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パンデミックと英語史

No.65 (2020年9月号)
NTTデータ経営研究所 取締役 唐木 重典
Profile
KARAKI SHIGENORI
唐木 重典
NTTデータ経営研究所
取締役

ピーテル・ブリューゲル(父)

「死の勝利」 (1562)

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テレワークの機会が増えたほか、社外での会合がほぼなくなったため、このところ夜間自宅で過ごすことが普通になりました。家族とのひとときを大切にするとともに、空き時間を活用して今さらながら英語の再勉強をしています。動機は何であれ、結果としてプラスの効用になればよいと思うところです。

言うまでもありませんが、今や英語は国際語となり、特にビジネスの世界では共通的なプロトコルとしてほぼ定着しています。振り返ると、大英帝国からアメリカ合衆国への繁栄の系譜が下地となり、さらに、コンピュータ技術との相性のよい英語が加速度的に世界を席巻したということは周知のとおりです。

母語人口ランキングでは、十数億の人が話すという中国語が他を圧倒しています。しかし、英語も徐々に序列を上げ、今では五億人余りとなり、2位につけているそうです。そして、実は日本語もベストテンに入っています。それなりに人口が多いですからね。ただ日本語の特異なことは、母語ではなくとも多地域で公用語となっている言語が多い中で、本国以外ではほぼ使用されないということです。ある意味稀有な存在と言えるでしょう。

かつて明治時代に、初代文部大臣・森 有礼が「英語国語化論」を提唱し、当時政界で議論となりました。もしも英語を国語にしていたら、日本はグローバル化がもっと早く進んだでしょうか。確かにその側面はあるでしょうが、一方で日本語というある意味特殊な言語が日本の経済や文化を護ってきたという見方も成り立ちます。例えば、商習慣において日本語という壁があるおかげで外国から容易に参入できないということもあったでしょう。また、文学や古典芸能においても、日本語独特の表現が貴重な役割を担ってきました。これからのグローバル化の一層の進展の中で、国際標準への対応と独自の価値とのバランスをいかにとるかということは重要で難しい課題だと実感します。

このような思いにひたるのは、実は今回のCOVID-19による社会への影響を見た際に、英語の国際化の歴史を連想したからです。もともと英語は、五世紀頃にゲルマン系民族がブリテン島に移り住んだ際にその原型ができたと言われています。十一世紀にノルマン人がこの地を征服して以降は、上流階級ではフランス語が公用語になりました。ところが、十四世紀に百年戦争が起こり、フランスへの敵愾心が芽生えたころから英語の価値が高まり始めます。

そして決定的な出来事は「ペストの蔓延」です。人や物資の往来が広範囲になったため、病原菌を持つネズミも入り込みました。当時「黒死病」と恐れられたこのパンデミックによって、欧州の人口の三分の一から二分の一が失われたといいます。ブリテン島でも事態は深刻でした。

この時代に社会の要職を担っていた人、すなわちフランス語話者が激減したことや、労働者階級の存在感が増したことが、一気に英語を主要語に押し上げる要因になりました。十四世紀後半には、はじめて公文書に英語が用いられたという記録が残っているそうです。英語はこうして表舞台に立ち、やがて世界に拡がるスタート台に立ったわけです。

この話は受け売りではありますが、パンデミックが社会の構造を変えることがあるということを歴史が教えてくれているように思えます。私たちは現在、想定外のウィルスの脅威によって社会が否応なしに仕組みを変えていく渦中にいるのかもしれません。変化後の姿をしっかりと見据えて、次の時代に備えようではありませんか。

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