logo
Insight
情報未来

ひと中心の街づくりと行動デザインの可能性

No.70 (2022年12月号)
NTTデータ経営研究所 地域未来デザインユニット シニアコンサルタント 小林 健太郎
Profile
author
author
KOBAYASHI KENTARO
小林 健太郎
NTTデータ経営研究所 地域未来デザインユニット
シニアコンサルタント

2018年にNTTデータ経営研究所へ入社。主に行政の政策立案、地域課題解決の支援に従事。行動デザインに基づいたコンサルティングを得意とする。新聞・雑誌などに多数記事を寄稿。

1 ひと中心の街づくりの困難性

昨今、「ひと中心の街づくり」の重要性について、社会的なコンセンサスが形成されつつある。これまでの箱物中心の街づくりに対して、人やその幸福を中心において街やコミュニティをデザインしていこうという方向性は、この先長きにわたって希求されるテーマであろう。

この「ひと中心の街づくり」というコンセプトが本当の意味で実現し、人々の幸福に寄与できるかどうかは、ひとえに、どこまで「ひと」の解像度を上げ、そこに向き合えるかにかかっている。もし、ひと中心と言いつつ、人間を表層的にしか捉えることができなければ、それは耳当たりの良いスローガンで終わってしまうに違いない。

では、どうすれば、喜怒哀楽を感じながらそれぞれの日常を生きている、ありのままの「ひと」を理解し、それを街づくりに反映できるのだろうか。

その一助となるであろうアプローチが、「行動デザイン」だ。

本稿では、行動デザインの概要を述べた後、その実践事例として、当社が京都市と共同で取り組んだ、「タクシー駐停車マナー改善ナッジ」について紹介する。

2 行動デザインとは何か

一般的に行動デザインという言葉は、ナッジ(nudge)とほぼ同義に使われる場合も多い。ナッジとは、元々「肘で軽く小突いて、促す」といった意味であるが、人々の選択機会を奪うことなく、行動科学の知見の活用によって、本人や社会にとって望ましい行動・選択が自発的にできるよう手助けをする政策手法である。2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー教授らが2008年に提唱して以降、世界中の行政機関や民間企業で活用が進んでいる。

従来の政策アプローチと行動デザインおよびナッジが大きく異なる点の一つが、ありのままの「ひと」と向き合あおうというスタンスである。現実の人間は感情を持っており、疲れれば思考力が落ち、認知・判断にはバイアスがかかる。このため、人間は必ずしも全ての場面で本人や社会にとって合理的な判断・行動ができるわけではない。そうしたリアルな人間の在りようを受け入れ、前提としたうえで、課題解決を図ろうというものだ。

なお、当社では、上記のスタンスを大切にしつつも、行動デザイン=ナッジではなく、より広義に捉え、「ひとが望ましい行動をとれない要因(ボトルネック)を分析し、真因に応じた行動変容のための施策を(ナッジに手法を限らず)デザインすること」と定義している。これは、人間の行動には影響を与える要素が多数あり(図表 1)、必ずしもナッジだけで全てのボトルネックに対応できるわけではないからである。

さて、使う者によって多少の定義の違いはあるが、「ときに不合理でもある、ありのままの人間を前提として、行動という細やかな粒度で課題を発見・解決しようとするアプローチ」が行動デザインであるとまとめることができよう。

次に、街づくりにおける行動デザインの活用について具体的なイメージを持ってもらうことを目的として、当社の実践事例を紹介する。

図1|人間の行動に影響を与える諸要素

content-image

出所| NTTデータ経営研究所にて作成

3 京都市における行動デザインの実践事例

昨年度、当社は京都市と共同でタクシーの駐停車マナー改善にむけた行動デザインに取り組み、ナッジを活用した仕掛けの実装に至った。ここでは、その検討過程や得られた効果などについて解説する。

⑴ 取り組みの背景

京都市では、交差点や横断歩道付近など、道路交通法違反となる場所でのタクシーによる客待ち停車が多く発生しており、それによってバスの発着が妨げられたり、車線が塞がれて交通渋滞を引き起こしたりと、様々な問題が生じていた。

これまで市は、タクシー乗務員の規範意識が主なボトルネックだと想定し、啓発等の対策を講じてきた。その結果、徐々に乗務員の意識は高まってきていることがアンケート調査にて確認されていたが、違法な客待ちが無くなることはなかった。

そこで、従来とは異なったアプローチでの対応が必要と考えた市は、公民連携のスキームにてパートナーを募り、行動デザインのノウハウを持つ当社と協働して課題解決に取り組むこととなった。

⑵ 検討過程

a 目指す姿の定義

行動デザインにおいては、問題を確認した後、誰にどのような行動を取ってもらうことが望ましいのか(対象者と目標行動)を定義する。

今回は、一旦、対象者を「タクシー乗務員」、目標行動を「道路交通法違反となる場所での客待ちを止め、正規のタクシー乗り場へ移動する」ことと設定した。この際、「~を止める、しない」だけではなく、その代わりにどうして欲しいのかという代替行動を定義することが重要となる。

b ボトルネックの分析

目標行動を定義した次は、どのような要因がその行動を取ることを妨げているのかを分析する。具体的には、実際に現場に赴き当事者の行動を観察したり、関係者へインタビューを行いながら行動のプロセスを整理し、ボトルネックが何かを推察していくのだ。

京都市では当初、乗務員の規範意識が問題の要因と考えていたが、長年の啓発にもかかわらず違法客待ちが無くならなかった。このことを踏まえると、一部の乗務員による「違法と承知のうえでの確信犯的行動」が要因であり、よりタイムリーに強く規範意識へ訴えかけない限り行動への影響は小さいと考えられた。

また、他にタクシーを止める場所がないという、環境的制約も考えうるが、今回検討の対象とした四条河原交差点はすぐ近くに正規のタクシー乗り場が存在するため、これも要因としては弱い。

最も強い要因と考えられたのは、「違法客待ちであってもタクシーを利用する人がいること」であった。利用者がいるからこそ、ルール違反を犯すコストよりもメリットの方が大きいという判断が生じてしまうのだと推察される。この分析によって、乗務員の行動を変えるためには、当人に対してだけ働きかけるのでは不十分であり、利用者の行動変容が前提として不可欠であることが明らかになった。

ではなぜ歩行者は違法客待ちタクシーを利用してしまうのか。理由は二つ考えられた。一つ目は、「交差点付近に止まっているタクシーが違法であり、周囲に大きな迷惑をかけている」と、利用するタイミングで意識できる人が多くないということである。二つ目は、利用者には観光客も多く、すぐ近くに正規のタクシー乗り場があることを知らないということだ。

⑶ 施策のデザイン

ボトルネックを見つけ出した後は、それに対する打ち手の検討に移る。今回は、乗務員や利用者に対して、行動の直前でタイムリーに、その認識に働きかけることが有効であると推察されたため、ナッジを活用した看板を現地に設置して対応することとした。実際の写真が(図表 2)である。

看板の車道側については、人に見られていると感じることで規範的な行動をとりやすくなるというエビデンスをふまえ、目のイラストと「みんな見ていますよ」という文言をあしあらった。これに加え、プロジェクトメンバーである市職員の発案で、看板に窓を設けた。これによって、イラストや文言だけでなく、窓の向こう側の歩行者からのリアルな視線が感じられるようになったのである。

歩道側については、「この窓から見えるタクシーは違法停車中です」という文言を窓の脇に設け、ちょっとしたユーモアを交えながら、利用しようとするタイミングでタイムリーに注意喚起が行えるデザインとした。また、歩行者が興味を持って窓に視線を向けると、それがタクシー乗務員への働きかけにもなる。更に、下部には正規のタクシー乗り場まで近いことを明示し、乗り場までの移動コストが大きくないと感じるようにしている。

結果として、車道側はタクシー乗務員へ、歩道側はタクシー利用者へと同時に二つの対象者へ働きかけ、かつ表裏が連動するという、これまでに例を見ないナッジとなった。

図2|ナッジを活用した看板

content-image

上:歩道側デザイン、下:車道側デザイン

⑷ 効果検証

2022年の2月に、看板の設置前後で1日(2時間)あたりの違法停車時間を数日間測定し、その平均時間の比較を行った。その結果、実験前は1日(2時間)あたり約46分だった違法停車の合計時間が、看板の設置後にはわずか5分へと減り、率でみれば88%という劇的な減少となった。

また、所管の警察署からは、四条河原町交差点および各タクシー乗り場での違法タクシーに係る苦情の頻度が、設置前後で大幅に減少したとの報告もあった。

このような結果をふまえ、実証後もナッジを用いた看板の設置は継続している。

4 おわりに 

本稿の冒頭で提起したとおり、ありのままの「ひと」を行動という細やかな粒度で理解し、課題解決を行おうとする行動デザインは、ややもすると抽象論に陥ってしまいがちな「ひと中心の街づくり」を具体的に進めるための有力なアプローチになるのではないかと考える。今後、街づくりに携わる人々の間で活用が広がっていくことを期待したい。

本稿に関するご質問・お問い合わせは、下記の担当者までお願いいたします。

NTTデータ経営研究所

地域未来デザインユニット 

シニアコンサルタント

小林 健太郎

E-mail:kobayashik@nttdata-strategy.com

Tel:03-5213-4242

TOPInsight情報未来No.70ひと中心の街づくりと行動デザインの可能性