1 アフターコロナに求められる観光の取り組み
新型コロナウイルス感染症(WH Oによる正式名称はCOVIDー19という。以下同様。)は、2019年(令和元年)11月22日に中華人民共和国湖北省武漢市で「原因不明のウイルス性肺炎」として最初の症例が確認された。それ以降、世界各地で感染が拡大(パンデミック)し、世界の社会・経済に深刻な影響を与えている。
新型コロナウイルス感染症に関連し、観光客の移動手段の制限や入国禁止などの渡航制限が世界の渡航先の100%で行われる※1という、かつて例のない状況を呈している。観光業への影響は甚大であり、IATA(国際航空運送協会)は今年1年間の航空会社の旅客収入は前年比55%減となる3140億ドル(約33兆 6700億円)の減収と予測している。※2
もちろん我が国の観光業にも深刻な打撃を与えており、4月の訪日外国人客は、前年同月比99・9%減と、東日本大震災直後の落ち込みを超える過去最大の減少幅を示した。4月16日には、特別措置法に基づく「緊急事態宣言」の対象地域が全国に拡大し、これに伴う自粛要請も相まって、訪日外国人のインバウンド観光、日本人の国内観光ともに、これまでに経験したことのない苦境に立たされている。
このように、現状では回復の見通しが立たない厳しい状況ではあるが、観光は我が国における経済成長の主要エンジンに変化しつつある※3重要な産業である。本稿では新型コロナウイルス感染症の収束(アフターコロナ)を見据え、我が国の観光に求められる取り組みを本稿で提案したい。
取組の内容は、(1)コロナ以前に戻す取り組み(リカバリー・コロナ)と、(2)新型コロナウイルス感染症の反省等を踏まえて新たに注力すべき取り組み(ビヨンド・コロナ)の二つのフェーズに分かれると考える。(1)リカバリー・コロナについては、我が国の安全性をPRするだけでなく、延期された東京オリンピック・パラリンピックや2025年大阪・関西万博を見据えた日本観光の質的転換を目的とした「ブランディング観光」に資するプロモーションの推進、(2)ビヨンド・コロナについては、観光滞在日数の延長や観光消費支出の拡大による地域全体の経済的活性化を目的とした「ワーケーション」の推進を取り上げ、以下にそれぞれ論じたい。
2 リカバリー・コロナ:ブランディング観光の推進
新型コロナウイルス感染症の発生以前の観光状況に戻すリカバリー・コロナの方策として、先ずは、官民が一体となって我が国・観光地の安全性や魅力等を訴求するプロモーションを強力に推進する必要があるだろう。
4月20日に閣議決定された「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策~国民の命と生活を守り抜き、経済再生へ~」では、「次の段階としての官民を挙げた経済活動の回復」を掲げ、以下のように述べている。
「感染症拡大の収束後の経済のV字回復のための反転攻勢を仕掛け、日本経済を一気呵成に安定的な成長軌道に戻す。このため、甚大な影響を受けている観光・運輸業、飲食業、イベント・エンターテインメント事業をターゲットに、官民を挙げたキャンペーンとして大規模な支援策を短期集中で展開することにより、消費を思い切って喚起し、地域の活力を取り戻す。その際、東京オリンピック・パラリンピック競技大会の延期に伴う需要の先送りを踏まえた経済の下支えに対応する」
2020年度の補正予算では、新型コロナウイルス収束後に、国内の人の流れや街のにぎわいを創出し、地域活性化を図る官民一体のキャンペーン「Go Toキャンペーン」の予算として1兆 6794億円が計上された。Go Toキャンペーンは国内に向けた観光需要喚起策であるが、インバウンド向け施策については、今回の新型コロナウイルス感染症と同様の感染症である、SARS(重症急性呼吸器症候群:2002年~2003年)やMERS(中東呼吸器症候群:2012年~)の流行時の対策が参考になるであろう。
2002年11月、中国広東省で発生したSARSは、アジアを中心に感染者が急速に拡大し、香港では2003年4月にWHO(世界保健機関)からの渡航自粛勧告を契機に観光業は壊滅的な打撃を受けた。これに対し、香港政府と香港政府観光局は、SARSの感染が拡大しつつある2003年4月時点で特別チームを編成し、感染収束後の観光復興計画策定に着手した。6月のWHOによる渡航自粛勧告の解除の数日後には、それまで綿密に準備を進めてきた観光復興プロモーションを全世界で大々的に展開した。4億香港ドル(60億円)かけたPRキャンペーンを展開し、8月には世界55か国の観光関連のキーパーソン1000名以上を香港に招待して香港の様子を実際に見て体験してもらうなど、世界中の人々に香港のSARSからの完全復活をアピールしたのである。
我が国においても、回復の見通しが立たない今からインバウンド観光の復興計画を検討し、WHOの終息宣言と同時にスタートダッシュ良く観光復興プロモーションを展開する必要がある。その際、グローバルに均一的なプロモーションを実施するのではなく、新型コロナウイルス感染症の反省等も踏まえ、日本観光の質的転換を目的とした「ブランディング観光」に資する戦略的なプロモーションの推進を期待したい。具体的には、特定の国に過度に依存せず、旅行消費単価がより高い国へのインバウンド国構成の再編、有名観光地から地方への分散、GIT(Group Inclusive Tour:団体旅行)からFIT(Foreign Independent Tour:個人旅行)への遷移、買物型短期観光から体験型長期観光への移行などが考えられる。
今回の新型コロナウイルス感染症では、毎年たくさんの観光客が押し寄せる中国の春節(旧正月)を前にして、その経済効果に配慮したことから入国禁止措置が遅れ、我が国での感染拡大を招いた可能性もある。インバウンド観光を特定の国に過度に依存することのリスクは大きい。
これらを踏まえ、リカバリー・コロナの取り組みとして、インバウンド国構成の再編、地方への分散、FITへの遷移、体験型長期観光への移行など、日本観光の質的転換を目的とした「ブランディング観光」に資する戦略的なプロモーションの推進が求められる。
3 ビヨンド・コロナ:ワーケーションの推進
今回のコロナ禍を経て、ツーリズムが、これまでの不特定多数の短期的な来訪を前提としたサービスから、一定のエリア内に長期的に滞在するような比較的高単価型のサービスにシフトすることが考えられる。いわゆる「厳選消費」、さらには観光地とともに観光客も価値を生み出す「コ・クリエーション(価値共創)」へのシフトだ。例えば、仕事(ワーク)と余暇(バケーション)を両立させる「ワーケーション」にひとつの萌芽的なモデルを見ることができる。これは、仕事や学びの活動と、バケーション、ツーリズムを両立させる発想のもので、長期間の滞在が価値の源泉となる。
「ワーケーション」の具体的なイメージはこうだ・・・
ウィーク・デイの定時(9時~5時など)には、都市部の過密な通勤ラッシュを避け、のどかなリゾート地に隣接したサテライトオフィスに通い仕事をこなす。他のワーカーや専門家ともリモートでつながり、日頃得られないクリエイティブな着想を楽しみつつ、集中して業務に取組み、あわせて専門スキルをアップデートする。また、時には、リゾート地に居ながら本社の日常業務プロセスを見直して、その効率化を提言するのも良いだろう。もちろんアフター・ファイブや週末には、その場で余暇やスポーツ、さらには乗馬や農作業を楽しんで、数週間、家族とともに過ごす・・・
この前提には、観光客のメンバーシップがある程度明らかであり、ビジネス仕様に耐えうるコミュニケーション・インフラや作業環境があること、そして、安全かつ適正な労務管理等のインフラが備わっていることが必要だ。これにより、ツーリズムとオフィスワークが両立する可能性が高まるとともに、長期滞在者の生活が伴うことから、地域経済も潤うだろう。特にICTを最大限活用した新たなサービス需要は、旅前、旅中、旅後の一連のプロセスにおいて、十二分に期待できる。
このような観光の形態が定着すれば、不特定多数の人々の意図しない接触も回避される。また何よりも短期滞在の観光客のパイを観光地の中で喰い合うような、低価格かつ過剰なサービス競争がなくなり、オーバーツーリズムの問題も緩和する。この「ワーケーション」は一例であるが、現状のような観光業に逆風が吹く状況下で、アフターコロナのツーリズムのひとつとして望ましい形態である。
もちろん、これ以外にも経済的なリスクを分散する形で、国内外の需要に関するポートフォリオを組み直し、地域ごとに多元的なツーリズムが創出されるだろう。いずれにしても、各観光エリアとビジネスセクターが連携した、広域的な協力体制の再構築が不可欠だ。
ここで、ビヨンド・コロナを迎えるにあたり、ツーリズムにおいて、ICTにできることを改めて整理しておきたい(図1)。
端的に言えば、ICTで可能となる主要なことは、観光客の需要とサービス供給側の最適なマッチングである。マッチングには、空間、時間の両側面が考えられる。この発想は、この領域の新たなサービス・デザインのために不可欠なものとなる。こうして起こるDX(デジタル・トランスフォーメーション)がビヨンド・コロナのツーリズムにおけるイノベーションの新たな起爆剤となることに期待したい。