需要が拡大しても供給力を同様に拡大することが難しい」という本質的な課題に直面しているのである。
人材面では、病院の医療提供体制を支える人手が不足している。医師については2024年度から時間外労働の上限規制(原則960時間)が導入され、従来の長時間労働による供給力の担保は制度的に困難となった。看護職員についても、厚生労働省の需給推計では2025年における需要188万~202万人に対し、供給は175万~182万人と不足が見込まれている4。日本看護協会の調査では正規雇用看護職員の離職率は11.3%に達しており、人材流出も続いている。医療現場のサポート役であるコメディカルや医事・管理部門を含む病院スタッフ全体で採用難が常態化しており、医療需要の拡大に対して単純な増員による対応は現実的ではないことが明白である。
収益面でも経営環境は厳しい。厚生労働省は中央社会保険医療協議会総会において、医療法人立病院の2023年度の医業利益率が平均▲0.7%となり、赤字の病院が半数を超えるとの分析結果を報告している5。需要増による収益拡大が見込まれる一方で、人件費や物価、エネルギーコストの上昇が続き、収益の伸びは費用増に吸収されやすい。実際、総務省の消費者物価指数は上昇基調にあり、医療材料費や光熱費の負担も増している。固定費の増加により投資余力は限定され、経営環境は一層厳しさを増しているといえるだろう。
さらに業務構造も供給力の向上を制約している。受付・算定・請求、書類管理、各種報告、物品管理などの間接業務が肥大化し、医療職・事務職を問わず多くのスタッフが本来注力すべき診療やケア以外の業務に時間を割いている。各種手続きの紙運用や手作業、部門ごとに分断された旧態依然の非効率な業務フローも依然として残っており、転記や確認といった非付加価値業務が発生しやすい。結果として供給力は十分に向上せず、限られた人材で医療需要の拡大に対応することが難しい構造が常態化している。
このように病院は、制度・市場環境による人材と収益の制約を外部から受けると同時に、内部の業務構造の非効率が供給力向上の足かせとなっている。そして、これら3つの課題は独立して存在するのではなく、相互に連鎖している。人材不足のなかで労働時間規制が強化されれば一人あたりの業務量は増大し、業務構造の非効率がより顕在化する。非効率な業務に追われる現場では疲弊が進み、離職率の上昇を通じて人材不足がさらに深刻化する。収益面の制約は業務効率化への投資余力を奪い、非効率な構造の改善を遅らせる。こうした負の連鎖を断ち切るには、部分的な改善のみでは限界があり、3つの課題を一体的に捉えた構造的な経営変革が強く求められている。
1 厚生労働省ホームページ「我が国の人口について」より(2026年3月13日確認)
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21481.html
2 国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(令和5年推計)結果概要」より
https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp2023_gaiyou.pdf
3 厚生労働省「医療法等を一部改正する法律の成立について(報告)」より
https://www.mhlw.go.jp/content/10801000/001606327.pdf
4 厚生労働省「医療従事者の需給に関する検討会 看護職員需給分科会 中間とりまとめ(概要)」より
https://www.mhlw.go.jp/content/10805000/000567573.pdf
5 厚生労働省「医療機関等を取り巻く状況について」より
病院経営者が検討するべき戦略的なアプローチ
~病院DXがなぜ必要なのか~
医療需要は拡大する一方で、人材や収益を同じペースで増やすことは現実的ではない。したがって、従来のように人材や設備を積み増して量的拡大を目指す経営ではなく、既存資源を前提に供給能力を最大化する経営への転換が病院には必要である。しかし現状では、業務負荷の増大や情報の分断により生産的な業務に対して人材を十分に活用できていないのが実態である。医療者は足元の重複作業や確認業務に日々忙殺され、供給力が伸び悩むだけでなく、医療安全や質の確保にも影響が及んでいる。このような実態の下では、個別の業務改善や部分最適だけでは十分な効果を期待することはできない。
病院経営者が今考えるべきは、業務と情報の流れを組織横断で再設計し、供給力と医療の質を同時に高める変革である。その最終的な目的は、業務効率の向上それ自体ではなく、病院として提供する医療サービスの質や患者体験といった提供価値を持続的に高めることにある。
一方で、人材や資金といった経営資源を大幅に追加投入することが難しいことから、変革を生むためには、既存資源の活用方法を見直し、診療やケアといった本来価値を生む活動に対して、より多くの時間と注意を向けられる余力を組織として生み出すことが不可欠となる。こうした取り組みは現場の工夫だけではなく、経営レベルで全体最適を目指しながら推進する必要がある。
デジタルトランスフォーメーション(以下、DX)は、こうした提供価値の向上を支える基盤として、組織に余力を生み出すための戦略的アプローチである。デジタル技術を活用して業務プロセスや情報基盤を再構築することで、限られた人材と資源の下でも、医療者が本来注力すべき診療やケアに集中できる環境を整えることが可能となる。
言い換えれば、DXに取り組まない場合、業務の負荷や非効率は解消されないまま医療需要のみが増大し、医療の質や患者体験の維持が難しくなることで、結果として病院の存続そのものが危うくなる可能性が高い。
病院におけるDXは、単なる効率化やコスト削減を目的とする施策ではない。病院としての提供価値を将来にわたり高め続けるために、その前提条件となる余力を生み出す経営戦略として位置付ける必要がある。
病院DXを推進する上での留意点
~思っていたような成果を上げられない病院DXの特徴~
病院DXは、前章で述べた人材・収益・業務構造の制約下において、医療提供体制を持続させるための有効な戦略となり得る。一方で、デジタル技術を導入したものの、現場で十分に活用されず、結果として期待した成果を上げられていない病院も少なくない。こうした事例では、「ツールは導入したが業務効率は変わらなかった」「かえって業務が複雑化した」「現場の混乱を招いた」といった結果に至るケースが見受けられる。
こういった事例で注目すべきは、単に導入ツールの選定失敗や現場の抵抗によって成果を上げられなかった訳ではないという点である。多くの場合、DXの目的や進め方に関する前提が曖昧なまま取り組みが進められた結果、経営層と現場どちらにとっても中途半端な成果しか得られないという状況に陥っている。
経営層は、限られた人材・資源の中で医療提供体制を維持し、供給能力や経営の安定性を確保することをDXに期待する。一方で現場の医療従事者は、重複作業の削減、記録や情報共有のしやすさといった、日々の業務負荷軽減に直結する改善をDXに求めることが多い。しかし、課題解決の先にある成果に期待する経営層と目の前の課題解決をしたい現場との時間軸のギャップを理解せず、「どのような優先順位でいつまでに成果を期待するのか」「成果はどのような指標で確認するのか」「どこまでをデジタルに置き換え、どこは従来どおりとするのか」といった前提が整理されないまま導入が進むと、DXは誰にとっても成果を実感できない取り組みとなりやすいのである。
なお、DX導入初期には新しい運用への移行や試行錯誤が避けられず、短期的には現場の負担が一時的に増加することもある。この移行期の負荷をどう受け止め、どの体制で支えるのかという認識が揃っていない場合、DXは定着する前に停滞してしまう。
このような背景を踏まえ、また当社のこれまでの病院DX支援の経験から、病院DXが期待した成果を上げられない場合に共通して見られる主な原因は3つあると考えている。
原因1:デジタル技術に対する期待を現場と経営層ですり合わせられていない
DXの検討段階では、ベンダーから提示される導入効果や他院の成功事例が強調されることが多く、デジタル技術によって幅広い課題が一挙に解決できるかのような期待感が醸成されやすい。しかし、デジタル技術はあくまで業務や情報の扱い方を変えるための手段であり、全ての職員の課題を一挙に解決するものではない。
例えば、看護師による記録業務のデジタル化という同一の取り組みで考えてみよう。現場職員は入力負担の軽減や確認作業の削減といった日々の業務改善を期待する一方、経営層は残業時間の削減や人件費抑制・離職率低下といった経営指標への影響を期待する傾向がある。しかし、現場が実感する短期的な業務改善が、直ちに経営成果として可視化されるとは限らず、両者の期待する成果の現れ方には時間差が生じる。この認識が共有されないままデジタル化が進むと、現場では「楽になった実感はあるが評価されない」、経営側では「投資したほどの成果が見えない」といった認識の乖離が生まれやすい。
このように、DXの取り組みに対して誰が何を期待するのかを事前に整理できていない場合、「思ったほど改善しない」という評価につながりやすい。
原因2:導入初期における一時的な業務負荷の増加を織り込めていない
デジタル技術を導入した直後から、現場の業務負荷が直ちに軽減されたり、供給力が向上したりするケースは少なく、新しいツールの使い方を習得する過程や、新たな業務の進め方を模索する試行錯誤が一定期間発生するため業務効率は一時的に落ち込むことが一般的である。こういった一時的な現場負荷の増加が十分に想定されていないと、「忙しい中で新しいことに取り組む余裕がない」「新しいツールが浸透せず、従来のやり方に戻ってしまう」といった状況が生じ、DXが定着する前に停滞してしまう。
DXの効果を得るためには、こうした一時的な負荷増を前提とした計画や体制づくりを行い、試行錯誤の期間を乗り越えるための支援や調整をあらかじめ織り込んでおくことが不可欠である。
原因3:既存システムを踏まえた事前準備が不十分
DXを進める過程では、既存のネットワーク環境や病院情報システムとの連携方法などが制約条件となることが少なくない。適切なツールを選定しても、通信環境が不安定で利用できない、既存システムを前提とした業務に合わず二重作業が発生するといった事態に陥ると、ユーザーである職員の不満がたまり、現場での活用が進まないだけでなく、最悪の場合はDXの取り組み自体がお蔵入りとなってしまうこともある。
こうした問題を避けるためには、導入前の段階で院内のインフラや情報基盤の状況を十分に確認し、どの業務でどの程度の連携が必要になるのかを具体的に想定した上で、準備を進めることが重要となる。
病院DXの効果的な推進方法
~様々な制約を抱えながら成果につなげるために必要な視点~
前章で述べた通り、病院DXは単にデジタル技術を導入すれば成果が得られるものではなく、進め方や位置付けを誤ると期待した効果に結びつかない。
一方で、人材・収益・業務構造の制約が強まる中において、DX以外に供給能力を引き上げる現実的な選択肢が限られていることも事実である。つまり、病院経営にあたってDXに取り組むべきか否かを判断する段階は過ぎているのである。そのためDXに取り組むことを前提に考え、どのように進めれば着実に大きな成果を得られるかを考えることが重要となる。
これまでに整理した失敗要因を踏まえ、病院DXを着実に前進させるために留意すべきポイントは、(1)ステークホルダーの巻き込み、(2)Low-hanging Fruits理論、(3)組織風土と経験学習の3つである 。
ポイント1:ステークホルダーを巻き込んだDX推進
病院DXは、経営判断としての意思決定が不可欠である一方、実際に業務を担う現場の理解と納得なしに定着することは難しい。トップダウンのみでDXを推進した場合、現場では「業務を知らないまま決められた」「現場の負担が増えるだけではないか」といった受け止めが生じやすく、結果として活用が進まないケースが少なくない。逆に、残業時間の減少や委託費の減少といったコスト削減効果を推計しておかないと、経営者目線での効果を得ることもできない。
DXを効果的に進めるためには、計画段階から現場の声を適切に取り入れ、どの業務にどのような課題があるのかを可視化した上で、取り組みの優先順位を整理することが重要であるとともに、経営的に求められる効果を意識した計画策定が必要である。例えば、職員に対して業務上の困り事や非効率なポイントを把握するためのアンケートやヒアリングを行い、その結果を踏まえてDXの対象業務を絞り込んだ上で、費用対効果を試算するといった進め方が考えられる。
しかし実際の検討過程では、「現場の負担軽減にはつながりそうだが、経営的な効果をどのように評価すべきか分からない」「投資規模に対してどの時点で成果を判断すればよいのか判断が難しい」といった議論が生じやすい。現場にとって価値のある改善であっても短期的な数値効果として表れにくい場合も多く、逆に経営的な合理性のみを優先すると現場の納得を得られないという状況も起こり得る。
だからこそ、取り組みの初期段階において、何を目的とし、どの成果をどの時間軸で評価するのかを丁寧に言語化し、関係者間で共通認識を形成しておくことが重要となる。
また、検討の初期段階から情報システム部門と連携し、実現可能性や運用面、セキュリティ面について確認をしながら進めることが重要である。現場や経営層の視点だけでなく、情報基盤やシステム全体を見渡した観点を早期に取り込むことで、導入後の手戻りや混乱を防ぐことができる。
ポイント2:Low-hanging Fruits理論[1]
DXは、事前に最大の成果を得るための運用ルールやオペレーションを設計することは極めて難しい。実際に導入・運用を始めてみて初めて顕在化する課題や制約が生じることは珍しくなく、計画どおりに進まないことを前提にアジャイル型で進めることが必要である。こうした特性を踏まえず、初期段階から大規模かつ広範囲にシステムを導入してしまうと、軌道修正が難しくなり、結果として現場に定着しないシステムに多大なるコストを払うリスクが高まる。
そのため、まずは対象業務や部署を限定し、小規模なトライアルや実証を通じて早期に成果(果実)を得られるような設計とし、具体の効果や課題を確認しながら進めることが有効である。この過程で得られる小さな成功事例や運用上のノウハウは、次の展開に向けた重要な資産となる。段階的に適用範囲を広げていくことで、現場の理解や習熟も進みやすくなり、結果としてDXの効果を着実に積み上げることが可能となる。
[1]労少なく結果を出せる部分(低いところに実っている果実)から取り組むことで、短期間で確実に成果を出そうという考え
ポイント3:組織風土と経験学習
DXを成功に導くためには、一連の過程でステークホルダーの声や意見を聞きながら、軌道修正を繰り返すことが必要となる。このために重要となるのが、声を挙げやすい組織風土や、それらの声を踏まえて業務フローを再構築するノウハウである。DXに取り組むと、デジタル技術の活用によって得られる直接的な効果だけでなく、このような組織としての風土の変化や積まれた経験が副産物として得られる。DXに取り組んだ結果、狙った効果が得られなかったとしても、このような人材育成効果を副産物として得ることができれば、DXを一過性の取組とせず、継続的な取り組み・効果とすることができる。
以上の3点が示すように、病院DXを効果的に推進するためには、現場・経営・システムといった複数の視点を横断しながら、計画・実行・見直しを繰り返していく必要がある。しかしながら、日常業務が逼迫する病院において、これらをすべて内部リソースのみで整理し、推進し続けることは容易ではない。DXを単なるシステム導入として捉えるのではなく、経営変革の営みにつなげていくためには、現状分析、優先順位付け、段階的な展開設計といった取り組みを、客観的な視点も交えながら進めていくことが有効となる。
病院DXの成否は、技術の新しさではなく、複雑な制約条件の中で、現状を客観的に整理し、経営と現場双方の視点を踏まえて優先順位を付け、実行可能な形に落とし込む設計力にかかっている。
弊社が支援をしている公立病院でのDX事例
ご紹介をしたアプローチ方法を踏まえ、弊社は横浜市立脳卒中・神経脊椎センターのDX計画策定を支援した。策定したDX計画を基に、現在も弊社はDXの実行支援を継続している。本レポートの最後に、実際に策定されたDX戦略と、病院のDX推進室に対する取材内容を紹介する。
● 横浜市と策定した『横浜市立脳卒中・神経脊椎センターにおけるDX戦略』

● 一般社団法人日本テレワーク協会 働き方DX事例集・テレワークネクストに掲載された取材内容『横浜市立脳卒中・神経脊椎センター』


