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エッセンシャルワーク×ウェルビーイング×デジタル技術

No.67 (2021年6月号)
NTTデータ経営研究所 情報未来イノベーション本部 産業戦略ユニット ユニット長/アソシエイトパートナー 吉田 俊之
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YOSHIDA TOSHIYUKI
吉田 俊之
NTTデータ経営研究所 情報未来イノベーション本部 産業戦略ユニット
ユニット長 アソシエイトパートナー

理学療法士、MBA。前職では、リハビリテーション専門職として、診療報酬と介護報酬改定の交渉実務を統括。現在、医療・介護・リハビリテーション分野の制度研究と、互助・自助の側面からみた地域包括ケアシステムの調査研究を専門とする。産業戦略の視点から介護の生産性向上や介護ロボット機器といった先端技術との融合による市場拡大を目指し、政策提言と事業戦略を担う。

 本稿では、近年注目を集めるウェルビーイングという目的概念を手がかりとし、特に介護産業におけるテクノロジーの活用状況を概観する。そして最後に、将来における、ウェルビーイングを目的とした新しいデジタル技術の活用について私見を述べる。

1 新型コロナ感染拡大の余波

(1) 老人福祉/介護事業の倒産休廃業件数は過去最大

 「人が安心して生活を続ける上で欠かせない仕事」という意味で注目を集めたエッセンシャルワーク産業も、他産業と同様に、コロナ禍の負の影響を受けていることがわかった。 東京商工リサーチによると、2020年に老人福祉/介護事業で倒産した事業者は118件と過去最多を記録した。休廃業を合わせると573件に上り、介護保険が始まって以降、最多になるという。高齢者数が今後も増加する見通しを踏まえると、地域のサービス提供拠点が減少する状況は極めて深刻といえる。なお、件数こそ多くないが、保育業の倒産件数も増えている。

(2) 新型コロナ対策と介護現場のジレンマ~接触を回避できないケア

 介護現場でも衛生管理は徹底され、三密を回避できるよう可能な限りの工夫がなされている。しかし、高齢者の介護ニーズを満たすには、三密回避を維持しにくい場面もある。例えば、重度の要介護者の排泄行為を介助する場合や入浴介助する場合には、介護者に身体を預けてもらい移乗する必要がある。また、遠く離れた所から食事の介助をすることも難しい。身体介助を必要としない高齢者であっても、耳が遠ければ、近くに寄り添って声を大きくして話しかけねばならない。感染拡大を予防する必要性を痛感していながら、どうしても高齢者に接触しなければケアが成立しない介護現場の悩みは深い。一方、対面会議からリモート会議に切り替えるなど、インターネットを活用しコミュニケーション業務の効率を図る工夫は進みつつあるようだ。

(3) 新型コロナ対策と保育現場のジレンマ~マスク着用の弊害

 人同士のコミュニケーションにおいて、非言語情報の重要性は経験的に誰もがよく知っている。非言語コミュニケーションの重要性を示す代表的なアルバート・メラビアンの論文(1968)によると、人がコミュニケーションの際に重視するのは、表情や態度、ジェスチャーなどのボディーランゲージが55%を占め、言葉そのものは7%だったという。 このように、非言語コミュニケーションは重要なため、新型コロナ対策について保育現場である懸念の声があがっている。保育者がマスクを装着する弊害である。

 最近では子供でも新型コロナに感染するという報道がなされるなど、子供を預かる保育現場では緊張感が高まっている。そのため、保育者のマスク着用も徹底されてきた。ところが、保育者がマスクを装着することで、とりわけ乳児が保育者の表情を読み解いたり、保育士の口真似をしたりすることが難しくなるという。その結果、表情を読み解く発達が遅れる可能性や、言葉を発する力が弱くなる可能性が心配されている。この問題については新型コロナ前から既に指摘があり、今回の感染拡大によってその懸念が増したかたちだ。実際、今年の乳児は表情が少し乏しいと感じる保育士や、1歳から3歳くらいの子供たちで力強く歌えていない子がいる、と感じている保育士もいる。今回の感染拡大下において保育者のマスク装着は欠かせないこともあり、保育現場はジレンマを抱えている。

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2 介護産業におけるテクノロジーの活用

(1) エッセンシャルワークにおけるウェルビーイングへの関心

 ウェルビーイング(Well-being)とは、単なる身体的な健康概念を超え「個人の権利や自己実現が保障され、身体、精神的、社会的に良好な状態」と解釈される。この概念はこれまで社会福祉の分野で用いられてきたが、近年ではワークライフバランスの文脈でもみかけるようになり、一般的な浸透を見せている。保育分野では、近年、より良く生きる上で重要な主体性を養うという考えからも、現在の保育のあり方を問い直すきっかけにすべきとの提案がなされている。介護分野でも、多くの研究者によって人生の高齢期にあっても高齢者がより良い状態であり続ける大切さが指摘され、主体的に社会参加・交流できる環境作りが重要とされる。筆者も日本、イギリス、オランダ、オーストラリアの高齢者向け施策を比較し、特に、軽度者向け施策の目的概念にウェルビーイングを加える必要性を指摘してきた。このように、エッセンシャルワークの領域では、人生の段階にかかわらず、人は主体的で良い状態であるべきという新しい価値観に関心が集まっている。

(2) 現在の介護分野におけるデジタル機器の活用の狙い

 介護分野では、主に身体的、精神的な負担軽減を目的として介護ロボット機器やICT機器の導入が進んだ経緯がある。介護記録ソフトも同様に記録業務の効率化や負担軽減を目的としている。国や自治体は①電子記録簿に入力したケア内容を転記することなく、②他の職員と情報共有でき、③最終的に請求できる、という3要件を満たす一気通貫のソフトが普及するよう補助している。2021年からは、生産性向上の文脈に沿ってテクノロジーの活用を促す高齢福祉向け施策も現れた。これは新しい動きといえる。介護分野ほどではないが、保育分野においても保育業務記録のICT化が徐々に広がりつつある。対人サービスでは扱う情報量・種別が多く、記録作業を効率よくしたいという共通したニーズが見えてくる。

 他方で、高齢者のウェルビーイングを目指すデジタル機器は現在のところ見られない。ウェルビーイングが着目する、「他の人との繋がり」「新しいスキルの習得」「行動の活発さ」などの視点は、介護ロボットなどの普及のための補助金が対象とする目的要件に合わないためか、各社メーカーが研究開発を進めていない可能性が高い。

3 未来のエッセンシャルワークのフィールドに潜在的なニーズを捉えるヒント

 本節では、未来のエッセンシャルワークフィールドに潜在するニーズを捉えるヒントについて私見を述べたい。高齢者が意図をもって人生設計を始めるニーズを顕在化すれば、それに合致する機器の購買可能者数が介護事業所数をはるかに上回るため、介護ロボットやデジタル機器産業の研究開発トレンドはこれまでと異なるものになるだろう。

(1) 年を重ねるほど、より自分らしく

 最近ではウェアラブルデバイスを使い、日常的に健康を自己管理する生活スタイルを気楽に選択できるようになった。これからはパソコンやスマートフォンに抵抗の少ない世代が高齢化してくる。年を重ねても自分らしい暮らしを続けていきたい、と思う気持ちは現在の高齢者よりも強まるはずだ。そして、彼らは、結果から得られる効用(満足)を得る喜びだけでなく、活動の中で、自分で選ぶ過程をも楽しめる世代とも言える。仮に介護が必要な状態になったとしても、サービス提供者が用意したケアやサービス(もちろん、本人のためによく考え抜かれてはいるのだが)を単に受動的に受け取る従来型のシステムでは十分満たされないだろう。むしろ、「こういうケアはどうか」「こういう風にケアを受けたい」と提案してくるようになる。それを実現するには、介護を受ける側と提供する側がケアやサービスの内容、受け取り方、受け取る場所・時間に至るまで一緒に検討できる、いわばビスポーク型※1で協働しながらケアを創る「自分なりの暮らしづくりを支援するシステム」が必要になる。そこでは情報の種類を豊富に扱え、かつ双方向に大量の情報やりとりを可能とする技術開発が欠かせない。中でも、現実的な物理空間と情報空間を掛け合わせるXRの技術の進化が不可欠である。こういった条件が整えば、ケアや手助けが必要になっても自分らしい暮らしを自分なりに設計できるというこれまでの高齢期にはなかった満足と納得が得られるようになる。年を重ねるほど、より自分らしく。この未来像は人生の円熟期を楽しむための新しく有力な選択肢といえる。

※1 ビスポーク型:既製ではなく、個別にあつらえたもの

(2) 高齢者のメンタルフィットネスへの活用を期待できる「運動主体感」

 我々が新しく経験した「リモート」のある生活は、仮想空間と現実を融合した新しい世界の入り口をほんの少し覗かせてくれた。VR、AR、MRあるいはSR※2といった多様な新しい現実づくりの技術が加速度的に進化している。これらの技術は、いずれ日常生活の中に取り込まれ、我々に新しくてワクワクするような体験を提供するだろう。その五感の開発の先にある次なるテーマは「運動主体感」の再現と言われている。これは、あたかも自分が主体になって運動しているかのような錯覚を与えるものといえる。実は、類似した原理は古くから活用されており、運動麻痺や幻肢痛のリハビリテーションの一つの治療技術として用いられている。

 この運動主体感を高齢者のメンタルフィットネスに活用できないだろうか。高齢になると自然とできないことが増えるばかりか、気分が落ち込み、心に元気がなくなる(うつ病ではない)。適度な運動、良質な睡眠、十分な栄養摂取の3点セットが推奨されるが、既に元気のない高齢者ではうまく達成できない場合もある。しかも、加齢に伴った気分の落ち込みを解消する手立ては意外とサービス化されていない。また、介護職員や理学療法士といった専門職であっても、励ますという伝統的な働きかけのほかにスキルを持っていない。言葉を尽くし、論理的に説明すれば前向きな気持ちを引き出せる、というわけでもない。そこで、筆者は新しい解決策として、運動主体感に期待を寄せている。杖歩行の90歳の方が、もし中学生のような躍動的なかけっ子を再び実感したら、どれだけ心が弾むことか。視覚や聴覚刺激から得る感覚とは明らかに違う「自分が主体となっている実感」は、高いウェルビーイングにつながると考えられる。将来、運動主体感を用いたサービスが実用化されれば、本来の目的として自立支援を掲げる介護保険制度の持続可能性にも大いに貢献するにちがいない。

※2 VRは仮想現実、ARは拡張現実、MRは複合現実、SRは代替現実の意

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