1.はじめに(要旨)
CPTPP(Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership、アジア太平洋地域における経済連携協定)やRCEP(Regional Comprehensive Economic Partnership、東アジア地域包括的経済連携)に代表される多国間自由貿易圏の形成が進む潮流のなかで、ヒト、モノ、サービス、テクノロジーの越境移動が活発化している。
関税削減・撤廃に代表される自由貿易化は、世界における貿易活性化に伴う経済発展が期待できる一方で、各国国内産業にとっては海外からの輸入品に市場シェアを奪われるリスクがあるほか、輸出においても外国政府による貿易障壁に直面するリスクがある。
各国政府は海外からの輸入に対する国内産業の保護、ならびに輸出における貿易障壁への対応等について対応する政策や制度を整備している。
それと同時に、各国政府は貿易関連政策および制度利活用に係る普及啓発活動にも取り組んでいる。これは、国の政策や制度が整備されたとしても、利活用面におけるサポートが無ければ自国産業へのサポートには至らないためである。
本稿では、自国産業に対して、如何に貿易関連政策や制度を認知させ、制度の利活用を促進しているのかという点について、事例の一つとして、米国の貿易救済措置制度における利活用促進活動を調査することで、我が国における諸政策及び制度利活用の促進に係る検討の一助としたい。
尚、本稿ではコピーライトに配慮し、米国政府HPの各種コンテンツのキャプチャ画像等を掲載していないため、適宜、参考資料URLを参照されたい。
2.米国の貿易救済措置制度について
貿易救済措置制度とは
政府が外国からのダンピング等による不公正な輸入品に対して関税を賦課することで、国内産業の保護を図る制度である。
米国はWTO(World Trade Organization)協定の加盟国であるため、基本的にはWTO協定に準拠した国内法を制定・運用している。このため、下記にWTO協定に基づく貿易救済措置制度を記載する。
WTO協定に基づく貿易救済措置
WTO加盟国(約160カ国、全世界の貿易量の約9割)が国際貿易において遵守すべき規定として、WTO協定がある。同協定は国際貿易に予見可能性を与えるとともに、不公正貿易に対し、加盟国自身による関税・非関税措置を認めているほか、WTO紛争解決手続きによる救済手段を提供している。
ここでは、WTO協定に基づく関税措置について簡潔に概観する。 ※1
- アンチダンピング関税(AD:Antidumping Duties)措置:
輸出国の国内価格よりも低い価格による輸出の事実があり、それによる輸入国の国内産業に被害があると判断される場合に、価格差相当額を上限に賦課される関税措置。 - 補助金相殺関税(CVD:Countervailing Duties)措置:
政府補助金を受けて生産された物品の輸出が輸入国の国内産業に損害を与えている場合に、当該補助金の効果を相殺する目的で賦課される関税措置。 - セーフガード(SG:Safeguard)措置:
特定品目の貨物の輸入の急増が、国内産業に重大な損害を与えていることが認められ、かつ、国民経済上緊急の必要性が認められる場合に、損害を回避するための関税の賦課又は輸入数量制限措置。
上記の措置は各国の国内法において実行される。当事国間における協議で解決に至らなかった場合、WTO紛争解決手続きに移行する。
米国当局について
米国政府における、上記貿易救済措置制度を運用する当局は下記の通りである。
- 国際貿易委員会(USITC:United States International Trade Commission)
米国の準司法的連邦機関として、ダンピング輸入等による自国内産業への「損害」について調査を実施する。 - 商務省国際貿易局(ITA:International Trade Administration)
商務省(Department of Commerce)傘下の機関として、貿易救済措置においてはダンピング輸入等による自国内産業の保護を目的に、貿易救済措置の調査開始の決定、ダンピング輸入の事実等及び自国内産業への損害との「因果関係」を精査して措置開始の決定を実施する。
3.米国当局(アメリカ合衆国商務省国際貿易局:ITA:International Trade Administration)における政策及び制度利活用に係る普及啓発活動について
ITAにおける政策及び制度利活用に係る普及啓発活動の実行部隊はE&C(Enforcement & Compliance)である。
E&Cでは、米国の反ダンピング税(AD)および相殺関税(CVD)措置の施行により、不公正な取引に対する米国産業の競争力を保護および強化している。
また、外国市場へのアクセスに向けた国際貿易協定の交渉を支援することにより、米国の雇用と経済成長の創出と維持を担っており、E&Cでは下記3つの部署構成によって業務を遂行している。※2
- Antidumping and Countervailing Duty Operations:
米国のアンチダンピング法および相殺関税法を施行し、不公正な取引慣行を相殺する適切な関税を決定する。 - Policy and Negotiations:
対外貿易障壁、外国補助金、対外貿易救済訴訟に直面している米国の輸出業者を支援し、貿易救済措置の一貫した管理を支援し、市場アクセスと貿易の改善の交渉に貢献することにより、公正かつ競争的な貿易を促進する。 - Foreign Trade Zones:
自由貿易化により、国内産業の付加価値向上に向けた取組を促進する。
貿易救済措置制度に係る知見の提供
米国の貿易救済措置制度については、上記の3部署のうち、Antidumping and Countervailing Duty Operationsが、主に下表の情報を公開している。 ※3
図表1:ITAによる貿易救済措置制度に係る主な公表情報
項目(原文) | 内容 | ||
---|---|---|---|
AD/CVD Petition Counseling | 貿易救済措置に係るFAQ等 | ||
Decisions and Data | 米国政府による他国からの輸入に対する貿易救済措置の決定内容 | ||
AD/CVD Duty Orders | アンチダンピング措置(AD)及び補助金相殺関税措置(CVD)の対象となっている他国産品の詳細 | ||
Reference Material | 貿易救済措置に関する基礎知識や法令 | ||
貿易救済措置に係る申請書等の書類作成・提出の手順 | |||
ダンピングマージンの計算手法(SAS) |
上記のうち、特記すべきはダンピングマージンの計算手法の公開である。※4
ITAでは、ダンピングマージンの算出においてSAS Institute社が開発するアナリティクスソフトウェアを導入するとともに、マージンの計算プログラム(SAS言語)を一般公開している。
このため、公開されたプログラムをソフトウェアに反映させることで、理論上は誰でも米国によるダンピングマージン計算を再現することが可能となる(ただし、利用者⦅潜在的なAD申請者⦆に応じて適宜、定型コードを変更する必要がある)。
これは、①米国の国内産業によるダンピングマージンの算出が可能となること、②当局による調査業務が効率化されることを意味する。
①においては、弁護士や事業者自身の調査能力を高めることにつながるため、制度活用に係る知見の標準化という観点において、貿易救済措置制度の普及啓発活動として効果的であるといえる。
②においては、米国を含め世界的に貿易救済措置に係る訴訟案件が増加(直近10年間で2倍程度)するなか、米国国内産業からのAD申請件数の増加に対応可能な調査対応キャパシティを構築する上で重要な意味を持つ。
尚、国により異なるが、一般的にはAD申請から課税に至るまで、当局による調査業務プロセスは約1年間に及ぶ。すなわち、案件数の増加が業務負荷に比例する特性があるなか、当局の労働力が変動しない仮定であれば、調査業務の効率化は必須である。
輸入品のモニタリング調査結果の公表による意識づけ
ITAでは更に、貿易統計を用いて、国ごとの鉄鋼輸出入数量・金額のモニタリングコンテンツ(SIMA)を公表している※5。対象産品を鉄鋼製品に限定した背景には、鉄鋼製品が世界におけるAD措置件数の最大(約3割)のウェートを占めている(米国では約5割)ほか、中国における鉄鋼製品の供給過剰問題があると推察される。
モニタリング対象国は輸出入ともに上位21ヵ国となっており、統計グラフのダッシュボード形式のコンテンツとなっている。また、統計情報をベースにした年次の分析調査レポートを公表することで、主要な貿易救済措置の調査及び発動業界の貿易動向を共有することで、不公正な輸入に対する国内産業への意識づけを行っている。
成功事例のPR
E&Cでは、貿易救済措置については実施していないが、外国政府の貿易障壁の撤廃に係る成功事例をPRしている。ITAが米国企業の外国への投資及び輸出を妨げる恐れのある障壁の克服に向けた取組を文書及びビデオ形式で公表することで、E&Cによる取り組み及びその効果を可視化している。
更に、PRページには外国政府の貿易障壁に係る事例報告を一般向けに求めていることから、広報(PR)活動による制度利活用促進に向けた取り組みに注力している様子がうかがえる。 ※6
4.おわりに
米国によるアンチダンピング措置調査開始件数はWTO発足以降から2018年末までの期間においてインド(約900件)に次いで2番目(約700件)の規模を維持していることから、米国政府による政策及び制度利活用促進に向けた取り組みには一定の効果があるものと考えられる。
今回調査した米国政府の事例では、政府当局が本来の業務に加え、制度利活用の促進に向けて注力している①政策及び制度利活用のための知見共有及び広報戦略、及び②積極的なIT技術の導入による制度活用活性化後の当局の対応力強化の2点について具体的な取組み内容及びその効果を明らかにすることができた。
今後は、米国及び他国における個別具体の取組事例を調査するなかで、特に知見共有等を目的とした具体のコンテンツやIT技術の導入事例及び効果を紹介することで、我が国の政府及び自治体における政策・制度利活用の促進に向けた取組みの参考としたい。
※1 経済産業省HPより(http://www.meti.go.jp/policy/external_economy/trade_control/boekikanri/trade-remedy/index.html)
※2 ITA HP参照(https://legacy.trade.gov/enforcement/)
※3 ITA HP参照(https://legacy.trade.gov/enforcement/operations/index.asp)
※4 ITA HP参照(https://enforcement.trade.gov/sas/programs/amcp.html)
※5 ITA HP参照(https://legacy.trade.gov/steel/global-monitor.asp)
※6 ITA HP参照(https://tcc.export.gov/success_stories/index.asp)