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海外事例に学ぶ地域交通政策のアナログ的思考

No.70 (2022年12月号)
NTTデータ経営研究所 金融政策コンサルティングユニット 地域公共政策チーム シニアマネージャー 坂田 知子

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SAKADA TOMOKO
坂田 知子
NTTデータ経営研究所 金融政策コンサルティングユニット 地域公共政策チーム
シニアマネージャー

地方自治体の総合計画、まち・ひと・しごと創生総合戦略をはじめ、各種行政計画策定等の政策立案を支援。交通政策も領域とし、自治体や国土交通省主催セミナーでの講演実績多数。ほか、大正大学にてゼミ生を指導。

はじめに

2017年11月、フィンランドのヘルシンキで世界初のMaaS(Mobility as a Service)が誕生し、その効果からMaaSが新たなキーワードとして世界中の注目を集めたことは記憶に新しい。MaaSは「複数の移動手段を個々のニーズに応じ、最適に組み合わせて検索・予約・決済・発券などを一括で行うサービス」を指す。当時、MaaSにより、ヘルシンキでの自家用車移動が公共交通移動へと置き換わったことが「大きな効果」としきりに喧伝されたものだ。当時のヘルシンキを取り巻く環境を紐解くと、「交通渋滞の緩和」と「CO2の削減」が誰もが認識する社会課題の双璧をなしていた。折りしも我が国でも同様の課題が強く認識されていたこともあって、ヘルシンキが見出した期待効用は、我が国の交通政策の方向付けを左右することとなり、『日本版』と冠を付した上でMaaSを推進する流れが定着した経緯がある。

ただし、フィンランドMaaSの「成功」神話には、既に存在した各種輸送サービスの統合を実現したアプリケーションそのものの功績もさることながら、既存公共交通の基盤自体における取り組みが大きく寄与しているものと考えている。すなわち、ヘルシンキが見出した成果は「決してサービスアプリのみが生み出したわけではない」ということだ。

本稿ではフィンランドMaaSを成立させた重要な要素であるサービスアプリケーションシステムと、公共交通システムの両面からアプローチし、また筆者が実際にヘルシンキに赴き、住民等にインタビューした結果から考察を加えている。併せて、日本版MaaSを巡る論点のうち、とりわけ深刻な「住民移動」の悩みを抱える地方都市の交通政策に関して、今後の検討に資する示唆を導出することとしたい。

ヘルシンキの公共交通はHSLが全てを担う

ヘルシンキはフィンランドの首都であり面積214平方キロメートル、人口は約64万人、人口密度2990人(2018年1月時点)。面積を基準に日本の代表的な都市を例に挙げると「さいたま市」と同規模(217平方キロメートル)となる※1。公共交通にはバス、トラム、通勤電車、地下鉄、フェリーがあり、運営はヘルシンキ地域交通局(HSL)がすべて担っていることから、公共交通の総称を「HSL」としている。5つの輸送モードすべてを1つの事業者が運営しているということが、ヘルシンキの公共交通の最大の特徴だ。

なお、ヘルシンキ地域交通局がサービスを提供している主なエリアは図1のとおりである。A、B、C、Dの4つのゾーンに分けられ、移動する地域間に応じ1回あたりの乗車につき定額の料金が設定されている。例示すると、一回限りの乗車はSingle ticketとして販売され、AB間において乗車1回あたり大人€2.8である。HSL乗り放題チケットはDay ticketで、AB間1日無制限の乗車料金は€8であり、一日3回以上のHSL利用がある場合にはDay ticketを購入する方が経済的となる。なお、ヘルシンキのHSLはキャッシュレス決済が基本であり、ICカードもしくはHSLアプリによる電子チケットのいずれかで支払う。いずれの交通モードを利用しても同様の料金形態であること、輸送モードごとに決済方法が変わらないこともHSLの魅力である。(図1・2)

図1|HSLのゾーン設定

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出所| HSL『HSL uudistaa liput ja vyöhykkeet vuoden 2019 alussa』

図2| HSLの主な料金形態

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また、輸送モード別の運行状況を定量的に捕捉すると表1のとおりである。輸送モード全体に占める分担率が最も高いのはバスの約45%であり、次いで地下鉄約24%となっている。しかし、地下鉄、通勤電車、トラムを併せて鉄道としてみた場合には約55%となり、バスより鉄道の分担率が高い結果となる。日本における輸送分担率は鉄道が高いことが知られおり、人口規模が大きい都市ほど鉄道への依存が高まる傾向にある。実際、2015年の東京圏における輸送分担率※2は鉄道(JR、民鉄、地下鉄)で61%、バスは6%となっている。単純比較はできないが、ヘルシンキはバスが非常に発達していることが分かる。(表1)

表1|HSL運行実績(2021年)

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出所| HSLサイト『Vuosi 2021 lukuina(数字でみる2021年)』より筆者にて作表

HSLは企業とのコラボレーションにも積極的だ。ミュージックコンサートのチケット価格にHSLのチケットを含めることで公共交通移動を促し、駐車場の混雑緩和と環境負荷の軽減を目指す取り組みを行っている。

また、通勤給付を通じてもHSLの活用を推進しており、従業員の勤務形態や通勤頻度に応じたチケットを給付することが可能だという。例えば、テレワークを主とする従業員には都度利用のチケットを、常時勤務の従業員には定期チケットを、直接HSLから従業員に発券することで、企業の経済性および従業員の利便性を実現している。

観光面においては、HSLの乗り放題のチケットに市内各所の観光施設や国立図書館、美術館などの文化施設の利用特典を含むチケットも発行されている。無料となる施設は25を数え、割引となる観光施設は8つ、クルーズやツアーも無料で体験できるのが特徴だ。

※1 参考:さいたま市人口133万人、人口密度6,127人/平方キロメートル(2021年10月1日時点)(出典:都道府県市町村ランキングデータ https://uub.jp/rnk/cktv_j.html

※2 国土交通省『公共交通の現状について』各交通機関の輸送分担率の推移(東京圏)※輸送モードに自動車を含む

ヘルシンキで成功を収めたMaaSアプリケーション「Whim」

フィンランドでのMaaSを現実のものとし、成功へと導いたのはMaaS Global社が開発したサービスアプリケーション「Whim」である。ヘルシンキ市内の移動手段にはHSLのほか、タクシー、レンタカー、電動キックボードの民間サービスがある。Whimはこれらの利用を月単位で契約し、その利用権として定額を支払うサブスクリプションシステムである。

2018年当時の月額プランは「Whim Urban」(€49/月)と「Whim Unlimited」(€499/月)の2種があり、「Whim Urban」では、HSLおよびシティバイク(一回30分以内)利用は無制限、5km以内のタクシー移動は€10(ヘルシンキ市内)、レンタカーであれば一日€49という特典で回数の制限なく利用できる。「Whim Unlimited」は、5kmまでのタクシーとレンタカーの利用特典が無料とされ、それぞれに利用回数の制限は設けられていない。スマートフォンにWhimアプリを搭載し、プランの契約・決済を完了すれば、経路検索機能により最適経路※3で複数の輸送モードのシームレスな移動が可能だ。

MaaS Global社によると、2018年末時点でWhimアプリへのクレジットカード登録者数約7万人のうち、約1割の7000人がWhimの月額サービスを契約したとされている。また、当該サービス利用前後における移動手段の変化については、公共交通機関の利用が26%ポイント増加する一方、自家用車利用が20%ポイント減少したと公表されている。これが、MaaS実装により「自家用車の利用」が「公共交通への利用」に置き換えられたという成果の根拠とされている。

また、Whim利用者とヘルシンキの一般市民との比較分析を行った「WHIMPACT※4」では、Whim利用者のタクシー利用はヘルシンキの一般市民の2倍にも上るという利用実態が確認されたという。また、タクシー利用のほとんどが5㎞以内でかつ、公共交通との連結利用がヘルシンキ一般市民の約3倍との結果が公表されている。このことは公共交通にアクセスするためのファースト/ラストワンマイルにタクシー利用が寄与したことを示すと結論づけている。ただし、こうした調査結果だけを見る限りでは、ファースト/ラストワンマイルの距離が「より遠い」郊外に居住する市民の利便性には、Whim利用の優位性が確認できず、引き続き郊外地域の抱える課題の解決は据え置かれる形となってしまっている可能性も否定出来ない。すなわち、Whim利用によると喧伝され、我々がこれまで認識してきたMaaSの「成果」は、そもそも特定地域のみに局所的にみられる限定的な産物なのではないか、という見方も成り立つ。

※3 検索条件には「時間が早い順」のほか「環境にやさしい順」も具備

※4 RAMBOLL『WHIMPACT』https://ramboll.com/-/media/files/rfi/publications/Ramboll_whimpact-2019

現在のWhimサービスはタクシーとレンタカーの利用制限が変更に

2022年10月現在、Whimのプランは短期利用向けプラン「10 ticket」(€29.5)と、月額プラン2種「HSL30-day season ticket」(€68.6※5)および「Whim Unlimited」(€699.0)が存在する。2018年当時のプラン「Whim Urban」が「HSL30-day season ticket」に置き換わった形でレンタカーの利用特典が割り高(€55/日)となったものの、タクシーは35%offの特典となり、短距離はもとより長い距離のタクシー利用での割引率が高くなっている。「Whim Unlimited」については、以前のプランと比較するとタクシー利用に上限80回の制限が設けられた一方で、レンタカー利用は定額料金に含まれているため制限なく利用が可能となった。ただし、これには当初のプランで前述のとおり懸念された郊外地域住民への配慮がうかがえるものの、「レンタカーの利用期間はタクシー利用ができないルール」が存在しており、移動の選択肢が広がったわけではないことに留意が必要だ。

※5 当該プランには大人用と学生用があり、学生用は大人の半額となっている

Whimはどこまで住民に認識されているのか?

2018年末において、約7000人が利用しているとされたWhim。そうだとしても、2018年10月時点のヘルシンキ市民は74万人であり、2018年末時点での利用者は市民の約1%に過ぎない計算だ。現行プランでは、タクシーやレンタカー利用者に有意な傾向が色濃く出ていることは先に述べた。その後の推移が気になるところだが、残念ながら2018年に公表された後、当該サービスの利用状況の推移や足元の実態に関する定量データを確認することは出来なかった。そこで、2022年10月上旬、実際にヘルシンキに赴き、現地で年代、場所、職業を問わず住民インタビューを試みたところ、「Whimを利用している」と答えた住民は確認できなかった。そもそも、Whim自体を認知している住民も筆者が確認した限りではいなかった。ほぼ全員に「それは何か?」と逆に質問されたほどだ。反面、「では、どんな交通サービスを利用しているのか?」と問いかけたところ、「HSL(アプリ)」や「電動キックボードアプリ」との回答が多数を占めた。さらには、タクシー利用に関する質問についても、「高額であるため利用しない」との回答が大半を占めた。たしかに、駅での客待ちタクシーの列はあるものの、筆者が町を巡回し、数時間後に戻ってきても、先頭に並んでいるドライバーは同じ顔ぶれであり、紫煙を燻らせていたほどだ。念のため、若年の回答者には「あなたの両親はどうか?」といった追加質問なども投げかけたが、「家族もタクシー利用はしない」といった回答ばかりであった。

筆者自身もヘルシンキ到着後、現地でMaaSをリアルに体験すべくWhimサービスアプリをダウンロードしていた。ところが、HSLの利用だけでヘルシンキ市内の移動がほぼカバーできてしまった。このため、タクシーやレンタカーの利用者に有意とされるWhimを利用するまでの動機を見出すには至らなかった※6。なお、HSLの利用にあたり、筆者はHSLが提供する公式アプリを用い、乗り放題のDay ticketを購入した。実際、当該アプリでもオンラインで決済・発券が一括完了し、5つの交通モードでの乗車をシームレスに行うことが可能であった。検索機能については、「利用言語が限定的である」ことや「正式名称か住所、停留所名を正確に入力しないと機能しない」ことから、ビジターにとっては使いづらさは否めない。ただし、「タクシーやレンタカーの利用頻度が高くないヘルシンキ市民」やビジターにとっては、HSLが提供するプランと公式アプリで現状はニーズが充足されていると見てもよいだろう。

※6 月額プランはHSL対象エリアの居住者にしか購入することができない。ビジター向けのプラン「10 ticket」はタクシー乗車が割引

「都市部」の充実したインフラ整備状況を考慮する必要

筆者は以上の視察結果を元に、フィンランドMaaSの事例をあくまで公共交通の活性化事例と捉え、課題多き地方都市の交通政策への示唆を得るという目的から考察している。すなわち、はなから地方都市にMaaSを導入することを前提として考証しているわけではない。そもそも、先進事例は地勢的要因やリソース、時期、社会情勢など、地域ごとの制約や限定的な諸条件のもとに成り立っているものであり、外部事例がそのまま他の都市の課題解決に活かされるとは限らない。スマートフォンの普及率が全国的に高くなったとはいえ、地方都市では未だスマートフォンはコミュニケーションツールとしての使われ方が主であり、キャッシュレス決済には積極的に用いられていない現状が存在するのも同様だ※7。とりわけ、キャッシュレス決済の導入状況については九州・沖縄を中心に未だ進捗が遅れており、理由として「客からの要望がないから」といった調査結果も存在する※8。だからこそ今後は、こういった地域毎の実態や実情に目配せしつつ、外部事例からは考え方やプロセスを学ぶことが肝要である。

なお、HSLアプリで十分に市民ニーズがカバーされているであろうヘルシンキでの現状と認知度の高まらないWhimの実態に一石を打とうとしたのか、MaaS Global社は新たな取り組みにも挑戦している。賃貸住宅の家賃にWhimの定額プランを含んだ物件を誕生させたのだ。住宅の玄関前からタクシーやライドシェアの利用を可能とし、ドア・ツー・ドアの移動を実現するというもので、HSL単独ではカバーできない地域住民のファースト/ラストワンマイル対策に期待がかかる。

今回、ヘルシンキの事例で参考となった点として挙げられるのはまずこの点である。すなわち、交通と生活における他分野との連携が生む地域課題解決の可能性だ。この考え方については、昨今の国の施策にも同様の動きが見てとれる。国土交通省のデジタル実装にかかる取り組みについても「リ・デザイン」を提唱し、「IT技術の導入」という手段ベースから「暮らし」や「社会のあり方」など住民福祉の向上という目的ベースへと変化してきている。さらには、アナログ的要素、いわゆるコミュニティの力の活用や、スモールスタートで「できるところからできることを」との考え方を示していることに注目したい。

※7 日本銀行決済機構局『キャッシュレス決済の現状』(2018年9月)

※8 経済産業省『キャッシュレス決済実態調査アンケート集計結果』(2021年実施、全国)

地域部で期待されるのは「共助」による新たな交通施策

我が国では都市部の交通網は著しく発達しており、JR・私鉄・地下鉄・バス・タクシー、といったあらゆる交通手段が利用可能な状況にある。こうした交通基盤を背景とすれば、MaaSなどの導入で一層人々の移動の効率化に資する効果の発現は容易だろう。問題は引き続き課題が残置される郊外・地域部である。こうした課題への対応で重要なポイントは、まずは地域特性を把握することそのものだと筆者は考える。地域特性は既に所与となっている既存の統計データによる定量分析で把握が可能だ。ただし、データ分析のみに注力するのでは心もとない。併せて、数字だけでは見えてこない実態を確認するためにも住民意識調査やヒアリングによる定性分析で仔細な情報に接することが肝要だ。例えば、果たして自家用車の所有率や交通分担率が高いことは、一律に「改善すべき事柄」として認識すべきなのだろうか。地域事情によっては、新たな交通インフラへの投資よりも、住民の車による移動行為自体を「地域資源」とみなし、これを活用することを前提とした施策を導出することも有効なのではないだろうか。

地方都市の強みは何といっても「コミュニティの力」だ。いわゆる共助の仕組みそのものでもある。人々の暮らしのシーンを念頭に、通勤など自家用車による移動を「供給資源」、通院など目的達成のために移動が必要な人を「需要」ととらえ、それを繋ぐ機能として「地域コミュニティ」の活用が考えられる。実際、「お隣さんが買い物のかたわら、おばあちゃんを病院まで車に同乗させてもらい助かった」という事象は地方都市では当たり前に目にする風景だ。ただし、こうした共助の取り組みを「前提」としていつまでも好意に甘え続けることは現実的ではないかもしれない。持続可能なものとするには、例えばこの仕組みを活用し、「近所の人を病院まで自家用車で送迎したら地域通貨でポイントを付与」といった仕組みが構築されれば、双方の負担感も軽減するだろうし、新たな交通インフラを整備することなく、地域の期待効用を高めることが可能となるかもしれない。もちろん、ポイントはデジタルである必要はない。地域のデジタルリテラシーに見合った仕組みを個々に自治体が組成し、徐々に歩みを進めていくことで地域における交通課題の解決を目指せば良い。全国に1700存在する地方自治体それぞれが抱える地域生活課題は千差万別である。「このソリューションさえ提供しておけば問題ない」などといった型通りの対応は真の地域課題解決には適さない。地域の交通政策立案に当たっては、潜在化している地域資源を改めて認識のうえ、「共助」の仕組みを念頭に、公共交通を「暮らし」関連分野と連携させることによって、公共交通の貢献範囲を「移動」分野を超えて拡張することができる。そのような形で公共交通の可能性が広がることを期待したい。

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坂田 知子

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