はじめに
ウェルビーイング経営の実践:持続的成長としなやかな組織を築くために
ウェルビーイング経営は、単なる理念の提唱や断片的な福利厚生施策の導入に留まるものではない。それは、現在のような変化の激しい時代において、企業がその変化にしなやかに対応し、持続的に成長するための、体系的かつ具体的な経営「実践」そのものなのだ。
その実践が目指す姿は、まず組織の根幹となる「コモングラウンド(=共有された未来像)」がメンバー間で深く共有され、多様な個性を尊重し活かす「DE&I(Diversity, Equity & Inclusion)」を当然の前提とした上で、社員一人ひとりが心身ともに健康で、互いを信頼し合える心理的に安全な「ウェルビーイングな組織」を構築することである。そして、その健全な組織土壌の上で、社員一人ひとりが活き活きと主体的に能力を発揮し、「新しい価値を継続的に生み出す仕組み」が自律的に回り続ける状態を創り出すこと。これら一連のプロセスを通じて、「企業理念の実現」「経営課題の解決」、そして「個人のウェルビーイング」という3つの目標を同時に達成し、変化に強くしなやかな組織、すなわち「最強組織」を築き上げることが、ウェルビーイング経営実践の全体像なのだ。さらにその先には、「社会全体のウェルビーイング」への貢献という、より大きな視野も含まれている(図1)。
【図1】ウェルビーイング経営の全体像
実践の核となる3つの要素
この目指す姿を実現し、ウェルビーイング経営を組織に効果的に実装するためには、以下の3つの要素をバラバラに行うのではなく、相互に連動させながら実践していくことが極めて重要である。
要素1:組織と個人の活力を高める「3つのマネジメントサイクル」
従来の業務遂行や目標達成を管理するプロセスマネジメントは当然重要だが、それだけでは変化の激しいこの時代には対応できない。ウェルビーイング経営では、これに加えて、これまで可視化されていないが故に精神論として扱われがちだったウェルビーイングを明確なマネジメント対象とし、組織と個人の活力を内側から高めるための、以下の3つの新たなマネジメントサイクルを導入し、継続的に回していくことが求められるが、これらのサイクルは相互に影響し合っている(例:個人の健康がキャリア意欲に、組織の関係性が個人の自己実現に影響、など)(図2)。
【図2】ウェルビーイング経営を実現する3つのマネジメントサイクル
【出典】
「一般社団法人 社会的健康戦略研究所」の資料を基にNTTデータ経営研究所が作成
サイクル1:個人の健康(心身)マネジメント ~活動の基盤を築く
社員の心身の健康は、全ての企業活動、個人のパフォーマンス、そして他のウェルビーイング要素(自己実現、良好な関係性)の根幹をなす基盤である。ここでは、健康診断やストレスチェックといった従来の取り組みに加え、社員自身が主体的に自らの健康を維持・増進できるよう、「セルフマネジメント」を積極的に支援する環境を整備し、健康リテラシーの向上を図ることが求められる。これにより、アブセンティズム 1 やプレゼンティズム 2 を予防・改善することができる。
サイクル2:個人のウェルビーイング(自己実現・キャリア)マネジメント ~働く意欲と成長を促す
社員が単に健康であるだけでなく、仕事を通じて自己実現を果たし、成長を実感し、持続的な「内的モチベーション」(第2回で解説)を維持・向上させることに焦点を当てたい。これには、社員が自律的にキャリアを考え、選択・行動できるよう支援する「キャリア自律支援」(キャリア研修機会の提供、上司や専門家との1on1を通じたキャリア相談、目標設定支援、副業・兼業の容認など)が含まれる。また、エンゲージメントサーベイなどを活用して、社員のモチベーションや働きがい(ワークエンゲージメント)の状態を定期的に可視化し、その結果に基づいて具体的な改善策(業務内容の見直し、裁量権の付与、承認・称賛文化の醸成など)を実施していくことも重要だ。これにより、個人の自己実現を支援するためである。
サイクル3:組織のウェルビーイング(関係性・心理的安全性)マネジメント ~心理的安全な場を創る
個人の健康が保たれ、自己実現への意欲が高まっても、それらが十分に発揮されるためには、安心して挑戦し、協力し合える「土壌」が不可欠である。このサイクルでは、信頼に基づく良好な人間関係と、第2回で解説した心理的安全性の高い組織風土を醸成することに焦点を当てたい。具体的な方法としては、まず組織サーベイ(パルスサーベイなど)によって組織の関係性の質や心理的安全性の状態を定期的に可視化し、課題を特定する。そして、その結果に基づき、コミュニケーション改善研修、チームビルディング活動、心理的安全性を高めるための上司向けワークショップ、ハラスメント防止策の徹底、多様な働き方を支援する制度(リモートワーク環境整備など)の導入・改善などを実施する。このサイクルにおいて、次に述べる「コモングラウンド」の構築・共有が、メンバーのベクトルを合わせ、心理的安全性を高める上で極めて重要な役割を果たす。
1 従業員が病気や不調などにより職場を欠勤すること
2 出勤しているものの、体調不良やメンタル不調などにより十分なパフォーマンスが発揮できない状態
要素2:組織の方向性を定める「コモングラウンド」の構築と共有
個々の社員の自律的な活動を尊重しつつ、組織としての一体感を保ち、共通の目標に向かうためには、「コモングラウンド」を構築し、組織全体で共有することが極めて重要である(図3)。
コモングラウンドとは、組織開発の用語で「共有できる未来」のことであり、「共有できる未来」とは、チームメンバー全員が「自分たちのもの」として心から共感し、実現に向けて共に行動したいと願う具体的な将来像のことである。これは単なる数値目標や計画リスト、与えられたビジョン・パーパスではなく、社員ひとりひとりの価値観に根差したものである。
コモングラウンドを共有し、関係者一人一人が自分で考え行動することで、変化に対して柔軟に対応することが可能となる。コモングラウンドが明確に共有されていると、メンバーは「自分たちはどこに向かっているのか」「なぜこの仕事をするのか」を理解し、日々の業務に意味を見出しやすくなる。これにより、社員の内的モチベーション向上にも繋がる。また、意思決定の拠り所となり、個々の自律的な判断や行動を促しつつも、組織全体の方向性を維持することができる。これは、変化へ柔軟に対応していく上で不可欠な要素なのである。
なお、コモングラウンドは、経営層だけで決定するのではなく、ワークショップなどを通じて社員を巻き込みながら作成する必要がある。作成後は、社内報、研修、日々のコミュニケーション、具体的な行動指針(クレド)への落とし込みなどを通じて、繰り返し共有し、組織文化として浸透させていく必要がある。そして、状況の変化に合わせて変更し続ける必要もあるのである。
【図3】コモングラウンドを共有する
要素3:事業価値へ繋げる「新しい価値創造の仕組み」の構築・接続
ウェルビーイング経営への投資を、単なるコストや社内満足度の向上に終わらせず、具体的な事業成果、すなわち企業価値の向上へと繋げるためには、組織内に「新しいことを継続的かつ組織的に生み出す仕組み(=デザインサイクル)」(図4)を意図的に構築し、先に述べた3つのマネジメントサイクルによって育まれた組織的な創造力(=ウェルビーイング資本)を、実際の事業活動に効果的に反映させる仕組みを構築する必要がある。
【図4】新しいことを継続的かつ組織的に生み出すデザインサイクル
この「新しいことを継続的かつ組織的に生み出すデザインサイクル」とは、例えば、① 顧客や社会のニーズ・課題を深く理解・共感し(ユーザー理解・学習)、② そこから新しい課題や未充足のニーズを発見し(問題発見)、③ その課題を解決するための斬新なアイデアを創出し(アイデア創出)、④ そのアイデアを具体的な商品やサービスとして迅速に形にし(プロトタイピング・実装)、⑤ 市場からのフィードバックを得て学び、改善を繰り返していく(学習・改善)、という一連のプロセスを、組織的に、かつ持続的に回していく仕組みのことである。
この価値創造サイクルを効果的に、かつ力強く回していくためには、自由な発想や試行錯誤を可能にする「心理的安全性」と、課題解決への情熱や粘り強さを生み出す「内的モチベーション」が不可欠だ。つまり、3つのマネジメントサイクルとコモングラウンドによって育まれる「組織のウェルビーイング(良好な関係性・心理的安全性)」と「個人のウェルビーイング(自己実現・働きがい)」、そしてその活動の基盤となる「個人の健康(心身の健康)」というウェルビーイング資本を、この価値創造サイクルに意図的に“接続”させることが決定的に重要なのである。なぜなら、ウェルビーイング資本が充実しているからこそ、価値創造サイクルが力強く駆動し、革新的なサービスや事業が生まれ続けるからである(図5)。
【図5】ウェルビーイング資本とサービス・事業を接続する
ウェルビーイング経営を支える基盤
これらの3つの核となる要素(マネジメントサイクル、コモングラウンド、価値創造の仕組み)を効果的に機能させ、組織文化として根付かせるためには、以下のように組織の根底に流れるべき重要な思想や原則がある。
個人の尊重とDE&I(多様性と包摂性)の徹底
社員一人ひとりの個性、価値観、背景の違いを真に尊重し、その多様性を単に受け入れるだけでなく、組織の強みとして積極的に活かすインクルーシブな文化は、ウェルビーイング経営の絶対的な前提条件である。誰もが自分らしく、安心して貢献できると感じられる環境がなければ、ウェルビーイング経営は実現しない。
コミュニケーションの変化(指示命令から対話へ)
従来のトップダウン型の指示・管理中心のコミュニケーションから、役職や立場に関わらず、互いの意見に耳を傾け、理解し合い、共に考え、未来を創っていく双方向の「対話(ダイアローグ)」を重視するコミュニケーションスタイルへの転換が求められる。対話は、信頼関係を深め、心理的安全性を高め、そしてコモングラウンドを醸成する上で不可欠な要素である。
新たな視点の導入
NTTグループが提唱する「Self as We」は、「私(Self)」という個人の視点だけでなく、他者や社会、あるいは自然環境までも含めたより大きな「われわれ(We)」の一部として自己を捉え、自社の利益のみならず、関わる全てのステークホルダーのウェルビーイング、ひいては社会全体の持続可能性に貢献しようとする視点でである。この視点は、企業の社会的責任(CSR)やパーパス経営とも深く関連し、ウェルビーイング経営をより大きな文脈で捉え、実践していく上で示唆に富んでいる。
ウェルビーイング経営導入のステップ
ウェルビーイング経営は、組織全体で取り組むべき統合的な組織変革である。企業を取り巻く経営環境が激しく変化するなか、多くの企業が組織と人との関係性のあり方そのものに起因している課題に直面している。当社では、そのような課題解決に向けての統合的な組織変革プログラムとしてウェルビーイング経営導入プログラムを提供しており、その一部をご紹介したい。(図6)。
【図6】ウェルビーイング経営導入プログラム
導入ステップ
ステップ0:現状把握と戦略策定
まず、自社のウェルビーイングに関する現状(社員の健康状態、エンゲージメントレベル、組織風土、既存施策の効果など)をサーベイやインタビューなどで客観的に把握・評価(アセスメント)。その結果に基づき、経営層が中心となって「ウェルビーイング戦略ミーティング」を行い、自社がウェルビーイング経営を通じて解決したい経営課題は何か、どのような状態を目指すのか、どの領域に重点的に取り組むのか、具体的な導入戦略とロードマップを策定する。
ステップ1:基盤構築
組織変革の基盤を固める。まず経営者も含めた一人ひとりが自身のウェルビーイングとキャリアについて考え(ウェルビーイング・キャリア開発)、それを共有。次に、それらを踏まえ、組織全体で共有できる未来像(コモングラウンド)を、社員参加型で共感を伴って作成する。さらに、コモングラウンドを日々の行動レベルに落とし込んだ具体的な行動指針(クレド)を作成し、行動の判断基準とする。
ステップ2:価値創造の仕組み作り
基盤の上に、価値を生み出す仕組みを構築する。社会や顧客の良好なウェルビーイングの構築に貢献するという視点から、自社の提供価値(商品・サービス)を再定義し、企画・開発を行うプロセス(ウェルビーイング・サービスデザイン)を導入。そして、前述した「新しいことを継続的かつ組織的に生み出すための仕組み(デザインサイクル)」を具体的に構築・導入する。
ステップ3:ウェルビーイング経営の実装
ここで、先に述べた「3つのマネジメントサイクル(個人健康・個人WB/キャリア・組織WB)」を回すための具体的な施策(研修、サーベイ、1on1、制度改定など)を本格的に導入・実行。そして、サーベイなどを通じてその効果を継続的に可視化・測定し、データに基づいて改善を続ける。そして今までに実施してきたウェルビーイング関連施策を統合し、実施・運用していく。また、社員が「Self as We」といった新たな視点の考え方を理解し、日々の業務で実践できるよう、関連するコンピテンシー開発のための研修やワークショップを実施する。
ステップ4:社会への展開
組織内部の変革に留まらず、より広く社会全体のウェルビーイング向上に貢献することを目指す。自社の強みや事業を通じて培った知見を活かし、社会課題解決に繋がるような新しいサービスや事業(社会ウェルビーイングサービス)を創出。さらに、他企業やNPO、自治体などと連携し、業界やセクターを超えて社会全体のウェルビーイング向上を目指すコミュニティを立ち上げ、共創を進めていくことも考えられる。
では、何から始めるのか?
ウェルビーイング経営の導入を考えたとき、最初のステップとして、ウェルビーイング経営の関連する施策の棚卸、一人一人が自分のウェルビーイング・キャリアを考えることが考えられる。
関連施策の棚卸
多くの企業では、既にウェルビーイング経営に関連する施策(健康増進、人材育成、キャリア支援、働き方改革、組織風土改革など)が、様々な目的で、様々な部署によって「点」として実施されている。しかし、それらが連携せず、全体としての効果を発揮できていないケースが少なくない。まずは、これらの既存施策を全社的に棚卸し、目的・内容・担当部署・効果などを整理し、関係者間で状況を共有することが第一歩となる。その上で、自社の経営課題と照らし合わせ、ウェルビーイング経営の全体像の中で各施策をどう位置づけ、連携させ、強化していくのか、統合的な視点で検討する必要がある。
一人一人が自分のウェルビーイング・キャリアを考える
ウェルビーイング経営は、トップダウンだけで進むものではなく、経営者も含め、企業に関わる「一人一人」が、自分自身のウェルビーイングとは何か、どのようなキャリアを歩みたいのかを主体的に考えることから始まる。この個々の内省と探求が、組織全体のコモングラウンド作成の土台となり、パーパスや戦略策定、サービス開発へと繋がっていく。一人ひとりがウェルビーイングを実感しながら能力を最大限に発揮できる組織こそが、変化にしなやかに対応し、新しい価値を創造し続ける企業となるのだ。ウェルビーイング経営は、トップダウンだけで進むものではなく、経営者も含め、企業に関わる「一人一人」が、自分自身のウェルビーイングとは何か、どのようなキャリアを歩みたいのかを主体的に考えることから始まる。この個々の内省と探求が、組織全体のコモングラウンド作成の土台となり、パーパスや戦略策定、サービス開発へと繋がっていく。一人ひとりがウェルビーイングを実感しながら能力を最大限に発揮できる組織こそが、変化にしなやかに対応し、新しい価値を創造し続ける企業となる。
おわりに:持続的な未来をつくるための「企業OS」の新たなスタンダード
私たちは今、顧客満足度や社員満足度の尺度が根本から変化し、企業が単なる利益追求だけでなく、社会全体の持続可能性や人々のウェルビーイングの向上への貢献を本質的に求められる、大きな価値観の転換期に生きている。この新たに出現するウェルビーイング重視社会において、ウェルビーイング経営は、単なる人事施策や福利厚生の一環という前時代的な施策ではなく、企業の根幹をなすオペレーティングシステム(OS)そのものを、新しい時代の要請に合わせて刷新する、根本的かつ戦略的な経営変革なのである(図7)。
【図7】“企業OS(Operation System)”を入れ替える
それは、企業・組織のウェルビーイング(=企業よし)に加えて、社員のウェルビーイング(=社員よし)を経営の基盤に置き、さらに社会全体のウェルビーイング向上への貢献(=社会よし)を目指す、まさに現代版「三方よし」を実現するアプローチと言えるだろう。社員のウェルビーイングという資本を充実させることで、組織は内発的なエネルギーに満ち溢れ、変化にしなやかに適応し、創造性を解き放ちことが可能になるのだ。
VUCAの時代は今後も続き、個人・社会のウェルビーイング向上はますます重要な課題となるだろう。ウェルビーイング経営は、この複雑な時代の課題を乗り越え、新たに出現するウェルビーイング重視社会においての企業の持続的な成長と、より良い社会の実現に貢献するための、極めて有効な羅針盤になると考えられる。
全3回にわたり、VUCA時代におけるウェルビーイング経営の重要性、それがもたらす価値、そして具体的な実践方法について解説した。ウェルビーイング経営は、短期的な成果のみを追うのではなく、社員一人ひとりの幸福と成長、組織全体の健全性と創造性、そして社会全体の持続可能性を見据えた、長期的かつ本質的な未来志向の経営アプローチである。ウェルビーイング経営への理解を深め、その導入・実践を通じて、持続的な成長と変化に強い「しなやかな組織」のありかたは今後一層求められるだろう。そしてさらにはより良い社会の創造へと繋がる未来がやってくることを信じている。