はじめに
企業(自治体などを含む)間決済(BtoB決済、BtoG決済)は1,000兆円を超える巨大市場であるにも関わらず、多くの企業や自治体にはいまだに紙の請求書・納付書を用いた非効率な支払い業務が残存している。しかし、インボイス制度開始や改正電子帳簿保存法への対応を契機として支払い業務のDX化が進み、わが国企業の生産性向上を加速させる絶好の機会が訪れている。
本稿では、企業間決済市場の現状やDX化促進に向け課題となるボトルネック、市場を巡って繰り広げられている陣取り合戦の様相、今後予測される展開について解説する。
1. 1,000兆円を超える巨大な未開拓市場
近年よく耳にする「決済」の話題と言えば、個人や家計が購入主体となるキャッシュレス決済に関するものがほとんどではないだろうか。わが国では、キャッシュレス決済比率を2025年までに4割程度にするという政府目標を掲げ、各種取り組みを進めている。このキャッシュレス決済比率を算出するうえでの母数となるのは、家計による消費財への支払いを意味する「民間最終消費支出」であり、2023年には約322兆円 1 の規模となっている。これに対し、企業や自治体など公共団体間での決済が、少なくとも1,000兆円を超える規模になることはあまり語られていない。
この巨大な市場規模を持つ企業間決済であるが、いまだにその相当数は郵送やFAXで送られた請求書を基にやりとりされているのが現状だ(図表1)。
1 経済産業省 報道発表『2023年のキャッシュレス決済比率を算出しました』(2024年3月)
【図表1】請求書などの伝達方法
出典:独立行政法人情報処理推進機構「 企業間取引のデジタル化状況に関する調査 」(2023年1月)
請求書が郵送やFAXでやりとりされる場合、件数が多くなればその分企業や自治体における支払い業務の負荷は高くなり、また、紛失などによる未払いや支払い遅延のリスクも大きくなる。さらに近年では、インボイス制度の開始に伴う適格請求書要件の確認や改正電子帳簿保存法の施行に伴う紙と電子の請求書の保管など支払い業務が煩雑化し、対応に悩まされている担当者は多いはずだ。
かねてからわが国では労働生産性の低さが問題視されている。国際競争力の強化に向けて、支払い業務のDX化による生産性向上はわが国として喫緊の課題であるといえる。
2. DXの文脈で見る支払業務変革の方向性
DXの最終目的が、生産性の向上やそれに伴う競争力の強化であるとの認識に大きな異論はないであろう。しかし、そもそもDXとは何か改めて整理してみる。経済産業省が公表している『 DXレポート2 中間とりまとめ 2 』によれば、DXは “デジタイゼーション”、“デジタライゼーション”、“デジタルトランスフォーメーション” という3段階に分解することができるという(図表2)。3段階目の “デジタルトランスフォーメーション” は、狭義にはビジネスモデルの変革を示すこともあるが、広義には大幅な業務効率化・生産性向上をもたらすE2E(End-to-End、取引先含む業務全体)のデジタル化も “デジタルトランスフォーメーション” と捉えることができよう。
2 経済産業省『 DXレポート2 中間とりまとめ(概要)』(2020年12月)
【図表2】DXの構造
出典:経済産業省「 DXレポート2 中間取りまとめ 」
昨今では、紙の請求書を介する支払い業務を変革するための各種手段やソリューションが提供されている。筆者はこれらについてもDXの3段階の観点から分類することができると考えている(図表3)。ここでは、高度な技術が使われているか否かではなく、デジタル化の領域が一部なのか、業務全体がデジタル化される(されうる)ものなのかという視点で分類している。
【図表3】DX3分類ごとの支払い手段・ソリューション例
分類 | 内容 | 支払い手段・ソリューション例 | |||||
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デジタルトランス フォーメーション | E2E(End-to-End、業務全体)のデジタル化による大幅な業務効率化・生産性向上をもたらすもの |
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デジタライゼージョン | 支払い業務自体を一部自動化するサービス(紙の請求書への対応も想定したもの) |
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デジタイゼーション | 紙の請求書など、アナログ情報のデジタル化ができるサービス |
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わが国全体の生産性向上に寄与する度合いが高いのは、“デジタルトランスフォーメーション” に該当する支払い手段・ソリューションだろう。これらは企業内部の支払い業務のみならず、収納企業と支払企業間のやりとり含む全てをデジタル上で完結できるようにするものだ。その意味で、わが国の生産性向上に向けては、“デジタルトランスフォーメーション” に該当する支払い手段・ソリューションがどれだけ普及するのかが注目すべきポイントになる。
【図表4】支払い手段・ソリューションの概要
支払手段 | 概要 | |||||||
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デジタルインボイス |
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口座振替 |
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法人クレジットカード (主にパーチェシングカード) |
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電子記録債権(でんさい) |
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3. 普及拡大に向けたボトルネック
① 収納企業側の対応状況
企業が新たたな支払い手段・ソリューションを導入する際、ボトルネックとなるのが収納企業側の対応状況である。たとえば、紙の手形や小切手に代わる電子記録債権(でんさい)やデジタルインボイスを支払い企業が利用するためには、収納企業側も同様の手段に対応できている必要がある。つまり、収納企業側も含めた普及率が、支払企業側での導入促進に向けたポイントといえよう。
法人クレジットカードの利用に際しても、収納企業が加盟店である必要がある。特に収納企業が中小零細企業である場合、そのハードルは高い。
口座振替についても収納企業側の対応を必要とするが、すでに多くの企業では、公共料金など定期的な支払いにおいて対応済みである。このことから、紙の請求書から口座振替への切り替え余地は大きいのではないだろうか。
② 支払い企業側の業務・規程上の制約
業務や規程上の制約から、効率化につながる支払手段やソリューションを利用できないケースもあるだろう。代表的なのは次の例だ。
企業や自治体のガバナンス上、通常何らかの支出を行う際には、収納企業から受領した請求書などを基にした事前の審査・決裁が必要である。しかしながら、例えば口座振替にした場合、サービスの利用料などが自動で引き落とされてしまうため請求書による事前の支払い承認ができない。このような事情から口座振替を利用せず、手間をかけて、請求書からの振り込み業務を続けている企業や自治体はいまだに多い。
【図表5】一般的な支払い業務フロー例
4. 企業間決済市場をめぐる動き
巨大な企業間決済市場では、大手クレジットカード会社をはじめとした決済関連企業が新規顧客の取り込みに躍起になっている。例えば三井住友カード株式会社では、経費管理と精算業務を効率化するクラウドサービス「 SAP Concur 4」との連携によってあらゆる法人決済手段を同社のクレジットカードに集約し、経費精算まで自動化するサービス 5 を展開している。このような支払い業務自体の変革を促すサービスが各社から展開されているのだ。また最近はVisaの「 BPSP 」6 など、収納企業が加盟店でなくともクレジットカード払いが可能なソリューションが登場しており、支払い企業によるクレジットカード利用のハードルは確実に下がってきている。
クレジットカードの利用のハードルが下がっているのは自治体も同様だ。これまでは、地方自治法上、自治体がクレジットカードを使うことには関連法令の規定に抵触する懸念があるとされていたが、総務省は令和4年に「 自治体が支払いでクレジットカードを利用することは関連法規に抵触しない 」旨の通達 7 を出している。これを契機として、一部自治体ではクレジットカードによる支払業務効率化の実証実験 8 に取り組んでいる。
デジタルインボイスについては、ITソリューション系など一部企業で送受信サービスや経理・会計システムにおける対応を進めている。北九州市ではデジタルインボイスを受け入れ、支払い処理を行う実証実験を行っており 9、他の自治体においても今後デジタルインボイスを起点とした支払い業務改革の推進が期待される。
また、口座振替では事前決済のためのデータ取得が導入のボトルネックとなっていたが、実は多くの金融機関からこの課題を解消できる「 公振くん 10」というサービスが提供されている。このサービスは事前に引き落とし予定のデータを提供し、事前に引き落とし予定のデータを提供し、各種集計・分析や会計システムなどに連携できるものだ。実際、これらサービスを利用して支払い業務を効率化している企業や自治体も多くあり、今後の拡大も期待されよう。
7 内閣府 規制改革推進会議 『規制改革ホットライン処理方針 (令和4年3月26日から令和4年5月13日までの回答)』(2024年4月)
8 Mastercard『和歌山県とMastercard、紀陽銀行、紀陽カードディーシー、三菱UFJニコスと、自治体の調達・支出プロセスの最適化・高度化をめざした実証実験を実施』(2023年5月)
9 北九州市 報道発表資料『北九州市 × デジタル庁 × ウイングアーク1st 自治体初︕クラウドサービスでデジタルインボイスを送受信(実証)』(2024年1月)
おわりに
ここまで触れずにきたが、企業にマッチする支払い手段やソリューションは利用場面(定期払いか都度払いか、法人としての固定費か出張や交通費などの経費かなど)によっても異なる。また、その選択には、支払いサイト(取引代金の締め日から、代金を支払うまでの期間)をいかに長期化できるかという観点も重要だ。さまざまな制約やインセンティブを踏まえると、紙の請求書からの脱却を目指す支払い業務変革には、いくつかの手段を組み合わせることも必要となるであろう。収納企業である取引先の対応が進まないなどの制約がある場合には、当面は紙の請求書を受け入れることを前提に、 “デジタイゼーション” や “デジタライゼーション” に該当するソリューションでの対応が現実解となるケースもあるはずだ。
いずれにせよ、インボイス制度や改正電子帳簿保存法の影響もあり、各企業や自治体では支払い業務の改革につながる手段やソリューションへの移行・採用が進めやすい環境となったともいえる。多くの選択肢が存在する中で、どういった支払手段・ソリューションが1,000兆円超の巨大市場を制することになるのか今後も目が離せない。