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Insight
経営研レポート

経営の信頼性・持続可能性から考える、経済安全保障

2026.01.23
社会・環境システム戦略コンサルティングユニット
シニアマネージャー  山野 泰宏
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2025年11月末、経済産業省の有識者会議において「経済安全保障経営ガイドライン(第1.0版)(案)」が示された。同案は、企業が取り組むべき体制や行動を整理するための叩き台として位置づけられ、今後の議論の基盤となるものである。

しかし、ガイドラインは制度として必要な要件を提示するものであり、その背後にある「なぜ今、企業に経済安全保障が求められるのか」というより本質的な問いには十分に触れていない。

本稿では、この “Why” の部分 ── すなわち、信頼とレジリエンスを基盤とした経営の視点からガイドラインを読み解くための上位概念のフレームを提示する。制度対応としてガイドラインに適合するだけでなく、それを「信頼の可視化」や「レジリエンスの構造化」へつなげることで、自社の価値創造へ活かすための視座を提供したい。

はじめに

近年、企業を取り巻くリスク環境は、サイバー脅威、気候変動、自然災害、地政学的緊張など、複数の要因が相互に連動する「複合リスク」へと変化している。これらはもはや個別の事象ではなく、社会全体の構造変化として、経営の前提条件となりつつある。

その背景には、デジタル化と価値観の転換がある。コロナ禍を契機に行政や企業活動、生活のあらゆる領域でデジタル化が進み、データやAI、クラウドなどが経済活動の基盤となった。企業はこれまでのデジタル化に対する「IT投資」から、デジタル技術を通じて事業構造そのものを見直すDX(デジタルトランスフォーメーション)=経営変革の段階に入っている。

同時に、こうしたデジタル化の拡大は、サイバー空間に新たな脆弱性も生み出している。情報流出やシステム障害が一企業の問題にとどまらず、取引先や社会全体の信頼に直結する時代となった。さらに、生成AIの登場は、業務効率や創造性を高める一方で、誤情報の増加、知的財産権の侵害、情報セキュリティ対策の高度化といった新たな課題ももたらしている。デジタル技術の進化が、価値創出とリスク拡大の両面を生んでいるのである。

 

こうした変化のもとで、政府は「経済安全保障」の制度整備を進めている。経済安全保障推進法や重要経済安保情報保護活用法(SC法)、サイバー対処能力強化法(以下、ACD法)等により、情報保全や重要技術保護の枠組みが整えられつつあるが、これらは単なる規制強化ではなく、社会全体の耐性(レジリエンス)を高めるための仕組みとして位置づけられる。

すなわち、経済安全保障は国家の防護という狭い視点から、社会システム全体の信頼性を高める広い視点で捉えるべきものへと変化していると言える。企業が保有する技術、データ、サプライチェーン、人材といったリソースは、いまや社会の信頼を構成する要素となっている。経済安全保障を重視することは、こうした経営資産を守るだけでなく、変化に強く、価値を持続できる経営体質を改善・強化することにもつながる。

こうした社会構造の変化を踏まえ、本稿では、経済安全保障を単なる「防衛の概念」ではなく、経営の信頼性と持続可能性を支える戦略基盤として捉え直し、経済安全保障と、

  • 企業レジリエンス(第1章)
  • サプライチェーン・レジリエンス(第2章)
  • GX・カーボンニュートラル(第3章)

の3つの視点から、複合リスクの時代における企業の「信頼される経営」を考えていきたい。

【第1章】「信頼される経営基盤」をどう築くか
 ~経済安全保障の本質は企業レジリエンス~

1.経営環境の不確実性が「信頼」を経営資産に変えた

企業を取り巻く不確実性が高まるなかで、いま「信頼(Trust)」が経営資産として再評価されている。その一因として、近年、サプライチェーンの混乱や地政学リスク、サイバー攻撃の増加など、事業の継続性を脅かす事象が相次いでいることに加え、生成AIの普及がもたらす情報の真偽不明やデータの扱いに対する社会的懸念も、企業への信頼を左右する要因になっている。

こうした状況下においては、「どれだけ利益を上げるか」の前提として、「どれだけ信頼を維持できるか」が企業価値を規定しつつある。信頼性の高い企業は、顧客・取引先・投資家・行政・地域など多様なステークホルダーとの連携を安定的に保ち、結果として危機への耐性を高めている。この「信頼の経営」こそが、経済安全保障時代の新しい競争軸となりつつあるのだ。

2.経済安全保障を「防衛政策」から「経営基盤」へ

経済安全保障という言葉は、これまで国家政策や地政学と結びつけて語られることが多かったが、本質は「社会のレジリエンス=経済活動全体の持続性」を高める取り組みである。そのため政府が策定する法制度やガイドラインは、企業の行動を縛る規制ではなく、「信頼される経営の最低条件」を明文化したものと捉えることができる。

たとえば、経済安全保障推進法やACD法は、情報共有・インシデント対応・技術保護の体制を国全体で底上げする仕組みとして位置づけられている。これらは企業に新たなコストをもたらす一方で、取引・投資・海外展開における「信頼の証明」となる側面がある。いまや経済安保対応は、リスク対策であると同時に、信用の可視化=経営基盤の整備でもあるのだ。

3.信頼される経営の要件:ガバナンス・透明性・連携

信頼を獲得・維持するために必要なのは、単なるサイバー防御や情報管理ではない。鍵となるのは、次の3要素である。

要件

概要

経済安全保障との関係

① ガバナンスの一貫性

取締役会・経営層がリスクを「経営課題」として統合的に扱う

経済安保体制構築の起点(経営責任の明確化)

② 情報と意思決定の透明性

取引先・社会に対し、判断根拠・ルールを開示できる

「信頼される供給者」「責任ある管理者」としての評価基準

③ 産業・行政・地域の連携

一社に閉じることなく、周囲を巻き込み協調することによるリスク分散を図る

サプライチェーン・レジリエンス、官民連携の基盤

これら3つの要素は、国際的にも共通する経営要件であり、例えば、NISTのCSF(サイバーセキュリティフレームワーク) 2.0(2024)やEUのDORA(2022年成立)などの枠組みにおいて共通して「透明性と一貫性」を中心に据えている。

4.経済安保対応は「守り」ではなく「信頼の証」

経済安全保障への対応を、単なる遵法や防御とみなす時代は終わりを迎え、むしろそれは企業が自らの信頼性を可視化し、社会との関係性を強化するプロセスという認識が浸透しつつある。サプライチェーン全体でのリスク共有、データ管理やAI利用の透明化、そして多様なステークホルダーへの説明責任が果たされるほど、企業の経済安全保障対応は「信頼の証」として経営資源に転化していく。

いま問われているのは、制度への「適合」ではなく、変化の時代に「信頼を設計できるか」という経営の成熟度である。経済安全保障を重視することは、結果として変化に強く、信頼に支えられた経営体質を整える道でもある。それは、これからの時代に企業がどのように社会と向き合い、信頼を育てていくかという問いにもつながっている。

経済安全保障とは、企業にとっては、「国を守る仕組み」ではなく、「信頼を通じて社会を支える経営のあり方」である。そして信頼とは、危機の時代にこそ企業が発揮できる最大の競争力なのである。

【参考文献】

・経済産業省「経済安全保障経営ガイドライン(第1.0版)(案)」有識者会議資料(2025年)

・NIST(米国立標準技術研究所)「Cybersecurity Framework 2.0」(2024年2月)

・EU「Digital Operational Resilience Act(DORA)」(2022年)

・OECD(経済協力開発機構)「Digital Security Risk Management Framework」(2021年)

【第2章】サプライチェーン・レジリエンスをどう築くか
 ~ 経済安全保障時代の「信頼される供給網」~

1. 「見えない基盤」としてのサプライチェーン

製造業、エネルギー、情報通信、環境 ―― どの分野でも、いまや企業の競争力を支えているのはサプライチェーンである。しかし、この「見えない基盤」ほど脆く、そして連携の難しい領域もない。

多くの企業では、製造工程、環境対応、サイバーセキュリティといった分野ごとに、それぞれ独立したサプライチェーン管理が行われている。すなわち、部門横断的な情報共有やリスク評価の基盤は整えられておらず、あるいは整えられていたとしても機能していないことが多く、社内の供給網が分断されたままという構造が続いているのが現状である。

その結果、製造上のボトルネック、情報漏えい、ESGリスクなどがそれぞれ個別に顕在化し、経営としての全体最適が見えにくくなっている。この「内部連携の欠如」こそが、企業レベルでのレジリエンスを脆くしている大きな要因のひとつといえる。

2.経済安全保障の核心は「信頼の共有化」

経済安全保障推進法による特定重要物資制度が狙うのは、単なる国家備蓄や調達支援ではない。それは、「信頼を共有する基盤」としてサプライチェーンを再設計することである。法制度上、企業は自社の供給網を把握し、リスクを可視化・報告する責任を負うが、このプロセスは本来、国家に提出する報告書づくりではなく、企業内部の情報をつなぎ直すための機会として設計されるべきものである。

経済安全保障とは、言い換えれば「社会的信頼の共同管理」であり、企業がそれを内側から構築できるかが問われている。

3.下請けから共通基盤へ ── 構造転換の意味

昭和から平成初期にかけて、日本の産業は系列・下請け関係を囲い込むことで安定を保ってきた。だがその構造は、部門ごと・企業ごとに閉じた管理体系であり、情報の非対称性と属人的依存に依拠していた。

令和のサプライチェーンは、「囲い込み」から「共有する」構造へと転換しつつある。それを支えるのが、共通プラットフォームやSBOM(Software Bill of Materials:ソフトウェア部品表)などの技術基盤である。部門間・企業間で情報をつなぎ、リスクを共通言語で捉える。この「見せ合う仕組み」こそが、経済安全保障の実装における中核となる。

4. 「すべてを見える化」することの功罪

とはいえ、全階層・全領域を完全に把握することは現実的ではない。製造分野ではTier2以降、環境では間接取引先まで、サイバーでは委託先からの再委託先まで ―― 把握コストとリスク低減効果のバランスをどうとるかは、簡単には解けない課題である。

さらに、過剰な可視化は情報漏えいや技術流出のリスクも伴う。「どこまで見せるか」「何を信頼で補うか」を設計することが、重要な経営判断となるのだ。経済安全保障の目的は統制ではなく、変化に耐える社会的信頼の構築にある。

5.信頼を軸にしたレジリエンスの再設計

レジリエンスとは、すべてを管理することではなく、不確実性を吸収しながら価値を継続できる柔軟性のことである。経済安全保障の枠組みのもとで、企業が取り組むべきは「守るための情報共有」ではなく、「信頼される仕組みをどう設計するか」という経営デザインだ。

経営の中に散在する情報網 ―― 製造、環境、サイバーをひとまとめにする「共通の信頼基盤」を整えること。それが、経済安全保障時代における企業レジリエンスの核心である。

【参考文献】

・内閣官房 経済安全保障推進室「経済社会のレジリエンス確保に関する政策概要」(2025年2月)

・ 経済産業省「サプライチェーン実態調査2025」(2025年3月)

【第3章】「環境と経済のレジリエンス」をどう築くか
 ~経済安全保障とカーボンニュートラルの接続点~

1.GXと経済安全保障は互いに交差し始めている

脱炭素、資源確保、技術自立 ―― 。それぞれ異なる領域で語られてきた取組みは、いまや一つの共通した言葉に収れんしつつある。それは「持続可能性」だ。

GX(グリーントランスフォーメーション)は、環境負荷を減らす取り組みとして始まった。一方、経済安全保障は、供給や技術を守る制度として構築されてきた。

しかし現在、両者は社会全体のレジリエンスを高めるための基盤づくりという点で交差し始めている。カーボンニュートラルは環境政策であると同時に、供給の自立を確保する安全保障戦略でもある ―― その認識が、少しずつ共有され始めているのだ。

2.GX は企業内部の構造的分断の中で十分に活かされていない

多くの企業では、環境、調達、設計、IT、サイバーセキュリティ、リスク管理などがそれぞれ独立した管理体系の中で運用されている。第2章でも触れたように、こうした「部門ごとに閉じた構造」は⾧年の制度や慣行が自然に生み出してきたものである。

GX が扱う排出量、素材・原産国、資源循環性などのデータは、本来は経営判断やサプライチェーン管理と深く関係する。しかし実務では、これらの情報が経営の意思決定プロセスに十分に統合されないまま個別施策として扱われるケースが少なくない。既存の組織構造がそうした扱いを前提にしてきた側面はあるが、同時に、GX を「経営の構造」として位置づける余地はまだ十分に残されている。

3.経済安全保障とGX はデータ基盤を共有している

経済安全保障では、サプライチェーン、技術、人材、データといった経営資源をどれだけ構造的に把握し、透明性を示せるかが問われる。GX でも同様に、排出量や素材情報は単なる環境指標ではなく、企業の説明可能性や供給網の信頼性を支えるデータとなる。

近年では、CBOM・RBOM・SBOM といった「構造化された台帳」の考え方が広がりつつある。こうした動きは環境領域に限らない。欧州では、製品単位でCO₂や素材・リサイクル情報を追跡するDigital Product Passport(DPP:製品ライフサイクルのあらゆる段階~製造、配送、使用、廃棄など~で製品に関する情報を記録したデータ群)が段階的に導入される。DPP は、環境政策であると同時に、サプライチェーンの可視化や信頼性向上という点で経済安全保障とも密接に関係する。このように、GX と経済安保の取り組みは領域は異なるものの、「データを構造として扱い、それを社会に対して透明に示す」という共通の基盤を持っている。

4.GXは「信頼の構造」として統合されて初めて経営上の意味を持つ

排出量や素材情報は、環境施策のためだけのデータではない。それは、企業が社会に対してどれだけ透明性を示し、信頼に応える姿勢を持っているかを測る指標にもなる。

経済安保が求める供給網の構造把握やリスク管理も、同じく企業の信頼性と説明責任に関わる。つまり、GXも経済安保も、「信頼をどのように設計するか」という共通の問いを扱っている。GXを経営に活かすとは、環境施策を積み上げることではなく、環境・資源・供給網を一つの構造として整理し、その透明性を社会に対して示すことにほかならない。

【参考文献】

・欧州委員会「Digital Product Passport Framework Regulation」2023年12月

・経済産業省・IPA「SBOM実装ガイドライン Ver.1.0」2024年7月

おわりに~持続可能性という「共通基盤」~

経済安全保障も、カーボンニュートラルも、突き詰めれば「変化に耐え、価値を継続させる仕組み」をつくることを目的としている。環境、資源、技術、供給網といった要素が同じ基盤の上で統合されるとき、企業は初めて、変化に強く、信頼に支えられた経営を実現できる。

信頼は、制度の中で生まれるものではない。それは、環境・資源・技術・データ等が同じ構造でつながるとき、初めて持続可能なものとなる。環境と経済のレジリエンスをどう築くか ―― その答えは、制度を超え、企業と社会が共有できる信頼の基盤を整える過程で見つかるはずだ。

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