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銀行のステークホルダー・エンゲージメント

~コロナ禍が気付かせた銀行の本質的な役割~
No.66 (2021年2月号)
NTTデータ経営研究所 金融経済事業本部 グローバル金融ビジネスユニット マネージャー 登坂 千尋
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NOBORISAKA CHIHIRO
登坂 千尋
NTTデータ経営研究所 金融経済事業本部 グローバル金融ビジネスユニット
マネージャー

システムインテグレータを経て2018年より現職。主に、金融機関のデジタルトランスフォーメーション(DX)推進支援や、デジタル技術を活用した新規事業・サービスの企画支援に従事する。キャッシュレス推進協議会「キャッシュレス・ロードマップ2019」策定に関与。

コロナ禍において、世界中の銀行が、失業者支援、ITサポート窓口、人材マッチングなどの一見銀行業とは関係のないサービスを提供し始めている。金融機関にとって、非常事態にこそ顧客の生活や事業を支援することが必要との判断が働いたからだ。この行動は、高級ブランド企業が消毒液やマスクを生産することと同じである。これまで銀行は、「晴れの日に傘を貸し、雨の日に取り上げる」と揶揄された。

しかし、コロナ禍は多くの社会課題を白日の下に晒し、その解決者として銀行の存在意義が改めて期待されるようになったのである。銀行を含めてコロナ禍における企業行動に少なからず影響を与えたのが、「ステークホルダー資本主義」という比較的新しいコンセプトである。

本稿では、「ステークホルダー資本主義」が登場した背景について触れたあと、銀行におけるステークホルダー・エンゲージメントの実践とデジタルテクノロジーの活用、そしてエンゲージメントを通じた長期的な価値創造について考察する。

1 ステークホルダー資本主義登場の背景

米国の経営者団体であるBusi-ness Roundtableが2019年 8月に発表した声明「Statement on the Purpose of a Corporation」では、1997年以降掲げてきた株主優先原則に代えて、企業が顧客、従業員、サプライヤー、地域社会、株主など全てのステークホルダーに対して価値提供することを約束した。この大きな変化の背景には、①行き過ぎた短期成果主義への反省、②環境・社会やガバナンスなどのサステナビリティに対する要請の高まり、③株主資本主義が招いた富への集中と経済格差に対する反省などがあった。

こうした米国における動きに対し、欧州ではステークホルダー資本主義的な思想を政策的に強化する流れにある。例えば、欧州域内市場の活性化に向けて、サステナブルファイナンスの確立を目指した「グリーン・ニューディール」などのアクションプランが公表された。これは、金融システムを起点にステークホルダー資本主義を強めることで域内の資本市場活性化を促し、経済的価値を創造していくことを目指している。

欧州のこうした動きについては、米中にインターネットの世界をリードされた復権を狙った動きと評する向きもある。

欧米の動きによって、「ステークホルダー資本主義」の考え方は徐々に広まっていたが、その必要性をより社会全体に認識させたのが、コロナ禍であった。しかし米欧におけるステークホルダー資本主義への転換はまだ始まったばかりで、啓蒙的なガバナンスモデルやアクションプランが提供され始めたところであるため、未だ企業の実践段階にまでは達していないようである。

2020年9月に、世界経済フォーラムが4大監査法人と協力し、ステークホルダー資本主義の導入レベルを測定するESG指数と情報開示の原則※1を公表しており、企業のステークホルダー資本主義への転換を後押しする効果が期待できよう。

※1 世界経済フォーラムの企業委員会である「国際ビジネス委員会(IBC)」が中心となってまとめた、ステークホルダー資本主義のレベルを測定するためのESG指数と情報開示の原則「ステークホルダー資本主義測定指標」。「人」「繁栄」「プラネット」「ガバナンス」の4観点および21の中核指標と34の拡大指標で構成され、地域や業種を問わず適用可能なものとした。

2 銀行におけるステークホルダー資本主義の実践

(1)コロナ禍で学んだステークホルダーの大切さ

コロナの蔓延期において、バンカーは自身や家族への感染リスクなどの大きな不安を抱えながら、エッセンシャル・ワーカーとしてサービスレベルの維持に努めた。店頭には資金繰りにひっ迫した、取引のない顧客までもが押し寄せ、銀行の「セーフティネットとしての役割」をかつてない広がりをもって意識することになった。

その結果からは、規模にかかわらず多くの銀行が、失業した借入人への職業斡旋、企業のリモートワーク環境を整えるITサポート窓口設置などに動いたのも想像に難くない。経済活動が停滞する中において、ステークホルダーの持続可能性やレジリエンスを支援する活動の必要性を強く意識したことが、こうした行動に繋がったと考えられる。

銀行の意識変化はまさにステークホルダー資本主義の実践であり、社会課題の解決と事業戦略を一体化して深化させていく試みが見られるようになった。例えば、三菱UFJフィナンシャル・グループ(以下、MUFG)は、2020年5月の投資家説明会において、「サステナビリティとステークホルダー資本主義」を踏まえ、世界の価値観や顧客の行動様式を含む社会構造への不可逆的な影響を想定して能動的に対応することを目指すとするCEOからのメッセージを提示した。

これは、従来から存在していた社会環境の変化が、新型コロナの影響によって大きく加速することを意識して「社会のデジタルシフト:お客さまとの接点のあり方や社員の働き方を含む、『MUFGの運営そのもの』を革新する」と「社会課題解決への貢献:課題解決と経営戦略を一体化させ、MUFGの持続的な成長にも取り組む」が経営の重点的なテーマとなっている認識である。

MUFGは、運営方針において、「会社のあり方のデジタル化」「事業としての強靭性」重視の他に、「エンゲージメント重視の経営」を掲げて、従業員・顧客・社会とのエンゲージメントを強化する取り組みを進めることでステークホルダーとの共感性を築き、魅力的な企業になることを目指している。まさにこれは「晴れの日に傘を貸し、雨の日に取り上げる」という銀行中心の行動を変革していくことに他ならない。

(2)デジタル時代のステークホルダー・エンゲージメント

リレーションシップ・バンキングは、伝統的な文脈における顧客エンゲージメントと考えることができる。しかし、人手がかかるリレーションシップ・バンキングがこれからも決め手になるとは考えにくい。デジタルをフル活用したスマートなステークホルダー・エンゲージメントとはどのようなものだろうか。

・デジタルな顧客体験を高める

MUFGは真の顧客中心の戦略を実行すべく、顧客とのエンゲージメント構築において、デジタルビジネスの成功要因であるデジタルを活用した質の高いUX(=User Experience 顧客体験)を持ち込もうとしているものと解釈できる。デジタルサービスによって質の高いUXを提供できるようになるだけでなく、当該サービスをデジタルネットワークで拡販することで顧客獲得コストが下がり、商品の品揃えを増やすことで顧客のロイヤルティをより一層高める好循環を作ることができる。

このようなデジタルビジネスは、MUFGが目指す「会社のあり方のデジタル化」が定着していないと実現することは不可能である。デジタルビジネスを前提とした戦略を取り入れることは、テクノロジーの話ではなくデジタルビジネスを前提とした組織へと変革することの宣言とも言える。

成功しているデジタルサービスの多くは、市場へ商品・サービスを投入する際に利用手数料をゼロもしくは低価格に設定して利用ハードルを下げ、顧客が増えたところで有償のプレミアムサービスに誘引するモデルでビジネスを成立させている。しかし既存の銀行においては、「事業領域に応じた事業本部制」組織のもとで戦略が企画・実行されているため、同様のビジネスモデルは実現し難い。

全行的にはユーザー数が増えたとしても、提供する商品で事業本部の収益化が見込めなければ、その施策自体への投資を承認することができないからだ。つまり本格的なデジタルビジネスの実践に向けては、商品ごとのプロダクトマネージャーがコントロールする仕組みが必要で、既存の本部制・支店の仕切りのルールに大きな影響を与えることになろう。

しかしこうした新しい変革を経てこそ、「地域ごとの成長性や強みを見極めて経営資源の最適配置を行う」ことができるのだ。新しいビジネスには事業を計測する新しいメトリクスが必要なのである。

・ 無形資産の再利用を進める

ソフトウエア企業は最初に製品開発費用が発生する一方で、ソフトウェアの複製については、ほぼ無限にほとんどコストが発生しない。

テクノロジー企業は、製品開発を極小化したサービス単位(マイクロサービスと呼ばれる)で行い、社内で開発する他のシステムへも埋め込めるようにする。マイクロサービスの機能再利用は外部向けにも行われており、ほとんどの場合API(Application Programing Inter-face)と呼ばれるテクノロジーが利用されている。身近な例を挙げると、Google MAPはマイクロサービスの一つで、Googleが提供するあらゆるサービスで呼び出すことができるほか、地図情報を必要とする外部サービスでも多数利用される。

開発者は都度ゼロベースから機能を作らず外部で提供されている機能を活用し、APIの利用単位で利用料を支払う。ほとんどのテクノロジー企業がAPIを有償で開放することで、外部企業は開発スピードを上げることができる一方、API提供側の企業は開発コストを早期に回収することができる。つまり、APIを活用してテクノロジー企業間が連携するエコシステムが形成されているのである。銀行もこのようなエコシステムをサービスの横展開戦略を導入することによって、ソフトウエア企業並みにAPIを活用できる日も遠くはない。

(3)ステークホルダー・エンゲージメントの強化に向けて

・長期的な価値創造を支援する銀行

銀行に限らず、商圏エリアをもつ企業にとって、社会課題の解決と事業戦略を一体的に深化させる試みは一層重要性が高まることになる。これまで見てきたように、自社の営業地盤である地元が成長してこそ、自社の存在意義と存続性が高まるからである。

企業が社会課題解決の対価として得るリターンには、経済的リターンの他に、非金銭的なリターンがある。非金銭的なリターンは、第一に従業員のモチベーション向上が生産性向上に寄与し、企業ブランド価値が向上する結果、顧客層が拡大すること。第二に、優秀な人材が確保できることで、行政や教育機関からの協力や支援を獲得しやすくなり、企業にとって長期的な競争力を構成することができることである。

こうした競争力は、資金や経営資源の調達市場においてコスト低減として働き、最終的には経済的なリターンとなって計測される。経済的リターンは即効性があり財務諸表などで確認できるが、非金銭的リターンは時間をかけて経済的なリターンに変換されるため、「統合報告書」のような非財務情報によって確認することになる。

今後銀行には、自身のネットワーク、モニタリング、リスク管理、アドバイザリーなど、これまで銀行業として培ってきた能力を動員して、社会課題の解決を行う企業を的確に評価する役割が強く期待されるだろう。こうした評価は、ステークホルダー・エンゲージメントが基礎になることは論を待たない。

コロナ禍で認識された「ステークホルダー資本主義」は、これまで利益至上主義で硬直化していたビジネスや組織のあり方に変革をもたらす契機になったとも言える。

ステークホルダー全体に配慮したビジネスや組織は、結果的に長期的な付加価値創造と付加価値供給を実現し、ひいては、自社も含めたステークホルダー全体の持続可能性と経済価値を両立することにつながると考える。

本稿に関するご質問・お問い合わせは、下記の担当者までお願いいたします。

NTTデータ経営研究所

金融経済事業本部

グローバル金融ビジネスユニット

マネージャー

登坂 千尋

E-mail:noborisakac@nttdata-strategy.com

Tel:03-5213-4250

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