【 日本人の睡眠不足 】
日本人の睡眠の問題について、睡眠の量と質の観点から見てみよう。
「睡眠の量」の観点では、日本人の平均睡眠時間は世界的に見ても短い傾向にある。33カ国を対象に実施したOECDによる調査 1 によると、日本の成人の平均睡眠時間は約7時間22分であり、これは調査対象国の中でも最下位と、最も短い部類である(調査対象国33国の平均は8時間28分)。
中でも、日本の子どもや働く成人の睡眠時間は短いことが明らかになっている。NHKが2024年に実施した調査 2 では、子どもの平均睡眠時間は、小学6年生が7.9時間、中学3年生が7.1時間、高校3年生が6.5時間であり、厚生労働省の推奨する睡眠時間(小学生:9~12時間、中学生・高校生:8~10時間)を下回っている。また、20代~50代の成人では、男女ともに約4~5割が1日当たりの睡眠時間が6時間未満となっている 3。そのため、社会人や子育て中の親など、まさに働き盛りの世代を中心に、睡眠不足の傾向が顕著であると考えられる。
次に、「睡眠の質」の観点にも着目したい。日本では、多くの人々が不眠症(入眠困難、中途覚醒、早朝覚醒)に悩まされている。2016年の研究 4 では、日本人の不眠症の割合は、男性が12.2%、女性が14.6%に上ると報告された。
上述のような睡眠の量・質の不足により、人々の健康だけでなく、学業の成績や労働生産性、経済に対しても、以下のような悪影響が生じている。
まず、人々の健康への影響について、睡眠不足は生活習慣病のリスクが高めることが知られている。2016年に実施された研究 5 では、死亡、糖尿病、高血圧、心疾患、肥満などの生活習慣病のリスクが睡眠不足によって高まることが明らかにされた。
学業の成績への影響については、日本人を対象にした研究ではないものの、睡眠時間と学校の成績には有意な正の相関関係があるとの研究 6 もあり、子どもの睡眠不足の影響は深刻であると考えられる。
労働生産性の面では、睡眠不足によって眠気を催す、抑うつ状態に陥る、作業遂行能力が下がることが指摘されている 7。特に物流・交通産業や建設現場、工場など、眠気が重大な事故につながりうる現場における従業員の睡眠不足が問題になっており、危険な状態だと言える。また、不眠症の重症度が高いほど、生産性が顕著に下がることが報告されている 8 など、睡眠の量・質の低下により、労働生産性に悪影響が生じている。
経済性の観点では、日本における睡眠不足による経済損失は20兆円、GDP比で2.92%に上るとの試算が出ている。RAND研究所が2016年にリリースした調査 9 によれば、現在の睡眠時間が6時間未満の日本にいる労働者が適正な睡眠時間(7~9時間)をとるようになった場合、1,380億ドル(1ドル=150円として、約20兆円)の経済損失を防げるとしている。睡眠は全ての国民に関連する営みであり、日本の国家予算の約1/5という巨額の経済損失につながっていることは看過できない。同調査では、諸外国の経済損失も試算しており、経済損失のGDP比は、アメリカ:4110億ドル(GDP比2.28%)、イギリス:502億ドル(GDP比1.86%)、ドイツ:600億ドル(GDP比1.56%)、カナダ:214億ドル(GDP比1.35%)と算出されている。特に、日本の経済損失はGDP比で最大であり、諸外国と比較して睡眠を起因とする経済損失が大きいことが分かる。睡眠・覚醒状態の制御機構に関わる「オレキシン」という神経伝達物質を発見し、睡眠研究の大家として知られ、ノーベル賞候補者になっていることでも知られる、筑波大学の柳沢正史教授によれば、「日本が高度経済成長を遂げたのは、日本人がよく眠れていたからだと考えてよい」とのことである 10。近年の日本人の睡眠不足が、経済成長にも悪影響を及ぼしている可能性は否定できない。
【 睡眠サービス市場について 】
多忙な生活やデジタルデバイスの過度な使用は睡眠障害を引き起こす一因とされている。その一方で、睡眠の質を向上させるための技術やサービスが昨今注目を集めている。特にデジタル技術の進展により、スマートデバイスやアプリを用いた睡眠管理が普及している。さらに、センサーやAI技術を駆使したデバイスやサービスが普及しており、法人向け健康経営サービスとしても採用が進んでいる。
そのため、今後も睡眠サービス市場の拡大は続いていくと考えられる。2024年に発表された矢野経済研究所の調査 11 では、睡眠サービス市場は、健康志向の高まりやストレス社会の進行に伴い、急速に拡大していると報告されている。具体的内容として、AIなどの技術で生体活動データを収集し、睡眠状態を分析することで睡眠の改善を目指す装置、システム、サービスの総称を指すスリープテックの2023年国内市場規模は前年から175%増の105億円と予測されている。新規参入企業は医療機器や寝具メーカーからスタートアップ企業にまで拡大し、企業間連携や新製品開発も活発化している。
様々なウェアラブルデバイスの発売がその代表例であり、スマートウォッチやヘッドバンド型のデバイスを装着することで、睡眠時の心拍数や呼吸パターン、体の動きなどのデータをモニタリングし、個々の睡眠の質を分析するといった機能のものも出てきている。
例えば、Google社の「Fitbit」12 は、ストレスレベルや体温の変化までトラッキングし、総合的な健康状態を見ながら睡眠改善のためのフィードバックを行う。
S'UIMIN社の「InSomnograf(インソムノグラフ)」13 は、脳波データを活用した睡眠解析サービスであり、ユーザーの脳波から深い眠りや浅い眠りを正確に分析することが可能である。「睡眠時無呼吸」や「むずむず脚症候群」などといった睡眠トラブルのリスクの評価や健康状態のモニタリングに役立ち、特に企業の健康管理で広く利用されている。さらにS'UIMIN社では個々の睡眠データをもとにした改善指針を提供し、利用者が効果的な睡眠改善に取り組めるようWEB上で支援している。また、科学的根拠に基づいた睡眠サポートにより、利用者の日々の生活の質(QOL)の向上を目指している。
これらのデバイスは、睡眠データに基づいて個別にカスタマイズされたアドバイスを提供し、睡眠の質を向上させるための具体的な行動を促す。例えば、行動の例 14 として、目が覚めてしまった場合にはあえて布団から離れることが促される。これは、眠れないまま布団で考えごとや不安をふくらますことで、「布団=不安になる場所」と脳が条件付けをしてしまい、不眠の助長につながることを避ける行動である。こうした認知行動療法の考え方などを採用し、利用者の睡眠改善を促すフィードバックが今後より求められるようになると考えられる。
また、睡眠サービス市場においては装着デバイスだけでなく、アプリケーションも重要な役割を果たしており、睡眠誘導やリラクゼーションを目的とした瞑想アプリが人気を博している。例えば、Calm.com社の「Calm」15 やHeadspace社の「Headspace」16 などのアプリは、ユーザーがリラックスできる音響や瞑想セッションを提供し、寝る前のストレスを軽減させることで、より深い睡眠に導いている。特に、音楽や自然音、瞑想ガイドを用いたサービスは、ストレスや不安を和らげる効果があり、睡眠の質を高める効果が期待されている。
【 終わりに 】
上記のように、睡眠に関する問題は世界的にも可視化されつつあり、特に日本では厚生労働省の「健康日本21(第3次)」17 において、「睡眠時間が6~9時間の者の割合を、現在の54.5%から2032年までに60%に高める」などの具体的な目標が掲げられている。これに応じ、睡眠サービス市場も拡大しつつあるが、依然、睡眠に関する問題は解決に至っていない現状である。引き続き、睡眠の問題・睡眠サービスの動向に着目し、これらの今後の方向性について考察を深めていきたい。
出典