はじめに
少子化による人口減少や価値観の多様化等に伴い、これからの時代では生徒や保護者から「選ばれる教育」がより強く求められる。そして、選ばれる教育のためには生徒や保護者から共感されるビジョンやそれを体現した教育戦略・施策が不可欠である。しかし、科学的な知見に基づいてビジョンを定義し、データやエビデンスに基づいて教育戦略・施策や指導方法の改善を行う取り組みは我が国ではいまだ限定的である。
今回、その先進事例として、立命館慶祥高等学校・中学校とのプロジェクトを紹介する。「世界に通用する18歳」をビジョンとして掲げる同校が、科学的アプローチを採用した経緯や理由、プロジェクトの成果や得られた気づき等はこれからの時代の教育を考える学校や民間教育事業者にとって有益な知見になるはずだ。
インタビュイー
学校法人立命館慶祥中学校・高等学校 副校長 山口 太一先生
学校法人立命館慶祥中学校・高等学校 外国語科 教諭 関谷 さら先生
インタビュアー
株式会社NTTデータ経営研究所 ニューロ・コグニティブ・イノベーションユニット アソシエイトパートナー 山崎 和行
株式会社NTTデータ経営研究所 ニューロ・コグニティブ・イノベーションユニット コンサルタント 前田 優太朗
【インタビュー本編】
自己紹介
本日はよろしくお願いします。まず簡単に自己紹介をお願いします。
立命館慶祥高等学校・中学校の副校長の山口です。副校長として様々な業務に従事しておりますが、地場企業や大学等との連携を行う「社会連携」が主な役割です。また、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)や2030年に向けた学校構想の立案なども担当しています。
同学の教諭の関谷です。特進クラスをはじめとする英語を担当しています。また、山口とともに社会連携に関する業務にも従事しています。
社会連携についてもう少し具体的に教えていただけますか。
本校の社会連携は地場企業、大学等との連携は勿論のこと、本校卒業生や保護者との再連携も指します。学校としては、生徒たちが没頭できるような体験・コンテンツを提供し続ける必要があるのですが、学校の立場でできることには限りがあります。本校では、社会連携を通じて学校では提供できない体験・コンテンツを提供するとともに、学校外の大人との接点を増やすことを目指しています。例えば、最近では北海道大学医学部のドクターの特別講座等を実施しました。放課後の希望制学習会だったのですが、申し込み開始初日で定員なりました。本校生徒が世の中のホンモノから学ぶ価値をよく理解していることがわかります。講座の終わりには質問を希望する生徒の長蛇の列ができたと聞いています。ホンモノにふれることで、大いに刺激を受けたようです。普段の学びに対するモチベーションがさらに高まったとみています。
立命館慶祥とは
立命館慶祥とはどのような学校なのでしょうか。特徴・特色について教えてください。
立命館慶祥は開校以来、立命館の建学の精神である「自由と清新」、教学理念である「平和と民主主義」に加え、「世界に通用する18歳」を学校目標として掲げています。国内だけでなく、世界を舞台に活躍できる人材育成に注力し、生徒には「➀ チャレンジ精神に満ちた人」「② 社会の変化に対応し、自ら深く考え行動する人」、「③ グローバル・シチズンシップを備えた人」を兼ね備えた人物に成長して欲しいと考えています。
立命館慶祥ではこれら3つの要素を兼ね備えた人物になるための教育環境や特色ある授業を用意しており、具体的には、ICT端末を活用した協働的な学習、世界各国へ自らが選んで参加する海外研修プログラムや国際共同研究等があります。また、学力の向上はもちろん重要ですが、様々な行事や課外活動に熱心に取り組む姿勢も立命館慶祥では高く評価しています。そのため、学業の成績や偏差値といった物差しにとらわれることなく、幅広い経験を積んでいくことを生徒には推奨しています。
本校のビジョンである「世界に通用する18歳」に惹かれて多くの生徒が入学します。そのため、教員としても生徒が自分自身で考え行動するような環境づくりを常に意識しています。例えば、本校では放課後の時間の使い方を生徒に委ねており、各生徒が思い思いの時間を過ごせるようにしています。
確かに、本プロジェクトで貴校にお伺いした際には、放課後に自習スペースで勉強したり、教室でグループワークを行う生徒を多くお見かけしました。
さらに、本校では「世界に通用する18歳」の実現のために、世界に近い学校を目指しています。世界各国の学校と提携し、海外の学校に本校生徒を送り出すとともに、海外の学生の受け入れも積極的に取り組んでいます。具体的には、安養外国語高校(韓国)、Princess Chulaborn Science High School Pathumthani(タイ)、National Junior College(シンガポール)、イスタンブール・ビレッジ・サービス・アナトリア高校(IKHAL高校、トルコ)、Beaumaris Secondary College(オーストラリア)などと連携しています。
北海道という地域・場所による特徴・特色はありますか。
本校がある北海道は課題先進地域と言えます。鉄道等の公共施設の維持・管理、札幌の人口一極集中、他の都市への人材流出など、課題が山積しています。本校ではこれらの課題を探求学習のテーマとして採用しており、生徒たちが身近に感じる課題を題材とすることで、学習の深堀りが実現できていると考えています。
本プロジェクトのきっかけ
本プロジェクトを始めようと思ったきっかけを教えてください。
将来の学校構想を検討する上で、これまでは現場(教員)の勘や経験を重視して学校づくりや経営戦略を練ってきました。結果として、本校のビジネスとしては一定の成功を収めていると考えています。一方で、本校が更なる成長を遂げるために新たなアプローチが必要だと考えておりました。
例えば、授業の良し悪しは説明(言語化)が難しく、教員の勘や経験に依存してしまいがちです。科学的観点から授業をデータ化することができれば、教員の勘や経験と実態(生徒の評価や学習成果など)のズレを可視化し、授業改善につなげることができます。このような検討の中で興味を持ったのがデータやエビデンスに基づく科学的アプローチでした。
立命館慶祥が選ばれる教育であり続けるためには学校の価値を裏付けるような客観的事実(ファクト)がより重要になると考えています。先ほど申し上げた社会連携やSSHに加えて、科学的アプローチによって本校の教育の有効性をデータやエビデンスによって裏付けることができれば強力な訴求力になると考えています。
科学的アプローチは有用性の高い方法論である一方で、従来のやり方を否定することにも繋がる恐れがあると思います。不安等を感じることはなかったのでしょうか。
本校は平成24年度から長年に渡ってSSHに指定されており、科学的に物事を捉え、考えることは本校の価値観によくマッチしていました。また、今振り返ると、本校の三代目の校長である川崎昭治先生は、講話の際に脳の働きを根拠とした話をよくされており、「人間を知ることは脳の働きをよく知ること」と常々おっしゃっていました。これらの背景もあり、科学的アプローチの採用に大きな不安や違和感を覚えることはなかったですね。
プロジェクトの概要
本プロジェクトの背景・目的、実施内容について教えてください。
先ほど申し上げた通り、学校法人立命館がすすめるR2030将来構想に基づき、学校づくりの議論を進めてきました。本校は1996年の開校以来、「世界に通用する18歳」を合い言葉に、挑戦・貢献・協働できる自律型人材の育成を目指してきましたが、2030年以降の学校づくりを考える上で、まずは学校の現在地(目的と目標が示す人材を育成できているのか)について検証していく必要性があると考えました。
そこで、「自律性」に焦点を当て、① 立命館慶祥の生徒の自律性の現状の把握、② 立命館慶祥の教員の自律性支援型指導の実践度合いの把握、③ 立命館慶祥の生徒を取り巻く環境が自律性に与える影響の評価、以上3点を目的として調査を実施しました。
本プロジェクトの進め方について、本プロジェクトは、① 自律性の定義と評価手法に関する学術文献調査、② 生徒・教員を対象とした自律性評価アンケート調査、③ データ分析の3ステップで実施しました。
① 自律性の定義と評価手法に関する学術文献調査
最初に、本校教員へのヒアリングやプロジェクトチームでのディスカッション、学術文献調査を通じて本プロジェクトで対象とする自律性の定義を行いました。文献調査の結果、自律性と一言で言ってもその定義や評価方法は多岐にわたり一意に決めることは困難でした。したがって、本プロジェクトでは自律性に関する主要な評価方法を複数用いて、多面的に生徒の自律性を評価することを目指しました。
さらに、文献調査の結果、教員の指導スタイルが生徒の自律性に影響することを示唆する知見も多数見つかりました。よって、本プロジェクトにおいても、これらの知見で報告されている評価手法を用いて、教員の自律性支援型指導の実践度合いや、教員の指導スタイルと生徒の自律性との関連性の評価を目指しました(図1)。
② 生徒・教員を対象とした自律性評価アンケート調査
アンケート調査はオンライン形式で2023年の9~10月に計8回実施しました。本校の中学校・高等学校の在校生約1500名、教員約100名を対象としました。調査の実施にあたっては、既存の授業や学校活動への影響を最小限に抑えるため、アンケート1回は10分間で回答できるように細かく分割して配布しました(図2)。
③ データ分析
そして最後にアンケート調査で得られたデータの分析を実施しました。生徒の自律性スコアや教員の自律性支援型指導の実践度合いに関するデータの単純集計・クロス集計は勿論のこと、より踏み込んだ分析にも挑戦しました。具体的には、変数(パラメータ)間の関連性を分析する相関分析や回帰分析や、類似したデータ同士をグルーピングするクラスタ分析などを行うことで、生徒の自律性と教員の指導スタイルとの関係性や、自律性の高いグループ/低いグループの特徴などを明らかにすることを目指しました。
なお、NTTデータ経営研究所には、調査の企画、文献調査、アンケート調査のデザイン、データ分析などの幅広い業務でご支援いただきました。
プロジェクトの結果、得られた気づき
本プロジェクトのデータ分析結果からどのようなことがわかりましたか。
まず、当初の目的通り、各学年・クラスにおける生徒の自律性の現状を可視化することができました。中学校から高校へと学年を経ることで、自律性スコアが高くなることを想定していたのですが、そのような傾向は認められず、学年・クラスによって差異があることがわかりました。
さらに、相関分析や回帰分析を通じて、生徒の自律性と教員の指導スタイルの関連性を分析しました。その結果、生徒の自律性を促す指導スタイルの実践度合いが高いほど生徒の自律性も高い傾向があることが明らかになりました。逆に、生徒の自律性を阻害する指導スタイル(生徒が自ら考える余地の少ない授業構成、退屈な宿題の強要など)と生徒の自律性はネガティブな影響を及ぼす可能性が示唆されました。
これらの結果は、教員が生徒の自律性に大きな影響を及ぼすことを示しており、教員の授業や指導スタイルの改善に資する重要な知見だったと考えています。
データ分析結果から教員の指導スタイルや言動が生徒の自律性に与える影響が明らかになったことから、生徒に接する際により意識して行動するようになりました。特に、自律性の高い生徒の場合、自律支援型の指導スタイルが逆効果になる可能性が示唆されたことは我々の直感に反する結果で興味深く、より生徒個人に目を向けた指導が必要であることがわかりました。
生徒と教員、保護者との関わりの重要性が垣間見えたことは非常に興味深かったですね。現在、教育現場に求められている教育の個別最適化の実現にあたっても今回得られたデータや知見は重要になると思います。例えば、生徒が個人で黙々と勉強を進めたいタイプなのか、集団で勉強を進めたいタイプなのかといったことがわかれば同じ教科であっても生徒の特性・特徴に応じて指導・授業形態を分けるような新たな授業が提案できると思います。
また、アンケート調査の前段階として実施した国外の自律性に関する学術文献調査の結果も非常に参考になりました。すぐに現場に活用できそうな示唆に富む知見も多く、このような知見が教育現場に普及すれば教育の品質は大きく向上すると思います。
プロジェクトの苦労した点
今回のプロジェクトで特に苦労された点はどのようなところだったでしょうか。
データ分析手法や結果を理解することに苦労しました。テストや模試の結果などは日頃からデータに基づいて分析・評価しているのですが、相関分析等の踏み込んだ分析をする機会は少ないため、相関分析やクラスタ分析等の手法・結果を理解するのは正直大変でした。一方で、数字や図表が苦手な自分自身と向き合う機会にもなり、データに基づく判断の重要性を再認識する機会にもなったと感じています。
アンケート調査にあたって、本校教員に多くの場面でご協力いただきましたが、プロジェクトの目的や内容、成果の活用方法等の理解度・納得度はバラつきがあったように感じています。このようなプロジェクトをより円滑かつ効果的に推進するためには、教員の理解度・納得度を高めるような取り組みやコミュニケーション等が必要だったと反省しております。
今後の展望
本プロジェクトの結果は今後の学校づくりにどのように活かされると考えていますか。
本プロジェクトを通じて科学的アプローチそのものの有用性を実感することができました。本校には約1500名の生徒、約100名の教員が在籍しており、日々の学校生活の中で様々なデータを収集することが可能です。これらデータからは教育の質向上に向けた有責な示唆の獲得が期待できるため、科学的アプローチは継続していきたいと考えています。
その一方で、本校はデータから価値を創出することに慣れていないのが現状です。直近では、NTTデータ経営研究所のような企業や大学などとの連携を通じて取り組んでいくことになると思いますが、中長期的には学校にデータサイエンティストのような人材が常駐し、自走していく可能性もあると考えています。また、いずれはこのような取り組みに生徒が積極的に関与していく可能性もあるでしょう。
生徒自身が仮説を立て、生徒や教員のデータを収集・分析し、学校に提言を行うことができれば、教育的な観点・学校運営としての観点の両観点からも非常に素晴らしい取り組みになりますね。
先ほど紹介した、Beaumaris Secondary Collegeは、教員の採用選考を生徒が実施しているそうです。生徒が学校運営に積極的に参画することは今後の潮流になりつつあると考えています。
データ分析結果については、現状咀嚼している段階ではありますが、自身のクラスのホームルーム等で積極的に取り入れていきたいと考えています。また、今回のプロジェクトの結果は校内に十分浸透しているとは言えないので、実践例として校内に共有していくことが重要だと考えています。
本校は進学実績や成績等が現状良いため、現場の教員として危機感を抱きにくく、変化の必要性を感じにくいのが実情です。しかし、現状維持では変化する社会や事業としての競争に対応できなくなってしまいます。そこで、地道に実践例を蓄積し、科学的アプローチの必要性を徐々に浸透させていくことが必要だと考えています。
その他得られた気づき等はありましたか。
今回のアンケート調査を通じて、生徒の自己評価能力(メタ認知)が重要であると改めて感じました。
自分自身も含め、物事を客観的に評価するためには対象を要素分解し、それぞれの要素を客観的に評価する必要があります。例えば、生徒を対象にコンクールの満足度を問うアンケートを実施すると、グランプリを取得したクラスにおいて満足度が高くなる傾向があります。実際には外部評価よりも自分自身がどう感じたかが重要なのですが、外部評価が生徒の満足度に影響を与えるのです。
今回の調査は生徒たちが自分自身のことを客観的に評価できるという前提で進めましたが、自己評価は決して簡単ではありません。今回のアンケート調査結果から生徒の自己評価能力について言及することはできませんが、精度の高い調査を行うためには考慮すべきポイントであると考えられます。この点は引き続き検討していくつもりです。
本日はありがとうございました。
最後に ~科学的アプローチに基づく教育戦略・施策の立案に向けた示唆~
立命館慶祥のプロジェクトインタビューを通じて、科学的アプローチに基づく教育戦略・施策の立案に向けた多くの示唆を得ることができた。主な示唆については以下にまとめた。
プロジェクトの目的と評価対象の具体化および学術的定義
なぜ教育に関する評価を行う必要があるのか、評価結果をどのように活用するのか等、目的を具体的に定めることが重要である。目的が不明瞭だと折角取得したデータや知見が十分に活用しきれず、中途半端な検証になってしまう恐れがある。本プロジェクトにおいても評価の目的に関する認識合わせやディスカッションに多くの時間を割いている。
また、目的に応じた評価対象の定義も同様に重要である。本プロジェクトで対象とした自律性をはじめとして、一般的に社会情動スキル(social-emotional skills)や非認知スキル(non-cognitive skills)などと呼ばれる学力以外のスキル・素質については共通的な定義が存在せず、評価者独自の解釈・定義のまま評価・議論されているものも少なくない。独自解釈・定義によっても調査は可能だが、得られた結果は科学的裏付けとは言い難い。科学的に妥当性の高い調査を行うためには対象とするスキル・素質などを学術的知見に基づいて評価対象を定義することが必要不可欠である。
教員の理解・協力を得るための説明・コミュニケーションの実施
本プロジェクトのような調査を円滑かつ効率的に遂行するためには、現場の教員の理解・協力が必要不可欠である。しかし、データやエビデンスに基づく科学的アプローチは勘や経験などの従来の方法論とは相反する結果を示す可能性を含んでおり、教員の不安や違和感、反発等を招く恐れがある。そのため、プロジェクトの目的や意義、成果の活用方法等について、教員に対し丁寧に説明することが肝要である。本プロジェクトにおいても調査に先立ち、教員を対象とした説明会を実施し、プロジェクトの目的や意義を説明し、結果として多くの教員の方々にご協力いただくことができた。一方で、山口先生のご指摘の通り、教員の本プロジェクトに関する理解度・納得度にはバラつきが見られ、改善の余地を残す結果となった。本結果を踏まえると、同様のプロジェクトを進める上では説明会以外の意見交換の場の設定など、教員の理解度・納得度を高めるような取り組み・工夫が必要になるだろう。
外部機関との連携
科学的アプローチに基づく教育戦略・施策の立案のためには、教育学、教育心理学、脳科学、統計学などの知見を有する人材をアサインし、文献調査、調査設計、データ分析などの専門性の高いタスクを実施することが求められる。多忙を極める学校運営において、自組織のみで科学的アプローチを推進することは困難である。そのため、科学的アプローチを用いた取り組みを行う際には大学や企業などの専門性を有する外部機関との連携が効率的かつ効果的な選択肢となる。近年、部活動の外部委託(アウトソーシング)や、スクールロイヤーなどの取り組みの中で外部機関との連携によって学校業務の効率化・高度化を目指す取り組みが増えている。科学的アプローチに関しても同様に外部連携を推進することで、効率的・効果的にデータやエビデンスに基づく教育戦略・施策の立案を実現できると考えられる。
科学的アプローチに基づく教育戦略・施策の立案の実現には多くのハードルがあるものの、一つひとつのハードルは決して高くはない。丁寧に検討・解消していくことで、多くの学校において科学的アプローチに基づく教育戦略・施策の立案を実現できるだろう。