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JISAによる新たなプライシングモデルへの取り組み

シニアコンサルタント 稲葉 崇志
『情報未来』No.36より

はじめに

ソフトウエア開発では開発者の稼働を積み上げて価格を算出する「人月工数方式」を採用することが一般的となっているが、この方式に対しては、かねてより不透明性や納得性の低さが指摘されている。

人月工数方式では、実現する機能とベンダの行う作業との関係が明確でなく、経験則によって工数が算出される、などの理由により、ユーザー企業にとっては価格の妥当性を判断することが難しい。一方ベンダ企業にとっても、組織や開発者の行う生産性や効率性に対する取り組み、あるいは成果物の品質の高さや付加価値を価格に反映させることができない、などの理由により、現行の人月を根拠とした見積もりは最適とは言えない。

加えて、現在の取引方式では、リスクの定義が曖昧な状況で取引価格の交渉が行われるなどの状況がみられる。このような効果やリスクが曖昧な状況下での取引は、品質や価値を考慮せずに価格のみに着目した交渉となってしまう懸念がある。

こうした課題認識のもと、情報サービスの取引および取引価格におけるさまざまな試みが業界内外で行われている。当社でも「パフォーマンスベース契約(※1)」を始めとして、この課題に多く取り組んできた。本稿では、現在の情報サービス取引の中心である請負開発モデルに適した手法として、社団法人情報サービス産業協会(JISA)が取り組んでいる「新たな価格モデルにおける調査研究」とその成果である「JISA価格モデル」を紹介したい。

JISAの「新たな価格モデルにおける調査研究」では、情報サービス価格の決定要素を「基本となる価格要素」と価格に影響を与える「変動率」に分けた概念モデル(「JISA価格モデル」)を提唱し、情報サービス取引におけるユーザーとベンダの協議の中心を変動率に移すべきだとしている。これにより、リスクの適切なコントロールや目指すべき品質の明確な設定を可能とし、ユーザーとベンダの双方にとって納得性の高い取引を行うことができる。

JISA価格モデルの概要

JISA価格モデルとは、ユーザーとベンダの双方で適切な交渉および取引を行うことを目的とした価格構造の概念モデルである。

図表1:「JISA 価格モデル」の概念イメージ
出所:「平成21 年度 新たな価格モデルに関する調査研究」(JISA)を元に当社にて作成

JISA価格モデルは、価格の決定要素を「基本となる価格要素」と価格に影響を与える「変動率」に分けて考えている。「基本となる価格要素」は、顧客から提示された機能要件を実現するために必要となる「生産量」「生産性」「単価」に基づいて算出される。また、「変動率」は基本となる価格要素に対して影響を与える「品質要件」「プロジェクト要件」に基づいて算出される(図表1)。

JISA価格モデルを利用した価格の理論的な算出方法は次の通りである。

①顧客の業界やサービスやシステムの種別、あるいは開発形態などに応じた「生産性」や「単価」の情報が整備されていることを前提に、当該取引のプロジェクトに必要となる「生産量」をインプットすることで、基本となる価格が決定する。

(基本となる価格=「生産量」×「生産性」×「単価」)

②次にプロジェクト固有のリスクや特別な要件、ベンダが提供する付加価値などを、基本となる価格に対する変動率として反映させることで、最終的な価格を算出する。

(価格=「基本となる価格」×「品質要件の変動率」×「プロジェクト要件の変動率」)

JISA価格モデルでは、プロジェクトに求められる品質や不確定要素などを可視化し、かつ概念として分離させることで、取引における価格や条件交渉の中心を工数や人月単価からこれらの変動率(変動要素)に移すことをねらいとしている。

図表2:「JISA 価格モデル」を活用した取引のイメージ
出所:「平成21 年度 新たな価格モデルに関する調査研究」(JISA)を元に当社にて作成

これまでの手法では、プロジェクトに潜在するリスクや品質に対する特別な要件が、必ずしも明らかにされていない。価格に影響を与える変動率が分離され、その内容が可視化されることによってはじめて、ユーザーとベンダは不確定要素の解消や低減などの行動が可能となる。潜在するリスクの低減は、ベンダにとってはプロジェクト収支を安定させる働きがあり、同時にユーザーにとっての取引価格の抑制にもつながる。さらに、ベンダが実現する高い品質や付加価値を可視化することで、取引価格への反映を可能とする(図表2)。

JISA価格モデルに基づくサービス価格実態調査の改訂

価格モデルは概念モデルであるため、これのみで実際の取引における見積もりが可能となるわけではない。理想的には、ユーザーとベンダが妥当と考える「基本となる価格」が利用可能な状況で提供され、これに各プロジェクト特有の状況を変動率として反映させるだけで取引価格を算出できることができれば望ましいといえる。

そこで、JISAは「情報サービス産業 取引及び価格に関する調査」(サービス価格実態調査)の改訂を、JISA価格モデルの概念に基づいて実施した。「情報サービス産業 取引及び価格に関する調査」とは、JISAが情報サービス取引の実態を公表するために会員企業に対して毎年行うアンケート形式による調査である。平成21年度から、JISA価格モデルに基づいて改訂された形式にて実施されることになっている。

(平成21年度調査概要)
調査方法:アンケート調査
調査期間:平成22年1月~平成22年2月
回答企業数: 18
回答プロジェクト数:104

サービス価格実態調査で公表される情報

サービス価格実態調査で公表される情報のうち、JISA価格モデルの構成要素としての参照が可能な項目について概要を説明する。

(1)生産量

生産量は、基本となる価格要素の構成要素である。価格の算出にあたってはインプットとなる要素であり、各プロジェクト個別で見積もりを行う。

サービス価格実態調査では、参考値として回答プロジェクトの生産量(コーディングステップ数)およびファンクションポイントのデータを公表している。

(2)生産性

生産性は、基本となる価格要素の構成要素である。JISA価格モデルにおける生産性とは、単位生産量を生産するために必要となる工数を示している(単位時間あたりの生産量である生産効率ではない)。

サービス価格実態調査では、回答プロジェクトの生産性を工程・職位別工数(時間)÷新規コーディングステップ数(KSLOC)で算出しており、工程別・職位別のデータを公表している。

(3)単価

単価は、基本となる価格要素の構成要素である。

サービス価格実態調査では、回答プロジェクトの工程別・職位別の単価データを公表している。

(4)品質要件(変動率・内訳)

品質要件は、変動率の構成要素である。システムに要求されるソフトウエア品質レベルに基づく要件であり、要件を満たすために必要な工数を変動率として示している。

サービス価格実態調査では、回答プロジェクトにおける品質要件の変動率を実態として公表している。また、必要とされた品質要件の内訳を公表している。

(5)プロジェクト要件(変動率・内訳)

プロジェクト要件は、変動率の構成要素である。ユーザーとベンダのプロジェクト環境に起因する要件であり、要件を満たすために必要な工数を変動率として示している。

サービス価格実態調査では、回答におけるプロジェクト要件の変動率を実態として公表している。また、必要とされたプロジェクト要件の内訳を公表している。

おわりに

JISA価格モデルでは、価格の決定要因を「基本となる価格要素(基本価格)」と「変動率」に分類しており、これにより、情報サービス企業各社は自らの技術や知見、創意工夫などを、基本価格に対する「変動率」として反映できるようにすることを目的としている。

ただし、生産性や単価は、サービスやシステムの種別、開発形態などによって異なっており、決してひとつの基準値に定まるものではない。また、サービス価格実態調査は情報サービス産業における取引の実態を公表することをその趣旨としているため、純粋な「標準価格」などを提示しているわけではない。公正な競争環境を維持する観点からも、今後もJISAが基本価格として業界で統一された基準を定めることはないとみられる。したがって、JISA価格モデルの「基本価格」はあくまでひとつの理想型である。

逆説的になるが、だからこそJISAの公表するサービス価格実態調査のデータが重要と言える。取引価格を決定するうえで、いかなる状況でも通用する唯一の基準値や係数などは存在しない。したがって、情報サービス取引を行う企業には多くの取引実態を把握のうえ、自ら「基本価格」を内部参照価格(相場観)として形成することが求められる。ユーザーとベンダにおける一致した相場観の形成が、双方にとって理想的な情報サービス取引を実現するための第一歩だと当社は考えている。

(参考文献)

  • 「平成21年度 新たな価格モデルに関する調査研究」(社)情報サービス産業協会、 平成22年3月
  • 「平成21年度 情報サービス産業取引及び価格に関する調査」報告書(社)情報サービス産業協会、平成22年3月
  • 「情報サービスのパフォーマンスベース契約に関する調査研究」報告書 経済産業省、平成21年
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