環境戦略 第2回
生物多様性への対応に環境経営の真価が問われる
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注目高まる生物多様性
地球環境問題解決に向けた国際的取り組みとして誰しも頭に浮かぶのは、地球温暖化対策である。その中心となる枠組みを定めたのが1997年にわが国の京都で開催されたCOP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)であり、同会議においてCO2排出量に関する2012年までの削減目標とその実現に向けた排出量取引制度等が定められた。CO2削減目標に関しては、その後、2008年に開催された洞爺湖サミットの主要テーマに取り上げられ、2012年以降の枠組み、いわゆる「ポスト京都議定書」に関する議論が行われた。京都議定書で定められた目標の達成可能性や洞爺湖サミットの成果については、さまざまな評価がなされているが、一連の国際的枠組みの議論を一つの契機として、環境問題が企業戦略における重要なテーマに台頭するとともに、環境問題に対する国民の意識が急速に浸透していったことは間違いのないところであろう。
そして、本年は、国連の定める「国際生物多様性年」に当たり、10月には名古屋において生物多様性条約締約国会議(COP10)が開催される。本会議は、生物多様性保護に関する2010年以降の国際的目標設定等を目的としており、地球環境問題解決に向けた重要な会議である。しかし、現時点において同国際会議の注目度合いは極めて低い。この要因には、生物多様性問題が、地球温暖化問題以上に因果関係が複雑であり、企業活動や一般生活者とのかかわりが不明確であることが挙げられる。
CO2問題も、当初はビジネスにどの程度影響してくるかについては明確でなかった。しかし、現在、CO2対策は、企業のアキレス腱になるとともに、先進的な取り組みを行ってきた企業がビジネスチャンスを獲得し成功を得ていることは説明するまでもない。
生物多様性への対応は、まだまだ手探りの状態でありながらも、近い将来、企業の環境経営のみならず事業活動に大きな影響をもたらす可能性の高いテーマとして注目が高まっている。
生物多様性の危機
生物多様性の定義は、生物多様性条約において「すべての生物(陸上生態系、海洋その他の水界生態系、これらが複合した生態系その他生息または生育の場のいかんを問わない)の間の変異性をいうものとし、種内の多様性、種間の多様性、生態系の多様性を含む」と定義されている。これをもう少し分かりやすくすると、生態系には森林、里山、河川等さまざまなタイプの自然があること、動植物から細菌類に至るまでさまざまな種類の生物がいること、そして同じ種でも異なる遺伝子を持っていることにより形や模様にさまざまな個性があること、以上を総称して生物多様性というものである。
図表1:生物多様性の危機と人間社会への影響
出所:NTT データ経営研究所にて作成 |
現在、地球上にはさまざまな環境に適応して進化した3,000万種ともいう多様な生物が存在しているが、この数百年間には過去の平均的スピードの1,000倍という速さで生物種の絶滅が進んでおり、生物多様性が危機にさらされている。その原因には、開発や乱獲による種の減少・絶滅や生息・生育地の減少、里地里山などの手入れ、自然の質の低下、外来生物による生態系のかく乱、そして、地球温暖化による種の絶滅や生態系の崩壊が挙げられる。
生物多様性は、気候の調節、食料の供給、疾病予防など、人類に計り知れないほどの恵みを与えている。このことを鑑みると、その崩壊は地球温暖化問題以上に人類の生存基盤を失わせるほどの重大な影響をもたらす可能性もあるものと認識し、解決に向けた取り組みを急がなければならない問題として認識できよう(図表1)。
生物多様性に関する国際的枠組み
生物多様性条約は、1992年、「気候変動に関する国際連合枠組み条約」と同年に定められた。その後、2002年の第六回締約国会議において、「世界、地域、国レベルにおいて、現在の生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」という「2010年目標」が定められた。これに対応してわが国では、1995年に「生物多様性国家戦略」策定、2007年に、「第3次生物多様性国家戦略」策定、そして2008年に「生物多様性基本法」が制定された。
ただ、その内容は、生物多様性の重要性を社会に浸透させること、事業者の責務として事業と生物多様性に及ぼす活動を把握することなど、認識を深めることや因果関係を把握することなど現状把握にとどまっており、具体的な対策までに至っていないのが現状である。
生物多様性は、地球温暖化問題と異なり、具体的な対策を示すことが難しい。地球温暖化については、CO2排出量を一つの指標として、その削減に向けて動き出している。しかし、生物多様性は何を評価軸として対策すれば良いのか難しい。
例えば、多くの種の絶滅が、人類の生活にどのような影響がでてくるものなのかはまったく解明できていない。また、地球全体での絶滅種の数というのは必要な指標として捉えることができるが、それを個々の国、あるいは個別の企業の活動に落とした場合、何を目標として取り組めば良いのか、また取り組んだ効果を把握することが困難である。
具体的な取り組みを促すためには、CO2排出量の削減目標と同様に、経済との関係、企業活動との関係を明確にすることが必要なのである。
こうした生物多様性と経済を結びつけたことで注目されたのが、2008年に発表された「生態系と生物多様性の経済学(TEEB=The Economics and Ecosystems of Biodiversity)の中間レポート、いわゆる「生物多様性版スターンレビュー」である。
「スターンレビュー」とは、英国の経済学者ニコラス・スターンが2006年に地球温暖化に関して発表したレポートにおいて、「地球温暖化対策に必要なコストは現在ではGDPの1%であるが、このままでは将来GDPの5%のコストが必要となる」と書いたレポートであり、早期の温暖化対策が経済的にも合理的であることを世界に示した報告である。
「生物多様性版スターンレビュー」は、生物多様性について、「現状のまま対策をとらない場合、生態系や生物多様性が損なわれることによる経済的損失は、2050年までに世界のGDPの7%に達する」というものであった。この報告は、CO2と同様のロジックにより、生物多様性と経済の関係を定量的に示すことで、その取り組みの必要性を明示したものとして評価された。
COP10では、2010年以降の新たな目標(「ポスト2010年目標」)が採択される予定であり、わが国は議長国としての提案を提出する。従来の目標は、抽象的であること、数値的目標が定められていないこと、生物多様性の損失原因に対応できていないなどの批判がある。COP10では、具体的な活動を促進するための目標が定められることに期待したい。
環境経営の真価が問われる
生物多様性と経済との関係を明確にすることで、その取り組みの必要性に関する理解は進んできている。しかし、生物多様性危機の原因を作り出している企業がそのことを認識し、解決に向けた取り組みを進めていくためには、もう一段踏み込んで、企業活動との関係を明確にしなければならない。企業の地球温暖化対策が急速に進展してきた背景には、目標や制度が具体的に整ってきたことに加え、その背景には、省エネが企業の費用削減と直接的に結びついている点である。一方、生物多様性は、今後、より具体的な活動目標が定められていくものと推測されるが、生物多様性に関して国際的に定められる目標は、必ずしも企業のビジネスに直接取り込める内容になるとは限らない。その結果として、企業の取り組みが、精神論や単なる植林活動のようなCSR活動の一環にとどまってしまう可能性も否定できない。
こうした生物多様性とビジネスとの関係を整理し、企業向けに開発したツールとして取りまとめられたものが、「企業のための生態系サービス評価」(ESR:The Corporate Ecosystem Service Review)である。
図表2:ESR のステップ
出所:「企業のための生態系サービス評価(ESR)」よりNTTデータ経営研究所にて加工 |
ESRは、WBCSD(※1) (持続可能な開発のための世界経済人会議)とWRI(※2) (世界資源研究所)などが中心となり策定されたものであり、企業活動の生態系サービスへの依存と影響を評価し、合理的かつ体系的な検証方法でビジネスリスクとチャンスを特定し、経営戦略に活用することを目的として策定されている。生物多様性にどのように取り組んだら良いかわからない企業にとっては、ESRのステップに従って実施していくことにより、生物多様性と企業活動の関係を整理するところから戦略立案まで一通り実施することが可能である(図表2)。
※2:WRI=World Resources Institute
既に一部の環境先進企業では、「生物多様性方針」や「生物多様性宣言」等を打ち出し、生物多様性を地球温暖化対策、有害物質対策、廃棄物対策と並んで環境経営の中心に位置づけるとともに、FSC(※3) (森林管理協議会)認証の紙を利用する、あるいはMSC(※4) (海洋管理協議会)認証の海産物を利用するなど、生物多様性維持に直接的に寄与できる部分から取り組みを進めている。
※4:MSC=Marine Stewardship Council
しかし、企業と生物多様性の関係は、より複雑であり関連する事業活動も想像以上に広い。例えば、製品に使用しているレアメタル等の採掘現場における自然破壊、世界各国に展開している関連工場で使用する水、そしてCO2排出に伴う地球温暖化も森林破壊や種の生息域等に大きな影響を与えている。
生物多様性に関する国際的枠組みや関連制度は、CO2削減のように明確な目標を示すものにはならない。それだけに、企業が生物多様性に取り組むためには、事業活動と生物多様性との関係を多面的かつより深く分析し、自ら定量的かつ具体的な目標を設定することが必要となる。
旧来、わが国では、食事をするときには農産物の生産者に感謝をし、農産物の生産者は食物をはぐくむ大自然に感謝をするといった文化が継承されてきた。しかし、昨今、そうした自然に感謝をするといった風習が失われてきている。
生物多様性を危機から救うためには、こうした感性を取り戻すことが重要であり、企業経営者には、率先してそうした企業文化を作り上げていくことが求められているのである。生物多様性への取り組みは環境経営に真価が問われているといっても過言ではないであろう。