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情報未来

公共交通の新型コロナウイルス感染症対策

~現在の状況と今後の展望~
No.64 (2020年7月号)
NTTデータ経営研究所 金融経済事業本部 金融政策コンサルティングユニット エグゼクティブスペシャリスト 三笠 武則
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MIKASA TAKENORI
三笠 武則
NTTデータ経営研究所 金融経済事業本部 金融政策コンサルティングユニット
エグゼクティブスペシャリスト

サイバーフィジカル融合分野の安全・セキュリティ対策、秘密の漏えいやデータの不正利用対策等の調査研究、及びその成果の空港運営への適用の提言に力を入れている。

鉄道/航空路線の事業基盤を脅かすパンデミックの影響

中国武漢市で原因不明の肺炎が拡大していると報道され始めたのが2019年末のことである。厚生労働省は2020年1月6日にこの流行に関する第一報を公開し注意喚起した。その頃の我が国ではまだ差し迫った危機感は少なく、筆者自身もその翌週に南仏と英国を訪問したが、1か月半後に世界中でこれ程の大流行になるとは夢にも思っていなかった。しかしWHOが3月11日にパンデミックを宣言して以降の急激な流行拡大は、世界を完全にパニック状態に陥れた。

公共交通は大量の人を輸送するサービスであるため、流行拡大の原因となりうるとの懸念が強い。また国際航空路線は、海外からの感染伝播の原因ともなりうる。このため、公共交通には感染症対策の徹底が求められており、本稿で対象とする鉄道/航空路線はその代表格と言える。

さらに、乗客/旅客数を大幅に減らすことで感染リスクを低減できるため、乗車/搭乗の自粛に加えて政府の外出自粛政策が強力に推進された。その結果、乗客/旅客数は確かに激減し、事業者側は極端な収益減に陥った。

政府が発表した速報値※1によると、5月20日時点で首都圏等の駅改札通過人数は対前年比60ー70%減である。日本航空グループの3月の旅客数は対前年比で国際線73・8%減/国内線57・1%減、全日空においては国際線72・1%減/国内線60・2%減となっている。※2国際航空運送協会(IATA)の今後5年間の予測※3によると、世界の航空輸送の旅客キロは今回のパンデミックで2019年水準の半分となり、元の水準を回復するのに3年を要するとのことである。このように、鉄道事業者/エアラインは、今後3年間に亘り、第2波・第3波の流行に着実に備えると同時に、国民生活・経済の安定確保に不可欠な業務を行う事業者として持続可能な事業基盤の立て直しに取り組む必要があり、事業環境は厳しさを増している。

現在実施されている対策の構成

鉄道及びエアライン/空港で現在実施されている対策の構成および内容は、2020年5月14日に発表された以下の2つのガイドラインに集約されている。

  • 鉄道連絡会「鉄軌道事業者における新型コロナウイルス感染症対策に関するガイドライン 第1版」
  • 定期航空協会、全国空港ビル事業者協会「航空分野における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」

この2つの文書が同じ日に公表されたのは偶然ではあるまい。こう考える理由は、両ガイドラインが、政府の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」において「事業者及び関係団体は、今後の持続的な対策を見据え、5月4日専門家会議の提言を参考に、業種や施設の種別ごとにガイドラインを作成する等の自主的感染防止の取組を進める」とされたことを受けて策定されたからである。

今回の緊急事態宣言では、政府が率先して、省庁を横断する国で唯一の脅威レベルを宣言してみせた。これは実は大きな意味を持っている。欧米では、感染症のみならずテロ・災害等の脅威に対しても、国で唯一の脅威レベルを宣言する。これによって国を挙げて同じ脅威認識を共有でき、全ての省庁で一貫した対策を講じることが可能になるからである。

2つのガイドラインから、現在実施されている対策の構成を抽出し、鉄道については図1に、エアライン・空港については図2にそれぞれ示した。2つの図を見比べると、利用者と従業員の分離、従業員向け対策の構造、利用者向けの対策の構成要素がほぼ共通していることに気付く。これは、2つのガイドラインが両方とも5月4日専門家会議の提言に基づいて作られているからである。

利用者に対する対策は、基本的には3密対策と消毒等から構成されている。エアライン/空港の対策は場所毎に記述されているが、基本的に主眼は鉄道と同じである。但し、エアライン/空港では、以下の項目にも重点が置かれている。

  • 通過する多数の場所のうち、可能な限り上流側で対策を講じる
  • 利用者と従業員の接点を最小限にし、時間も最短化する
  • 固有の課題(保安検査用のトレイ汚染等)への具体的な対策を組み入れている
  • 感染疑い者の隔離にも言及している 等

これに対し、従業員に対する対策では、勤務の各段階において、3密対策/消毒/感染者や感染した従業員等の人権への配慮/保健所等との連携等が提示されている。

両ガイドラインは、経験の蓄積に基づいて具体的に記述されている点が特徴と言えるが、エアライン/空港向けガイドラインは特に詳細に記載されている。

ところで、感染症の流行が本格化したのは3月なのだから、流行が下火になった5月になってガイドラインを作るのは遅すぎると考える人がいるかもしれない。しかし、それは違う。事業者の不断の努力と経験を集約したからこそこの時期に完成したのであり、今後の第2波・第3波の流行に計画的に備え、合理的に対応するために、この指針は大きな役割を果たすことになる。

図1| 鉄軌道事業者における新型コロナウィルス感染症対策の構成

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出典| 鉄道連絡会 「鉄軌道事業者における新型コロナウイルス感染症対策に関するガイドライン 第1版」(令和2年5月14日)

図2| エアライン・空港における新型コロナウィルス感染症対策の構成

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出典| 定期航空協会、全国空港ビル事業者協会「航空分野における新型コロナウィルス感染拡大予防ガイドライン」(令和2年5月14日)

望ましい対策を議論する上での視点の提言

筆者は鉄道/航空輸送の場合は、乗客/旅客に限定すれば、次のようなリスクを許容レベル以下に抑え込む必要があると考えている。ここで、許容レベルは各社の経営陣が自社事業の実態に則して定めるべきものであり、各社各様となる。

  • 乗車/搭乗中の乗客/旅客の感染リスク(飛沫感染、接触感染、以下同じ)
  • 感染した乗客/旅客が乗車/搭乗するリスク
  • 駅/ターミナル内を行き来することに伴う乗客/旅客の感染リスク
  • トイレの利用に伴う乗客/旅客の感染リスク
  • サービス利用に伴う乗客・旅客と従業員の間での感染リスク
  • 感染疑いの乗客/旅客の隔離に失敗して感染が発生するリスク
  • 感染した乗客/旅客が死亡するリスク
  • 感染の流行を別の地域に飛び火させるリスク
  • 感染に関する正しくない情報の拡散により風評被害を受けるリスク 等

これらのリスクへの対策は、上述した2つのガイドラインが概ね具体的に網羅している。

ところで、安全の達成に当たっては、ここで述べたリスクを、科学的に検証できる形で許容レベル以下に低減する必要がある。しかし、検査も治療も技術的に不十分であり、しかも社会がパンデミックで混乱する状況の中でこれが本当に実現できるのだろうか。この疑問に答えるために1つの概念整理をしてみたい。すなわち「安全」と「安心」の違いについてである。

明治大学向殿政男名誉教授のご指導に従って、安全と安心の概念の違いを図示したのが図3である。端的に言えば、安全は「客観的科学」であり、安心は主観によって優先される価値であって、国民は安全よりも安心を求める傾向がある。一方で、科学的根拠に基づかない安心は過信に繋がる恐れがあるので、注意喚起が必要である。平常時は安全を実現することで安心を得るのが正しい手順であるが、現在のような非常時には、短期間で科学的に安全を実現することが困難なケースも生じうる。

この場合、国民のコンセンサスが得られる範囲内で、やむを得ず部分的かつ暫定的に、安全が足りない部分を安心で補うことも必要であろう。例えば、空港において旅客に対して実施される対策を整理してみると、他人からの感染を防止するためのマスク着用、サーマルイメージングによる感染者特定、免疫パスポートなどは、技術的には未だ不確実であるものの、安心を得るために活用できる技術として特定できる(図4参照)。

安全が足りない部分を安心で補う際の手続きは以下のようになる。

  1. 可能な限り、科学的根拠を持ってリスクを処理する
  2. 技術が未成熟等の理由で①が難しい箇所では、国民の安心を得やすい他の技術や手続等との組合せにより、可能な限りリスクを低減する
  3. 2について残留リスクを開示・説明した上で安心を獲得する
  4. 過信を防ぐための啓発を実施する

免疫パスポートを例に取ると、免疫を持つ旅客は持たない旅客よりも感染リスクが低いと期待されるため、乗客の待ち行列を短くすることを目的として、免疫を持つ旅客の手続きを簡素化することが考えられる。この手法は科学的根拠は十分ではないが、待ち行列を短くすることで総じて旅客の感染リスクを下げる事が可能で、国民として安心して受け入れやすい。但し、免疫を持っていても再感染する可能性があるので、過信は禁物であることを乗客に周知する必要がある。

京都大学の山中伸弥教授は、欧米と比べて日本の感染拡大が遅いこと、死者数が格段に少ないことには何か理由があると仮説し、これをファクターXと呼んでおられる。このファクターXも、リスクが高い人を区別する技術に発展すれば、安心を得る対策に活かせるかもしれない。

図3| 安全と安心の違い

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出典| 明治大学向殿政男名誉教授のご指導に基づきNTTデータ経営研究所が作成

図4| 安全を守る対策と安心を得る対策の対比

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出典| 欧州航空安全機関(EASA)、欧州疾病予防管理センター著(ECDC)”COVID-19 Aviation Health

Safety Protocol: Operational Guidelines for the management of air passengers and aviation personnel in

relation to the COVID-19 pandemic”, (2020/5/21)に基づきNTTデータ経営研究所が作成

今後の展望

新型コロナウイルス感染症の流行は、スペイン風邪の先例に倣えば、今後2~3年は続くかもしれない。ウィズコロナの期間はまだまだ長い。既に多数提言されているように、デジタル技術のフル活用によって人との接触を減らし、待ち時間を最小化することはとても重要である。しかし、筆者がもう1つ提案したいのは、現在実施されている対策のうち、今後恒久化すべきものはどれかを見極めることである。対策の恒久化は将来の社会基盤作りに繋がるものであり、その効果は大きい。例えば、換気対策は恒久化すべきものの1つであろう。駅/車両/職場等を常時換気できる空調に置き換えること(または高性能フィルターを具備すること)が考えられる。空調を工夫して、常時陰圧の空間を作っておくことも一案である。ハンド・ドライヤーをペーパータオルに置き換えるのも良い。第1波の感染が沈静化しつつある今こそが、このような恒久化を考えるべきタイミングなのである。

本稿に関するご質問・お問い合わせは、下記の担当者までお願いいたします。

株式会社NTTデータ経営研究所 金融政策コンサルティングユニット

エグゼクティブスペシャリスト

三笠 武則(みかさ たけのり)

E-mail:mikasat@nttdata-strategy.com

Tel:03-5213-4115

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