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Insight
情報未来

鼎談:オンライン・ファースト社会の実現に向けて

No.65 (2020年9月号)
NTTデータ経営研究所 代表取締役社長 柳 圭一郎
慶應義塾大学 総合政策学部 教授/NTTデータ経営研究所 アドバイザー 國領 二郎
NTTデータ経営研究所 エグゼクティブオフィサー 三谷 慶一郎
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YANAGI KEIICHIRO
柳 圭一郎
NTTデータ経営研究所
代表取締役社長

1960年福岡県生まれ

1984年東京大学法学部卒業、同年日本電信電話公社入社。2006年10月 株式会社NTTデータ 金融ビジネス事業本部 資金証券ビジネスユニット長。2009年NTTデータ・ジェトロニクス株式会社 代表取締役社長就任。2013年 株式会社NTTデータ 執行役員 第二金融事業本部長。2016年 同取締役常務執行役員 総務部長 兼 人事部長。2018年 同代表取締役副社長執行役員。2020年6月 同顧問およびNTTデータ経営研究所 代表取締役社長に就任。

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KOKURYO JIRO
國領 二郎
慶應義塾大学 総合政策学部 教授
NTTデータ経営研究所 アドバイザー

1959年生まれ。82年、東京大学経済学部経営学科卒業後、日本電信電話公社入社。86年よりハーバード・ビジネススクールに留学し、88年ハーバード大学経営学修士号(MBA)、92年同大学経営学博士号(DBA)を取得。93年より、慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授、2000年より同教授。2006年より同大学総合政策学部教授などを経て、2009年より総合政策学部長。2013年より慶應義塾常任理事に就任し、現職に至る。また、NTTデータ経営研究所のアドバイザーも務める。

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MITANI KEIICHIRO
三谷 慶一郎
NTTデータ経営研究所
エグゼクティブオフィサー

情報システムの企画や上流工程に関連するコンサルティングを経たのち、企業や行政機関における情報戦略立案や情報システム企画に関連するプロジェクトを実施。近年はデジタルビジネスに関連したコンサルティングを推進。武蔵野大学国際総合研究所客員教授。情報社会学会理事、経営情報学会理事、日本システム監査人協会副会長。経済産業省産業構造審議会委員、総務省情報通信審議会構成員等を歴任。主な共著書に、「デジタルビジネスの価値を生み出す ITエンジニアのための 体感してわかるデザイン思考」「トップ企業が明かすデジタル時代の経営戦略」「攻めのIT戦略」「CIOのための情報・経営戦略」「CIOのITマネジメント」等。

三谷

NTTデータ経営研究所は、今般のコロナ禍の状況を受け、これからこの災禍をいかに抜け出し、進むべきかを考える場として「ウィズコロナプロジェクト」を立ち上げています。今回の情報未来は、このプロジェクトのこれまでの成果をまとめた特集です。この鼎談は、弊社アドバイザーでもある慶応義塾大学教授の國領二郎先生と、6月より弊社社長に就任しました柳圭一郎と私による、オンライン対談です。今後の社会はどう進んでいくべきなのか、またそれに対して私たちに何ができるのか、について議論したいと思います。

まずは、コロナ発生後の、この半年どう過ごされていたか、柳さんからお話いただけますでしょうか?

コロナ禍で考えたこと

私は6月まではNTTデータの副社長としてCRO(Chief Risk Officer)も兼任しておりましたので、コロナに関する対策本部をリードしていた立場でした。感染対策、それに加えて企業の経営を担う立場として、できる限りテレワークに移行するかやり方を考えたり、あるいは緊急事態宣言が出た直後の集合形式のイベントや新入社員研修などをオンラインに切り替えたり、といったことの指導をしてきました。

企業としては大きかったのは、やはり株主総会ですね。そもそも総会をやるのかやらないのか、から始まり、総会はどうやってやるかとか検討を重ねました。

その後、6月の半ば過ぎにNTTデータ経営研究所の社長に就任しました。今まで私は組織のトップになった際、フェイス・トゥー・フェイスでの対話を通じてその人となりを把握したりしていく経営スタイルをとっていました。今回、それができず、ずっと社長室の中に居ざるを得ないということに非常に戸惑いがありました。

たぶんこれは多くの新入社員などについても同じだと思いますが、所属する組織が変わった人については、皆同じ思いを持っているのではないかと思います。そんな中、いかに経営をやっていくかということ、あるいはどういうふうに自分として経営スタイルを発揮していくかというところが一番課題で、ずっと考えてきたというのが近況ですね。

三谷

ありがとうございます。社長に就任されてまだリアルで会ってないメンバもたくさんいるということですね。

そうです。特にコンサルタントのテレワーク率は高いので直接対面で会えていない人達も多いです。ただ、正直申し上げますと、NTTデータでは、いかに現場にテレワークを広めるかということに非常に苦心をしたのですが、当社の場合、そこは非常にきっちりとやっていて、むしろ間接部門の人が大勢出社している状態でびっくりしました。

三谷

國領先生はいかがでしたか?

國領

もうあまりにいろんなことが次々に起こるので、遠い昔に感じられるくらいになってきました。

ちなみに大学の業務は教育、研究、医療、経営サポートなど、大きく四つの分野があり、それぞれのオペレーションがあります。各分野について今回いろいろなことが起こったのですが、教育という点では、オンラインの方が学生はよく勉強するし、レポートのクオリティも逆に今の方が高くなったといえます。授業に関してのみいえば、もうオンラインでいいじゃないかというのが、現場にいる教員の人たちのほぼ一致した見解なのではないかと思われます。

その一方で、むしろ大学というのは授業をやるだけの場ではない、という話が浮かび上がってきました。そこで巡り会う人であるとか、授業が終わって生協食堂でご飯食べながら偶然色々な人に出会ったり、先生と授業外で話したり。

どちらかというと、授業中よりも授業が終わった後に交わす雑談であるとか、サークル活動であるとか、体育会の活動であるとか、そういうことの持っている価値というのがものすごく大きいことがわかりました。そこの部分がオンラインで埋め切れてないですね。

なるほど。

國領

だから授業はもうオンラインだけにして、キャンパスはソーシャライゼーションのためだけに開けるといったやり方がいいのではないかと思ったりもします。この辺についてはエビデンスに基づきながら冷静に評価して、今後どうするかということを考え直していく時期なのだと思います。

テレワークについても、先ほど柳さんが間接部門は出社している人が多いとおっしゃいましたけど、結局のところ大学の事務も経理部門と人事部門の人たちが守秘性の高い業務を行うために出なくてはいけない状況になっています。今回、印鑑による承認や手続きなどが目の敵にされましたが、私は印鑑だけの問題じゃないと思っています。

印鑑に象徴されるような業務プロセスの縛りによって、いろいろな問題がまだら模様な状況になっているような気がします。その他、テレワークで対応できる業務をやっている人たちにとっても、交換する名刺が激減するなど、そういうことによる中長期的なインパクトは、やはり大きいのではないかなと。

ちなみに、ちょっと学者っぽく言わせていただくと、日本の組織はハイコンテクスト※1だと言われ続けてきました。

三谷

文脈をつかむ能力が高いということですよね。

國領

はい。コンテクストを共有することによってコラボレーションを促進しているようなところがあったわけですが、オンラインでコンテクスト・ビルディングまでできるのかという課題があります。「できない」といきなり結論に飛びつく人もいるのですけど、私はオンラインでもコンテクスト・ビルディングはできるはずだと思っています。

現状では「まだそこの部分がかなり不足している」というぐらいの評価がいいのかなとも思っています。表面的なオペレーションの部分では全然問題ないかもしれませんが、そこから抜け落ちている部分がどこかにあるのだろうなという認識はあります。

ちなみに、病院などはこの状況でもオペレーション的にもともとの作業をやらざるを得ません。しかしオペレーションを細かく見て行くと、そういった職場においても、対面接触を減らせるポイントがあります。例えば宅配便を持ってこられたとき、病院の入院患者さんのために、その受け渡しをどこでやるかとか、この辺が現実的に結構大きな問題になりました。

実をいうと今はまだ無駄なオペレーションが数多くあります。例えば宅配便の人との接触は、現実にはハンコを押してもらうときに起こっていて、荷物の受け渡し自体は直接会わなくてもできますよね。ビジネスプロセスをきちんと見直していくことによって、病院のようなところでも、接触の回数を減らしていくやり方を考えることができます。また、そのことは業務プロセスを効率化することと全く矛盾せず、ほぼ直結していると思います。

これと同じようなことは、物流業界であるとか、飲食業界であるとか、色々なところで同じようにあるのだろうと思います。でも一律で同じことが言えるわけではなく、やはり、場面・場面や局面・局面で全然違うのだというところが肝なのではないでしょうか。今回のコロナ禍での経験は、無駄だったことを見直す本当にいいチャンスだと思います。

デジタルならではのメリット

三谷

ありがとうございます。今の國領先生の話の中には、デジタルにおける「光と影」が両方ありました。テレワークの話やオンライン授業の話も挙がりましたが、これほど簡単に社会全体がデジタルを活用するとはだれも思ってなかったのではないかと考えます。

デジタルは今回の災害では思った以上に活躍をしたと断言していいのではないかと思います。役所が10年位かけてテレワークを推進しようとしたのに、せいぜい数%の普及率だったものが今回5割、6割まで急上昇しました。この事実は凄まじいものです。「デジタルは役に立ったのだ」と認識してよいと思います。

他方、過去にテレワークが普及しなかったのは、國領先生が言われるように、デジタルでは不足する部分が存在していることを、皆直感的にわかっていたということでしょう。オリンピックまでに出勤率を減らさなければいけないといった取り組みはありましたが、そういうことを除けばやはり本気でやろうとはしてなかったということだと思います。

ただ、日本の会社というか、日本の組織らしいなと思うのは、特に大企業などは、コロナ下で出勤率を高い状態にしていると、それこそ「非国民」のようなイメージが作られてしまうので、出勤率を5割以下にしよう、と考えたということでしょうね。今回はそういうところが非常に大きな原動力になったのだろうと思います。

皮肉なことなのですけれども、コロナに対する直接的な対応というよりも、社会の目が怖かったということがあったのではないでしょうか。

それは企業としてあるのではないですか。あとはもちろん、社員からの突き上げなどもありますよね。テレワークは従業員第一ということをきちっと見せる機会でもあり、かつやってみたら案外いけた。そこがポイントなんじゃないですか。

三谷

そうですよね。ZOOMのようなリモート会議サービスが、まさかこんなに急激に使われるとは思っていませんでした。でも、「実際使ってみたら、かなり使える!」という認識が広がりました。

ZOOM飲み会も一つの典型だと思います。コロナの件がなければ、ZOOMでの飲み会をやろうなんて気には普通はならないですよね。しかし、やってみるとリアルの飲み会とは違う面も確かにあってこれはこれでよいとわかった。例えば女性でお子さんが小さい方も割と簡単に飲み会に参加できるとか、あるいは子供の面倒見ながらでも飲み会自体普通に成立してしまうとか。いろんな意味で違う側面が見えたところはありますよね。

私自身、ZOOM飲み会は案外面白いな、と思いました。リアルとバーチャル、これは単純に比べてはいけないと思うのですが、バーチャルもやってみたらこれはこれで一つの使いようがあるというのがZOOMに代表される典型的なことじゃないかなと思いますね。

三谷

やはりデジタルというもの自体には、リアルに比べるとまだまだ足りないところはある、ということは理解できます。そして、それを補完しなくてはいけないということもわかるのですが、一方で、デジタルならではのメリットで、実はリアルをはるかに凌駕するようなメリットがあるのではないかとも感じています。

それはあると思いますね。

三谷

でも、「デジタルならではのメリット」は今まで強調されてこなかったような気がします。例えば、私の子供は今年就職活動をしていました。通常とは違って、すべてWebでの就職活動、オンラインでの面談をやっているわけです。ちょっとかわいそうだなと思いながら見ていたのですが、当人にとっては、自分の家の自分の部屋で面接できることはありがたい面もあるようです。

全然知らない所で知らないおじさん、おばさんに取り囲まれてガチガチに緊張しながらやるのに比べると、素直な自分が出しやすかった、と言っていました。これもやはりオンラインならではのメリットだと思います。デジタルがリアルに比べて劣っているところばかりを強調するのではなく、デジタルならではのメリットをきちんと認識しないといけないと思います。

國領

ちなみに、ディスラプティブ・イノベーションという言葉があります。

これは日本語では破壊的イノベーションと言われていますが、この言葉は私すごく誤解されている概念だと言い続けているのです。もともとクリステンセンが最初に破壊的イノベーションと言い出したのです。どうして破壊的かというと、ディスラプティブなイノベーションが登場するときは既存の技術に対して「劣った技術」として現れるのです。劣った技術なのだけど、既存の技術の評価軸と全く違う判断基準から見ると素晴らしいものがあるということなのです。

これは、今三谷さんが言った事に当てはまるのですよ。「劣った技術」はずっとダメだね、と言われているのだけど、ある時点で、既存の評価基準においても「good enough」になる瞬間がある。そこで全てがひっくり返るのです。既存のプレーヤーの技術よりも劣っているけれど、good enoughであって、別の意味で優れている。そういう技術を既存のプレーヤーは追っかけられない。追っかけようとすると、今まで自分が売りにしていたポイントが駄目になる。

そうですね。

國領

翻訳の難しいところなのですが、ディスラプティブを破壊的と訳したのがそもそも微妙なところで、ディスラプションとは元々「非連続的」という意味なんですよ。今までの延長上じゃない、インクルメンタルなイノベーションに対して、ディスラプティブなイノベーションというのは破壊というよりは、非連続的だというところがポイントなんです。だから、ある技術をどういう軸で評価するかによって見方が変わってくる。

三谷

例えば今までの、特に日本の中でのITの使い方は代替だったと思います。紙の代替や人の作業の代替。今までの価値観の中のある部分をITに置き換えたときに、より楽になるという使い方。たとえば電卓使えば自分で計算しなくて済むとか、ワープロ使えば清書しなくても済む。そういう使い方をずっとやってきているということは、別な評価軸というもの自体を考えない使い方をずっとしてきたということにもなりますよね。

國領

ちなみに、音楽業界におけるテクノロジーとビジネスモデルを分析していた僕の生徒が面白いことを言っていました。例えば歴史的にグラフォファンからレコードが出て、レコードからカセットになって、カセットからCD、CDからダウンロード、そしてストリーミングまで、技術が進化していく。それは局面・局面において、消費者が感じている不満を常に開放しているのだ、と。例えばモータライゼーションの普及によって車の中で聞くためにカセットが普及したとか。

ただし難しいのは、単に開放するだけでは駄目で、ビジネスモデルを作らなければいけない。これが結構やっかいで、媒体から切り離されてしまうと、ビジネスモデルが作れなくなるという宿命的な問題を抱えている。別の媒体に乗り換えると、今までの媒体の持っている制約に新たな制約が加わるようになる。なので、新技術が現れてから、実際にその技術が社会で使われるようになるまでにすごくタイムラグがあるけれど、実際に普及しだすときって、何故だか知らないけど不景気のときが多いのではないでしょうか。

三谷

不景気ですか、なるほど。ある意味既存ビジネスのパワーが落ちている環境とも言えますし、失業率があがるので、明日の食いぶちを稼ぐための手段を考えざるを得ない環境だとも言えます。

國領

何か経済的ショックがあったときイノベーションが起きるケースは多いという気がしませんか?我々はこの経済危機とイノベーションとの関係をもう少し分析するといいかもしれませんね。

それは面白い見方ですね。

三谷

そういう意味では、今回のコロナ禍を、イノベーション創出のチャンスにしていかないといけませんね。

「オンライン・ファースト社会」とは

三谷

さて、弊社では先日、この鼎談のタイトルにもなっている、「オンライン・ファースト社会という新しい日常」という、デジタル社会提言を出しました。さきほど國領先生が「講義は、オンラインでいいのでは」と言われていました。本提言ではまさに、差しさわりがなければまずはオンラインを指向すべきということが述べられています。

確かに、オンラインでは集まってみんなで学食でわいわい騒ぐとか、新しい仲間を作るということはできないかもしれないけど、講義だけだったら、できるかもしれない。しかもオンラインの方がいいかもしれない。そういったことを素直に認めるべきだろうという話になるのかなと思います。

極端なことを言うと、例えば大学生活の中で、コロナが収束しても、学期の最初は皆集まってやりましょう、あるいは学期の中でも、最初と真ん中と最後ぐらいは集まってやるけれども途中のところは、授業は別にオンラインでもいいんじゃないか、というふうになる。もしくはそうなった方が、大学としては、教育成果が上がるのかもしれない。

そういうことを企業でも同じように考えていかなければいけないのではないですかね。そしてそれが今、徐々に明らかになりつつある時期なのではと思うのです。

もちろん、オンラインだけでできないところはあるから100%オンラインにはならないけれども、7対3、もしくは8対2位の割合でオンライン・ファーストになっていくのではないかと感じています。

社会的逆境が新たな価値やイノベーションを生んだ例

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三谷

今回の提言では、「オンライン・ファースト社会」を、「人間のあらゆる社会的活動において、オンラインがあたりまえの存在として溶け込んでいる社会」と定義しています。オンラインもリアルと同じような価値を持つようにすべきということ。さらに、それは単に感染拡大を防ぐという消極的なことではなく、いわゆるBBB、Build Back Better、つまり現代社会にある様々な課題を同時に解決し、従来よりもよりよい社会を構築すべき、ということを述べています。

さきほどの議論にあったような、デジタルを今ある何かと置き換えて省力化をはかるだけではなく、デジタルの持つオリジナルの価値を活用してたくさんの付加価値を創出していくことを目指すということかもしれません。國領先生、いかがでしょうか。

國領

ちょっと学者っぽくなりますが、オンライン・ファーストによって何が起こるか、そしてその後ろに一体何があるかというところを考えるのがたぶん大事なんだろうと思います。それは時間と空間の制約からの解放なのかな、というような気がしています。在宅ワークで象徴されるような話ですね。ただ逆に言うと、時間と空間の縛りが担っていた機能は一体何なのかというところも考えた方がよいと思います。

さっき話したコンテクスト・ビルディングなど、時間や空間を共有しながら議論することの価値は大きいですよね。今のこの会話をメールだけでやるのは不可能じゃないだろうけど、かなり難しい。

ちなみに、この間、慶応大学でアバター技術を使ってバーチャルでの学園祭をやったのですけど、やはり場空間のイメージがあると、盛り上がり方が全然違うのですよね。なので、時間と空間もしくは時間or空間が持っている価値というのはすごく大きいです。その辺のことを考えた方がいいのではと思います。

このオンライン・ファーストによって、一体何が実現しているのか、そしてそれが持っているインプリケーション(=潜在的な意味)が何なのか。そういうところについてもう一段掘り込んだところで理屈を持っておくべきなのではないかなという気がします。

三谷

リアルと同じことがオンラインでもできるということが大事なのだが、それによって何が変わって何が変わらないのかといった事まできちんと考えておかないといけないということですよね。お話しを伺って思ったのは、時間や空間の制約から逃れるのはたしかに価値あることだけど、逆に制約があるからこそ創出されるプレミア感はなくなりますよね。

例えば、國領先生とこんなに長い間議論させていただくなんて、今まではスケジュールや移動を考えると結構大変だった。でもZOOMだと少しは気軽にできるかもしれないと。だからプレミア感っていうのは逆に薄くなる可能性はありますよね。

まさにその通りで、オンラインが時間と空間からの制約を逃れるものだというご意見に共感します。例えば、アメリカの場合、国土自体が広くて一極集中ではないわけですね。NTTデータのアメリカ子会社の本社はテキサスですけども、人事の担当者はボストン、法務の担当者はカリフォルニアにいて、といった感じですから、そうすると普段からオンライン会議に関して割合抵抗感は少ないのです。

ところが日本の場合は逆に、空間の共有というのを非常に大事にしているため、東京にどんどん人が集中してきた。そして実際にリアルで会える場に便利な環境を作ってきたので、オンライン活用は今までは少なかったということが言える。それが今、一気に必要となってきているのだと思います。

それからもう一つ、私は時間と空間の中でも特に空間の制約からの解放が非常に大きいと思います。例えばNTTデータでは新入社員の研修をするのには対面で教えていたわけですね、大体毎年500人位入社していますので、1クラス25人としたら、全部で20クラス位必要で、それに1人ずつ先生がついていたわけです。けれど、オンラインであれば、1クラスの人数制約はなくなるので一度に大人数でできるようになるし、教室の確保という空間の制約から逃れられる。

一方、いくらオンラインで表情が見えると言ったって、やっぱり実際の教室と比較すると、かなり制約がありますよね。そこを補うためには、例えばチャットなどで、インタラクティブにやりとりするというようなことができれば、リアルとは違う付加価値が出てくるわけです。そういうことが可能になってきたということは、企業のマネジメント層においてもオンラインをうまく使いこなさなきゃいけない時代になってきたなというふうに思います。

三谷

そうですね。ちなみに國領先生、今ちょうど画面上で見せてもらっている「バーチャルな大学」について解説いただけますか?

SFCのバーチャルキャンパス

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國領

慶応大学SFCにおいでになったことある方がいらっしゃれば、見覚えある場所が出てきたと思います。ここはSFCの中にある建物です。もともとうちの田中浩也先生とか、ドローンの研究をやっている武田圭史先生が組んでバリアフリーキャンパスを作るための超高精細の3D地図を延々と作っていたのですが、「このデータを学生も使ってよ」と言って公開してくれたのです。

そうしたら、このコロナ下でキャンパスに来られなくなった学部の1~2年の学生たちが、そのデータをオンライン上のプラットフォームの上に流し込んだところ、Clusterというサービスの上で、バーチャルキャンパスが出来てしまったのです。この間そこで学園祭をやったんですよ。

教室で村井純先生の講演会をやって何百人も集まり、終わった後にはバーチャルキャンパスの池のほとりで花火大会をやり、結局7千人が参加しました。

7千人というのは学生の数よりぜんぜん多いのです。これには、せっかく入学したのにキャンパスの様子が全くわからなくて情報に飢えている新入生、友達に会えなくなってやっぱりキャンパスが恋しいっていう学生たちと、そして今まで湘南の僻地なのでなかなか来られなかったけれど、こんなことやってるのだったら見に行こうかと思ったOBの人たちとかが多く参加してくれたわけです。

ちなみにここはシータ館というのですけど、SFCを知っている人は「シータ」と言えばみんな一発でわかります。これはあの建物の、あそこだね、みたいなことを言いながらコミュニケーションすること、まさにこの空間でお喋りできることが重要なのです。

花火については、例年7月の第1土曜日の夜に七夕まつりがあってそこで花火を上げるのですが、今年はオンラインで集まって花火をあげるのをバーチャルで鑑賞し、その時間を共有する。これがすごく大事で、元々リアルなイベントがあってこそのバーチャルの魅力みたいな話なんですよね。

なので、このハイブリット感をどうやって出していけるか。やっぱり人間の心の中に何かあるんですよ。だからオンラインだけで、全てが完結するといったことを言う必要はないということなんですよね。

…いや、それもひょっとしたら実は違うのかもしれない。なぜなら、インターネットの掲示板が出てきた頃、ニフティのフォーラムで出会った人と結婚した、といったことは既にあったわけで。じゃあ、あのニフティのフォーラムの中で起こっていたことは一体何だったのかというところをちゃんと考えなきゃいけないし、それとは別にリアルな空間で一体何が起こっていたのかっていうこともちゃんと理解しないといけないのだと思います。

やっぱりデジタルが持つリアルの単純な代替ではない新しい魅力、それは実は今まで萌芽的にずっとあったかもしれないけどそれが何かということをきちんと整理することが必要だということですね。

なるほど。オンラインを必要とする人は以前からうまく使っていたということですね。

三谷

オンラインの持つオリジナルな魅力とは何か、ぜひ考えていきたいですね。弊社内で立ち上げている、國領先生を座長とする「情報未来研究会」の場で、今年は様々な方々とこのような議論を行っていき、「オンライン・ファースト社会」のイメージをどんどん掘り下げたいと考えております。

ビジョンを実現するために必要なこと

三谷

さて、ここでひとつ問題提起したいと思います。昔の「高度情報通信社会」しかり、最近の「ソサエティ5・0」しかり、デジタル技術によって出現するであろう素晴らしい社会のビジョンはたくさん描かれてきました。しかし、残念ながら現実的にはまだまだ実現には程遠い状況にある。これはなぜなのでしょうか?何が足りないから絵を描いただけで終わってしまうのか、逆に言えば、何をすればビジョンが現実に近づくのか、このあたりについてご意見お聞かせいただければと思います。過去と同じ轍を踏まないためにも重要な論点だと考えています。

日本の場合は、オンラインを含め色々な新しいやり方が出てきても、組織と組織の間のインターフェイスについては従来のインターフェイスのままというパターンが非常に多いような気がします。先ほど出てきたハンコ文化というのも正にそうですけど、企業の中ではいくらIT化が行われていても、結局、請求書がプリントされて、それでハンコをついて、相手企業に送る。要するに、外に出ていくところ、それから入ってくるところは、従来のままなのです。

これは省庁でも同じで、各省庁の中でITが作られるのだけど、その省庁から一歩出ると、そこはまた従来の世界になる。せっかくオンライン化が進んでいても、それで効率化できるのは限られた世界の中だけになってしまう。それがやっぱり世の中を良くしていってない原因になっているのかもしれません。

例えば九州の黒川温泉。今でこそ首都圏からわざわざそこに泊まりに行く人がいるぐらいの有名温泉になりましたが、私が子供の頃、ここは全く有名じゃなかったんです。ではどうしたかというと、黒川の街自体を一つの温泉宿と見立てて、共通の入浴できる手形を作ったりとか、あるいはその街並みを統一したりしたんですね。それぞれの温泉宿が競争しあうのではなくて、街全体で一つのコンセプトを作ったために、魅力がすごくアップしたわけです。

オンラインの世界も同じように、あなたの会社をオンライン化しましょうとか、省庁で新たにオンライン化します、ではなくて、本来は皆のためにどういうオンラインがいいのかというグランドデザインをしなきゃいけないんです。ただこのデザインの仕事というのは、それだけではあまり儲からないのです。言ってみればそれをやるのは、ボランティアなんですよね。

ちなみに黒川温泉の場合、ある旅館のオーナーで「これじゃ駄目だ。みんな潰れちゃうよ」と言って、町全体を活性化させる全体の戦略やコンセプトを作って動いた人がいらっしゃるのです。

三谷

これは簡単なようで案外できることじゃないですね。労力もかかるし。

ええ。今の話でいうなら、ビジョンで終わってしまったパターンにおいては、社会全体できちんとデジタルのビジョンを作って推進していく実行力を持った人が居なかった、そういうことなんじゃないでしょうか。また、もう一つ言えるのは、インターフェイスを変えようとする時、絶対どこかで軋轢が生じるのですよ。例えばハンコのある世界とハンコのない世界が共存する状態になります。そのとき一時的には企業にとってみると二重投資の状態になってしまってあまり便利にならない。でも全部オンライン化するとものすごく便利になっていく。

特別定額給付金ではまさにオンライン化が問題としてあげられましたね。みんながオンラインでつながれば非常にスムーズに行くのでしょうけど、紙で送る人もいて、両方やっていったら、全然楽にならないですよね。この辺りは國領先生にコメントをいただけますか。

國領

デジタルガバメント周りのことについては、今まで関係者が検討してきたことは無駄ではなかったと思います。ただ、やはり物事にはタイミングがあって、いくら提案をしてもなかなか広がらなかったものが、何かのきっかけでポンと広がるということはあるのだと思います。なので、そのタイミングが来るときに備えて、いかによい提案が準備できるかが重要だと思います。

特別定額給付金については、様々な議論はありますが、対応する自治体によって状況は異なったように見えます。対応が上手なところは意外とうまく切り抜けた感じですよね。結局、その場の現場力のようなもので、存在している仕組みを色々つなぎ合わせながら、うまく対応したのではないかと思います。

私もこの件については否定的な見解ではないのです。

マイナンバー自体は、使われ方とかもう少しこういうことが起こることを想定した状態できちっと早めにできていれば、もっとスムーズにできたと思っています。

ただ、私が申し上げたいのは、組織内はともかくとして一歩外に出ると弱いよね、というところがやっぱり弱点だったと思うのですよ。例えば電子取引のようなものも同じことが言えるのですけど、「これがあったらいいよね」と皆言うわりには、いざ進もうとすると一旦躊躇してしまうというか、足踏みをしてしまうところが日本にはありますね。

ここはどうやったら一気にいけるのかという議論も重要なのです。例えば株券の電子化などは一気に進んで非常に便利になったと思います。ある程度強制力を持った上でポンとやると世の中のあるべき姿への進行スピードが速くなるものもある。

三谷

デンマークでは、デジタルガバメントの推進役は財務省です。予算の確保といったことだけでなく、結局ガバナンスのきかせかたの問題なのだと思います。国全体とか社会全体のガバナンスをどういうふうに設計するかといったところが、日本はものすごく弱い。かといって中国的なガバナンスがよいかといわれると難しいところあります。今回の件から得た教訓をきちんと総括し、先に進むべきかを考えなければなりません。

トップダウンを是とし、現場側のカスタマイズ要望を容認しない方が効率的だ、というガバナンス。他方では、現場の裁量にある程度任せて細かいつじつまは現場で合わせてしまえというガバナンス。両極端ありますが、どのあたりで折り合いをつけていくのかということは、日本のデジタル化にとっても重要なテーマだと思います。それが今回のコロナ禍で一気に表面化しているのではないでしょうか。

ブリコラージュしやすい環境をつくる

國領

このあたりについては、きちんと総括し議論していきたいですね。社会人類学者のレヴィ・ストロースが「ブリコラージュ※2」という言葉を使っています。ブリコラージュというのは、イノベーションのあり方として、体系的や戦略的に考えるのではなくて、「この場に有るものを使う」ということなんです。これは、災害時のレジリエンスのようなところでよく出てくるテーマなんですが、既存の仕組みが壊れたときに、どうやって機能だけ回復させるか、いうことを考えた場合、その時に使える有りもので、機能を回復させていくといったことなんです。

今回の特別定額給付金でも、自治体ごとにかなりブリコラージュのプロセスが違ったというのはありますね。リアルの業務もシステムもてんでバラバラになって標準化ができない状態だったのでしょう。

逆に言うと、ブリコラージュをさせてあげられるような仕組みとか、ブリコラージュをやっても大丈夫でバラけないようなポリシーがどこかにあることが必要だと思います。

三谷

結局、これからの未来に起こり得る状況を全部把握して設計を完成することは不可能であるという割り切りが必要だということですね。その割り切りが大前提にあって、冗長な部分というか、余白というか、自由にできる部分を残しておくことによって実は社会全体としてとても安全性が高まるというストーリーですね。

國領

すごく狭いデータの世界でいうと、今はデータの記述の仕方とか、コード体系とか、見えるようにするのが必要かなと。311のときに、被災地や避難所で名簿の作り方がてんでバラバラだったので、あとで名寄せができなかったという問題がありました。その時は携帯電話も何もかも全部つながらなかったので、ローカルで処理するしかなかったのだけども、ローカルで処理するときに、すべての避難所で避難者の氏名と携帯電話番号を記録させるべきだった。

今の国の建前はマイナンバーをここで使えというものですが、自分のマイナンバーを覚えている人なんて世の中にほとんどいないわけですよね。共通キーとして携帯電話の番号とカタカナの氏名を組み合わせるという方法をあらかじめみんなの頭の中へ叩き込んでおけばよかったんです。そしてこのお年寄りはこの薬を飲んでいるというようなことを一旦1ヶ所の避難所で集めておけば、そのお年寄りが別の避難所に移ったときでも、そのデータを引き継げるはずです。

でも311の時は全く引き継げなかったわけです。そしてこの避難所はパソコンがあったからパソコンなら使えるとか、この避難所はパソコンがないのでホワイトボードに書き出して写真で撮りましたとか、ツールはそのときの現場にある、ありものを使うしかないんですよね。

逆に、ブリコラージュをしやすいような社会というのはどうやったらできるんだろうという問題もあります。それは先程の柳社長の話を受けるなら、そのインターフェイスみたいな話になるのかと。

三谷

たしかに、インターフェイスの問題ですね。

國領

インターフェイスは共通化するという繋ぎであって、できるだけ繋ぎやすくすることだけをとりあえず考えるということをまず行うとか。あるいは自分の考えたことを製品とか他のサービスにつなげられるか。そしてブリコラージュする能力を持っている人をいかに教育するかなんですよね、きっと。

また、ブリコラージュするにしてもやっぱりルールが必要で、ブリコラージュをいろいろな人が好き勝手にされても困るので、そのルールも共通化してないといけない。もちろん、一時しのぎ的には仕方ないかもしれないけれど、その後の継続的な使用は難しいですよね。ブリコラージュしやすいある種のルール的なものを同時に作っていく一方で、それをまたブリコラージュする余地を残していくっていうことなのかな。これは共通思想みたいなものじゃないかな、アーキテクチャーていうのかな。

三谷

実は、今回の提言の中に、「アーキテクト」というデジタル人材を目指そうということを書きました。社会全体最適を考えられる人材という意味を持っています。今までの情報システムは、お金を払った組織のためのシステムでした。別にそれは悪いことではなかったわけですが、結果出来上がったのはそれぞれの組織の持つシステムがバラバラでつながらない社会です。

このような状況が、コロナ禍において、社会全体の状況をモニタリングするのに、かなりの手間がかかってしまったことにつながっています。「アーキテクト」は、今までよりもう一段視野を広げて、自分のつくるシステムが社会全体にとってどんな意味を持つかを常に考える資質を持つ人材だと考えました。このあたりに繋がりそうですね。

國領

そうですね。社会全体みたいな大きなアーキテクトの話もあれば、もっと現場に近いものもある。両方が必要な感じがします。

三谷

そうかもしれないですね。先日あるディスカッションの場でも、「今回のコロナ禍でなぜデータがつながらなかったのか」という議論になりました。そのときも、APIとかインターフェイスという話になりました。その中でなるほどと思ったのは、「そもそもはじめからつくる人が『つなげる』という発想を持っていなかったから」という意見でした。とすると、やはり解決策は人材ということかもしれません。

これからやるべきこと

三谷

最後に、NTTデータ経営研究所として、あるいはIT産業として我々はどういう役割を担うべきか、またこれから先どんなことをやっていくべきか、という話をいただけますか。

國領

NTTデータ経営研究所が今果たすべき役割というのはとても大きいと思います。今日議論したような、我々がどういう方向でこの先に進んでいくのかということに対するしっかりしたビジョンを示すこと、特にユーザー企業の皆さんにどういう考え方をして前に進めるべきかについて、明快な考え方を提供していくことが大事だと思います。

単に情報システムを変えましょうというよりは、そもそも企業のオペレーションのあり方はどうなるのかといったことが大事です。また、経営トップに対して、哲学とエビデンスに基づき、意思決定を支援するような材料をしっかり提供していくということがとても大事な時期に来ているなと思います。

しっかりとそれをやっていきながら、社会の大きな変化の時代に、みんながきちんと対応できるようなお手伝いをしていけるといいのではないでしょうか。

三谷

はい、ありがとうございます。引き続きご指導のほどよろしくお願いします。柳さんはいかがでしょう?

そうですね。國領先生が言われるようなミッションについては、会社としてもしっかり意識をしていきたいと思っています。ただ、コンセプトだけになってしまうと、どういう社会なのかわかりにくくなってしまうところもあります。

なので、NTTデータ経営研究所としては、例えば「こういう仕組みでこんなふうになって、災害が起きたときはここではこうやって」といった、ストーリーのようなものも含めてわかりやすく可視化したりする形で、これまでの経験などを出していくべきなのかなと思います。特に社会的な合意を取るための対象が広ければ広いほど、ストーリー・テリングやビジュアル化などがとても大事になると思います。

國領

今の柳社長の話を大学の文脈に落とし込むと、これからの大学の姿は相当変わると思います。世界の有力大学も両極端に分かれてます。ビジネスモデルが壊れかかっているので、一刻も早く昔のモデルに戻りたいというのがひとつの方向性。例えばアメリカの大学などはキャンパスに寮があるので、その収入がものすごく大きい。だから学生を呼び返せなくなると、たちまち破綻する大学が沢山出てきそうなんです。他方、余力のある大学ほど、先へ進むことを考えています。

オンラインを使って世界中の学生を集めようとしているイギリスのキングスカレッジとか、オンラインを使って一生涯教育をするような方向を打ち出しているシンガポール大学とか。力のある大学ほど、次のビジネスモデルに進化していくことにドライブがかかっているわけです。その中で例えば有力な大学同士が強い領域で組んで、ジョイントプログラムを提供するようなことがだいぶ増えてくると思います。私はこういうようなものにどれくらい対応できるかというのが、これからの大学にとって生きるか死ぬかの競争だと僕は思っています。そこでのコンピテンスをどれだけ上げられるかといったことに直接的に協力してくれる方々とはぜひ組んで行きたいと思っています。

なので、そういうクライアントの具体的に進む方向、イメージできる色々なモデルに対して、ソリューションをどれぐらい提供できるかが重要なんですよね。コンセプトばっかり言っててもしょうがなくて、落とし込んだところで一体何を実現するのか、このあたりのことについて答えを出していけるような努力が必要なのでしょう。

三谷

今の話は同じことが企業にも言えると思います。同じように厳しい環境下にいながら、もとのビジネスの姿に一日も早く戻りたいと考えている企業。そして、この際だから思い切ってデジタル・トランスフォーメーションして、新しいビジネスモデルを模索したい企業。ふたつに大きく分かれていくのではないでしょうか。

私たちとしては願わくば、この重要な局面に「変わろうとする企業や社会」のお手伝いをしたいですね。

三谷

全くその通りですね。本日は貴重なお話、ありがとうございました。

※1 ハイコンテクスト:コミュニケーションや意思疎通を図る際、前提となる文脈(言語、価値観、考え方など)が非常に近く、相手の意図を察し合うことが出来る状態。 民族性、経済力、文化度などが近い人が集まっている際に起こりやすい。

※2 ブリコラージュ: 繕う、誤魔化すというフランス語のブリコルール(bricoler)に由来した語で、寄せ集めでなにかを造ったり間に合わせの修繕という意味で使用される。

TOPInsight情報未来No.65鼎談:オンライン・ファースト社会の実現に向けて