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AR、それは21世紀最初のフロンティア

『情報未来』No.39より

ソーシャルイノベーション・コンサルティング本部
社会システムデザインチーム
マネージャー 大林 勇人
コンサルタント 小池 瑠奈

2030年のライフスタイル

 2030年の社会。その時の世界はどうなっているのか、経済は成長し続けているのか、それは誰にも分からない。ただ、恐らく15年以上先でも人々の営み自体は何も変わらないことだろう。朝、目を覚まし、談笑しながらトーストを食べ、散歩に出かけ、本を読む。文字にすると至って平凡で、今と別段、変わるところはない。しかし、実際にその様子を目にしたとすれば、現在とは大きな違いがあることに気付くであろう。例えば、本は読んでいるが、手元に冊子がない。談笑しているのにも関わらず、目の前に人もいなければ、パソコンなどの画面もない。それでも、本を読む人には書籍が見えており、談笑している人には相手が見えている。現代を生きる私たちにとって、見慣れない光景である。だが、これが2030年を生きる人々のごく自然な生活なのである。

 この異質な光景の正体は、2030年を生きる人々が使うであろう「道具」にある。そして、冊子を持っていなくても本が見える理由は、「魔法の眼鏡」のおかげである。この眼鏡が、着用している人にだけ様々なものを見せたり、その動作に合わせて現実と地続きの変化を起こしたりといったように、眼鏡で見ているもののすべてを現実そのものとして提供しているのだ(図表1)。

図表1:魔法の眼鏡のイメージ

図表1:魔法の眼鏡のイメージ

出所:NTTデータ経営研究所にて作成

 このような「道具」の力を使って人々は、通常では見えない物を見ることができ、通常感じることができない物を感じることができる。ドアノブを握るだけで外の気温を体感し、何も考えずに歩くだけで未踏の目的地に迷わず到着し、習ったことのない外国語で外国人と会話し、プレーンビスケットをかむ瞬間にはチョコビスケットに変えることができるのである。2030年の人々はその感覚を拡張して、おとぎ話にでてくるような魔法の国のような生活をしている。このように、人間のあらゆる感覚を拡張するITをはじめとするテクノロジーは、「拡張現実感(AR:Augmented Reality)」と総称される。

これからの豊かさを実現する魔法の素 ~「真の」ARの具体像~

 2013年現在でも、「魔法の眼鏡」の疑似体験が可能である。例えば、所定の画像にスマートフォンのカメラをかざすと、画面を通じて現実にヴァーチャルアイドルやモンスターが現れるアプリケーション・サービスがあげられる。視覚に訴えるARはインパクトが大きいため、広告やゲームに用いられる場面がここ数年増加している。他にも、視覚的な情報が文字や音声による案内よりも理解し易いナビゲーションシステムに活用されている※1といったように、「視覚のAR」は世間的にもかなり認知されつつある。

※1 Pioneer社「サイバーナビ

 しかし、ARが拡張する感覚は視覚だけにとどまらない。先述した気温が体感できるドアノブは「触覚のAR」であり、かじったものがプレーンビスケットであっても味覚や嗅覚がITによってコントロールされ、チョコビスケットだと感じるのは「味覚・嗅覚のAR」である。さらに、これらの複数の感覚のARを巧みに組み合わせると、人間の身体・認知能力が拡張される。例えば、靴底が傾くことで着用者の身体バランスを制御し、足を動かせば何も考えなくても目的地にたどりつく、全く知らない言語がイヤホンによって瞬時に翻訳されることで会話する者同士が互いに違う言語を話しても支障なく意思疎通ができる、といったこともARで実現可能である。筆者たちはこのような、「視覚のAR」にとどまらない「人間そのもの」を拡張することで、現実のあらゆる障害を取り除き、快適な生活を実現するARこそが、「真の」ARであると認識している。

 そして、「真の」ARが実現する製品やサービスは、その正体がテクノロジーだと気付かなければ、利用者はまるで自分が魔法を駆使しているかのような気分となる可能性が高い。ひとつ、ARで用いられるデバイスに注目してみよう。現在、AR技術を搭載したデバイスの多くが、利用者に「ARを使っているから見えたり感じたりしている」といった自覚を与えている。しかし、冒頭の「2030年のライフスタイル」で示したように、将来は私たちのよく知る身近なあらゆるモノ、眼鏡、ドアノブ、靴等※2にAR技術が内蔵され、一見すると2013年と変わらない道具が、想像を超える機能を発揮する。その機能がテクノロジーによって実現していると知らない人が見れば、「普通の道具」が引き起こす様々な出来事を魔法と呼ぶことになるだろう。

※2 「No Place Like Home GPS Shoes

 さらに、縮減現実感(Diminished Reality=DR)と呼ばれる技術も注目すべきである。一般的にテクノロジーには、私たちにとって新しい物や価値を追加・付加するイメージがつきまとっている。しかしDRは、逆に私たちの物を奪ったり消したりする技術である。すなわち、ARと対極の位置を占めるテクノロジーであり、具体的には現実世界の物を消去したり※3、人間の行動を制限したりするものである。ARとDRを最適に組み合わせることで、利用者に「自由に現実を操作できる魔法」を体験させることが可能となる。

※3 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科稲見昌彦教授が開発した「光学迷彩」がDR技術の代表例である

 ここまでに述べた「真の」ARの例え話は、決して夢物語ではない。なぜなら、例え話に出てきたすべてのテクノロジーは、既に研究レベルでは完成かつ成熟しているためである。本当に15年後にこれらのテクノロジーが実用化され、利用者が違和感なく自在に扱えるようになった時、冒頭に述べた光景をそっくりそのまま目の当たりにできるであろう。

ビジネス、そして産業構造を変える秘めた可能性

 「そういったものまでAR? 少し範囲が広すぎるのでは」と思われる方も多いであろう。2012年12月18日にIBM社が発表した「今後5年間で人々の生活を一変させる5つのイノベーション」では、

  • 触覚:電話を通じて触れることができる
  • 視覚:1ピクセルが一千語に値する
  • 聴覚:重要なことをコンピューターが聞く
  • 味覚:デジタル味蕾でスマートに食べる
  • 嗅覚:コンピューターが嗅覚を持つ

 今年の予測では、新時代のひとつの要素である、視覚・嗅覚・触覚・味覚・聴覚という五感をコンピューター独特の方法で模倣する能力に焦点を当てます。

 といった未来像が提唱されている。これはまさしく、本稿の「真の」ARが目指している方向性と軌を一にするといっても過言ではあるまい。さて、前項までに紹介した、「真の」ARのサービスが社会に満遍なく行き渡った未来像に再び注目してみよう。それは、サービス利用者にとってはまさに「ITで再構築された世界そのもの」といった見方も可能である。反面、サービス提供者、すなわちビジネスの視点から見ると、「世界を再構築すること」や「再構築した世界で、これまで見たことがない全く新しいサービスを展開すること」が実現できる可能性を秘めているのだ。このような、「これまで見たことがない全く新しいサービス」を創造・生産するためには、例えば、既存のコンテンツ産業、IT産業、製造業、サービス業、建設・不動産業等が高度に連携をとらなければならず、場合によっては産業の融合や再編成、新しい産業の創出が求められる。さらに、「真の」ARサービスを創造・生産する行為に従事する人々に視点を向けると、アーティスト、デザイナー、コンテンツクリエイター、研究者、エンジニア、マーケッターなどが創発的にコラボレーション※4を行わなければ、将来の人々を「魔法使い」にしてしまうような魅力的かつ自然な形のサービスを生み出すことは恐らく不可能であろう。

※4 『メディチ・インパクト』(フランス・ヨハンソン著)では、異なる分野や学問、文化が交差する場において既存の概念をさまざまに組み合わせて新しい非凡なアイデアが数多く生み出される事象を、創造性が爆発的に開花した15世紀のイタリア・ルネッサンスにちなんで「メディチ・エフェクト」と呼んでいる。

求められる人間の叡智 ~「魔法使いの弟子」にならないように~

 ポール・デュカスの交響詩『魔法使いの弟子』では、ほうきを生き物のようにして水汲みをさせる魔法は使えるものの、止める呪文がわからずに水びたしとなり右往左往する魔法使いの弟子の姿が描かれている※5。この寓話は、文明やテクノロジーの進化に歯止めをかけることができない人類に警鐘を鳴らす教訓として使われることが多いが、ARにも完全に当てはまる話でもある。すなわち、将来「真の」ARが普及していく際には、例えば次にあげるように、マイナスの影響を考慮したうえで対策を講じる必要がでてくるであろう。

※5 世界で初めてステレオ再生方式を採用した映画といわれている、ディズニーの『ファンタジア』は、この『魔法使いの弟子』を題材としている。

(1)逸脱行為への利用
 もし、何らかの社会的な逸脱行為を働こうとした場合、ARはそのような行動を強力にサポートするツールとなりうる。少し例をあげると、「視覚のAR」で本人のみが見えない誹謗中傷を付与する、DR(縮減現実感)を悪用することで他所の家庭内の様子、人の裸、機密性が高い建造物の内部構造をのぞき見る、「聴覚のAR」で他人の秘密の話を盗み聞きする、パワードスーツ(「触覚のAR」にカテゴライズできる)を駆って強盗を働く、といった具合である。

 このような事態が現実のものとなることを避けるためには、例えば視覚のDRについては、図表2のような「DR設計原則」を設けることで、悪用できるサービスやツールを極力作成させない、(子供の場合は)保護者や、法執行機関等が逸脱行為を働こうとするユーザーのARを外部から強制的にコントロールできるようにするといった、社会的・技術的な工夫を施す対応策が考えられる。

図表2:「DR設計原則」の例

図表2:「DR設計原則」の例

(出所:NTTデータ経営研究所にて作成)

(2)人間の怠惰さがエスカレート
 おとぎ話に出てくる魔法のように、ARを用いて、呪文(コマンドワード)とジェスチャーだけで色々なサービスを享受したり、現実空間の多くの事象をコントロールしたりすることが可能となった場合、少なくない数のSF小説・映画で描かれているように、人間の身体能力が退行したり、怠惰な意識が多くの人々に蔓延する可能性※6は否定できない。

※6 近年では映画『ウォーリー(WALL-E)』で、このように「退化」した未来の人間が描かれている。

 このような未来像を回避するには、ARのサービス設計を工夫して、過度に利便性を追求せず、むしろ逆に利用者に適度な試練を与えるUX(ユーザーエクスペリエンス(ユーザー経験))とするといった打ち手が考えられる。既に主にIT製品やサービスの設計に際して、心理学者チクセントミハイが提唱した理論である「フロー体験※7」や、この理論を一部応用している「ゲーミフィケーション※8」といった方法論が活用されているため、これらを現在ないし将来のARサービスを設計するための道具立てとできるのが望ましい。

※7 人間が一つのものごとに没頭して、純粋にその行為を楽しんでいるために、他の事柄が問題とならなくなったり、多くの時間や労力を費やしたりする状態を指す。このような「フロー状態」にある人間は、その能力を最大限に発揮し、パフォーマンスを最大化することができるとされている。
※8 サービスの設計、ビジネス課題や社会課題の解決等に、ゲームデザインの技術やメカニズムを利用するといった活動、手法全般を指す。

最後に

 未来はどうなるかは誰にもわからないし、「真の」ARが普及して、本稿が指し示すような「2030年」の世界が本当に実現するかも定かではない。しかし、既に述べたように「魔法」を実現するためのテクノロジーは研究レベルでは充実していることに着目し、筆者たちは先端IT活用推進コンソーシアムビジネスAR研究部会において、官民学の意欲的な研究者、技術者たちと、日々「真の」ARのあるべき姿を議論したり、プロトタイプ開発に着手したりといった活動を行っている最中である。本稿を読まれた皆さんには、ぜひ私たちと「これまでに見たことがないまったく新しいサービス」を、共に考え、生み出していきたい※9と感じていただけると幸いである。

※9「AR」といった用語があてられなくなる可能性も十分に考えられる。

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