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ニューロファイナンス
~脳科学の金融・経済分野への応用

『情報未来』No.39より

マネジメントイノベーションセンター
エグゼクティブコンサルタント 萩原 一平

グローバルで進む脳科学の産業応用

 脳科学の産業応用がグローバルに進んでいる。情報通信分野では、IBM、マイクロソフト、グーグルなどは脳科学を活用して新たなコンピュータ、検索技術、画面遷移などの研究を行っている。米国で、IBMが脳科学を活用して開発したコンピュータがクイズ番組で人間に勝ったのはもう一年以上前である。昨年はグーグルが1万6千個のCPUをネットワーク化し、コンピュータに何の手がかりも与えずに、大規模データから猫とは何かをコンピュータが勝手に学習し、猫の写真を引っ張り出した。

 自動車分野でも、ボディやインパネ等のデザインはもとより、注意制御などの脳科学研究が行われている。生活用品、香料、化粧品などではもちろん脳と嗅覚、脳と触覚、痛覚などの研究成果を活かして商品開発が行われている。

 最たるところでは、エンターテインメント分野である。ディズニーでは100人を超える研究者が人間のことを研究している。彼らは自社の研究所をMITやカーネギーメロン大学のすぐ近くに構え、大学と産学連携で研究を行っている。

 このように世界的に脳科学の産業応用が進みだしたのは、病院等で検査に使われているMRI(磁気共鳴画像装置)を利用したf(機能的)MRI法という非侵襲の脳の可視化技術が開発されたことが大きく寄与している。実は、この技術の原理を発見したのは、日本人の小川誠二特任教授(東北福祉大学、発見当時は米国ベル研究所)である。この発見以降、脳科学研究が加速したと言われている。

 日本は、脳科学分野の基礎的な研究では世界でもトップレベルの研究者が何人もいる。ところが、脳科学を応用する分野では世界の後塵を拝している。前述のように、世界のグローバル企業は脳科学の研究者を社内に抱えたり、産学連携を行うなどして脳科学研究を推進している。

 もちろん、金融・経済分野における脳科学研究も海外では盛んに行われている。例えば、トレーディングをしているときの脳の活動や脈拍、心拍など計測し、リスクテイクするときに、快感を感じる脳部位(側坐核)が反応したり、心拍や脈拍が高くなることを確認し、優れたプロのトレーダーの脳反応結果を活用し、投資タイミングを予測する技術を開発したりしている。残念ながら、日本でこの分野の研究を行っている研究者はまだ少ない。

始まっている金融・経済分野への応用

 心理学者で初めてといわれているが、2002年に米国プリンストン大学のダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞を受賞している。彼は、「プロスペクト理論」という人の利得や損失の大きさと価値感や経済的意思決定に関する研究成果によって同賞を受賞した。「プロスペクト理論」については、多くのビジネス雑誌や経営書等で紹介されているので、誌面の関係で詳細の説明は省略するが、一言で言ってしまえば、人は得をするとき、すなわち何かを得るときの価値感、意思決定と、損をするとき、何かを失う、または手放すときの価値感、意思決定では、例えその額が同じでも異なる。損をするときの方が得をするときよりも価値を大きく感じるということだ。それゆえ、数学的、確率的に正しい意思決定を行わず、儲けようとするときはより額が少なくなっても確実に得をする方法を、支払うときはリスクを取ってでも損をしないような選択をするという(図表1)。

図表1:行動に影響する「無意識」~カーネマンらのプロスペクト理論で示される価値関数

図表1:決済手段の高度化範囲(事例)

出所:『行動経済学入門』 (多田洋介、日本経済新聞社)等を参考にNTTデータ経営研究所にて作成

 彼がノーベル経済学賞を受賞したのは、今までの経済学では人は合理的な意思決定をするということを前提に理論が組み立てられていたのだが、人は非合理的な存在であり、前述のような意思決定をするということを経済理論に組み込んだからである。カーネマンは経済理論と心理研究を融合した行動経済学のパイオニアであり、彼の研究をきっかけに行動経済学、そして神経経済学(ニューロエコノミクス)、神経金融学(ニューロファイナンス)の研究が進んだ。米国では、この数年内にニューロファイナンスでノーベル経済学賞を受賞する研究者が出るのではないかという人もいることから、活発な研究の程度を推し量ることができる。

 例えば、スタンフォード大学の神経科学・心理学教授のクヌートソン教授の研究では、セックスの快感とコカインによる陶酔、株を買う興奮はいずれも、同じニューラルネットワーク(神経回路網)が制御しており、快感を司る神経回路網は、しばしば理性を司る脳部位(前頭葉)に対して優位に立つという(ブルームバーグニュース 2006・2・1)こともわかった。

 また、スタンフォード大学やカリフォルニア大学の研究者らによって、投資の意思決定をする前に偶然見たものが判断に影響する可能性があることもfMRIを用いた研究でわかった。実験では、エロティックな写真をポジティブなキュー(+)、家電製品をニュートラルなキュー(±)、蜘蛛または蛇の写真をネガティブなキュー(-)として見せ、その後の投資判断結果を評価したところ、(+)の写真を見た後はよりリスクを取る意思決定をすることがわかったという。※1

※1 http://www-psych.stanford.edu/~span/Publications/bk08nr.pdf

無意識で行われる意思決定

 ここで重要なことは、意思決定は脳の中で無意識に行われているということだ。

 何か占いのようなものを信じて、それに基づいて投資の態度を決めている人はいるかもしれないが、(+)の写真を見たから強気に投資しようとか、(-)の写真を見たから慎重に投資しようと考えている人はおそらくいないだろう。

 人は自分が自分の判断で意思決定をしていると勝手に思い込んでいるが、実際には、脳が意識に上がる0・5秒ほど前に意思決定をしており、そのうえで行動を起こさせる。

 身近な例で、これを示そう。あなたが車を運転していたら、突然子供がボールを追いかけて飛び出してきた。あなたは急ブレーキを踏んで車を止めた。そして、冷や汗を掻きながらつぶやいた。「ああ、危なかった!」

 この『危なかった』という過去形の言葉がすべてを物語っている。車の前に現れたボールと子供の情報が視覚センサーを介して脳に伝わる。脳は脳の中にある様々な情報を基に瞬時に何をすべきかを判断し、身体に命令を出す。その結果として、ブレーキを踏んだり、ハンドルを切ったりするのだ。その後に、意識上に「危なかった」「怖かった」という感情を起こさせる。子供が飛び出してきたから、危ないので、ブレーキを踏むか、ハンドルを切るか、どちらの方がいいだろう。危ないからまずブレーキを踏もう。決して、こんなふうに、意識して考えていたら、間に合わない。

 人の認知活動の95%は無意識に行われているという。確かに、自分の一日を振り返ってみればわかる。意識して行っていることと無意識に行っていることでは、圧倒的に無意識に行っていることの方が多い。例えば、歩くときに、まず右足を出して、次に左足を出して、その時の手は足とは逆の方を前に出そう、なんて意識して歩いている人はいないだろう。

 この無意識に行われる意思決定で、最も重要なことは、脳は外からの情報よりも脳の中にある情報をより多く活用して意思決定を行うということだ。感覚器官によって異なるといわれるが、視覚認知の場合、視覚から入る外界の情報に反応するのはわずか3%、97%は脳の中の情報を基に認知が行われているという。※2

※2 池谷裕二著『進化しすぎた脳―中高生と語る[大脳生理学]の最前線』講談社、2007

ニューロファイナンスの可能性

 例えば、株式の売買のタイミングについて考えると、プロのディーラーと素人では売買のタイミングが異なる。外部から脳に入って来る情報は同じでも、脳の中にある情報が異なるため、違う意思決定が行われ、異なる行動を取る。結果も当然異なる。「その道のプロ」といわれる人の脳には、関連する様々な情報がインプットされている。

 しかし、時として、その記憶されている情報が誤った意思決定を誘発し、間違った行動に結びつくことがある。人は合理的な存在でないのだ。

 例えば、被験者に知られないように、1929年に起こったウォール街大暴落、1987年の世界的株価暴落「ブラックマンデー」、などの事例をシミュレーションしてプログラムに組み込み、被験者にリアルなお金を渡して、株式市場のシミュレーションゲームを行わせた。その結果、実際に投資家たちが餌食になったパニックが全く同じように起こったという。※3

※3 http://boingboing.net/2009/09/08/how-we-decide-mind-b.html

 これは人の脳にあるバイアスとか錯覚の影響が大きく関与している。バイアスや錯覚にはいろいろな種類があり、その影響について様々な研究が行われている。この無意識に起こるバイアスや錯覚の影響を最小限に抑えることができれば、より確度の高い投資ができることになる。

 前述の海外での研究は、優れた投資家のパターンを解析し、それを組み込むことで、素人に起こるバイアスや錯覚を除去し、投資のタイミングを予測しようという試みである。これは、例えば、個人トレーダーがWeb取引をする際、株価の変動から投資タイミングを予測する際にアラートを出す仕組みに応用するなども考えられる。

脳科学活用のポイント

 社会脳という比較的新しい研究分野がある。これは、人と人との関係について、脳科学の観点から研究を行う分野である。信頼関係、幸福感、人の持っている利他性など、社会に関わる脳の特性が研究されている。

 人の脳は、文化、職業、人種、年齢、そしてジェンダーによって異なる。自分の脳の傾向を知ることはより賢く生きるために必ず役立つ。

 人の脳には一千数百億個のニューロン(神経細胞)がある。脳は、この膨大な数のニューロンがネットワークを形成し様々な活動を行うという極めて複雑なシステムである。したがって、脳について現在の科学の力でわかっていることはまだわずかである。

 おそらく、我々が生きている間にわかることも非常に限られているであろう。しかし、一方で、今まで全くわからなかったこと、何となく経験的に知っていたことが、科学の力で解明され出していることも事実である。

 脳科学の産業応用のポイントは、脳研究でわかったことを上手に活用するということだ※4。脳のことがすべてわかってからビジネスに活用しようと考えるのは止めた方がいい。いつまで経っても使うことができなくなる。

※4 萩原一平著『脳科学がビジネスを変える ~ニューロ・イノベーションへの挑戦』、日本経済新聞出版社、2013年

 金融・経済分野ほど、人の心理が大きく影響する分野はない。人は不合理であり、情動によって意思決定が左右される。とすれば、使い方によっては脳科学の研究成果が最も活用できる分野の一つがニューロファイナンスかもしれない。

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