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『情報未来』

当社の研究、コンサルティング、事例から厳選された、お客様の問題解決に役立つ情報誌です。

No.43 (2014年6月号)

マネジメントの復権 第1回

細分化管理の近視眼を超えよう

四條 亨
四條 亨
NTTデータ経営研究所 グループ事業推進センター 業務改革コンサルティンググループ長 アソシエイトパートナー

しじょう とおる
生産財、サービス財を中心とする戦略的マーケティングが専門領域。企業ビジョンや戦略策定、CS経営、営業マネジメント、ナレッジマネジメント、組織とIT等のテーマは、消費財メーカや金融機関等にも広く経験を持つ。主な共著は、『顧客ロイヤルティの時代』(同文舘出版)。

マネジメントの埋没

 これまで本誌において、顧客満足(CS)や顧客ロイヤルティを指向する経営について論じてきた。そこでも触れたように、ある会社では顧客満足度のスコアを各組織のKPIの一つに取り入れ、スコア絶対値を成果達成/未達成の評価に取り入れたことがある。

 皆さんはこのような取り組みについて、どのように思われるであろうか。 その会社は全社一律でCS評価のスコアをKPIにすることによって、各組織がスコアの基準を超えることを追求し、その結果顧客満足指向の企業になっていくと考えられたのであろう。

 しかし皆さんもご存じの通り、個別の顧客が持つ期待値や満足度評価の仕方・基準には大きな相違がある。そのため個別の顧客の評価を絶対値として比較する際には、留意を要する。また筆者が扱うことが多い生産財(B2B)では特に、供給者と顧客企業の間で営業や責任者など互いの顔が見えているため、他社評価と比較して対応を考えるよりも、その顧客(企業と関係者)からの評価に基づいて何をお返しするかを考える方が、本義に適かなうであろう。そのため個々の顧客からの評価という違う状況(背景)に対して、異なる打ち手が求められるはずである。

 一方で個々の担当者や顧客対応する組織だけではなく、会社全体としての施策や能力に基づく対応も望まれるようになってきている。今日の競争環境では、ますます企業組織としての提供能力に基づく競争優位性が求められているため、例えば営業担当個人などの対応能力を超えた組織対応も大事になってきたということである。

 先ほどの会社では多くの方々は生真面目に取り組む一方で、一部では一定以上のスコアを得るために配票時点で「標準的な点数」の記入依頼を行うなど、CS調査の結果数字が目的化する弊害が生じてしまった。このような管理数字の自己目的化は、CSの本質的な取り組みからの乖離を生んでしまう。またマネジメントの目的と取り組み手段を倒立させてしまうことにもなる。ちょうど企業は「顧客の獲得と維持」を目的としつつ結果として利益を得ているにもかかわらず、利益を稼ぐこと自体が目的化してしまうことと同様である。

 このような状況を垣間見ると、例えば顧客満足型の経営を企業方針とするのであれば、結果数値の評価だけをしているのでは、限界が来てしまうことがわかる。そこでは顧客満足のためのマネジメントの打ち手が求められているのである。アウトカムの評価やコントロールを目的とするのではなく、結果を生じさせるための施策(インプット)の立て方とその実行の仕方が要諦であると考えている。しかし多くの場面で、マネジメントとしては行動確認と成果結果を評価することに傾注しがちであるように見受けられる。

 またこのような結果数値の評価を行っている例として分かりやすいのは、目標や予算などの設定に際して、売上高(加えて利益額など)の金額を設定している場合である。そこでは環境条件を考慮せず、何をどこでどのように売るか(製品市場戦略の実現)と関連づけることなく、目標や予算の設定が行われることがある。高度成長やバブル期ならいざしらず、今日にあっても利益拡大やコスト負担などの内部事情をもって、対前年比何%アップといった設定が上意下達で行われたり、全社での目標と組織積み上げのギャップについて、ストレッチと称して各組織に飲ませたりすることが行われている※1。環境が大きく変化し、経営の分析検討の仕方やツールが進歩していると思しきなかにあって、マネジメントは必ずしも進歩していないようである。筆者のみるところ、そのような企業はけして一部だけではない。

 またICTの発達に伴って、多様な結果数字を瞬時に収集できるようになった結果、分析と称して目的のない数字いじりや細分化を推し進めることも少なくないのではないか。

 そのような取り組みが、結果としてどれだけのデメリットを組織にもたらしているかについては、あまり考慮されていないことも気になる点である。

マネジメントの復権

 このような状況は、トップマネジメントとミドルマネジメントとを問わず、マネジメントが見失われつつある問題、埋没した状況を示しているように思われる。(組織から個人まで)成果主義が浸透することと並行して、組織における権限委譲の建前をもとに数値目標のアサインと結果責任の追求を行うことが、経営管理の主眼となっているようにも見える。

 このような経営がスタンダードとされてしまうことで、マネジメントに求められる姿勢と行動が損なわれているのではないだろうか。そして厳しい経営環境を背景に結果数値を追及するだけでは、現場の疲弊が重なり、組織能力が発揮されず分断された組織で経営がなされることになるという問題意識を筆者に抱かせる。

 この問題に対して必要なのは、見失っているマネジメントを再び取り戻すという観点、つまり「マネジメントの復権」なのではないかと筆者は考えている。ここでいうマネジメントとは、まさに「知識と責任の両方を拠り所にして遂行」されるものであり、「重要なのは成果※2」とされるものである。そして企業の優位性においては、業務や製品サービスのイノベーションに比較して模倣されにくい「マネジメントのイノベーション」は、価値創造が大きいものとして位置付けられるものである※3。

※1 四條“標準治療のマネジメント”『情報未来』,2010
※2 ドラッカー,“マネジメント I 務め、責任、実践”,日経BP社,2008
※3 ハメル,“経営の未来”,日本経済出版社,2008

 改善型を中心として業務レベルでの改革を行うことも意味はあるものの、企業組織が生き残り続けるために必須の能力を考えるならば、マネジメントのトランスフォーメーションに取り組むべきではないだろうか。その点からもマネジメントの復権が望まれるのである。

 そこで「マネジメントの復権」をテーマとして扱う第1回として、細分化管理によって陥りがちな近視眼を超えていくことを考えてみたい。

細分化された管理

 皆さんもスーパーやコンビニの店頭で、小家族や個食向けに小分けパッケージされた惣菜を見かけたり買われたりしているのではなかろうか。単身者はいうまでもなく、高齢夫婦が少量を作る手間を省くために使われたり、家族内でも嗜好の相違から個食対応に使われたりと受け入れられている。まさに手間暇かけずに個別対応ができる、利便性が高いものである。

 ニーズを概ね満たすような製品サービスのレベルから、昨今ではカストマイズマーケティングのように、個別のニーズにきめ細かく応えるような進化が進められている。その点で個別化の進展は非常に良いことである。

 食でこのような小分け化が進むのと同様に、企業組織でも従来以上に細分化した個別管理の重みが増してきているように見える。従来であればOJTや育成も含めて組織単位での管理が中心であったものの、昨今では個人単位を切り出して管理していこうとしているようである。育成ならばカストマイズされた(ニーズに応えた)プログラムなどのメリットもあろう。しかしここで問題になるのはその逆で、冒頭でもふれたように均一的なKPIによる管理と成果評価が行われてきている点である。

 もちろん以前から個人ベースでの目標管理などは行われていた。しかし昨今では、対応する顧客の数や質といった前提、個々人の能力、組織内での期待役割などといった固有の条件を斟酌(しんしゃく)せずに、個々のメンバに対して組織目標を単純に分割して一律に割りつけて行くこと、それを個人で努力して成果達成することが求められているように見受けられる。

 これをより細かいメッシュでの管理を行っているとするならば、一面では働き手の「自律」化ということもできるだろう。このようにアサインされた数字とその達成度によって評価されることについて、各人(個人)として良いと思えるのか、更には会社組織として(中長期的な視点に立って)良い結果を生むことができると思えるのか、という両面から改めて考えてみる必要があるのではないだろうか。

組織や人への影響

 このような均一的な細分化管理の進展は、おそらく背景に経営の加速化が働いており、それに対応して細かい管理単位で結果数値の把握を行い得るICTの進展も寄与しているのではないかと考えられる。

 企業の業績は昔のように半期、一年という単位ではなく、四半期を基準に短期化した業績評価をする傾向にある。これを達成する簡便な方法は、組織単位(ひいては個人単位)へ業績目標を割り付け、その実行達成状況をモニタリングすることであろう。そのようなマイクロな管理は、管理単位の細分化と期間の短縮化という方向を強化し続けていくことになる。そのため月次、週次と一層短期間で数値の達成状況を確認することがマネジメントの中心になる危険性をはらんでいるのである。

 売上数値など所与の数字を達成しさえすればよいとすると、自分が達成しやすい仕方で行えばよく(なにしろ評価数値の達成がまず大事なのだから)、組織や個々人が自己最適で勝手に取り組む恣意性を否定できなくなる。そのような行動は、ひいては「何をどこに売るか」という会社として重要な製品市場戦略の基本を歪めることが多い。そして結果として、各人はよく頑張って(目標達成して)いるが、組織全体としては戦略や狙い通りに経営が行えないという事態を生みだしてしまうのである。

 更に企業として大事にするべき理念/ビジョンといった組織の想いや経営戦略という組織的な取り組みに係るマネジメントに対して、数値目標を超えるほどに大きな声をあげられるという状況を招くことになる点では、一層重い問題ということもできよう。

 つまり成果主義的に細分化管理を進めていくことは、昔から難しかった全体最適や長期的な視点、組織への求心力などを一層削いでいくことに結び付く懸念があるように思われる。同時に評価の仕方や内容については単純化が進むことから、組織や構成メンバの言動のモノカルチャー化を生んでしまうかもしれない。環境変化が大きいなかで求めるべき多様性が排されることは、懸念すべき課題となってしまうであろう。

成果主義的な細分化管理を超えよう

 むろんKPIでコントロールしていくことや細分化された管理を行うこと自体が、悪いことなのではない。それらが単純な成果主義と組み合わされて、環境や(組織や個人の)役割機能を勘案せず画一的な設定と運用がなされた場合が問題なのであり、その達成度が個人や組織の評価と直結されている場合に顕著な問題を生じると筆者は見ている。

 このような場合、主に2つの観点からマネジメントを再考することが望まれるであろう。

 ひとつは中長期の取り組みや全体最適といった視座で、果たすべき役割機能についての検討を改めて意図的に行うことである。近視眼に陥った組織では、長期的な取り組みは組織全体としては行われにくく、志ある個人の「腹の据わった」取り組みに委ねられてしまっていることが見受けられる。そのような個人の存在は大きいものの、それでは組織としての将来性は十分ではない。細分化された管理に応えるような最適化行動が「合成の誤謬(ごびゅう)」を生じることを理解し、細分化管理の範囲を限定することが望まれる。

 もうひとつは、結果を求める前にミドルマネジメントもトップマネジメントも自ら政策を策定し、それらに基づいた施策を実行に落とし込むことである。細分化管理の流行にはマネジメント層の現場感や課題認識の希薄化、スタッフ依存にも一因がありそうだと感じている。例えば戦略はスタッフが分析策定したものを選択し、その結果をモニターすることが経営というならば、KPIを設定しそのPDCAが現場で回っていれば充分ということになってしまう。このようなマネジメントの埋没に対しては、結果数値を問う前の政策・取り組み(インプット)を自ら決めていくことが求められるだろう。そうすることで「結果責任を持って決められるのがマネジメントである※4」という専門機能が明確になるであろうし、そうなってはじめて、管理のための形式化したPDCAサイクルも変わっていくであろう。そして「火の用心管理※5」を超えて、役割機能に応じた取り組みを可能にするものと考えられる。

※4 ※1と同
※5 火の用心管理というアナロジーは西村(IMS)による。(四條,“標準治療のマネジメント”,『情報未来』,2010)