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標準治療のマネジメント

アソシエイトパートナー 四條 亨
『情報未来』No.36より

医療と標準化の波

先日サイモン・シン(Simon Lehna Singh)の新著である『代替医療のトリック(※1)』が訳出されたので目を通した。鍼灸やホメオパシーなどを代替医療として、EBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づいた医療)の観点から評価の俎上に載せており、鍼灸の一部の効能以外はおよそ否定的に捉えられている。メタアナリシスをはじめとして、ここで用いられているような科学的な検証は、例えば薬剤や治療法の有効性や弊害を確定する方法として有効であり、私たちがその成果からメリットを受けていることは間違いない。

※1:サイモン・シン、エツァート・エルンスト、“Trick or Treatment? ”「代替医療のトリック」(新潮社,2010)

私たちが治療を受ける際には、エビデンスがあって、症状に適しており、自分自身が満足できる治療が施されることが望ましいはずである。例えば副作用とQOL(Quality Of Life)の間で、治療の選択肢は各人の価値観を反映するであろう。本来のEBMはそこまでの適用を含んでいるはずであるが、実際には例えば難治性のがんといった病では、標準治療(標準処方)だけを墨守することが、エビデンスがある正しい治療とされてしまうことも少なくないようである(※2)

※2:いわゆる「がん難民」は、標準治療が奏功しなくなった場合に、もはや治療の方法がないとされてしまうことで生じるとされている。

このようなEBMの誤用は論外として、機械的な処方への抵抗感が強かったり、病状・嗜好を反映したカストマイズされた治療を行ってもらえなかったりすると、代替医療への過度の依存が生じてくるのかもしれない。それは代替医療が存在することによるのではなく、医療の現場が患者の期待に応えきれていない局面で生じている課題といっても良さそうである。本来の治癒に影響がない限り、メリットをもとに代替医療を適宜用いることは、大きな問題はないであろう。実際に、私たちはマッサージや鍼灸によって肩こりが楽になるという感覚を持っており、それらを活用している。そのような実体感からすれば、(自分にとって)有効なものであれば、EBMでなくとも適当に取り入れていきたいと思っている。

医療における標準治療の設定は、個別化した医療が行われていないという批判ができる反面、地域や医療機関の格差をなくす取り組みとしてみれば、大きな意味を持っている。マーケティングでは、新奇性のある物を取り入れる市場(顧客)の見方として、最初に取り入れる「イノベータ」(Innovators)から「ラガード」(Laggards)まで時間差や対応能力に相違がある(※3)。標準治療はラガードに代表される層の底上げを通じて、格差なく一定度の治療を受けられるようにドライブをかけていると言えるであろう。

※3:マーケティングでは新奇性のあるものの採用について、市場(顧客)を5つに区分している。最初に取り込むイノベータ、次いでアーリーアダプタ、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティ、ラガードとされている。新薬や新治療の採用の進展にも適用される。

その点で問題は、標準化そのものではなく、標準治療を先駆的で正しい(唯一の)治療であると適用してしまうことにあり、患者の状態の個別性を無視した治療の仕方が問題と言えよう。

企業組織のマネジメントではどうか

私たちマネジメントコンサルタントは、かつて仕事を説明する必要が生じると”企業などの組織経営の医者“という例えを用いていたことがある。自覚症状や健康診断をもとに相談(診察)、診断確定、治療を行うという、一連の取り組みを分かりやすく理解いただくためであった。医療における医師と患者の間ほどには、情報格差が大きいわけではなく、また患者自身の経験を含めた診断(判断)や自己治癒力が中心になるなど、相違点も少なくない。しかし多くの臨床例や経験を通じて、「手術」の技術や「投薬」の知見などに専門性が生きることは類似的であると感じている。

そのような背景をもとに医療のアナロジーで見れば、私自身の臨床現場での経験からは、標準治療の波は、企業組織のマネジメントにも押し寄せていると感じることが増えてきている。それは標準治療を適用して薬さえ飲めば事が足りるとの信仰であったり、ある種の代替医療に傾注していたりするような問題が生じているということである。

現場における標準治療のマネジメント

ここで代替治療や標準治療に依存しているように思われるマネジメントにまつわる問題事象を幾つか挙げてみたい。いずれもかつてクライアント企業の現場で体験したものだが、皆さんの周りではどの程度あてはまるであろうか?

(1)戦略課題の埋没

  • 中期経営計画や年度事業計画の策定の際に、ラインとコーポレートスタッフ(および所掌する役員層)との間で、売上などの経営目標のやり取りが生じる。高い経営目標と手堅く実ビジネスを積み上げたものの間には、必ずギャップが生じるのだが、それは、「もう一声頑張れ」、「ストレッチできるはずだ」といった上層部からの掛け声や交渉によって、「解消」されてしまうことが多いのではないだろうか(※4)
※4:組織の力を引き出すために、別途「ストレッチ目標」を掲げる場合もある。しかしそれを積上げ数値の基本とするならば、環境を含めた分析や見通しは必要ないことになってしまう。
図表1:数値交渉による課題の埋没
出所:筆者作成
  • このようなギャップにかかわらず、目標数値に届くように何とかするのがマネジメントであると言う方もいたし、ギャップ分をさらに個別の担当に割り振る際に、割り振り方に色をつける調整力がマネジメントであると言う方もいた。
  • 一見ギャップを収めたように見えるものの、本来は新規投資などによって埋めるべき「戦略的課題」を数値交渉によって埋没させてしまうのは、実際の問題を見えなくさせ、組織には何らかの無理を背負わせているという点で、大きな課題を孕んでいよう(図表1)。

(2)数値目標管理

  • 現場の実態問題はさておいて、経営管理の数値目標を設定し、それを達成させることに傾注されていることも多い。いわゆるKPI(Key Performance Indicators:重要業績評価指標)による経営管理である。
  • 単一の目標(例えば営業ノルマ)を掲げたり、その達成を小組織や個人単位に割り振ったりして、それを評価と直結させれば、マネジメントができているとされている場面も見受けられる。たしかに定量的な数値は、一見客観性があり、共有化しやすく、目標として頑張らせるのに向いている。しかしなぜその数値(が妥当)なのか、どのようにそれを達成することが組織として最適なのか、という検討がなされていなければ、管理されている数値を達成すればよいとの目的至上になってしまう。
  • 最も多いのは、営業部門の売上目標を個人別の売上金額に分割してノルマ化し、その数値の達成状況を管理しようとする場合であろう。担当の肥沃度(ポテンシャル)や会社として売るべき製品サービスに関係なく、担当者が売りやすいものを売れる先に売りつけることが起こってしまう。その結果、会社としての市場(顧客)選択が崩壊したり、収益性を無視した無理な受注によって利益を損なったり、生産をはじめとする他部門に大きな負担をかけることが生じる。このような問題があっても、シェアや売上の至上主義によって、売上金額の大きさが数値目標として称揚されていることが見受けられる。

(3)「火の用心」管理の指向(※5)

※5:「火の用心」管理は、西村務(IMSC)によるアナロジーである。
  • トップ層の方針や掛け声をそのまま伝達することがマネジメントである、としている場面も多い。例えばトップは「火の用心」をしていこうと話したところ、各階層でその文言を伝達していっただけだったため、実際には火事が起こってしまった。
  • 火の用心とのメッセージは、それを受け止めた各層が所掌する範囲を中心に、火の用心が必要な場所や場面を具体化して、それらを管理する方法に落とし込まなければならないはずである。しかし掛け声の伝達は、各人の心がけに期待するだけのことにしかならない。当然のこととして、トップの経営方針を自分の事業に引き寄せて、活動に結び付け、具体的に何を行うことになるのかを導き出すことが求められるはずである。つまり方針の「解題」を行って、現場への状況理解に基づく「適用」を行うことは、マネジメント能力の一側面であり、単純に方針伝達ないし数値の割り付けを行うことではない。

(4)事例主義の横行

  • コンサルティングにおいて、「他社事例」が求められることが多い。本来はベスト/ワーストのケースとして、その本質を抉り出し、個社固有の条件と比較・適合させていくことが狙いのはずである(※6)。しかし示唆のない事例の数量の多さを求めてくる場合や、事例を帰納的に整理することなく自社に適用しようとする状況に直面することがある。どうやら先行類似事例があることは、全く新しいことよりもリスクが低いと感覚的に思われているように見受けられる。
※6:いわゆる帰納的な推論をするために収集事例が生かされることが多い。

(5)分析ツールへの依存

  • フレームワークによる分析があれば、問題が見える/見えてくると思われていることはないだろうか。かつてある資本財の企業で、コンサルタントが作成したPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)と称する分析を見せられて驚いたことがある。顧客内での自社のシェアと顧客企業の売上伸び率が両軸に取られていたと記憶するが、それでは当該顧客ごとの事業のプロットに過ぎず、本来の分析目的である資源の創出と分配については分からないからである(※7)。分析のためのフレームワークを用いたという満足感はあったとしても、目的から外れ適合しない分析を行うような「似て非なる」ものを識別することが求められる。
※7:よく使用されているPPMは、累積生産による学習効果が効く業に向けたフレームであるし、PPM単体では資源の創出と分配についての判断はできない。

イノベーティブなマネジメントの重要性

個別性の高い企業組織におけるマネジメントには、唯一絶対の正解はないと考えている。ここで挙げたようなマネジメントに関する症状への対処も、さまざまなものがある。もちろんそれは標準治療だけ実施していればあらゆる患者が等しく治癒する、ということがないのと一緒であり、個別の環境や症状に応じた判断や取り組みが必要とされるということである。

ただし個別化は、「状況依存型の判断」ではないことには留意したい。

かつて組織的な営業マネジメントの仕組みを導入しようとした企業で、営業プロセスや受注の見込みが「見える化」されることによって、打ち手が可能になると喜んでいたスタッフ長が、ラインの責任者に異動したことがある。その途端、彼は営業の「玉」は隠しておきたいと反対の立場に転じてしまったことがある。

立場によって言うことが変わるというのは、場合によって分からなくはない。しかし、その立場や場面ごとに判断等が変わってしまうのでは、非常に困るのではないか。判断のための原理原則や基準がなく、話す相手や空気に応じて言動を正反対に変えていくことを「状況依存型の判断」と解するが、マネージされる側には迷惑であろう。

マネジメントにおいては、自分の身体の声を聞きとるきめ細やかさに相当する現場感を持つこと、自身の治療における価値観(QOL等)に相当するマネジメントの哲学を据えておくことが重要であろう。併せて自分自身に何らかの良い効果があるのであれば、無理のない代替療法を補完的に取り込む柔軟性と、効果の見込めないものに入り込まないという判断力が望まれる。それらが企業ごとに集積してスタイルを持つならば、価値が高く競争力のあるマネジメントイノベーションに結実していくであろう(※8)

※8:G.ハメルが「経営の未来」(日本経済新聞出版社2008)で指摘したように、マネジメントのイノベーションは、模倣しがたい優位性や取り組みにくさがあることから、戦略イノベーションや製品サービスイノベーションよりも価値創造や競争上の防衛力が高いとみることができる。
図表2:コンサルティングの領域(例)
出所:筆者作成

マネジメントコンサルタントにおいても、おそらくは「臨床の知(※9)」が存在し、それに基づくさまざまな取り組みが可能であると考えている。どの医師にかかるか(あるいはかからないか)という判断には、適切な専門性や臨床の経験・能力を見極める力が必要であると考えている(図表2)。

※9:中村雄二郎「臨床の知」(岩波書店 1992)

紙幅が尽きたため、それらに寄与するナレッジのあり方とマネジメントなどについては、後日稿をあらためて論じてみたいと思う。

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