はじめに
新型コロナウイルス感染拡大をきっかけとして、ビジネスでもプライベートでもオンライン会議システムをはじめとするデジタルコミュニケーション手段が多用されるようになった。感染状況がピークを越えたことで、対面(オフライン)コミュニケーションへの回帰・反動は一部で見受けられるものの、リアルでの対面コミュニケーションからデジタル技術を活用したコミュニケーションへのシフト(本稿ではデジタル・コミュニケーション・シフトと呼ぶ)は不可逆的であると考えられ、今後多くのビジネスにおいてこの新たなコミュニケーション形態を前提にプロダクト企画・開発を行う必要が生じるだろう。
デジタル技術を活用したコミュニケーションは、普段我々が行う対面コミュニケーションとは全く異なる特徴・特性を有している(表)。そして、これらの差異が我々のコミュニケーション行動や意識などに影響を与えることが数多くの研究から明らかになっている。つまり、デジタル・コミュニケーション・シフトの対応にあたっては、既存の対面コミュニケーション手段を単純にデジタル化するだけでは不十分であり、デジタル技術を活用したコミュニケーション手段が、人間の行動や意識等に与える影響を理解した上で、適切にデザインすることが肝要なのである。
本稿では、まず、デジタル技術が人間のコミュニケーションに与える影響を学術知見に基づいて概観する。その後、これらの知見に基づいて、ビジネスの主要な場面におけるデジタル・コミュニケーション・シフトに向けた具体的なアイデアをいくつか提案したい。
デジタル技術が人間のコミュニケーションに与える影響
オンライン会議システムは心理的安全性を高める?
コロナ禍によって多くのサービスがデジタル化(オンライン化)された。会議や授業はオンラインを利用したものとなり、旅行や飲み会までもがオンライン化されたことは記憶に新しい。サービスの提供および消費形態としてデジタル(オンライン)が加わったことで、サービスはより効率化され、新たな楽しみ方が提案されたことは消費者としては喜ばしいことである。その一方で、デジタル化(オンライン化)によって「セミナーの際にオーディエンスの反応が見えにくくなった」「イベントの際にメンバー同士の一体感が得られにくく、思ったほど楽しくない」などの不満・違和感を覚えた方も少なくないはずだ。
これらの事象はZoomやMicrosoft Teamsなどに代表されるオンラインコミュニケーションツールや通信ネットワークの問題に起因することも多いが、コミュニケーション形態の違いによって無意識的に生じる人間の認知・行動などの違いも大きく関与している。
米・オクラホマ大学のノラ・ダンバー教授らの研究では、対面とビデオ会議(オンライン会議と同義)の2条件下における2者間(インタビュアー、インタビュイー)のコミュニケーションを対象とした実験を行い、コミュニケーション形態による人間の認知・行動の差異を検証した。この実験は雑学問題とインタビューの2つの実験から構成されており、雑学問題では被験者はもう一人の仲間(実は実験者であり、被験者はそのことを知らない)と二人で協力しながら雑学問題に取り組む。この時、被験者は「正解数に応じて賞金を獲得できる」と事前に教示されており、可能な限り多く正解するように動機付けられている。そして被験者が雑学問題に取り組み始めると、もう一人の仲間(実験者)から不正行為(スマートフォンなどを用いて実験者の目を盗んで雑学問題の答えを検索し回答する行為)を行うようにそそのかされる。その結果、一部の被験者は不正行為に手を染めてしまう。雑学問題終了後、被験者は対面あるいはビデオ会議でインタビューを受ける。この実験のインタビュアーはアメリカ国防総省からリクルートされた“プロのインタビュアー”であり、人の心理や嘘を見抜くプロフェッショナルである。インタビュアーは被験者に対し「ちゃんと問題に解答したか」「不正行為を行っていないか」などの質問を行い、被験者が嘘をついていないか、また、どれだけ緊張しているように見えるかなどの観点で評価を行う。
この実験の結果、対面条件とテレビ会議条件において、インタビュアーの嘘検出能力に有意差が生じることが明らかになった。結果は、対面条件での嘘検出能力は63.4%、テレビ会議条件では53.8%と低い結果となった。また、インタビュアーが評価した被験者の緊張度合も対面条件と比べてテレビ会議条件の下では有意に低いことが示された1。なぜプロインタビュアーが被験者の嘘や心理を見抜くことができなかったのだろうか。この実験結果は2つの可能性を示している。一つは、テレビ会議条件において被験者(インタビュイー)が嘘をついたり、緊張していないように立ち振る舞えるようになった可能性である。これには、相手の存在感(Presence)を直接的に知覚する対面条件と比べて、テレビ会議条件では相手が遠隔地におり物理的・心理的な安全性が確保されていることが要因として考えられる。もう一つは、テレビ会議条件においてインタビュアーの嘘検出に必要な情報が不足しているという可能性である。被験者(インタビュイー)の情報を五感で感じ取れる対面条件と比べ、テレビ会議では音声情報と視覚情報しか活用できず、その精度も低い。単純に得られる情報量が少ないことが起因していると考えられる。
また、別の研究では、他者との意見対立の場面において、ビデオ会議条件の方が対面条件よりも、自分自身の覚醒度の自己評価が低くなるとともに、相手の覚醒度をより正確に評価でき、相手をよりポジティブに評価し、コミュニケーションの満足度が高くなることが示されている2。この結果は、ビデオ会議条件のほうが冷静に自己・他者評価を行ったうえで意見の対立というハードな状況を冷静かつ建設的に対処できるようになる可能性を示唆している。
これらの研究はオンラインコミュニケーションが「心理的安全性」を高める可能性を示している。心理的安全性(Psychological Safety)とは、「“このチームでは安心して対人リスクのある行動を取れる(=たとえミスをしたとしても、それを理由に非難されることがない)”というチームメンバーによって共有される考え」と定義されている3。少々抽象的な概念ではあるが、心理的安全性が高まることで、創造的な仕事への取り組みの増加、情報交換構造の増加による従業員間の信頼関係の強化、組織改善に向けた発言の増加など、様々な効果が生じることが知られており4、Human resource人事(HR)や教育の分野などでもその重要性が指摘されている。一般的に、心理的安全性はマネージャーなどがマネジメントの一環として醸成する概念(職場の空気など)であるが、オンラインコミュニケーションは相手の存在感を直接的に知覚できないため、心理的安全性が生じやすいと言える。それにより、前述の研究事例のように、他者の前でも自信をもって立ち振る舞うことができたり、冷静に相手とコミュニケーションできるようになるなどの効果が生じていると考えられる。
これらの示唆は、オンラインコミュニケーションのユースケースを考える上で極めて有用である。なぜならば、コミュニケーションの目的や、参加する人物の属性・特性などに応じたオンラインコミュニケーションを活用することで、円滑で生産性の高いコミュニケーションが実現できる可能性を示しているからである。なお、これらの可能性については後述する。
他者の“視点”を得ることで行動・意識が変わる ―視点獲得(Perspective-taking)―
メタバース(Metaverse)への世界的な投資の過熱もあり、新たなコミュニケーションの場として、バーチャル・リアリティ(VR)空間も注目を集めている。メタバースの定義や事例などについては本稿では割愛するが、多くのサービスにおいて、VR空間で自分の分身であるアバターを操作し、他のアバターとの交流を楽しむことに主眼を置いたサービスが多数を占めており、メタバースにおいては“コミュニケーション”が重要なファクターであることがうかがえる。
現在のメタバースではテレビゲームのキャラクターを第三者視点(キャラクターを背後から見る視点)で操作するようなケースが殆どであるが、自分の視点をアバターの視点に合わせることで、アバターの視点からVR空間を視聴することや、自分の視点を他者アバターの視点の切り替えることで、他者の視点からVR空間を視聴することもできる。このような他者視点から世界を認識することを視点獲得(Perspective-taking)と呼ぶ (図)。
この効果を活用することで、人間の行動・意識は大きく変容することが知られている。例えば、VRを活用して色弱(赤緑色盲)の人の見え方(視覚)を実体験した場合と、色弱の人の見え方を頭の中で想像した場合(恐らくこのように見えるだろうというイメージとして視点獲得)を比較した研究では、前者では他者への手助けなど向社会性行動が増加することが報告されている5。
さらに、自分でも他者でもない、第三者の視点からコミュニケーションを観察することも同様に行動・意識変容に効果的であることが示されている。やや極端な例ではあるが、ドメスティックバイオレンス(DV)を題材とした研究では、DVの被害者(女性)と加害者(男性)のやり取りの様子をその場にいない第三者視点(被害者と加害者のやり取りを隣から傍観する視点)から観察することで、女性に対するジェンダーバイアス(女性は○○であるといった思い込み・ステレオタイプ)が減少するなどの効果が認められ、DVの予防・更生を目的とした教育プログラムとして有効である可能性が示唆されている6。このような事例は他にも数多く報告されており、VRを活用したリアルな視点獲得が人間のコミュニケーション行動や意識に影響を与えることが多数の研究から裏付けられている7。
視点獲得は一般的に、“経営者視点になって自分の業務を考える”などように、頭の中のイメージとして行う行為であるが、VRではデジタル空間でリアルな体験として再現することができる。コミュニケーションの目的や状況に応じて別人の視点や第三者視点を付与することで、コミュニケーションの円滑化は勿論のこと、研修・教育効果の向上といった効果も期待できる。これらの可能性についても後ほど説明する。
他者の“身体”を得ることで意識・行動が変わる ―プロテウス効果(Proteus effect)―
VRを活用することによって、他者の“視点”だけでなく、“身体”も獲得することができる。VR空間において、アバターの視点・身体と自らの視点・身体を同期させることで、プロテウス効果(Proteus effect)と呼ばれる、意識・行動変容効果が生じることが知られている。
代表的な例として、VR環境におけるドラミング行動の研究を紹介しよう。この研究ではまず被験者に対しVR空間で使用するアバターとして、カジュアル服装の黒人アバターか、スーツ姿の白人アバターをいずれかが割り当てる。割り当てられたアバターの視点・身体は被験者の視点・身体と同期するように設計されており、あたかも自分の身体が黒人あるいは白人アバターに変化したように感じることができる。そして、VR空間内でジャンベドラム(西アフリカ起源の太鼓のような打楽器)のドラミングタスクを実施させる(図)。
アバターの見た目以外は全く同じ条件であるが、前者の黒人アバターを付与した場合にのみドラミング行動が有意に増加することが明らかになっている 。“カジュアル服装の黒人=陽気に太鼓を叩いていそう”といったような被験者がアバターに対して抱くイメージ(ステレオタイプ)が、VR空間において自分の身体が黒人に変化したことで無意識的に引き出され、ドラミング行動の増加として顕在化したと考えられる。このようなVR空間における視点・身体変化に伴う意識・行動変容をプロテウス効果(Proteus effect)と呼ぶ。上記以外にも、高身長・美男あるいは美女アバターを適用することでコミュニケーションの積極性が増加したり9、発明家のような見た目のアバターを適用することでブレインストーミングのパフォーマンスが向上するなどの効果が発生することも報告されている10。また、この効果は人間以外のアバターを適用しても生じる。東京大学VR教育研究センターの小柳らの研究では、屈強なドラゴンのアバターを適用することで、高所における主観的不安感(SUD)やストレス指標であるガルバニック皮膚反応等が変化し、高所恐怖症症状改善に効果的である可能性が示唆されている11。
デジタル・コミュニケーション・シフトに向けたアイデア
前章までにオンライン会議ならびVRを中心に、それぞれのコミュニケーション媒体において生じるコミュニケーション行動および意識変容効果を紹介した。これらの知見を踏まえ、ビジネスの主要な場面におけるデジタル・コミュニケーション・シフトに向けた具体的なアイデアをいくつか提案したい。
セールス(営業)への活用
言うまでもなくセールスは顧客獲得を目的とした最も重要なビジネスコミュニケーションの一つである。コロナ禍によってセールスのオンライン化が急速に進み、オンラインセールスが日常になりつつある。オンラインセールスによって効率的なセールス活動が可能になった一方で、対面セールスと比べて顧客の反応が見えにくい等の“やりにくさ”を感じる人も多いのではないだろうか。
前述の知見を踏まえると、オンラインでは対面と比べて相手の心理状態が読み取りづらい状態になり、顧客の本心やニーズ等が把握しにくい状況に陥っている恐れがある。既に親密な関係性が構築できている既存顧客であれば問題ないかもしれないが、新規顧客開拓等の場面では顧客獲得成功率を低下させる大きな要因になりかねない。
現状としては、セールス活動はすべてオンライン化するのではなく、オンラインと対面のハイブリッド型が有効であると考えられる。既存顧客の継続的な取引などに関してはオンラインセールスによって効率化を図りつつ、新規顧客開拓などについては対面セールスを活用することが望ましいと言える。非常に単純なアイデアではあるが、セールスの目的に応じてコミュニケーション手段を使い分けることで、より効果的・効率的なセールスが実現できるだろう。
中長期的な解決策として、VRを活用したオンラインセールスも有効かもしれない。VR空間上でのアバターを介したコミュニケーションは、ユーザに“その場に人がいる”という存在感(Presence)を強く知覚させることから、オンラインであっても対面のような心理状態や行動を誘発し、顧客の本心やニーズなどをより汲み取りやすい状態になることが予想される。
また、上記VRセールスが普及することで、前述の視点獲得やプロテウス効果を用いたより効果的なセールスが実現する可能性もある。例えば、自分の姿を美男美女アバター、高身長アバターに変換することで、相手により良い印象を与えるとともに、より自信に満ちた積極的な姿勢でセールスに臨めるようになるかもしれない。商談時の印象や態度は商談成功率に直結する要素であることから、実現時のインパクトは大きい。また、自分自身の姿だけでなく、商談相手の姿や、周辺環境の様子を変化させることで、商談を有効に進められるようになる可能性もある。これらのアイデアの実現にあたってはVR技術そのものの技術的課題やVR空間における情報提示に関する倫理的課題等をクリアする必要があるものの、VR空間が新たなセールスのステージとなるのであれば重点検討すべきテーマの一つと言えるだろう。
また、トレーニングの観点でもトップセールスのアバターを自分自身に重ねることで、文字通りの“トップセールス視点”で実体感の高いトレーニングが実現できると考えられる。視点獲得の研究では自身の身体を変えることで運動やトレーニング等の効果が変化することが示されており、本アイデアの有効性の一端を支持している12。
これらのアイデアはノウハウとして自社のオンラインセールスやオンライン顧客接点(タッチポイント)等の改善に活用できることは勿論の事、デジタルコミュニケーション技術やツール、サービス等を開発する企業にとっては新たな事業創出につなげることも可能であろう。現在発売されているオンラインセールスツールの多くは安定した回線、簡単な資料共有機能、自動議事録作成機能などがうたい文句となっている。これらの機能が重要であることに異論はないが、前述のようなデジタルコミュニケーション技術が人間の意識・行動に与える影響を考慮した設計が十分に行われているとは言い難い。ヒトを中心に据えたデジタル・コミュニケーション・シフトが実現できればセールス活動は新たな局面を迎えることができるはずだ。
社内コミュニケーション(会議)への活用
コロナ禍をきっかけとして多くの企業で社内コミュニケーションの多くがオンライン化された。その代表例は「会議」だろう。時間や場所の制約が少ないオンライン会議は効率的なコミュニケーション手段としてコロナ禍終息後も継続して用いられることは想像に難くない。
前述の学術知見を活用することで、オンライン会議の価値をより高めることができる可能性がある。例えば、アイデア創出を目的としたブレインストーミングなどの会議をオンライン形式で実施することでより多くの発言を促せるかもしれない。また、ビジネスアイデアのブラッシュアップを目的とした会議では、より冷静な状態で議論を行い、アイデアをより良い方向に導くことができるようになるかもしれない。心理的安全性が高められやすい(と考えられる)オンライン会議をあえてブレインストーミングやディスカッションの場として活用することで、感情的な対立の少ない円滑な会議運営や、より良いアウトプットの獲得等などが期待できる。
会議の目的やゴールに応じて前述の視点獲得やプロテウス効果を活用することでより良いアウトプットの獲得できる可能性もある。例えば、新規事業のブレインストーミングでは各参加者がクリエイティブな見た目のアバターを利用することで、自分自身の創造性を解放し、より良いアイデアの創出が期待できる。また、環境問題等の社会問題について議論する際に、対象とする問題に合わせて自身の身体を変化させることでより現実感やオーナーシップをもって議論に臨むことができるようになるかもしれない。例えば、VR環境内で自身の身体を珊瑚に変化させ、海中で珊瑚の体が朽ち果てていく姿を体験することで環境問題に対する関心が大きく増加することが示されている13。他にも会議における発言頻度や発言数などに応じて、アバターの身体の大きさを変化させたり、参加者のアバターを入れ替えることで、コミュニケーション量の調整や、発言の多様性の確保が実現できるようになるかもしれない。
これらのアイデアを会議等の社内のコミュニケーションに導入することで生産性向上や会議アウトプットの高付加価値化等が期待できる。また、その活用可能性は社内にとどまらない。自社顧客との社外コミュニケーションに展開することで、自社―顧客(消費者)、顧客(消費者)―顧客(消費者)コミュニケーションの生産性向上・高付加価値化も期待できる。いくつか例を挙げると、教育/研修サービス等における教師―生徒のコミュニケーションの円滑化・効率化、顧客対応窓口におけるオペレータ―カスタマーのコミュニケーションの円滑化、消費者コミュニティにおける消費者同士のコミュニケーションの活性化等が挙げられる。自社の製品・サービスや顧客(消費者)とのコミュニケーション形態によってその活用方法は異なるものの、顧客とのコミュニケーションが必須と言っても過言ではない現代のビジネスにおいて、積極的に活用を検討するべきだろう。
教育/研修への活用
学習および研修への応用事例は現時点では限定的だが、文部科学省が進めるGIGAスクール構想などによって学校現場のオンライン化が進む中、VRやメタバースなどのデジタル技術を用いたコミュニケーション手段を用いることで新たな付加価値を創出できる可能性を秘めている。例えば、外国語や技能を取得する際に、外国人アバターや技術習熟者アバターを活用することで、スピーキングにおける羞恥心等などの心理的障壁を低減させたり、技能習得時のモノの見方や心構え(マインド)の変化より短期間で効率的に学習できるようになるかもしれない。
ほかにも、運動技能に関して第三者視点からリアルタイムで自身の動きを確認することで、効率的が運動技能の獲得が期待できる。スタンフォード大学のジェレミー・ベイレンソン教授らの研究では、太極拳の動作学習を対象として、VRを活用した第三者視点から自身の動作を確認することで、より効率的に動作習得が可能であったと報告されている14。
さらに、文部科学省の新学習指導要領に基づいた児童生徒の資質・能力の育成に向けて必要となる「協働学習(協働的な学び)」への活用も考えられる。協働学習は、学校におけるICTを活用した学習場面の一つとして定義されており、生徒がグループとなり、ICTツール等を駆使してディスカッションや意見整理、協働制作等を通じて相互に学びあうことで、思考力、判断力、表現力等の育成を目指す学習形態である15。今後、協働学習が新たな学習形態の一つとして学校教育に実装されるとともに、大学入試等において当該学習によって培われることが期待される主体性やコミュニケーションスキル等が評価対象となることが予想され、協働学習をいかに効果的に実施するかが学校においても民間教育事業において重要なポイントになるだろう。現状の協働学習は対面あるいはオンライン会議システムによるコミュニケーションがメインであるが、デジタルコミュニケーション技術はこの協働学習を大幅にアップデートできる可能性を秘めている。具体的には、これまでに紹介したVRにおける視点獲得やプロテウス効果を活用することで、いわゆる“コミュ障”や発達障害等のコミュニケーションが苦手な生徒の発言を促すことで議論を活性化させたり、他者の意見をより冷静に受け止めることができるようになる可能性がある。実際に、自閉症患者を対象にコミュニケーション相手の顔をゴリラやライオンの顔に変化させる“アニマルフィルター”という特殊な画像処理を施すことで表情認識能力が増加することが示されており16、本アイデアの有効性を支持している。このように、ヒトのコミュニケーションメカニズムに基づいてデジタル技術を活用することで、より効率的・効果的な協働学習サービスが実現できるだろう。本稿では協働学習を取り上げたが、学習の場におけるコミュニケーションは今後さらに重要性が増すことが予想されることから、ヒト中心のデジタル・コミュニケーション・シフトを考えることで、さらなる事業創出機会の獲得が期待できる。
最後に
本稿では対面コミュニケーションからデジタル技術を活用したコミュニケーションへのシフト「デジタル・コミュニケーション・シフト」について、デジタル技術が人間のコミュニケーションに与える影響を学術知見に基づいて概観したうえで、これらの知見に基づいて、企業におけるデジタル・コミュニケーション・シフトに向けた具体的なアイデア提案を行った。
歴史的に見ても、新たなコミュニケーション手段の登場は新たなビジネスチャンスの出現と同義であった。しかし、動物としてのヒトにとっては対面コミュニケーションが自然であり、デジタルコミュニケーションはいわば不自然なコミュニケーション形態とも言える。そのため、デジタルコミュニケーションを効果的に活用するためには、これらが人間の意識・行動に与える影響を的確に把握したうえでのコミュニケーションデザイン・ビジネスデザインが欠かせない。単なるデジタル化にとどまらないヒト中心のデジタル・コミュニケーション・シフトが新たなビジネスチャンスを拓くだろう。
以上