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体質のデジタル化、ゲノム科学

No.67 (2021年6月号)
NTTデータ経営研究所 情報未来イノベーション本部 産業戦略ユニット マネージャー 櫻木 誠
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SAKURAGI MAKOTO
櫻木 誠
NTTデータ経営研究所 情報未来イノベーション本部 産業戦略ユニット
マネージャー

公的研究者、大手外資化学メーカー、医薬品審査官、独立系ベンチャーキャピタルなどなどを経て、現職。技術理解と社会制度を加味した新規技術の社会実装支援を得意とする。得意領域はデジタルヘルス、医薬品、遺伝子診断、再生医療、ゲノム編、ELSIなどなど。博士(医学)

1 ゲノム科学の現在

(1) ゲノム科学の発展

 人間のゲノムは、4種の文字で書かれた30億文字の暗号情報である。近年、このゲノム情報を用いた治療や健康増進の科学が、大きく2つの方向で進んでいる。1つは、病気にかかった際に、病状や治療法決定に大きな影響を与える少数の遺伝子を見つけ出すものであり、癌の領域で最も進んでいる。これは、コンパニオン診断や癌ゲノムプロファイルと呼ばれる診断補助方法である。

 もう1つは沢山の遺伝子の影響を総和として解析し、疾患の罹り易さを予測するものであり、ポリジェニックリスクスコア(PRS)と呼ばれる罹患リスクの数値化方法などである。これは循環器系疾患や代謝系疾患の分野で進んできている(図1)。

図1| ゲノム検査の主な類型

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出典| NTTデータ経営研究所作成

 これらの研究が進んだ理由は3つある。

 1つ目は、ゲノム解析のコストが下がったことである。1990年代にヒトの全ゲノムの解読は、多数の国が参加した国際プロジェクトで行われていたため、高額だったが、現在では、十万円程度に下がっている※1

 2つ目は、ゲノム情報とセットになる診療情報や健康の情報が蓄積されてきたことである。ゲノムによって体質や疾患リスクを予測するには、ゲノムの違いと健康状態を関連づけてあらかじめ解析しておく必要がある。国内での典型例としては東北メディカルメガバンク事業が挙げられる。ここでは15万人規模の地域住民の長期健康調査を行っている※2

 3つ目は、異なる研究のデータの統合に威力を発揮するインピュテーション法※3が開発されたことである。実は、ゲノム解析はすべての配列を読み取る方法と、「飛ばし飛ばし」部分的に読み取る方法の2つがある。前者が、次世代シーケンサーと呼ばれる機器を用いて行う全ゲノムシークエンスである。後者で現在普及が進んでいるのはマイクロアレイを使ったものである。

 「飛ばし飛ばし」読まれたデータは安価でたくさん蓄積されているが、どこを「飛ばし」たかが研究ごとに異なることから、データを統合して解析することが困難であった。それが、データの蓄積によって、「飛ばされて」解読していない部分を推定で補完し、疑似的に全ゲノム配列を取得することが可能となってきている※4。これがインピュテーション法である。また、日本人のゲノムデータが増えたことと、AIの発展により推定の精度が向上している※5ことによって、多くのデータを統合して解析することが可能となった。

① ゲノムを使った消費者向けサービス

 ゲノムを使ったビジネスについて、消費者向け遺伝子検査のサービスを提供している4社を紹介する(表1)。

表1|ゲノムを使った消費者向けサービス

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出所| 各社HPから弊社作成

 上記に示した4社の主力製品は、いずれも3万円程度で、疾患リスク、体質、先祖に関する情報などが含まれている。また、一部の会社は、薬剤師からの服薬指導に役立てるサービスの実証試験※6や研究向けに、薬剤応答遺伝子検査※7を実施している。

 なお、先祖に関する情報と聞いても、日本人にはピンとこないかもしれないが、米国では、自身のルーツというのは関心の高いコンテンツである。例えば、アンセストリー・ドットコムなどの家系図に関するサービスは米国では人気のサービス※8であり、米国の有名な消費者向け遺伝子検査サービス会社23andMeでも家系図は主要なコンテンツの1つである※9

② ゲノム関連ビジネスの発展に向けた課題と対応

 では、今後のビジネスはどのようになっていくのだろうか。罹患リスクの見える化が広げるビジネスは、明らかに予防医療・先制医療の分野である。しかし、現在大きく欠けているものがある。それは、個人ごとの罹患リスクを調べた後の、健康にするソリューションの個別化や、選択肢の幅とインセンティブである。

 たとえば、動脈硬化のリスクが高いと判定されたものの、現在は無症状の人が居たとする。できることは何であろうか。結局は、健康に良い食事、運動、睡眠、健康診断につきる。リスクが高いと判定される前と同じような選択肢にとどまっている。効果的なソリューションや選択肢の広がりがなければ、占いと変わらない。

 欠けたものを埋めるピースを、ゲノム以外での健康増進の取り組みや新規ビジネスから探すと、大きく4つに分類される。

 1つ目は、状態のモニタリング・見える化である。ゲノム自体は変化しないが、体調は日々変わっている。体調に関係する活動、物質、数値を見える化することで、指標の変化を糧に健康行動を続けることができる。古くはレコーディングダイエット、最近では、血中のアミノ酸で測る味の素のアミノインデッックス、腸内腸内細菌や便通をターゲットにしたウンログ、サイキンソーなどがある。ただ、これらはゲノム情報を使わずとも単独でも健康の指標として成立するものであり、ゲノム情報との組み合わせでも、まだ大きな相乗効果は見られていない。

 2つ目は、インセンティブ、いわゆる「ニンジン」である。厚生労働省では、平成30年度から、「保険者努力支援制度」を創設している※10。特定検診の実施率や糖尿病重症化予防などに取り組んだ保険者に点数を付け、点数が高いと国から交付金がもらえる仕組みである。自治体レベルでの個人へのポイント付与や、住友生命のバイタリティーのように生命保険でもポイント制度※11を取り入れているものもある。難しいのは、インセンティブの原資や金額の計算を組み込んだ仕組み作りである。国は行政的な判断のもとインセンティブを作りだし、競争によって健康行動を健保経由で促している。住友生命は、南アフリカの金融サービス会社DiscoveryLtd.のウェルネスプログラム「Vitality」を日本市場へ導入する形で仕組みを作った※12

 3つ目は、健康的な意識の高いライフスタイルや体形維持・肉体改造に興味のある層を相手にしたビジネスである。FiNCはスタイリッシュな健康生活を提案しているし、ライザップは結果にコミットする、驚くほどの肉体改造を魅力に訴求している。

 ここまでの3つに共通する問題点としては、もともと健康に関心があって運動や生活習慣改善に対する意欲が高い人、いわゆる「健康関心層」に対してしか、そのソリューションが働きにくいということがある。

 4つ目は、健康そのもののレジャー化、またはインセンティブを前面に出さなくても自然と健康がついて来るようなソリューションである。最たる例は、AR(拡張現実)を活用して、街中でポケモンを捕獲するスマホゲームのポケモンGO※13である。街中にポケモンが溶け込んでいる没入感やレアものを捕獲する射幸心を巧みに刺激するものであり、ユーザーはポケモンを探して街中を散歩する。散歩の結果、2兆円の医療費削減効果をもたらしたと販売元は推定しているし※14、スポーツ庁からも生活スタイルの一部としてスポーツを取り入れるソリューションに認定されている※15。これは3つ目と似ているが、対象となる層が異なると筆者は考えている。筆者が公園で見かける群衆から想像するに、ポケモンGOは「健康関心層」にだけ狭く訴求しているものではなさそうだ。

 今後は、ポケモンGOに匹敵するキラーコンテンツが食事や休養にも広がっていくだろう。そういったコンテンツの数がそろったときに、ヘルスケアとエンターテインメントが融合し、ゲノム科学の成果がライフスタイルにまで浸透すると考えている。おそらく、ヘルステインメントとの造語が作られ、一般的になるだろう。ただし、参考までにネット検索と商標検索をしたが、筆者が想像している造語は、現在はまだ一般的にはなっていないようだ※16

2 予防医学発展の未来像

 では最後に、もっと技術寄りの視点で見た未来はどうなるだろうか。私は、まず新しい健診基準値と新しい統計学が成立すると考えている。

 糖尿病に関しては、HBA1cという、健康診断で必ず測定する値があり、糖尿病の発症のずっと手前から活用されている。このように、発症の手前から状況を把握して健康状態の改善に使う指標が必要なのであるが、他の疾患ではまだそれほど揃っていない。基準値を見つける場合、単一の物質測定結果を元にした数値である必要はなく、複数の物質の濃度測定値を元にしても良い。前述の、健康状態を見える化する技術から出てくる可能性もある。また、今後はゲノムごとに補正した基準値が開発されるのではないだろうか。実は、過去の研究では個人差が原因で明瞭な基準値を設定できず、最終的に実用化されていないものも多い。複数物質の測定やゲノム情報は、この個人差を補正して、新しい基準値の創出につながる可能性があると筆者は考えている。今後、複数の有望な基準値候補が提唱され、エビデンスが蓄積して実用化されることを期待している。

 指標を用いて状態を把握した後は、予防法を考案し、効果を検証することが必要となる。そこには、新しい統計学が必要となる。現在の薬などの臨床試験における統計は、典型的には集団を2つに分け、集団を比較することで2通りの処置(開発薬と偽薬投与)の効果を厳密に比較するものである。この方法の問題点は、効果が弱いほど、多数の参加者と測定可能な効果が出るまでの期間が必要になることである。ゲノムの特性で細分化された小集団の予防効果という小さな変化の検証には向いていない。厳密に長い時間をかけて結果を出すのではなく、科学の成果をいち早く現実に活用する、「走りながら」選び、決断することを可能とするような統計学が登場するだろう。

 筆者が考える未来像では、詳細な思考過程は割愛するが、新しい基準値や統計学の実現にともなって、予防医療のエビデンスは等級付けされ、消費者が自身で判断して健康行動、予防薬などを選ぶようになるだろう。また、選ぶ対象は、トクホと現在の医薬品の中間的な、つまり、マイルドな効果と副作用を持つものであって、ゲノムや健康情報をもとに個別化されたものが中心となるだろう。そして、自身の予防や治療のためだけでなく、効果データをシェアしてエビデンスの検証にリアルタイム参加し、自身を含めた類似のゲノムを持った人向けの予防法を開発する、そんな市民参加型の健康ソリューション開発になるのではないかと思われる。現在、各パーツは揃ってきている。そしてそれらのパーツを上手く組み立てて、明るいビジョンとキャッチーな魅力を備えたソリューションを開発した企業が健康分野のプラットフォーマーになるだろう。

※1 https://www.genome.gov/about-genomics/fact-sheets/DNA-Sequencing-Costs-Data

※2 https://www.megabank.tohoku.ac.jp/activity/10years

※3 https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/keyword/4236.html

※4 https://www.amed.go.jp/news/release_20190917-01.html

※5 https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/content/000002358.pdf

※6 https://genequest.jp/pharmacy/

※7 https://genesispro.genesis-healthcare.jp/md-pgx/

※8 https://www.ancestry.com/corporate/

※9 https://www.23andme.com/

※10 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10745.html

※11 https://vitality.sumitomolife.co.jp/guide/point_details/

※12 https://www.sumitomolife.co.jp/about/csr/initiatives/csvproject/index.html

※13 https://www.pokemongo.jp/

※14 https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/02971/

※15 https://nianticlabs.com/blog/sportinlife/?hl=ja

※16 2021年4月15日に「ヘルステインメント」で検索した結果。Google検索ではブログ記事2つの後は、「ヘルスケアインフォテインメン57│Info-Future ト」の検索結果が続く。J-Platpatでは、該当する商標なかった。

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