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鬼と能とデジタルと

No.67 (2021年6月号)
NTTデータ経営研究所 取締役 唐木 重典
Profile
KARAKI SHIGENORI
唐木 重典
NTTデータ経営研究所 取締役

4月23日に全米公開されたアニメ映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の全世界興行収入が500億円を大きく超え、2020年公開の映画で全世界1位となったという報道がありました。既に国内では歴代1位に輝いており、この先上映される国や地域が拡大すると、さらにその記録は伸びていくことが期待されます。私も少なからずこの作品に触れて、なるほど多くの人の興味を誘う要素が盛り込まれていると感じました。「ポケットモンスター」と同様に多彩なキャラクターとの出逢いがあったり、アクション映画や冒険譚さながらのスリルや躍動感が盛り込まれていたりと、なかなか飽きることがありません。さらに、「鬼」という緊張感ある存在が不思議なリアルさと現実社会の陰を想起させ、それらがヒーローたちの勇気と団結で打破される瞬間に一種のカタルシス(浄化)を覚えるようにも思えるのです。

そもそも「鬼」とは何か。いくつかの文献によると、もともと古い時代の中国では、人間は死ぬと「鬼」になると考えられ、どちらかというと「幽霊」に近い存在だったようです。それが、日本に伝わってからは自然崇拝と混じって、人智では測り知れない天変地異や災厄を鬼の仕業と考えるようになりました。感染症の流行もまさしく「鬼」の跳梁跋扈が原因であると考え、その魔力に畏怖したのです。人々は「鬼」を追い払うために祈りや祭祀を行いました。節分の「鬼やらい=豆撒き」ももともとはそのような厄払いから始まったものでしょう。コロナ禍という厄介な災いが蔓延するこの時期に、「鬼」が人気を呼ぶとは何とも皮肉な感じさえします。

その後、時代の移り変わりとともに、「鬼」は具体的な姿を持つ妖怪のような存在になると同時に、内面性をも表す概念として捉えられます。つまり、邪悪な心や恨み、憎しみなどの心そのものが「鬼」であるという考え方です。精神世界をパフォーマンス芸術の域に高めたといえる日本の伝統芸能「能」において、まさしく「鬼」はそのような人間の弱さや悲しさを象徴する存在として登場します。「能」の出し物は大きく5つのカテゴリーに分けられ、その5番目が「鬼」を主人公とする「切能」にあたります。内面の「鬼」を描く著名な演目としては『紅葉狩』『安達原/黒塚』などがあります。いずれも、過酷な情念が常人を「鬼」に変え、恐ろしくも哀れな姿が情感を呼びます。

観世流の能楽師・谷本健吾さんとご縁があって「能」のことをいろいろ教えていただきました。シテ方として様々な役をこなす中で、いかに内面の表現を大切にしているかということや、飾りや舞台装置のほとんどない能舞台でいかに観客に幽玄の世界を感じてもらうかなど、大変奥深いお話を聴きました。当然谷本さんも時には「鬼」も演じるわけですが、人間が「鬼」に変身する非情のプロセスの表現をどのように工夫されているのか、今度じっくりと伺ってみたいと思います。

実は谷本さんは、ほかの3名の能楽師と組んでVR能『攻殻機動隊』を上演されています。

士郎正宗さん原作のこの作品は、近未来の電脳世界を舞台にしていますが、まさか「能」とコラボするするとは驚きました。しかし、考えてみると『攻殻機動隊』に登場する義体化された存在が魂を持つという構図は、ある意味外観よりも内面を重視する「能」の世界と似ているといえないこともありません。もしかしたら「鬼」と呼ばれる存在も、内面を見れば普通の人間と変わらないということを暗示しているようにも感じました。VRというデジタル技術が「人間性とは何か」という問いを顕在化させたとすれば、私たちの日常社会でデジタルの価値や可能性はさらに広がるように思えてなりません。

このコロナ化でうっかりすると人の心に不安や不信が広がり、まさしく「疑心暗鬼」に陥る危険もあります。きちんと本質を見つめて、冷静に行動したいと考えているところです。

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