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大震災を超えて
~金融危機とのアナロジー~

パートナー 山上 聰
『情報未来』No.37より

はじめに

6月25日。東日本大震災復興構想会議は、「復興への提言 ~悲惨のなかの希望~」を公表した。その前文では、地震・津波・原発事故という複数の要因が広域に発生したことによる問題の複雑性を指摘し、『複合災害をテーマとする総合問題をどう解くのか。この「提言」は、まさにこれに対する解法を示すことにある。実はどの切り口をとって見ても、被災地への具体的処方箋の背景には、日本が「戦後」ずっと未解決のまま抱え込んできた問題が透けて見える。その上、大自然の脅威と人類の驕りの前に、現代文明の脆弱性が一挙に露呈してしまった事実に思いがいたる。』として、復興を考える上で戦後体制の構造的矛盾が事態を複雑にしていることが認識されている。このことは、誤解を恐れずに言えば「天災は人災で増幅される可能性があり、今まで社会を形成してきた制度・権益・意識等を含めて変革しないと真の復興は望めない」と理解できる。

本稿ではこの認識に基づき、これまで天災が社会に作用してどのような変化が生じたのかを確認し、中期的な視点から「今次震災から何を学び、これから何を解決すべきか」について考察してみたい。

安政期の巨大災害と江戸幕府の衰退

江戸末期は、巨大地震が続いた時代だった。1853年、ペリー来航前の2月2日(太陽暦3月11日)小田原において大地震(M7)が発振。翌年には安政東海地震(M8.4)と南海地震(M8.4)が約30時間差で続き、さらにその翌年の1855年には、直下型の安政江戸大地震(M6.9)が発生している。水野忠邦による天保の改革が失敗し財政が逼迫(ひっぱく)していたところに、一連の地震被害による復興負担が加わり、幕府の財政基盤は大きく揺らいだ。特に江戸大地震では多数の人的被害(幕閣の約八割が被災し、参勤交代によって江戸に駐在していた水戸藩・会津藩等の諸大名の重臣が亡くなった)が発生し、藩内の規律が揺らぎ桜田門外の変等の内部抗争となった。その後、地震に相前後して開国を迫った列強の動きが強まり、海防負担が増加して諸大名を含めた日本全体の財政状態を一層悪化させた。これらが幕府の権威低下となって12年後の1867年の明治維新につながったと考えられる。天災が歴史そのものを変えるものではないが、チェルノブイリ原発事故とソ連崩壊、ハリケーン・カトリーナとブッシュ大統領支持率低下とその後の政権交代等においても因果関係が見受けられる。

大震災は、財政基盤や人的資産等に影響を与えることで、その時代における政治・経済・社会制度が抱える矛盾点や本質的な脆弱性を露呈させ、大きな社会変動を加速させる作用がありそうだ。この点、大正から昭和初期にかけて活躍した物理学者の寺田寅彦は、自らの関東大震災における被災体験も踏まえて、その著書『天災と国防』で次のように記している。『文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す』(中略)『人間の団体、なかんずく国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展してきたために、その有機系のある一部の損傷が系全体に対して甚だしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである』と、天災の影響が社会全体に波及する仕組みを看破している。

金融危機とのアナロジー

それでは、今次の大震災は何を顕在化させるのか。サブプライム問題に端を発する世界的金融危機は、特に原発事故との間で「市場や社会がリスクをどのように扱えば良いのか」という点で共通項が見受けられる。特に両者が発生・伝播した根本原因が「不均衡」と「リスクへの慢心」(金融危機は富の不均衡で、福島原発は東京一極集中という不均衡、金融エンジニアリングも原子力発電のための発電・制御技術も、完璧に高度化されていたとする誤解があった)という共通した背景に基づいていたと考えれば、大震災の教訓を引き出すアナロジーとして活用できそうである。

図表1:金融危機からバーゼルⅢ制定までの経緯
出所:NTT データ経営研究所にて作成

金融危機は、住宅セクターにおける低所得者層を対象とする強欲的な貸付に端を発している。それが証券化商品に組み込まれ、リスクの所在が明らかにならないまま高い格付けが付与され、世界中の投資家によって保有された。その後、住宅価格の暴落を契機にリスクが表面化し、債権を直接保有していた金融機関を危機に陥れた。 そして、各金融機関の保有実態が見えないなかで疑心暗鬼が強まり、金融資本市場の流動性を枯渇させたことで、不信の連鎖が想定外の大型金融機関の破綻につながった。さらに、ギリシャ政府の財政赤字隠ぺいによる市場への裏切り発覚で、ユーロ圏をはじめとする債務過多の国々を巻き込むソブリン問題にまで波及した(図表1)。キンドルバーガー等の研究による金融脆弱性理論では、「金融危機は、あるきっかけで信用拡大が始まり不均衡が拡大し、やがて何らかの突発的なショックで反対のトリガーイベントが発生すると、その後はより根源的な要因によって本格的な危機につながる」としており、今次の金融危機にも当てはまったと考えられる。

2010年11月のG20サミットにおいて、金融危機を踏まえてバーゼルⅢの骨子が合意された。公的資金投入と金融監督上の枠組み整備で事態の深刻化はいったん和らいでいるものの、危機が克服されたとは言い難い状態が続いている。金融危機後の世界経済成長の牽引車がBRICs等の新興国にシフトするという変化は進んだが、欧米日において各国のソブリン格付けが相次いで引き下げられる等、不均衡が民間セクターから公的セクターに移転したが、本質的な解決が進捗しないまま、危機は火種としてくすぶり続けている。

事例から学ぶ示唆


われわれは、これまでの事例から何を学ぶことができるだろうか。

まず江戸期の天災から、「天災は人災との密接な関係によって、その時代の課題を加速させる性質をもつこと」そして金融危機から、「一度トリガーが引かれると、実態が見えないまま本質的な解決が図られない問題はエスカレートすること」そして両者から、「リスクを正しく認識することの重要性」である。

今次トリガーイベントとなった大震災は、(1)被災地に直接的な人的・物的ダメージを与え、(2)流通網や製造業を支えるサプライチェーンを寸断し、(3)原発事故によるエネルギー制約と放射能汚染を発生させた。今後われわれは、(1)~(3)に対し、「高齢化」・「財政危機」・「社会福祉」・「エネルギー制約」・「グローバル化による産業の空洞化」等の制約条件を十分踏まえた再生策を実行する必要がある。この多元連立方程式の解法がわれわれにとって難題なのは、いずれの式も今まで先送りしてきた日本社会(戦後体制)の課題である、法律・制度・慣行・既得権益が複雑に絡んでいる点だ。

図表2:ソブリン市場と脆弱性に関する指標
出所:Bank for International Settlements(BIS);Bloomberg,L.P ; IMF, International Financial Statistics, Monetary and Financial Statistics, and World Economic Outlook databases: BIS-IMF-OECD-World Bank Joint External Debt Hub; and IMF staff estimates.

その中でも「財政危機」は、市場においてソブリンリスクとして注目を浴びており、とりわけ日本は90年代からの財政出動やバラマキ予算で国債発行残高がGDPに占める割合は、ギリシャ以上の水準に達している(図表2)。日本が抱える債務残高は、高齢化による金融資産減少、社会福祉予算の増大、石油価格上昇による交易条件悪化等で、今後予断を許さない状況に達する可能性がある。さらに東日本大震災の復興資金拠出によっては、従来から問題視されていた財政破綻が早まるリスクが強く認識される。ここで問題を解決せずさらに先送りした場合、今次の大震災以上の悲劇が待っている可能性さえある。

リスクを認める勇気を

震災や原発事故のリスクを想定外としてしまった原因はどこにあるのだろうか。

金融危機では、モラルハザード問題がクローズアップされ、損失が発生すれば社会が負担してくれるTBTF(Too Big Too Fail)や、格付け機関のビジネスモデルにおけるプリンシパル=エージェント問題が指摘された。日本社会には、それ以外にもリスクの認知に関する「情報の非対称性」の問題がある。私事ながら二つの体験をご紹介したい。まず、4月に訪問した松山市の「坂の上の雲ミュージアム」で眼にした司馬遼太郎による「あとがき」である。『要するにロシアはみずから敗けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情のためにきわどい勝利を拾い続けたというのが、日露戦争であろう。戦後の日本は、この冷徹な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうともしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において、民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。』この背景には、長年農耕民族として不作や飢餓などの自然要因に起因する失敗を運命論で処理してしまう文化的要因があったのかも知れない。

続いて、しばらく前にベルリンを訪問した際の、「ゲシュタポ博物館」である。この博物館は壊されたベルリンの壁に沿ったオープンエア・24時間無料開放のアクセスフリーな施設である。ここでは、ナチス将校がユダヤ人を迫害したむごたらしい写真やその際に利用された数々の道具が陳列されており、居たたまれない思いを感じさせる。

ベルリンになぜこのような博物館が作られたのか。それは悲惨な歴史的事実をドイツ国民が強く認識しているということを広く世界に知らせしめることが目的ではないかと思われる。一方日本では、事実に対する誤認と美化のプロセスが進んでしまった。

おわりに ~大震災を塞翁が馬とするために

どんな問題であれ、対策には(1) 根本原因を除去するか (2)根本原因が残っていても不都合がないようにするかの2種類しかない。しかしリスクに対する正しい認知がない限り、誤った対策を打ってしまう可能性がある。これからは、われわれ一人ひとりが、現実から目を逸らさない「勇気」を身につける必要がある。それをもって大震災からの学びとし、今まで先送りしてきた課題への挑戦に対する、すべての新しいスタート地点としたい。

 

本稿執筆にあたり財団法人岩手経済研究所の皆さまには、将来への希望や勇気の大切さを痛感させる貴重なお話をいただいた。末筆になるが心より御礼申し上げたい。

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