住環境は脳に影響を与えるか?
読者の皆さんのほとんどは現代の都市生活者であろう。コンクリートジャングル、騒音、高い人口密度、通勤ラッシュ…。要求度の高いオフィスワーク等々に特徴付けられる都市生活は人間の脳の歴史の中ではごく最近の特殊な形態である。都市生活者は1950年においては日本の人口の53.4%でしかなかったが、2022年時点では92%となり、そして2050年までにはさらに上がると予測されている。※1
ちなみに、都市生活者と共に増加傾向にあるのが精神疾患である。
日本でも現在500万人以上の精神障害者(令和2年時点)がおり※2、生涯を通して約5人に1人は精神障害を患うと言われている。※3
さて、居住地と精神疾患は関連するのだろうか。都市に住む人ではうつ病や不安障害のリスクが上昇しており、統合失調症の罹患率も都市で生まれ育った人では非常に高いことが報告されている。※4どうやら、精神疾患は都会生活と関連しそうである。
都市で育つことによる脳への影響を調べたドイツのユニークな研究がある。 ※5
実験参加者が、fMRIと呼ばれる脳スキャナ内で認知課題(時間的制約の中で計算問題を解く)を行った後、ヘッドフォンを通じて否定的フィードバックを受けるというものだ。そこでは、実験前後の主観的ストレスレベル・唾液コルチゾール・心拍・血圧を計測した。参加者は、現在もしくは過去の居住地がCity(人口10万人以上)、Town(人口1万人以上)、Rural(それ以下の農村など)のいずれかで分類された。
すると面白いことが分かった。まず、現在住んでいる都市の大きさは扁桃体の活動と関連し、活動はCity → Town → Ruralの順に活発だった(図2上)。ちなみに扁桃体はストレスや恐怖などネガティブな情動の処理に深くかかわる脳部位である。
また、都会での生い立ちは、社会的認知にかかわるといわれる膝周囲部前帯状皮質(pACC)の活動と関連し、pACCの活動と都会での生い立ちの度合いは明確な線形相関を示した(図2下)。一方で、ストレスがかからない課題時にはこのような違いは見られなかった。つまり、都市での生育経験・現居住はストレスに対しての脳の応答性を変えることが分かったのだ。
ちなみに、都会で育つとpACC、扁桃体間の機能的結合が低下することも分かったが、これは精神疾患のリスク※6として知れている脳の情報処理の特徴である。この実験では、都市生活経験以外にも、健康状態・心的状態・年齢・教育・収入なども調べたが、それらの要素はこうした脳の反応の違いに影響しないことがわかった。
どうやら、都市に居住もしくは育つと、社会的ストレスに対する脳が変化するようで、それが都市化と精神疾患の関係の背景にあるのかもしれない。
脳にとっていい住環境とは
現代の都市生活は中々捨てられるものではないだろうが、上述のように便利さの裏の脳へのリスクは無視できない。では、逆に脳にとって幸福感を感じる住環境とはどのようなものだろうか。
英国の研究者が面白い調査を行っている。※7彼らは「Mappiness」という独自に開発したアプリを用いて、任意にアプリをダウンロードした2万人以上の参加者から100万以上の回答を集めた。参加者は一日二回、どの程度「幸せ」に感じているかを回答することが求められた。同時に、誰と・どこで・何をしているかも回答し、その間にGPSで正確な場所が特定された。すると、参加者は都市にいるより、緑が豊富な自然環境にいるほうが幸せを感じることがわかった。
緑だけでなく青も大事らしい。屋外に海や湖など水のある環境(blue space)が人間の健康・幸福に与える利益に関する研究を体系的にまとめた研究がある。※8それによると。海岸から5キロ以内に住んでいる場合には、内陸部に住んでいる場合と比べて精神状態が良好であったことが示された。また、blue spaceと身体活動性の増進に関しても、海岸付近に居住する成人は座っている時間が短く、エネルギー消費や身体活動性が高いことがわかった。
このように「緑」・「青」といった都会では縁遠い要素が、脳の健康・幸福には大事らしい。
では、都市生活者はどうすればいいのか。簡単にはじめられるところだと、緑や水を使ったインテリアを置くことでストレス低減の効果を感じるようだ。※9それ以外にも移住・デュアルライフ・旅行・ワーケーションなど、都市から離れて本物の緑と青に近づく活動は積極的に行った方が良さそうである。今後街づくりを考える際、「脳にやさしい」施策についても検討してはどうだろうか。