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情報未来

人間の強さと謙虚さ

No.64 (2020年7月号)
NTTデータ経営研究所 取締役 唐木 重典
Profile
KARAKI SHIGENORI
唐木 重典
NTTデータ経営研究所
取締役
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今年の春は思いもよらぬ感染症の蔓延によって、世界中が苦しい日々を過ごしました。私たちの文明社会の脆さと危うさが浮き彫りになったという気がします。一方で、この危難を献身的な姿勢で支えてくれた多くの医療関係者や、助け合いや励ましによって周りに勇気を与えてくれた世界中の人々に感謝するとともに、いざというときの人間のたくましさや優しさに改めて感動を覚えます。

70年代から80年代にかけてハードSFの新たな旗手として大人気を得たP・ホーガンはその出世作『星を継ぐ者』の中で、宇宙の厳酷な環境の中を不屈の行動力を示して生き延びていく人間の姿を描きました。それを彼は登場人物の台詞を借りて次のように表現しています。

「人間が地球上のほかの動物となぜこんなに違うのか、君たちは一度でも考えてみたことがあるかね?たいていの動物は、絶望的情況に追い込まれるとあっさり運命に身を任せて、惨めな滅亡の道を辿る。ところが、人間は決して後へ退くことを知らない。…生命に脅威を与えるものに対しては敢然と戦う。かつて地球上にこれほど攻撃的な性質を帯びた動物がいただろうか」

この描写は人間の強さを信じるという点で、今回のパンデミックに対しても、力を合わせてきっと克服していくであろう今の私たちにもあてはまるような気がします。ホーガンの小説の中で人間の世代をつなぐ強固な意思が際立ったように、今回の歴史的苦難のなかから教訓を得て、私たちも一層進化していく必要があると思います。私たちはこれが社会の転換期であると捉え、思い切って既存の仕組みを見直し、より強靭でフレキシブルな生活様態を模索すべき時機に立っているのではないでしょうか。

そのような視点でわが国の歴史を振り返ってみると、厄災に苛まれたときに人々はどのように振舞ったのかに興味が湧いてきます。

実際に、日本には古くは3世紀ごろから疫病が流行したという記録がいくつも残されています。なかでも、8世紀に蔓延した天然痘は当時の人口の二、三割の

命を奪いました。この国家危機に際して聖武天皇は平和祈願をこめて大仏建立を発願しました。実は同時に、聖武天皇はこの一大事業を律令国家への転換のための契機にもしました。また、一説には、朝鮮半島経由で多くの技術者とともに医学や薬学に長けた人材を招き、予防や治療のレベルを大きく改善したとも言われています。これは、悲嘆にくれるだけはなく苦難から学び社会の変革を志した国家プロジェクトだったと言えるでしょう。

日常生活においても、祭礼や式典の中で、日本文化は「浄化」という概念をとても大切にします。もしかしたら、これも衛生に関する経験的知見を暮らしの中に定着させる知恵なのかもしれません。また、滋養強壮による免疫の強化についても、季節の行事の中にしっかり埋め込まれています。「七草がゆ」「菖蒲湯」「赤飯」「ゆず湯」などにその例が見られます。

六月末に神社で半年の穢れを払うという「夏越の祓」も、蒸し暑く雨の多い季節に健康維持を意識づける営みのように思えます。

いずれにしても、私たちにとって、自然の脅威に対して勇気をもって立ち向かう挑戦心を保持しつつ、一方で傲慢にならずに真摯に物事に取り組むという姿勢も大切です。強さと謙虚さを併せ持ち、よりよい社会を実現するための知恵をいかに具現化していくかということに、今、私たちの力量と覚悟が問われているように思えてなりません。

TOPInsight情報未来No.64人間の強さと謙虚さ