背景
近年の働き方改革の推進により働き方は多様化し、自宅やコワーキングスペースなどオフィス以外の環境で働くワークスタイルは定着しつつある。このような状況下において、新型コロナウイルス感染拡大に伴ういわゆる「コロナ禍」を経験し、多くの企業において在宅勤務を中心としたリモートワークが急激に普及した。また、コロナ禍終息後も在宅勤務にシフトすることを表明する企業も現れている。
その一方で、従業員の心身の健康や生産性の配慮に欠ける働き方施策は、特に健康経営を推進したい企業にとって大きなリスクとなり得る。米国の調査では、パンデミックを契機としたステイホームや在宅勤務の強制などにより、孤独感が急上昇していることが明らかになっている。実に43%の人が「高孤独」状態と評価され、抑うつ傾向と高い相関を示すなど、慢性的な社会的孤立が招く精神的健康への重大な影響が懸念されている※1 。しかし現状では、多くの企業がそうしたリスクを正確に把握できておらず、解決策が見えないまま働き方施策を試行錯誤している状況である。
そうした状況において、リモートワークと心身の健康・生産性を両立できる働き方として我々が注目しているのが「ワーケーション(Workation)」である。ワーケーションとは、リゾート地域、都市郊外地域などの普段の職場とは異なる場所で働きながら休暇取得などを行う仕組みであり※2 、環境省からも設備・環境の整備を進めるなどの新たな観光需要の創出が期待されている新しい働き方である※3 。
しかし、ワーケーションが実際の心身の健康や労働生産性に与える効果・効用に関しては定量的研究が存在しない。このため経営者や人事担当者はエビデンスに基づいてワーケーションの推進判断を行うことが困難であり、制度や支援の普及も進んでいない状況にある。
そのため本稿では、ワーケーションの効果・効用に関するエビデンス獲得並びに効果的なワーケーション施策の策定・普及を目的として、実施された「ワーケーション実証実験」の結果について報告する。この実験は慶應義塾大学島津明人教授の監修の下、弊社、株式会社JTB(以下、JTB)、日本航空株式会社(以下、JAL)などが連携して推進する、ワーケーションの科学的研究の取り組みの第一弾として実施したものである。
実証実験の概要
本実証実験の参加組織、背景・立場、実証実験における役割を表1に記載する。
表1|本実証実験の参加組織、背景・立場、実証実験における役割の一覧
参画社 | 背景・立場 | 実証実験における役割 | |||
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NTTデータ経営研究所 | 脳科学を基軸とした、労働生産性向上コンサルティングを実施 | 研究主体・研究企画の策定・実験準備/実施・解析・とりまとめ | |||
JTB | ワーケーションを適用したコンテンツ開発や企業と地域のマッチングを実施 | 研究主体・研究企画の策定・研究協力 | |||
JAL | 従業員のワーケーションの推進と地域活性化・ワーケーション商品の開発検討 | 研究主体・研究企画の策定・研究協力 | |||
日本トランスオーシャン航空 | 同上 | 研究協力 | |||
慶應義塾大学 島津 明人教授 | ワークエンゲージメントの専門家 | 研究監修 | |||
健康経営アドバイザー 平井 孝幸氏 | 健康経営の専門家 | 実験コーディネート | |||
カヌチャベイリゾート | 長期滞在型リゾートワーケーションプランの企画 | 実証実験施設(ワークスペース・宿泊場所)の提供 |
本実証実験では前述の背景を踏まえ、ワーケーションの効果・効用に関するエビデンス獲得を本実証実験の目的とした。実験場所は参画企業のひとつである株式会社カヌチャベイリゾートが運営するカヌチャリゾート(所在地:沖縄県名護市)とし、上記参画企業の所属メンバーを中心とした男女18名を対象者とした。
実証実験スケジュール
本実証実験は、プレワーケーション期間、ワーケーション期間、ポストワーケーション期間の3つの期間から構成される(図1)。
「プレワーケーション期間」
〈2020年6月19日(金)~6月25日(木)〉
ワーケーション実施前の対象者の状態・行動の把握を目的として、対象者の状態や仕事に対する姿勢などを問うWEBアンケートを計2回実施するとともに、ウェアラブルデバイス「Fitbit Charge3 HR」といったリストバンド型の活動量計を常時装着し、活動量や睡眠時間などの行動データを収集した。
「ワーケーション期間」
〈2020年6月26日(金)~6月28日(日)〉
6月26日(金)を勤務日、6月27日(土)・28日(日)を休暇日とし、ワーケーション中の対象者の状態・行動の把握を目的として、対象者の状態や仕事に対する姿勢などを問うWEBアンケートを計11回実施するとともに、ウェアラブルデバイス(Fitbit Charge3 HR)を常時装着し、活動量や睡眠時間などの行動データを収集した。
「ポストワーケーション期間」
〈2020年6月29日(月)~7月3日(金)〉
ワーケーション後の対象者の状態・行動の把握を目的として、対象者の状態や仕事に対する姿勢などを問うWEBアンケートを計2回実施するとともに、ウェアラブルデバイス(Fitbit Charge3 HR)を常時装着し、活動量や睡眠時間などの行動データを収集した。
使用尺度
WEBアンケートにおいて使用した尺度は表2の通りである。WEBアンケートは参加者の所有するスマートフォンより既定のタイミングで回答を行った。
表2|取得したデータ項目
尺度名 | 尺度概要 | ||||
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Segmentation preference (公私分離志向) | 生活における仕事とプライベートのメリハリの付け方の好みを問う尺度※4 | ||||
リカバリー経験 | 1 日の仕事が終わった後の時間の過ごし方(リカバリー経験)を問う尺度※5。「コントロール(プライベートの過ごし方を自分で決められる)」「心理的距離(仕事と距離を置ける)」「リラックス(リラックスできる)」「熟達(自分の成長に時間を使える)」の4項目に分かれる | ||||
ワークエンゲイジメント | 仕事に対する活力、熱意、没頭の程度を問う尺度※6。仕事に関連するポジティブで充実した精神状態が反映され、この指標が高いと従業員個人の生産性や心身の健康状態が高く、またそういった従業員が多い企業は、収益性が高く、離職率・無断欠勤が大幅に少ないことが明らかになっている※7 ※8 ※9 | ||||
職業性ストレス | 労働に際して発生するストレスを含む身体的・心理的状態を問う尺度※10。平成27年12月より施行されたストレスチェック制度で使用される「厚生労働省版ストレスチェック実施プログラム」の一部 | ||||
仕事のパフォーマンス | 仕事の状況や成果について問う尺度※11※12。WHOが定める国際的な生産性の指標であるWHO-HPQ、並びに新職業性ストレス簡易調査票から「規定された職務遂行」と「創造的な行動」の項目を利用 | ||||
組織コミットメント | 自分の所属する組織に対するコミットメントの強さを問う尺度※13。「継続的(今会社を辞められない)」・「規範的(価値観として転職すべきでない)」・「情動的(会社の中で自分を家族の一員のように感じる)」の3種類に分かれる | ||||
罪悪感 | ワーケーション中の罪悪感を問う尺度(独自尺度) | ||||
職務満足度 | 仕事の満足度を問う尺度(独自尺度) | ||||
主観的健康感 | 主観的な健康状態を問う尺度(独自尺度) | ||||
主観的メンタル状態 | 主観的な不安傾向などを問う尺度(独自尺度) | ||||
直近の業務内容 (ワーケーション中) | ワーケーション中の業務内容を問う設問。実施内容、結果、実施人数などを聴取(独自尺度) | ||||
直近の自由時間の過ごし方 (ワーケーション中) | ワーケーション中の直近の自由時間の内容を問う設問。実施内容、結果、実施人数などを聴取 (独自尺度) |
実験環境
カヌチャリゾート内にWi- Fi環境とソーシャルディスタンスを保持した執務エリアを用意するとともに、自室における執務も可とした(図2)。また、執務エリアではマスク着用、手指消毒の徹底などの新型コロナウイルス感染拡大防止に向けた対策を講じた。
解析の方法
対象者一人ずつの尺度得点を個人内で標準化し、プレワーケーション期間に記録した時点t=0(最初期の記録)をベースとして、反復測定分散分析及び多重比較を用いてその後の変化の統計検定を行った。
結果
■ 「公私分離とリカバリー経験」が「生産性と心の健康」にポジティブな影響を与える
今回の全実験期間のデータを対象に、それぞれの指標間の相互関係を知るために、相関係数を算出した(個人内の相関分析の結果を全参加者間で平均化)。その結果、「ワークエンゲイジメント」「仕事のパフォーマンス」「メンタルストレス」(図3赤枠)と、「Segmentation preference(公私分離志向)」「リカバリー経験」(図3青枠)の間に高い相関が認められた。すなわち、Segmentation preference(公私分離志向)が強くなり、リカバリー経験を持つことで、仕事の生産性が上がり、メンタルヘルス改善につながることが示唆された(図3)。
■ ワーケーション体験がSegmentation preference(公私分離志向)を増強する
ワーケーション前後でSegmen-tation preference(公私分離志向)を比較した結果、ワーケーション後にスコアが上昇しており(初日→終了後5日目+25・0%)、ワーケーション体験を通じてSegmentation preference(公私分離志向)が増強されたことが示唆された。本結果は、ワーケーションは表面的に見ると公私が混在する取り組みでありながら、むしろ逆の結果(仕事とプライベートのメリハリがつくようになる)となることを示唆しており、本実証で得られた新しい発見である(図4)。
■ ワーケーションを通して情動的な組織コミットメントが12・6%向上する
ワーケーション前後で組織コミットメントを比較した結果、ワーケーション後に情動的な組織コミットメントが上昇し、期間終了後もその上昇が維持されることが明らかになった(図5:初回→期間後2日目+12・6%)。情動的なコミットメントは、ワークエンゲイジメントと高い相関を示しており(図3)、ワーケーションが、従業員の会社に対する情動的な愛着や帰属意識を促進し、結果的にパフォーマンス向上にも寄与することが期待される。また、開始時に一時的に規範的コミットメントが上昇しており、「ワーケーションを許可してくれた会社に対する規範的な帰属意識」が反映されたことも示唆された。
■ ワーケーション実施中は仕事のパフォーマンスが20・7%上昇し、終了後も5日間効果が持続する
ワーケーション開始後、仕事のパフォーマンスは向上していることが明らかになった(図6: 特にWHO-HPQが、初回→ワーケーション初日+20・7%)。興味深いことに、その向上はワーケーション終了後1週間も持続しており、ワーケーションは実施中の短期的な効果だけでなく、その後の残存効果も期待できることが示唆された。
■ ワーケーションは仕事のストレスを37・3%低減させ、期間後も5日間持続する
ワーケーション開始後、職業性ストレス(心身のストレス反応)は全般的に低減していることが明らかになった(図7:初回→ワーケーション最終日の朝 全指標平均37・3%改善)。特に「活気」の増加、「不安感」の低減は期間終了後も持続していた。このことから、ワーケーションは心身のストレスを低減させ健康状態を改善させる効果が期待される。ただし、「疲労感」は下がりにくい傾向も見られ、ワーケーションは活動が増える分、身体的疲労感を伴うことが確認された。
■ ワーケーションにより活動量が増加する
活動量(歩数)の分析の結果、ワーケーション期間中は運動量が2倍程度に増えていることが明らかになった(図8:初回(6/24)6568歩→ワーケーション2日目(6/27):15653歩 2・38倍)。ワーケーション期間終了後、通常業務に戻ることで活動量は減少してしまったが、コロナ禍における在宅リモートワークの強制は、運動量の大幅な低下及びそれ伴う糖尿病や循環器系の重大疾患へのリスクが指摘されており※14、ワーケーションの取り組みは身体的な健康にも寄与することが期待される。
今後について
今回、ワーケーション研究の第一弾としてワーケーションの効果・効用に関するエビデンス獲得を目的とした実証実験を行い、ワーケーションが生産性や心身の健康に与えるポジティブな効果が明らかになった。
今後、本実証実験のスキームを活用し、自治体や企業に対して広く効果検証支援を行うことで、例えば、どのような人が、どのような人と、どんな環境で、どういったアクティビティを伴ったワーケーションを実施することで、生産性や心身の健康により効果的なのかなど、大規模データに基づいてより効果的なワーケーション施策の提案の実現が期待できる。
ワーケーションは企業の生産性の向上、従業員の健康だけでなく、コロナ禍によって冷え切ってしまった観光需要の起爆剤となり、観光産業の復興や地域産業の振興への貢献にできる大きなポテンシャルを秘めている。ワーケーションの科学的検証に基づく正しい認識と普及に向けて、当社ではステークホルダーとともに本取り組みを加速していく所存である。